7〜料理〜
この現場に来て、10日が経とうとしていた。
…あー…春のくせに……
日課の太陽をにらむ事を、今日も済ます。
今は昼頃。太陽は空の真上に堂々と居座り、おりようとしない。
オレは屋根の上で、仕事を放りたい気持ちを我慢して、必死にトタンのサビを落としていた。
「おーい!」
今ではもう、聞き慣れてしまった声がする。
隣の家を見下ろすと、水野が手を振っていた。
「ご飯できたよ〜!」
そうか……今日は土曜日なのか……。
オレは覚悟してうなずき、熱したフライパンのような屋根から脱出した。
オレはこの現場で、土曜日恒例の行事がある。
昼メシを水野の家で食べることだ。
水野は、オレがここ数年手料理を食べていない事を知ると、いきなり怒りだし、せめて土曜日くらい、メシは自分が作ると言いだした。
その時の水野の勢いに押され、それを了承してしまった。
水野はそれをとても喜んでいたし、オレもたまには誰かの手料理が食べたかったので、まあいいかな。と思う。
……しかし、それは大きな間違いだった。
水野は料理が下手だったのだ。先週の昼メシはひどかった。
肉じゃがはジャガイモがシャリシャリ…というかボリボリと小気味のいい音がしたし、味噌汁にいたっては何故か甘かった。
水野にそれを聞くと、
「あっ!ごめん!さとうとマスタード間違えちゃった!」
と言っていた。
…よかった…間違えてくれて…。
今日はどんな料理が出るのか……。
オレは不安な表情を隠しながら、理恵の家へと入っていった。
風情のある木造の日本家屋。平たく言うとボロイ家だ。
横開きのドアを開け、おじゃまします、と一応挨拶するが、誰も応えない。
少しため息をつきながら玄関に腰掛ける。
めんどうな直足袋のフックを外していると、トテトテと可愛らしい音をたてながら、所々青い柴犬、ポチが尻尾をふりながらオレの方にやってきた。
オレは直足袋をぬぎ、ポチの頭を軽くなでてやると、ポチは、ついてこいといわんばかりに、オレを時々ふりかえりながら、居間へと誘った。
「おじゃまします。」
「おおー、冬貴くん。今日も精がでるのう。」
シワだらけの老人が、さらに顔をシワだらけにして、笑顔でオレにこたえた。
この人の名前は……わからない。水野はおじいちゃんと呼んでいるし、この人も自分から名乗らない。
だからオレはじーさんと呼んでいる。
「じーさん。今日のメシもすごい?」
オレが敬語じゃないのは、じーさんがそうしてくれと言ったからだ。
じーさんは苦い顔をして答える。
「ああ、今日もヤバヤバじゃ。」
今の言動からもわかるように、じーさんはかなり変人だ。ヤバヤバなんて老人から聞いたのは初めてだし、語尾に“じゃ”をつけるのも、逆にめずらしい。
しかし、それも何日かで慣れてしまった。
じーさんは口調だけでなく、内面もかなりおもしろい。
話していても、老人と話しているような感覚はなく、趣味の合う兄弟と話しているみたいだ。
趣味はコーヒーブレイクを楽しみながらのネットサーフィンとか言っていたな。
オレとじーさんが、居間のテーブルを中心に、会話を弾ませていると、キッチンから、水野が満面の笑みでやってきた。
水野のおかげで、見る世界が変わった。じーさんと楽しく会話できているのも、水野のおかげだ。
オレを取り巻く環境は変わっていないのに、以前より、水野に会う前より楽しくなった気がする。
あの日以来、初めてできた友達。その存在さえ認めていなかったオレも、それを認めざるをえないだろう。
オレはいままでの奴らと同じように、水野にも冷たい態度をとっていた。
そうすれば、水野もいままでの奴らと同じように、オレから離れていくと思った。
しかし、水野はオレを真正面からみてくれた。
たった半月近くの付き合いの奴にだ。
オレの中の何かが変わろうとしている、のかもしれない。
「さ、じゃんじゃん食べてね!」
そして、オレを変えようとしてくれている友達が、オレを殺そうとしている。
テーブルに広がる夢のようなメニュー。ああ、これが夢だったらどんなに助かるか。
「冬貴、どうしたの?まさか食べないワケないよね?」
劇物を食べることを勧める理恵。
「あ…ああ…。」
相づちを打つことしか出来ないオレ。
――……オレは午後からの仕事を早退した。