4〜青年〜
プルルルルップルルルルッ
耳障りな携帯の電子音に、無理矢理まぶたをこじ開ける。
今日は日曜日。一週間の疲れを取ろうと、今日はゆっくり寝るつもりだった。
「だれだよ…」
悪態をつきながら、目をこすり、ふたつ折り携帯をゆっくりと開く。
ディスプレイは、水野理恵からの着信を知らせている。
思わず舌打ちをしてしまう。オレの眠りを妨げる奴は、何人たりとも許されない。
通話ボタンを押し、携帯をゆっくり耳に押しあてる。
「…はい…」
誰の声かと思うほど、かすれた声がオレの喉から絞りだされた。
『冬貴っ?まだ寝てたの?いい加減おきろ!』
メールをやりとりしている内に、いつのまにかオレを呼び捨てにしている。
「…なに…」
なかなか用件を切り出さない事に、オレの寝起きの悪さも足されて、かなり不機嫌になっていた。
『ひま!あそぼ?』
電話の向こうはかなり騒がしい。
「……やだ。」
『な、なんで!?』
断られると思ってなかったのか、声はかなり動揺している。
「オレは寝るの……おやすみ。」
『なんでよ!あそんでくださいよ!』
電話を切って寝るつもりだったが、水野の声を聞いてる内に眠気が引いてきた。
ため息を一つはいて、ベットから起き上がる。
「…しょうがないな…」
『やった!じゃあ、今から30分後に駅の改札ね!』
「え、あっ、ちょ……」
プツッと大きな音が聞こえたかと思うと、通話が切れた事を知らせる断続的な音が聞こえ、水野から返事が返ってくることは無かった。
ため息をつく気力もない。オレはとりあえず、まだはっきりしない頭を覚醒させようと、おぼつかない足で風呂場にむかった。
蛇口をひねると、熱いシャワーが頭から振りそそぐ。
……ここは母さんが買ったマンションだ。オレはここで一人暮しをしている。
別に家が裕福でも、オレのために買ってくれたわけでもない。
このマンションは、母さんが唯一遺した財産なのだ。遺したというんだから、母さんはもう、この世にはいない。
オレは母子家庭に生まれた。父親は、オレが生まれる前からいなかった。
一人息子のオレを、母さんは一生懸命育ててくれた。
「お父さんがいなくてつらいだろうけど、がんばろうね。」
母さんはいつもオレに言っていた。
だからオレもオレなりに一生懸命になった。
オレは母子家庭に生まれて、後悔なんて感じていなかった。父親がいなくても、こんなに立派な母親がいる。オレは母さんさえいれば父親なんていらない。
そんなことさえ思っていたのだ。
そしてが中学2年生の時。
死んだ。
事故だった。
オレはその後、一旦は祖父に預けられたが、高校に行かずに塗装屋を始め、祖父が売らずに残してくれていたこのマンションに引っ越し、今にいたる。
事故だった。しかたないのだ。
オレは母さんを思い出すたび、いつも自分に、そういい聞かせる。
…でも…。
しかたなかったのか?
オレは何もできなかったのか?
…オレは…あの時、母さんを助けられたんじゃないのか……?
なにもできなかったんじゃなくて、なにもしなかったんだ。
心の中の、あの時のオレが、オレに叫んでいた。
―――――。
「…おそい!」
水野が腰に手をあて、オレを下から睨み付ける。
オレはシャワーをあびながら、ボーッとしていたら、いつのまにか30分をとっくに過ぎていた。
いそいで着替え、駅に向かったのだが、マンションから駅まで走っても10分はかかる。
それでもなんとか7分でついたのだが……。
「おそすぎる!」
だそうだ。
「もう!女の子をこんなところで待たすなんて」
自分が駅の改札っていっんだろ…。
「なんか文句あんの。」
「…ないです…。」
水野はオレの物言いたげな視線を敏感に感じ取ったみたいだ。
「悪い。なんかおごるから。」
「うん!」
…あれ?さっきの不機嫌な態度は……?
オレは呆れて、ため息しかでない。
「なにため息なんてついてんの!ほらっ、いこっ!」
水野はオレの腕を無理矢理引っ張って、先導する。
「あっ!おい……」
オレは水野に促されるまま、駅を後にした。
―――――。
「映画か…いい趣味してるな。」
「でしょ〜!?」
オレは、水野に促されるままに歩いていくと、映画館に辿り着いた。
その映画館は難解な町並みに隠され、静かな所にひっそりと立っていた。中に入ってみると、外の寂れた雰囲気とは違い、掃除の行き届いた小綺麗な内装だ。
昔からここにすんでいるが、こんな所があるなんてわからなかった。
映画鑑賞が趣味で、よく映画館に行くのだが、いつも電車を乗り継いで隣町まで行っていたので、この町にも映画館があると知ったことはうれしかった。
「私、見たい映画があったの。」
水野はそう言うと、上映中のパンフレットが置いてあるところに行き、その中の一枚を持ってきた。
「これこれっ。」
そういいながら、オレにパンフレットを手渡す。
それは、いま話題の映画らしい。
「じゃあ、これ見るか。」
オレは、別に映画のジャンルは選ばない。
映画を見ると一人の世界に入れる。これが好きなのだ。
さすがに、ギャグやアニメなどは見ないが、それ以外にも、特に好き好んで観る映画は無かった。
「キップ買ってくるよ。」
オレはキップを二枚買って、水野にあげた。昼メシをおごってもらったお礼のつもりだ。
水野はかなり遠慮していたが、オレがもうキップを買ってしまった後は素直に受け取った。
キップを従業員に渡し、上映室に入る重厚な扉を開けると、中は意外と奥行があり、中々に広かった。
席の中央を陣取ると、すでに他の映画のコマーシャルは終わり、本編が始まろうとしていた。
スクリーンが暗くなり、一瞬視界が何も見えなくなった時、映像がフェードインしてくる。
そこには一人の青年が、こちらに背中を向けて立っていた。
これが、物語の主人公なのだろう。
その青年が喋り始める。
『…オレは時々、ふと、考えることがある。』
その声は、子供でも大人でもない。中途半端な人間。“青年”の声だった。
青年は一旦そこで区切り、また喋りだす。
『今、オレが死んだら、悲しんでくれる人はいるのか?』
心臓が飛び出そうになる。まさに、オレの考えていることだ。
『家族?友達?恋人?………どれを挙げてもいなかった。』
青年がこちらに振り向く。その瞳は、死んだような、悲しい瞳をしていた。
……オレもこんな目をしているのだろうか。
……物語がすすむ程に、青年はオレとそっくりという事がわかった。境遇も、性格も、すべてが。
青年はオレと同じように、人との深い関わりを拒絶していた。
理由は幼い頃に家族を全員失ったから。
青年は大切な人ができた時に、それを再び失うことを恐れていた。
物語の中盤で、青年は自分がもうすぐ死ぬと医者に宣告される。
日々、病気に侵され、それと戦う。しかし、青年はいつも一人だった。それもそうだ。自分で望んだのだから。
青年はついに死ぬ。
幽霊になり、この世に戻ってみる。案の定、自分が死んだことを悲しんでくれる人はいなかった。
物語の最後に、青年が語る。
『ああ、オレは本当は誰かに愛され、愛したかったんだ。大切な人が欲しかったんだ。誰かに悲しんで欲しかったんだ。』
青年はそう言って、天国の家族に会いに行った…。
……オレもこうなるのかな。
たしかに、このままでいたらこうなるだろう。
でも、それをオレは悲しまない。大切な人なんてつらいだけだ……。
オレは……オレは、本当にそう思っているのか…?誰の思い出にも残らないまま死ぬことを望んでいるのか……?
オレは……オレは…。
「…うき……とうき!」
はっとして顔を上げると、水野が心配そうにオレを見つめている。
「大丈夫?」
「あ、ああ…」
オレはスクリーンをみる。
物語は、もう終わっていた。