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ちい

 太陽は当にロイとイースの頭上へ昇り、長時間歩き通しの二人にうっすらと汗を滲ませるほどの熱を浴びせかけてきている。


 直射的ではない木漏れ日から熱気を吸い取ったのかロイは水を欲し、腰から革製の水筒を手にとって口に含む。だが、ロイにとって暑いと思える熱気こそあるが、湿気に蒸れる不快感を持つ事はなかった。


 以前の仕事で湿地帯を歩いた事もあったロイからすれば、現在の状況は快適だった。


 小さい虫が鬱陶しく飛び回り、茹だるような湿気でねっとりとはりつく衣服によって鈍重な動きにならざるを得なかった――そんな苦い思い出があるだけに、今のロイにはその湿気に悩む必要がなく助かっていた。

 

 ロイの出で立ちは全体的に脱色して薄い色合いになっているが、まだ買った当初は黒曜石のような鮮やかな色を誇っていたであろう面影を辛うじて見せる草臥れたローブを纏っている。黒い色彩物は熱を持ちやすいと言うため多くの人間は旅に用いる事はしない。熱気によって余計に身体から水分を、そして塩気を逃がしてしまうからだ。


 現に先ほどまでロイは水を飲んでいた。それでもロイの顔色に疲労の色は見えない。もっとも、フードをすっぽりと被り、首周りにも布を巻き付けているのだから顔色など伺える筈も無かったが、本人ではなく周りへの影響の方が大きかったようだ。


「見てるだけで暑い、ちょっと視界から消えてくれない?」


 イースが顔を顰めながらロイに苦言を呈してくる。ロイは溜息を吐き出そうとする気持ちを我慢しつつ、後ろから聞こえてきた言葉を無視して歩を進めた。


 イースは黙々と歩いていくロイの背中を一瞥したが、文句も垂れず前を向いた。


 いつものことだ、イースの言葉には悪意がある。それでも、真剣に怒る必要も無い些細なモノで、イースもそれを知っているロイにだからこそ、堂々と悪態をついているに過ぎない。

 

 鬱蒼うっそうと茂った木々の隙間を縫う、必要もなく、前任者と言っても良い団体客が歩いた道を辿る。邪魔な枝が伐採され、草はロイを避けるかのように垂れ下がるか既に這いつくばっている。二人ほどの人間が丁度通れるほどの、獣道にしては小奇麗な道だった。


「変なところで律儀な奴ら」

 イースの言葉にロイは僅かに顔を上に向けて、

「珍しいな」

 と呟いた。


「何?」

「……ここまで律儀に道を作るのがだ。これは基礎でもやれば普通に街道として拡張も出来そうじゃないか」


 ロイはイースの刺々しい言葉から咄嗟に話題をすり替えた。悪くは無い。確かに道としての体裁はきちんと保てている。無駄な雑木などを伐採し踏み慣らせば長く使える道になりそうだった。道にしたところで使う用途など何処に落ちているわけではないのだが。


 イースはとかく反論はせずに、無きにしも非ず、なんて言葉を出していた。


 本当ならばイースが褒めるような言葉を出すのも珍しい、そもこんな事に興味を持つ女だったとは、などとロイは感慨深そうにしてしまうほどにイースの言葉は意外だったようだ。


「ロ~イ」


 数歩、ロイが重い足を前に向けた頃、イースが妙に間延びした呼び方をしてくる。


「なんだ」


 訝しげに、しかし後ろを振り向かず足を止めず、ロイは憮然とした口調で言葉を返した。


「判ってる?」

「何を」

「あっそ」


 それきり、二人の間で会話が途切れる。普段は会話が途切れても緊張感漂う気まずい雰囲気を発生させる事など滅多にはない事をロイは知っているし、その滅多にが起こる場合は決まってイースの機嫌が最高潮に悪い場合だけである事もしっかりと把握している。


 今、最高潮ではないにしろイースは機嫌が悪い。背中に突き刺さる視線という不可視の精神攻撃によって、ロイは地味ながらも追い詰められていった。


 殺し合いとはまた違った緊張感がロイにとっての弱点だった。これは相手を殺せば消えるという簡潔なものではない。


 殺したくない相手、または色々と面倒だと思える相手が作り出すから性質が悪い。ロイはそんな事を考えてしまうほどに弱っていた。


「……悪かったよ。ちょっとだけ意外に思ったさ。しかしだな、お前がこんな道程度の出来栄えに興味を持つのは意外だった。しかも道を作ったであろう他人を褒めるなんて今まで経験がなかっただろう」


 振り返ってイースの顔を見つめてから、ロイはゆっくりとした口調で弁解した。顔色は相変わらず伺いしれない。だが声からして素直に謝罪している気もしてくるというよりかはむしろ困っているという言葉が似合っていた。


「お前が忘れてるだけだ」


 半目を向けられるロイは思わず溜息を吐き出してしまった。


「なぁに、吐いてんだよ」


 ますます機嫌が悪くなるイースだったが、ロイは改めてイースという女を見つめる。赤い髪に赤い瞳。その赤に似合う褐色の肌色。


 今は口を尖らせ、目を細めている。まるで威嚇をしている動物のようだ。先ほどまで機嫌が良さそうに見えていた事が嘘のような変化だ。


 ――山の天気に猫ってか。


 そんな事をロイが思うようになったのは、気分屋な気質を多分に含むイースの性格を長い年月を経て理解するようになったから――ではなく、誰かしらイースと仕事を共にした事のある人物ならばこぞってそう評しているほど、イースは気まぐれだった。ロイも一番初めにイースを猫と評した奴は苦労したんだろうな。などと名も顔も知らない人間に変な仲間意識を持ってしまっている。


 だがそんなことで今の事態が好転するはずもないので、ロイはとりあえず機嫌を取る事に専念する。といっても掛ける言葉はロイの気持ちを素直に伝えるだけのようなものだった。


「悪かった、ほんとさ。でも、イースの新しい顔が見れて少しほっとしたかも」


 ロイはそんな事を言って前を向いて歩きだす。


 少々青臭いか。という自嘲をイースに見られたくはないという気持ちのためか、ロイの振り向く動作が妙にぎこちなかった。それが不自然で滑稽な格好となってしまっている事に、ロイはまったく気が付きはしなかった。


 そして、その後ろでは少し嬉しそうに笑顔を作るイースの姿があったのだが、ロイがその顔を見る事も無かった。


 ロイとてイースの性格を知ってはいるので、ある程度の取扱方法には慣れていた。だからこそ今のような言葉、世辞が半分に、本心を乗せたのだ。きっとイースもそれを判っているからこそ、こそばゆい笑顔になっているのかもしれない。


 先ほどのような緊張感が溶け去っても、二人は特に会話をするわけでもなく黙々と歩いた。別段気にする事でもない。二人にとってこれが当たり前だったからだ。


 しばらく歩き通すと森の茂み具合とでもいうのだろうか、木漏れ日の光が広く、大きくロイやイースに差し込み、土の道を明るく照らし出していく。


 すると、先頭を歩いているロイが見つめる先には、太陽が何ら遮蔽物の影響を受ける事も無く降り注いでいる光景が見えてきた。


 遠目ながらも二人には開けた場所へ出るという気配を予感させるには十分なものだった。


「どっちにする?」

「賭けにならん」


 ロイの不貞腐れた返答に、イースは口の両端を釣り上げて笑みを浮かべていた。


 依頼は戦後処理。二人がいつも請け負う仕事だった。今日もその仕事のために木漏れ日のわりには暑さを感じさせる森の中を跋扈していたのだ。


 それも今日で二日が経つ。近隣の村では兵士らが兵站の一端としてその村を徴収し、補給地点にしている。二人はその村から補給を受けた軍隊が出陣していく様子を眺めた後、悠々と出立して今に至る。


 道中は徒歩移動ということでロイの背中には野営の道具がリュックを膨らませている。魔術を使えば早く到着する事も出来たのだが、そうなってしまっては自分達も戦う羽目になってしまう。その思いから、二人は旅気分で徒歩移動をしていた。


 それにしても、往復で五日ほどは掛かる旅にも関わらずリュックが一つだけ。しかも一応は荷物を持っているロイに対してイースは身軽そのもの、手荷物を持ってすらいない。これでは逆に不安を感じてもおかしくはないように思えるのだが、イースに至っては特に気にせずぶらぶらと、街を散策しているように、茶色の外衣を揺らし気の抜けた歩き方をしてみせている。


 傍から見れば、なんて事を気にするロイではないので、ロイはその事に不満を持ってはいない。いくらロイが不平不満を漏らしたところで、後ろを歩くイースという女が荷物を持つようなことはない。ロイもそんな優しい性格をしているわけがないと熟知している。


 ロイ自身出会って三日目ころまでには、褐色の肌が妙に似合う女とペアを組むようになったからちょっとカッコ良いところ見せて……などという昔に馳せた甘い妄想を捨て去っている。


 先頭を歩くロイは、ようやく視界が白むほどに日の光を浴びた空間を拝む。天は青々と無限に広がり、大地からは腰辺りまで伸びた草花が出迎えてきた。


「また現物か……」


 平原にたどり着いた第一声が何とも気だるいものとなってしまっているが、ロイがそう呟いたのは目の前に見える光景と耳障りな声が響いてきているからだった。イースもロイの言葉に同意するかのように舌打ちを盛大に打った。


「だから言っただろう」


 イースが口を尖らせた。


「一応は魔術師も居たはずだぞ」

「馬鹿」


 イースの身も蓋も無い暴言にロイは思わず閉口してしまう。それほどイースは心からそう思っている口ぶりだった。


「オレ達みたいな魔術を人間が使えたら今頃化け物との殺し合いも人間の勝利で終わってる」

「三百も軍勢が来ていた筈なんだがな……」

「数なんて意味がない、それが辺境なら尚の事だろ?」


 初めこそイースが”オレ”などと自称することに眉を顰めたロイだったが、イースという人物を知るに当たって、すんなりと受け入れる事が出来ていた。今では似合っているとさえ、恥ずかしくも思ってしまっているロイであった。


「……俺が馬鹿でした」

「はいはい」


 肩を落とすロイの横に立ったイースは、右手をロイの左肩に置いて体重を乗せる。身長差は頭ひとつ分ほどでロイの方が大きいが、女性ながらイースも負けず劣らずの身長を有していた。


「さて、ロイ?」


 意地の悪い笑みを浮かべながらイースはロイに問いかける。


「判ってるよ」


 その言葉の後に、あぁ、という何とも気だるい声を漏らしながら荷物をイースに渡し、ロイは森を抜けていく。


 それにしても、今回の仕事を自分一人で片付けるのは骨が折れる。苦戦するなどという次元ではなく、ただ単に労働として考えた場合、ロイは非常にやる気を無くしていた。


「そんな面倒くさがらないでくれる? こっちまでやる気を無くす」


 ロイの背中から気味良く張りのある声が聞こえてくる。


「ならお前も手伝ってくれるとありがたい。そうすれば時間も短縮できるが?」

「幾ら?」


 振り返りもせずにロイは項垂れた。


「ほら見ろ、こうなるってことも解っているから色々と……俺は面倒なんだ」


 ロイは不平不満を漏らしつつも平原へと入り込んでいく。遮蔽物の無いまっさらな緑の絨毯に足を踏み入れると、ロイは途方も無い徒労感に襲われてしまっていた。


 イースはイースで森の終着口にあった岩の上に腰を落ちつけて、保存食として作った猪の干し肉やら食事物を広げ始めている。ロイの仕事ぶりを肴にでもするつもりなのだろう。


 こうなるとロイは腹の虫を治めるために、目の前で仲良くお食事をしている連中を全力で葬り去る必要があった。


「雑魚相手に……」


 見えているのは六体ほどで、ロイの腰辺りまで伸びている草の隙間から尻尾や角がその姿を覗かせている。


 その内、ロイから見て一番近くに見えていた角が身を上げてくると、山羊顔がロイと対面を果たした。一瞬の静寂が両者の間を駆け抜けたがロイを人間と認識したのだろうか、山羊顔が鳴き声を挙げる。それは山羊の鳴き声ではなく、どちらかといえばからすのような鳴き声に近いものだった。


 思えば軍勢といったところで辺境で編成された討伐隊。徴兵された農民や傭兵、そして貴族らの兵、それらを寄せ集めただけの軍勢だった。ロイは今になってようやく今回の仕事がこういった本当の戦後処理、つまるところの後詰めをさせる算段が含まれている事を悟った。


 馬鹿らしい。などと美味しくもない悪態を腹の中に納めながら、ロイは化け物の頭数を確認し始める。傍から見れば先制攻撃の機会を潰しているのだが、ロイが気にしている素振りはない。


 先ほどの鳴き声に呼応して顔を挙げた山羊、全身を茶色い毛に覆われたロイより頭二つ分ほど高い背丈の化け物が続々と姿を見せてくる。


「えらく……残っていたな」


ロイはざっと目視で確認してみたが、どう見ても三十以上は居るように確認できる。


「テュロスが良くもまぁこれだけ群れを成したものだな」


 ロイは身構えもせず、口元を赤く染め上げながらも臨戦態勢を整えるテュロスと呼ぶ化け物らを見据えた。


 結局、人間の死体を大雑把ながらも考えると、全滅判定を貰ってもおかしくはない数が死傷したんだろうな。などとロイは頭で考えた。


 本当に人間を無駄死にさせるしか能のない司令官の下に配属されてしまった者達に、幾らばかりかの同情心を胸の奥に浮かべてしまうのは、どこか今のロイ自身が犬死にしてしまった人間達と似ているような気がしてしまったからだった。


「憂鬱だ……」 


 ロイは思わず素直な思いを吐露した。その後方ではロイにとって司令官のポジションに当たるイースが、完全にリラックス状態で座っている。その態度はあまりに気軽な様子にしか見えないが、存外にイースは真っ赤な赤髪と同じ深紅の瞳を瞼で細めながら状況を眺めていた。


「……人を惑わす者が逆に踊らされたか」


 硬い干し肉を水で流し込みながら、イースは風にとろけるような細い声で呟いた。ロイとイースは魔術師であるが故に、魔物と人間に呼称される化け物に対する知識を豊富に有している。


「何にしても、雑魚を群れさせた理由は判らずかな」


 イースは既に興味を無くしてしまったかのように天を仰いだ。


「イラつくくらいに晴れ晴れ」


 そんな声がロイの耳をくすぐる事も無く、世界のどこかへ溶けていった。


「三十……六か? やれやれ、テュロス相手にやる気満々じゃないか、これはご愁傷様だ。期待はずれにならなきゃいいけど」


 思わずイースはロイの外殻甲冑を見て苦笑いを浮かべてしまっていた。その姿は巨大な化け物との戦闘に使う事が多く、ロイ自身が良く使うバリエーションだったからだ。


 どう見てもテュロスは精々成人男性の頭一つ二つ高い程度の背丈、外殻甲冑に身を包んだロイと同程度でしかない。そこから考えるならばロイも相当不満を持っているのだろうな。などとイースは他人事のように思いつつ動き始めた戦闘を観戦し始める。


「つまらん殺し合いだな」


 虐殺が始まった。




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