9〜大事な…〜
……オレは何をやっているんだ?
誰がいるっていうんだ?
オレは雨に打たれながらベンチに座っていた。
雨が紫煙さえもかき消していく。
目の前に、あの青年が現われた。そして喋る。
――いるわけないだろ。
おまえに誰がいるっていうんだ?
今まで一人でいたくせに。
こんな時だけ他人を頼って。
おまえはいつまでも一人なんだよ。
オレとおなじ。
オレとおなじなんだよ。
青年はそう告げると、満足そうに消えていった。
……オレは、一人…。
「冬貴…?」
母さんの声がした。
一気に鼓動が高まる。
その声の方を向く。
そこには大きめの傘をさして、ビニール袋を下げた少女が立っていた。
「……みずの……。」
かすれた声でそれだけ言った。
自分が滑稽だ。
こんなに時がたってもまだ、希望を捨てきれない。
オレは自嘲気味に立ち上がりながら、水野に近づく。
「何やってんだ?こんな時間に。」
「え、あ…。コンビニに行ってたんだけど…。」
なぜか言葉の詰まっている水野に疑問を持つが、オレはそんなことを気にしてる余裕はなかった。
早く逃げ出したかった。母さんと被る水野の姿に。
「そうか。あんまり夜中に出歩かない方がいいよ。」
オレはそう言って笑い掛け、そのまま通り過ぎて公園を出ようとした。
「……冬貴。」
その声に思わず立ち止まってしまう。
「今、すごい悲しい顔してるよ?」
オレは笑いながら振り返る。
「なんで?オレ、笑ってるじゃんか。」
「無理して笑ってる。」
水野がオレの言葉をさえぎり、そして続ける。
「そんな笑い方しちゃダメだよ。」
その言葉に、オレの顔から笑みが消える。
水野はオレに歩み寄ると、オレに傘を差し出した。
オレの上からは、雨が降ってこなくなった。
「笑えないときはさ、私が笑ってあげるよ。冬貴の変わりに。ねっ?」
そう言って、雨に打たれながら、水野は笑った。
……オレはその時、今まで堪えていたものに堪えきれなかった。
それが涙として溢れてくる。
「だって、失うんだ…。オレの大事なモノは、いつだって…無くなるんだ……っ」
「それって私が大事なモノって事?うれしいなぁ。」
そうだ、そう言っているようなものだ。
しかし、オレは構わずに頷づく。
すると、水野はそっとオレと手を重ねた。
「無くならないよ。絶対に。根拠は無いけど、誰かに大事に思われてたら無くなれないよ。」
「…り…え……」
理恵の手が暖かくて。理恵の存在が暖かくて。
それをもっと感じたくて、オレは、気付いたら理恵を抱き締めていた。
理恵はオレの背中に手を回し、強く抱き締めてくれた。
俺が泣き止むまで。
雨が降り止むまで。
オレと理恵は、ずぶ濡れになりながら、抱き締め合った。
―――――。
オレはリビングのソファに腰掛けながら、まだ濡れている髪を無視して、コーヒーをすする。
その隣で、理恵もコーヒーをすすっていた。
オレはあの後、さすがに理恵をずぶ濡れのままで帰せないので、オレのマンションで服を乾かす事にした。
理恵の服は脱水機に回されていた。理恵はオレの服を着ながら、コーヒーを苦そうな顔をしながらもすすっている。
「……ありがとうな。」
「ん?」
「さっきは、ありがとう。」
思い出すと今でも顔が熱くなる。
アレじゃまるで、泣きじゃくる子供と、それをあやす母親だ。
「理由は……聞かないでおきましょう!」
理恵は一瞬オレを見つめ、笑った。
「…いいのか?」
「だって冬貴が泣くんだもん。かなりの理由でしょ?話したくなったら、話せばいいよ。」
理恵の優しさが嬉しかった。オレは少し笑いながら、コーヒーをまた一口すすろうとする。
「それより!」
いきなり顔を近付けられたものだから、オレはコーヒーが気管に入り、思いっきり咳き込んだ。
「…な…何……?」
オレが理恵の方を向くと、理恵はまた元の位置に座った。
「…さっき言った事って、本当?」
「さっき言った事って?」
「だから…その…大事な…とか…なんとか……。」
俯き、何故か顔を赤らめている理恵に疑問を持ちながら、オレはまたさっきの事を思い出した。
「ああ、本当だよ。」
「本当に!?」
今度は顔を上げ、嬉々としている理恵に圧倒されながら、オレは答える。
「あ、ああ。理恵はオレの大事な友達だ。」
オレが言い終わった途端、理恵は無表情になった。
「え…え?…なに…?」
状況が把握できないオレを無視して、理恵は立ち上がり、ビニール袋を持った。
「じゃ、ごちそうさま。大事な友達の冬貴クン。」
理恵はそのまま玄関に向かった。
「えっ?なんで…怒ってんの…?」
玄関で靴を履いていた理恵は、オレの声にピクリと反応すると、オレを睨み付けた。
「怒ってませんっ!!」
それを捨て台詞にして、理恵はドアを開け、乱暴に閉めた。
「…怒ってるじゃん……。しかもそれ、オレの服………。」
オレは玄関を見つめながら呟いた。
そして、またこのマンションで一人になったことに気付く。
しかし、さっきまでの言い様のない違和感は無くなっていた。
「ともだち……。」
オレはその言葉に、つい顔がほころぶ。なんだか、初めて友達ができた気分だ。
オレは明日になるのがなぜか楽しみになって、ベットに潜り込み、ほころんだ顔のまま眠りについた。