5〜過去〜
映画を観おわり、中の喫茶店で食事を済ませ、外に出てみると、西日が沈みかけていた。
水野が、このまま帰るのもなんだか味気ない、という意見を了承して、オレ達は公園に向かった。
「うわぁ、何にもないねー……」
水野が、驚いているのか、呆れているのかよくわからい声をあげる。
たしかに、この公園は中央にブランコがあるだけ。
それと所々にベンチがあるだけで後は何もない。
砂利が地面に薄く敷き詰められただけのただっぴろい、文字どうり、ただ無駄に広いこの公園をみると、呆れを通り越してむしろすがすがしくなる。
オレ達は中央のベンチに座り、西日が沈んでいくのを見つめながら、他愛もない話をしていた。
話が、オレが一人暮しをしている話題になった。
「えっ?一人暮ししてるの?すごい!よく両親が認めたね!」
オレが、母親は死んだことをいうと、水野はしまった、という顔をしていた。
「ご…ごめんなさい…いやな事聞いちゃって。」
水野はうつむき、気まずそうにしている。
「いや、大丈夫だよ。」
正直、大丈夫じゃなかった。今でも、思い出すと悲しみのどん底にたたき落とされた気分になる。
オレは、今まで母さんが死んだことを人に言ったことがなかった。
水野に言ったのは、もしかしたら、水野なら同情をしないでくれるんじゃないか、と思ったからだ。
水野は、人を正直にさせる力みたいなのを持ってる。まるで心理カウンセラーと話しているみたいに、嘘をつけないのだ。
ふと、水野を見ると、黙ったままオレを見つめていた。
「な…なに…?」
「うん。冬貴になら話してもいいかな。」
水野はそう言って微笑むと、オレから視線を外し、虚無を見つめた。
「こんなの、人に話す事じゃないとおもうんだけど…。…私も両親をなくしてるの。」
―――――。
水野理恵の父と母、恵一と真理は、大学で出会い、恋に落ちた。
しかしそれは、周囲に認められた関係じゃなかった。
真理の家庭はとても厳しく、両親が見繕ってきた男以外は、断固として認めなかったのだ。
恵一の父だけは、二人の関係を応援してくれていた。
二人はそれを励みに、ついにかけおちする事を決意した。
かけおちした後はかなり苦労したが、理恵が生まれ、6歳になった頃には、誰の目から見ても、幸せな家庭だった。
そして、二人は決めた。
真理の両親にも、関係を認めてもらおう。
もう遅いかもしれないけど、孫ができたことも報告しよう。
この家庭を、みんなに認めてもらおう。
二人は、真理の両親の家に行くことにした。
―――――。
朝。今日は二人とも仕事を休み、朝から準備に追われていた。真理の実家は県外なので、車で行くには、朝早く行かないと渋滞してしまう。
「真理さん、このネクタイはどうかな?」
恵一は、不安そうに真理にたずねる。
「これはちょっと派手じゃないかしら。」
真理はそう言うと、ネクタイのしまってある引き出しをかき回し、目当ての1本を取り出した。
それを恵一の首元にあてがい、
「うん、これね!」
と言うと、恵一にそのネクタイを渡した。
恵一は眉をひそめながら、真理に言う。
「真理さん。化粧が濃くないか…?そのままでも十分綺麗だよ。」
「やだ、恵一さんたらっ。30過ぎたオバサンにノーメイクで外に出ろなんて言うのはだれですか?バカですか?」
「ごめんなさい。」
真理のトーンの低い声に、恵一は尻込みし、素直に謝った。
「パパ〜ママ〜。お出かけするの?」
理恵は両親の慌ただしい様子を見ながら、目をこすり、起き抜けの眠たい声で言う。
恵一がネクタイを結びながら言う。
「パパとママはね、これから大事な所に行くんだ。理恵もつれていきたいけど……びっくりは最後にとっておくのが一番!」
恵一はネクタイを結びおわり、腰を曲げ、理恵の頭の上に手を置く。
「夕方には帰るから、それまでお留守番できるか?」
理恵は満面の笑みで答える。
「うん!できるよ!だって、理恵はもうすぐお姉さんになるんだもん!」
「んん〜、いいこだな〜!」
恵一は緩んだ口元でそう言うと、膝をつき、理恵を抱き締めた。
真理は、もう一人の命を抱えていた。
妊娠6ヵ月で、人目にはわからないが、お腹が張り出している。
「準備オッケー!さ、恵一さん行きましょ。」
「ああ、緊張するな…。」
「着く前に緊張してどうすんの!」
真理はそういうと、恵一の肩を軽くはたいた。
玄関で靴を履き、二人は振り返る。
「じゃあ、いってきまーす。」
「いいこにしてるのよ!」
「はーい!いってらっしゃーい!」
玄関の扉が開き、そして閉まった。
これが、理恵と両親の最後の会話だった。
二人は車で実家に向かう途中、大型トラックと正面衝突した。事故の原因は、トラックの運転手が長時間運転していたため、居眠りをしてしまったと思われる。そして、反対車線に寄ってきたトラックを、二人は避けられなかった。
恵一も真理も、トラックの運転手も、即死だった。
そして、この事故で“四人”の命が失われたのだ。
理恵は、迎えにきた祖父と共に病院へ向かった。
祖父は、理恵に両親を見せるか迷ったが、帰ってこない両親を待ち続けるというのもいたたまれないので、両親を見せる事にした。
理恵と祖父は霊安室に入ると、冷たい空気を感じる。
「おじいちゃん…暗くて恐いよ……。」
理恵は祖父の手を強く握り締める。
祖父は恵一と真理の前まで行くと、一度大きく息をはいて、二人にかぶさっていたシーツを開ける。
「…くっ……!」
二人の青ざめた顔に、祖父は涙がこみあげてくる。
しかし、祖父はそれをこらえ、理恵と同じ目線になるようにしゃがんだ。
「理恵?よく聞くんだよ?」
理恵は、祖父がいつものやわらかい雰囲気ではないことに気付き、真剣な表情になり、うなずく。
「理恵のパパとママはね、死んでしまったんだ。みてごらん。」
理恵は促され、二つのベットを見上げる。
そこには、見慣れた二人が、見慣れない表情で目を閉じていた。
「…なんでパパとママは寝てるの……?」
自分のした質問の答えを、理恵はわかっていた。
この部屋の暗さに。
祖父の雰囲気に。
両親の表情に。
それで、理恵は子供ながらに理解したのだ。
しかし、質問せずにはいられなかった。
もうすぐ目を覚ますよ、と言ってほしかった。
しかし、祖父は首を横に振った。
「寝てるんじゃない。…死んでしまったんだ…。」
子供に話すのは酷すぎるかもしれない。
しかし、祖父はそんな気持ちを追いやり、言葉を続けた。
「もう、目を覚まさないんだよ。」
理恵は二人を見つめたまま、ゆっくりと二人の元に近づいていく。
「パパ、ママ。なんでこんな所で寝てるの?早く帰ろうよ。」
理恵はいつもの調子でしゃべり続ける。
「帰ったらね…理恵、ママのシチュー食べたいな。パパも好きでしょ?」
二人は答えない。
「そしたらね、お話聞かせてよ。まだ途中でしょ?王子さまがお姫さまを助けにいくとこ。」
表情さえ変えないまま。
「お話聞いたらね、みんなでいっしょに寝ようよ。あ、でもパパは寝相悪いからな〜。」
祖父が、理恵の両肩に手を置く。理恵が振り返ると、祖父は首を横に振っていた。
理恵はうつむき、今日の朝の会話を思い出す。
お留守番できるか?
夕方には帰るから
いいこにしてるのよ!
いってきまーす
「…かえって…くるって……」
理恵の目には涙があふれてくる。
「かえってくるって………言ったのに………」
理恵は咳を切ったように泣きだした。
二人は、それでも答えることはなかった。