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健康管理・自己管理

 ワタリ・ソウスケは、健康管理コンサルタントという、胡散臭い響きの肩書きを自称していた。もちろん、そんな肩書きを名乗っている以上、彼は健康管理コンサルティングを行っているし、それを職業としてもいる。もっとも、個人でしかも自宅経営なものだから、その胡散臭さには更に拍車がかかっているのだが。

 彼がそんな肩書きを自称しているのには訳がある。彼が行っている仕事は、いわゆる心理カウンセラーに近いもの(といっても、そのアプローチは異なる)だったのだが、彼には何の資格もなかったのだ。だから、それに近い適当な肩書きを仕方なしに名乗っているのだ。厳密に言えば、法律違反なのかもしれない。もっとも、彼だって何も好きでそんな仕事をし始めた訳ではない。元々は普通にサラリーマンになる気でいたのだが、彼が学校を卒業した時代は既に就職氷河期で、彼は真っ当な職を見つける事ができなかったのだ。いや、本当は見つけられていたのだが、内定したその会社は、驚くべき事に、彼が就職する前に潰れてしまった。内定しているのだから当然彼は、他に就職活動も行っておらず、卒業と同時に無職になってしまったのだ。そして。更に加えて彼には偶然にも、幸か不幸か、うつ病(と思われる症状)を解決したという実績があったのだった。

 うつ病は精神病の一つで、明確に脳に生理的な変調が見られる病気だが、そこには深く心理面も関与している。精神科医の資格など持たず、薬の使用を許されていない彼に、それが可能だったのはその要因もある。ただし、だからといって、一般に言われているようなカウンセリングを彼が行った訳ではない。彼はその時、ただ単に生活習慣を整えさせ、生活の不安を払拭する為に、親身になって相談を受けただけだった。

 彼の友人の一人が、どうも気分が優れないという。詳しく話を聞いてみると、身体がだるく動く気がしない。胸が苦しい。何をやっても楽しくない。上手く眠れない。などの症状を訴えてくる。彼は、その症状には聞き覚えがあった。実を言うのなら、彼自身がそんな症状に悩まされた経験があったのだ。医者に診てもらった訳ではないが、彼は漠然とそれを“うつ病”ではないかと考えていた。それで彼はその時に、色々と調べて自力で治す努力を行ったのだ。

 彼には精神科を訪ねるほどの度胸がなかったのだ。周囲の目も気になっていたのかもしれない。

 彼がそれに成功したのは、その時に参考にした本の一つに、ストレスに関するものがあったのが良かったのかもしれない。彼が買った他のうつ病に関する一般の書籍には、少ししか触れてあるのが見つけられなかったが、そのストレスの本には明確に、このように記してあったのだ。

 二つの自律神経。交感神経と副交感神経が働いていない状態が、抑うつ状態である。

 交感神経とは、スポーツなどの運動をしている状態の時に活発に働いている神経で、副交感神経とは、眠りに就く前などのリラックスしている状態で活発に働いている神経だ。この二つが働かないのだから、楽しさを感じる事もできず、眠る事もできないのだろう。そう、彼は解釈した。そしてその状態が長期間続いてしまうものが“うつ病”なのだ。うつ病とは、自律神経失調症に関係する代表的な病の一つでもある。

 そう理解した彼は、当たり前にこのように考えた。うつ病とは、自律神経の病。それならば、自律神経に負担のかかる生活を送ってはいけないはずだ。そして自律神経とは、一日の生活リズムに直結する神経でもある。

 彼はその時に、自分の生活パターンを省みてみた。一般的な大学生にありがちな話ではあるが、その生活態度は、決して規則正しいと呼べるものではなかった。そこで彼はまずそこから改善していこうと考えた。生活のリズムを一定にしてみたのだ。もちろん、アルバイトの都合や付き合いなどで、どうしても無理な場合もあったが、そういった場合でも取り敢えずの目標値として、起床時間と就寝時間が、三時間以上はずれないように心がけた。その数字に何か根拠があった訳ではない。それは充分に承知していたが、それでも目に見える明確な数字が彼には必要だったのだ。

 そうしている内に、彼の症状は少しずつ改善していった。やはり、自律神経に負担をかけないようにするべき、という考えは正しかったのだ。そう確信すると、彼はそれからもその生活を維持し続けた。

 彼の境遇は、それほど恵まれたものではない。実家は貧乏で、奨学金を受け取っていたし、生活の為には過酷なアルバイトをしていかなくてはならなかった。そして更に、厳しい世相で就職口を見つけるのが難しいという将来に対する不安もあった。恐らくは、彼が抑うつ状態、または自律神経失調状態に陥っていたのには、そんな背景も原因としてある。だから、その症状が改善したのは生活習慣の改善だけでなく、熱心な努力によって、なんとか企業の内定を取り付け、不安が解消されたという要因もあったはずだ(もっともその内定は、先にも書いた通り、就職先の企業が潰れてしまった事で無意味になるのだが)。それでも、自律神経が重要という彼の考えが正しい事に変わりはないだろうが。

 うつ病は、自律神経の病。また、仮にそれがうつ病でなくても、同じ様に自律神経が大きな要因になっている可能性が大きい。だから、自律神経を健康に保つ事が重要。生活のリズムを整える事は、その一つ。

 彼はうつ症状を訴えてきた友人に対しても、同じ忠告を行った。自律神経を健康に保つ為の努力をしろ、と。もちろん、その他にも悩み相談などにも応じたのだが、それは心理カウンセラーが行うような、心の内面に踏み込むようなものではなく、実際的な生活に関わるものがほとんどだった。そして、運良く(と、そう言うべきだろう)その友人のうつ症状は解消されたのだった(もっとも、それが本当にうつ病と診断されるべきものだったかは分からないのだが)。

 内定の決まった企業が潰れた、という話を聞いて、健康管理コンサルティングという仕事を提案したのは、その友人だった。落ち込んでいた彼に、恩返しのつもりで手を貸したのだ。その友人は、ワタリ・ソウスケの能力を信じていたのだろう。ワタリは厚意で協力してくれるその友人からの申し出を断る訳にもいかず、気が付くと、違法ギリギリ(或いは、違法)の健康管理コンサルティングというよく分からない職業に就いていたのだった。もちろん、上手くいかなければ、直ぐにでも普通に就職活動を行えば良いという気持ちがあったからこそ始められたものでもあった。何しろ、インターネットで開業し自宅経営、宣伝活動もインターネットの口コミだけで経費はかかっていない、という店仕舞いだけは簡単に行える条件だったのだ。そして、ワタリ・ソウスケは早くにそうなるだろうとも予想していた。彼にはこんな胡散臭いコンサルティングに依頼が来るとは思えなかったのだ。

 ところが、ワタリ・ソウスケのその予想に反して、依頼はそれなりにやって来てしまったのだった。自分がうつ病かどうかで思い悩み、にも拘らず、精神科や心理カウンセラーに相談するのには抵抗がある、という人達は多くいるようなのだ。

 初めは驚いていたワタリだったが、かつての自分もそうであった事を思い出し納得した。自分も、だからこそ自力で治そうと知識を集めたのだ。

 電子メールでやって来る相談に対し、彼はできる限り誠実に返答した。相手を騙して、無理に依頼を受けようとするような真似はしなかったのだ。元より潰れて当然で始めたからこそ、執れた態度だったのかもしれない。彼は自分が医師でもなければカウンセラーでもない事を明記し、自分ができる事の範囲も書いた。そしてその上で相談をしたいというのなら依頼してくれ、と相手に伝えたのだ。彼にできるのは、生活習慣の見直しと実際的な生活の不安を解消する手段を一緒に考える事くらいなのだ。しかし、その誠実な態度が却って相手を信用させたようだった。何人かから、依頼が入ったのだ。そして、何例かを成功させると、その内に口コミで評判が広がっていき、客の数は安定していったのだった。

 もちろん、生活習慣を整えるだけで症状が改善するケースは稀だった。と言うよりも、そもそも過酷な仕事によって、生活習慣が乱れる事が、その原因となるようなものすらも多くあったのだ。そういった場合には、彼は別の就職口の可能性を調べて考えたり、職を変えないまでも、その中で可能な調整方法を考えたりした。

 皮肉な事に、自分の就職先についての努力よりも、他人の為の就職先を考える努力の方を彼はより真剣に行っていた。

 労働力が不足している職種は何か、それに必要なスキルは何か、それを身に付ける手段は何があるのか。そういった事を、事細かに調べていったのだ。それで就職先が見つかれば、それは依頼者の不安の解消に繋がった。更に言うのなら、そうやって前向きに頭を使い努力する事自体が、自律神経に良い影響を与えるようでもあった。

 例えば、ある依頼者に対しては、表計算ソフトのマクロやVBAを含めての実践的な高度な知識と能力を身に付ける方法を彼は考え、依頼者と一緒にそれを実践してみる、といった事すらも彼は行った。それにより依頼者は職を見つける事ができた。もちろん、ある程度の能力をワタリ自身も身に付け、それを重要な能力の一つにもしていた。自分の仕事でもそれを活かしたのだ。

 そういった能力を身に付け、就職事情に詳しくなると、彼には“健康管理コンサルティング”などという職業を生業にする必要性はなくなっていた。もう直ぐにでも別の職を見つけられる。しかし、彼にその気は起きなかった。その頃には、彼は“健康管理コンサルティング”に対して、職業的アイデンティティーを抱くまでに至っていたのだ。彼はこのように考えていた。

 確かに自分には、精神科医や心理カウンセラーが行うようなアプローチは行えない。しかし、逆に今自分が行っているようなアプローチは、そういった人達には行えないのではないだろうか?

 それに、精神科医や心理カウンセラーには頼めないで苦しんでいる人達も、自分の立場ならば引き受ける事ができる。この今の自分の立ち位置は必要なのだ。

 平たく言うのなら、彼は自分の仕事にやり甲斐を見出していたのだ。もっとも、この時期の彼は仕事が順調に進み、大きな失敗や挫折も体験してはいなかったのだが。

 彼が何例も成功させていくと、その評判に惹かれて、徐々に今まで彼が扱ってきた事のないような依頼者も現れ始めた。それまでの彼の依頼者は、真剣に自身の症状に対して悩んでおり、前向きに改善していきたいと考えているような人間達ばかりだった。更に言うのなら、自分の症状を積極的にアピールし、その事で周囲に圧力をかけるような傲岸さも持ち合わせてはいなかった。むしろ、周囲に迷惑をかけないよう無理にそれを隠そうとする人間達がほとんどだ。だからこそ、依頼者は彼の話を真摯に受け止めていたし、それが彼の仕事の大きな成功要因にもなっていた。

 しかし、その時にやって来た依頼者は違っていた。

 「先生、私は“うつ病”なのでしょうか?」

 その依頼者はワタリ・ソウスケの事を“先生”と呼んでいた。ワタリはそれを快くは思っておらず、何度か注意したのだが改めてはくれなかった。彼は自分を医師でもないし心理カウンセラーでもない、もっと低い位置付けの存在にしておきたかったのだ。更に言うのなら、医師ではない自分には、それが“うつ病”かどうかの判定もできないと、何度も断っているにも拘らず、その依頼者はしつこく彼にその判断を迫っていた。説得を諦めた彼は、うつ病に関して彼の知っている限りの知識を説明する事にした。

 「まず、抑うつ状態ですが、これは交感神経と副交感神経がどちらも働かない状態を指します。交感神経は興奮に関係します。楽しさなどを感じなくなるのはだからですね。副交感神経は、リラックス状態に関係しています。睡眠にも関係してきます。睡眠障害がうつ病に伴うのはだからです。と言っても、抑うつ状態になるからといって、それで直ぐにうつ病と決まる訳ではありません」

 その依頼者は彼の話を静聴していた。しかし、どこまで話の内容を理解していたかは彼には判断が付かなかった。

 「まず、抑うつ状態が長期間続かなくては、うつ病とは見なされません。また、それ以外にも罪悪感や自責の念、希死念慮、先にも述べた睡眠障害や、摂食障害などもその症状として現れるケースがあります」

 そこまでを語ってから、彼はその依頼者を見据えてみた。そして、こう質問する。

 「どうでしょう? 思い当たる点はありますか?」

 失敗だったと、言ってしまった後で彼は直ぐに後悔した。もし仮に、彼がうつ病だと思いたがっている人間であるのなら、思い当たる点があると、そう答えるに決まっているからだ。“うつ病に、なりたがっている”という自覚の有無は別問題にして。そして実際にその依頼者は、「はい。思い当たります」と、即答したのだった。仕方なしに彼はそれに頷いた。

 「なるほど。では、あなたが“うつ病”であるその可能性はあるという事になります。しかし、それでもまだ判断を下すには早過ぎます」

 そこで彼は言葉を止めた。多少の嫌な予感を覚えたからだった。その時の依頼者の目は明らかに何かを期待していたからだ。

 「実は、うつ病を診断する基準にも色々ありましてね。一つには、原因からそれを判断するものですが、これには明確な線引きがし難いという欠点があります。もう一つは、症状でそれを判断する方法ですね。この場合、判断基準は明確になりますが、実は大きな問題点も存在するのです」

 そこで彼はまた、その依頼者を見てみた。依頼者の様子は、先のものと変わっていなかった。彼は軽く溜息を漏らしてから、こう続けた。

 「一般的に、うつ病の治療に有効なのは、静養だとされています。もっとも、これは別にただ寝てばかりいろ、という事ではなく、生活のリズムを整え、身体に負担のかからない生活を送らなくてはいけないのですが。これを理解せず、怠惰な生活を送る人が少なくないので注意して下さい。

 因みに、うつ病患者に“がんばれ”というのは良くないと言われていたのはだからです。がんばると更に悪化する病だからですね。これは、責任感が強く、働き過ぎてしまうような性格傾向にある人が多く罹る病であったからこそ言われていた事でもあります。つまり、病気の原因が“働き過ぎ”にあったから、それを解消する為には、静養が必要だった」

 そこで依頼者の表情に少しの変化があった。その変化に注意しつつも、彼は更に続きを語った。

 「が、しかし、原因が“働き過ぎ”でないのなら、静養は意味のない可能性があります。また、心理的な要因によって、うつ症状が引き起こされる可能性もある。例えば、願望によっても起こるのです。小さな子供が、学校を休みたいあまりに病気になりたいと願い、本当にお腹が痛くなる事がある。心身症ですが。これと同じ様な感じで、うつ病になりたいと思うあまりに本当にうつ病のような症状になってしまうケースだって考えられるのです。

 この場合、静養という治療手段は意味がない事になります。

 しかし、症状で判断するのなら、このようなケースでもそれは間違いなく“うつ病”です。そう診断が下される事になる。ただし、対処方法は全く違います。にも拘らず、深くその患者に関わっている人でなければ、その違いは分かりません。同じ様に、静養をするべきだと判断されるかもしれない。

 実は、近年になって、うつ病を自称する方が多く現れ、その中には制度を悪用していると言われても仕方のないような事例までもあるのです。不当に手当てを貰っている。これは難しい問題です。こんな話からも分かる通り、うつ病かどうかの診断は実に厄介な作業なのですよ」

 そう彼が説明をし終えると、依頼者の表情は明らかに不機嫌なものへと変わっていた。ワタリがこんな話をしたのには訳がある。間違っても、自分の所で“うつ病”と診断されたなどと、他で発言されてはならなかったからだ。何度も書いているが、医師ではない彼にそんな権限はないのである。それに、彼は少しばかり有名にもなっている。その話が広がれば、経営停止を勧告される可能性もある。彼の職業は、厳密に言えば、法律違反かもしれないのだ。

 が、その依頼者はそんな彼の思いを理解してはいなかった。

 「つまり、先生は私がうつ病を自称しているだけだと言っているのですか?」

 ワタリはそれを聞いて苦々しい表情を見せた。悪い予感が当たってしまったからだ。慌ててこう言う。

 「いえ、違います。医師ではない私には、うつ病かどうかを判断する事はできないと、そう言いたいだけです。その権限は与えられていないし、だから、もし違っていた場合だって、その責任を取る事もできない」

 その返答に対して、依頼者は驚く。

 「でも、あなたは“うつ病”の治療実績のある方なのでしょう?」

 「いえ、厳密に言えば、それは少し違っています。世間ではそのように言われているようですが。私は、うつ病を治療しているのではなく、飽くまで、健康面で困った状態に陥った人達の相談を受け、その問題解決へ協力をしているだけです。もしかしたら、その中にはうつ病の人もいたかもしれないが、それは偶々です。神経症かもしれないし、心身症かもしれない。または、そもそも病気などではないかもしれない。だから私は、トラウマ解決や心理面でのアドバイスよりも、実際の生活面でのアドバイスを中心に行っている。規則正しい生活を送る際のコツや、就職する為には何が必要かを話したりしている。もちろん、話し相手になる事での、不安解消効果もあるのでしょうが」

 必死にワタリはそれだけを説明したが、依頼者は“分からない”といった表情を見せ、首を横に振った。

 「分かりません。それは、結局、うつ病を治療しているのではありませんか?」

 「いえ、私が解決に協力しているのは“うつ病”なんてものじゃありません。そんなものは、私にとってみれば、ただの言葉だ。そう定義すれば、そうなる程度のものに過ぎません。私はお客さんが悩んでいる問題を、なんとか解決する為に努力しているんです。そのお客さんが、例えうつ病であったとしても、それが何も問題を生み出していないのであれば、私はそれを解決しようとは考えないでしょう。私は医師ではないのですから。

 そもそも私には、お客さんが持って来たその問題を“うつ病”だと特定する、その必要がないのですよ。何故なら、私が相手にしているのは、お客さんの問題そのものであって“うつ病”ではないからです」

 最終的にその依頼者はワタリ・ソウスケが医師ではないから、“うつ病”だと判断を下せない、という部分だけは理解し、彼の許を去っていった。そして後日、彼はネット上でこんな書き込みを目にする。

 “ワタリ・ソウスケにうつ病を診断する能力はない。私は彼に相談して失敗した。彼はそもそも、何も診断を下さなかった。私は他の真っ当な医師に診てもらい、うつ病だと診断してもらった。診察料だけが無駄にかかってしまった”

 それは匿名で投稿されたものだったが、その時の依頼者である可能性はかなり高かった。そもそも医師ではないのだから、うつ病だと診断できないのは当たり前だし、彼が貰っているのは相談料で診察料でもない、と反論をしようかと少し彼は考えたが止めておいた。困った依頼者が来ないようにする為には、少しくらい悪評があった方が良いとそう考えたからだ。しかし、それからも彼の許には、困った依頼者が度々訪れたのだった。

 仕方なく、彼はそういった困った依頼者に対する対策を考え始めた。新型うつ病。恐らく困った依頼者の多くはそう呼ばれているうつ病の患者と一致する。世間でそう言われているうつ病がある事くらいは、彼は以前から知っていた。その特徴として自己愛の強さや責任感のない事が挙げられるうつ病。しかし、正式に精神病として認められたものではないし、彼の許を訪れる依頼者にはその傾向を持った人間はいなかったので、特に彼は気にしては来なかったのだ。だが、事態がこうなってしまっては、それを気にしない訳にもいかない。情報を集め、考えてみる。

 それに対する彼の第一の感想は、生理学的な観点からの「抑うつ状態」の定義にあまり当て嵌まらない、というものだった。確かに気分が乗らないといった症状はあるようだが、眠れないという症状はなかったりする。むしろ、過剰に睡眠を取っているケースすらも見られた。過剰に睡眠を取る。副交感神経が働いていないはずの抑うつ状態とは一致しないように思える。それに、もちろん、それは自律神経に負担をかけるのだから、うつ病には悪影響のはずだ。もっとも、それをうつ病に特定するのではなく、自律神経系の病の一つと範囲を広げるのなら、過剰に睡眠を取るという症状が現れるのも不思議ではない事になるが。ただし、それだって病気が原因と決まった訳ではない。何故なら、人間のサーカディアンリズム… 体内時計のリズムの乱れにより、このような過睡眠は普通に見られる現象だからだ。

 人間には睡眠周期と体温周期とが存在する。普通、この二つの周期は同期している。起きるのに適した体温の状態、眠るのに適した体温の状態というものがあるのだ。ところが、生活リズムを乱すと、この二つの周期は同期できなくなってしまう。すると、睡眠周期は壊れてしまうのだ。そして、短時間睡眠を繰り返したかと思えば、今度は50時間や40時間といった長時間睡眠を取るような不規則な睡眠周期に入ってしまう。

 これも自律神経の乱れによる病気と呼ぶ事もできるかもしれないが、原因は飽くまで生活リズムの乱れである。本当に、うつ病と診断すべきものであるのかどうかは、分からないはずだ。因みに、食欲が増進したり減衰したりといった、摂食障害を訴える例もあるが、食欲にも自律神経が関与している。それが、自律神経に負担をかけた結果起こっているものだという可能性は大いに考えられる

 ある程度の情報を集めると、ワタリ・ソウスケは新型うつ病を訴える患者を、こう解釈した。こういった人種は恐らくは昔からいた。自己愛的で他の何かに責任を押し付けたがる性格傾向を持った人間。しかし過去には“うつ病”などという言葉はなかった。だから、彼らはただ単に困った人だったか、少なくとも表面上は普通の人と何ら変わらなかった。ところが、近年になり、うつ病という言葉が一般に知られるようになってしまった。その所為で、他の何かに責任を押し付けたがる彼らは、“うつ病”に責任を押し付け始めてしまったのだ。例え乱れた生活の結果として体調が崩れたとしても、それを自分に責任があるとは考えずに、うつ病が原因なのだから自分が悪い訳ではないと考える。実際は、自己管理の甘さから、うつ症状が出ただけだったとしても。

 もちろん、これはワタリ・ソウスケの私的な見解に過ぎない。こういった傾向を持つ人間全てに当て嵌まるものなのかどうかは分からないし、そもそも、根本から判断が間違っているのかもしれない。だが、ワタリ・ソウスケは一応はそう想定して“新型うつ病”を考えてみる事にした。そして、いかにこの問題が解決困難なのかに思い至ったのだ。

 ワタリの許を訪れる依頼者は、例えそれが本当に“うつ病”であったとしても、責任をそれに押し付けたりはしなかった。むしろ、自己管理が甘いばかりに病気になり、周囲に迷惑をかけてしまった事を後悔、または迷惑をかけてしまう事を恐れるような人が多かったのだ。前にも似たような事を述べたが、彼が仕事に成功していたのは、そんな人達を相手にしていたからだというのは言うまでもない。しかし、この“新型うつ病”と呼ばれる人達は(こう一括りにしてしまう事自体に危険性があるような気がしないでもないが)、そうではない。この人達は“自分には責任がない”を前提で相談にやって来る。求めているのは、責任を回避できる材料であって、本当の意味での問題解決ではない。そんなものを与える能力を、ワタリが持っているはずはなかった。何しろ彼には資格が何もないのだ。それに、恐らくうつ病はその解決に自己責任が重要な役割を果たす病だ。“治してもらう”のではなく、“自らの力で治す”その事が重要な意味を持つ病。その意識がない彼らのうつ病を治すのは、誰にとっても困難なはずだ。

 “うつ病”というのはただの言葉。少なくともワタリの立場にとってみれば、それは真実だ。その定義に意味はない。彼はただただ依頼者が持ってくる問題の解決に全力を尽くし協力するだけだ。その為に原因を追究し、それを乗り越える努力をする。しかし、ある種の困った依頼者達はそんなものは望んではいないのだ。その依頼者達が望んでいるのは、彼にとっては無意味の“うつ病”という言葉そのもので、その言葉を自己肯定の手段に使おうとしている。

 つまり、ワタリは、そういった依頼者と根本的に異なった立場にある事になる。自身の問題を自覚させ、それを解決する為に心の中を探るような事を行えば或いは何か解決の糸口が見えるかもしれないが、それは心理カウンセラーの領分であるように彼には思えた。そして、できるだけ穏便に、依頼を断る以外に手立てはないと彼はそう結論付けたのだ。自分に扱える問題ではない。更に、そう結論付けるに至って、彼の中には失望とそういった人間達に対する憎悪が少なからず芽生えてしまった。更にその思いは、そういった人間達と実際に相対するようになって、次第に大きくなっていったのだった。ただし、彼は自身の心を疑う事を完全に忘れるような、そんな愚かな人間でもなかった。

 何人かの“困った依頼者”(と思える人達)の依頼を断るうちに、彼は少しずつ自分自身に疑問を感じ始めていた。それは、大きくなっていく彼の中の失望と憎悪と表裏一体となって、成長する疑問のようだった。

 新型うつ病。うつ病がただの言葉なら、新型うつ病もただの言葉であるはずだ。そんなものは、存在しない。しかし、自分はそんな存在しない言葉により、人間を分類し定型に当て嵌めようとしている。レッテルを貼ってしまっている。

 本当にこれは、正しい態度なのか?

 やがて彼は、その大きくなっていく疑問に圧されるようにして、ある一人の依頼者の相談を受ける事にしたのだった。ワタリは、その依頼者の電子メールの内容を読み、“うつ病”という言葉を求めていると判断した。その言葉を自分自身に冠したいと、この依頼者は思っている。

 そして、その相談を受ける前提として、彼はいつもとは違った条件を提示した。

 “自分は精神科医でも心理カウンセラーでもない。だから、自分が行うコンサルティングはそういったものとは違う。しかし、今回に限っては、あるいは心理カウンセラーの真似事のような事を行うかもしれない。資格のない自分がそんな事を行うのを、どうか許して欲しい”

 それはそういった内容だった。その意味をその依頼者がどれだけ理解しているのかは分からなかったが、それに対して“構わない”という返答がワタリに返ってきた。ワタリは心を決めると、その依頼者の相談を受ける事にした。

 その依頼者は、うつ病を自称していた。ただし、何の根拠もなくそう自称しているのではなく、精神科医の診断を受け、明確にその病名を与えられていた。更にそれにより依頼者は、現在は休職中であるという。彼は公務員で、病欠による手当てを受け取って生活しているという事だった。

 ワタリがどうして自分の許へ相談しに来たのかと依頼者に質問すると、その依頼者は「精神科で薬をもらっているのですが、どれだけ飲んでも治らなくて、あなたの評判をたまたま耳にしてメールを送りました」と、そう答えて来た。

 薬を飲んでも治らない。

 それを聞いて、ワタリはこめかみを押さえた。

 ワタリの知識不足でなければ、確か抗うつ薬は対症療法的なものであったはずだった。症状の緩和は可能でも、その根本原因を取り除く事はできない。少なくとも、飲めばそれだけで治るような便利なものではない。例えば、働き過ぎによるストレスが原因ならば、薬を飲んで症状を緩和させた上で静養する必要がある。先にも述べているが、静養とは規則正しい生活を送る事で怠惰な生活を送る事ではない。うつ状態では難しいが、薬の力を借りれば、そういった生活を行う事は比較的容易になるはずである。だが、それを行っていないのであれば……。

 ワタリはこう質問してみた。

 「失礼ですが、どんな生活を送っているのか聞かせてはもらえませんか?」

 彼は嫌な予感を覚えながら、その質問を行った。澄ました顔で、依頼者はこう答える。

 「はぁ。大体、毎日寝てばかりいます。食事も一日、1回程度ですね。後、実は酒が好きでして、依存症だと言われても仕方ないくらいに飲んでいます」

 その言葉にワタリは微かな怒りを覚えた。しかし、それを表情には出さないように努力する。そして軽く溜息を吐き出すと、まずはこう言ってみた。上手い具合に、この男を説得しなければならない。

 「それはいけませんね。特に酒はまずい。実は、酒とうつ病が結び付いて、暴力行動に繋がる事例が報告されているのです。私が読んだのは、アメリカのもので、トラウマが原因でうつ病になっている症例のようですが」

 そのワタリの話を聞くと、依頼者は嬉しそうな表情を見せこう言う。

 「実は、私もトラウマが原因で、うつ病になったのですよ」

 何故、嬉しそうな表情になったのか、ワタリには理解できなかった。

 「そうですか。トラウマの苦しみから逃れたいが為に、アルコールなどに手を出し、依存症になってしまうケースがあるので、気を付けてくださいね。

 うつ病もトラウマも同じですが、そういったハンデを抱えてしまった人は、より高い自己管理能力を求められる事になる」

 “より高い自己管理能力を求められる事になる”

 その言葉に彼は、皮肉を込めたつもりでいた。しかし、それはこの依頼者には分からなかったようだ。平気な顔で数度頷いた。それでワタリはこう続けた。

 「本来は、酒は慎まなければいけないし、規則正しい生活を送らなければいけない。それは、分かっているのですね?」

 「はい。分かっています。しかし、私は何も好きでそんな暮らしをしている訳ではありませんよ。治したくてもできないのです」

 その返答から、ワタリはうつ病の所為で怠惰な暮らしになっていると、この男がどうやらそう考えているらしい事を察した。自分の責任ではなく、うつ病が悪いのだと。だから何の罪悪感も感じていないのだろう。

 「実は私も大学時代に、随分と不規則な生活を送っていた事があります。ああいう暮らしは一度嵌ると、なかなか抜け出せないものですね。ありがちな話ではありますが、自分ではこれではいけないと思っても、なかなか難しい」

 それを確かめる為に、彼はそんな言葉を投げかけてみる。“それ”を有り触れたものだとする事で、この依頼者が自分の立場をどう考えているのかがより明確に分かるはず。そう考えての発言だった。

 「はい。それに、トラウマやうつ病が加われば、更に難しくなります」

 少しムッとした表情で、男はそう答えてきた。その表情と言葉は、自分の立場は特別なのだと、そう訴えているかのようだった。ワタリ・ソウスケはそれを受けて、この依頼者をこう分析した。

 この男は、被害者である事の優越に酔っている。

 自分の場合は、そういった誰にでもあるような経験とは違うのだ。自分は特別に不幸なのだ。

 ――だから、優遇される必然性があるのだ。

 「しかし、それに挑まなくては、うつ病は治りませんよ? 確かに、努力はしなければいけませんし、辛くもあるかもしれませんが。

 精神科医の方から、既に説明があったかもしれませんが、うつ病は薬だけで治るような甘いものではありません。自律神経に負担をかけないよう、努力する必要がある。自身の力がとても重要なんです」

 この男が理解していなかっただけか、或いは精神科医が説明を怠ったのかは分からない。何にしても、この男は自分がうつ病を克服する為に何が必要なのかを分かっていない。本当にこの男が自分のうつ病を治療したいと考えているかどうかは別問題にして、どうやらそこから始めなくてはいけないと判断した彼は、そこでそう言ってみた。

 「しかし、その力が失われていては、どうしようもありません」

 「そうですね。だから、周囲のサポートが必要なのだと思いますよ。薬や医師やカウンセラーの力も必要でしょう。もちろん、私もそういったサポートの一つです。ただし、飽くまでそれはサポートです。

 困難に立ち向かい、それを克服する姿勢が本人になければ、うつ病は治らない。あなたは、手当てで生活していると言いましたね。その恩に報いる為にも、あなたはそういった態度を執る必要があるのではないですか?」

 それを聞くと、依頼者の表情はそれまでとは明らかに違った色になった。

 「あなたは、うつ病患者は死ねと言っているのですか? 私には人権があるし、憲法には、人間には最低限度の生活を送る権利があると記されている! 例え私がうつ病を克服できなくても、私には金を受け取る権利があるんだ!」

 ワタリ・ソウスケは、その過剰な反応にやや驚いた。そして、微かに微笑む。その過剰な反応の裏に潜む感情に気が付いたからだ。罪悪感。存在しないと思っていたそれを、この男は実は色濃く抱えているのかもしれない。

 「確かにそれはそうでしょう。しかし、生活保護などの各種社会保障制度は、本来再チャレンジの為にこそあるべきものです。そうでなくては、その制度に甘え、いつまでも社会負担になるような人が現れてしまう。いわゆるモラルハザード問題ですが」

 その激しい反応に対し、ワタリは淡々とできるだけ柔らかな口調でそう返してみた。激しい反応に対して激しく返すと、議論はただの口喧嘩になってしまうからだ。こちらが冷静になれば、相手もそれに釣られて冷静になる場合がある。

 「その考えには、納得ができますが……」

 ワタリの言葉に、男はそう返した。今度は先とは逆に、落ち込んでいるように思える。やはり、罪悪感を感じていたのか。それを見てワタリはそう考えた。この男には、うつ病を克服する為には、自己管理が重要だという意識はなかった。しかし、働かずに生活できている己自身の立場には、少なからず罪悪感を感じていたのだ。だからこそ“手当て”に話が触れると、過剰に反応した。そして自らの立場を特別なものだと思い込もうとしていたのも、それが原因である可能性が大きい。罪悪感の裏返しとして“被害者である事の優越”を強く求めていた。

 しかし、少し落ち込んだ態度の後で、男は息を吹き返してしまった。落ち込んだタイミングで、何か手を打っておくべきだったとワタリは後悔する。男は語った。

 「今の日本は、弱者に優しい社会体制では決してないのです。例えば、生活保護を受け取るのには、住所が必要です。しかし、それでは住所が存在しない人間は、どうすれば良いと言うのでしょう? もっと社会は弱者に目を向けなくてはいけません。

 だからこそ、うつ病の問題でも……」

 混乱の内に、無理に語りだしたからだろう。それは今までの会話の内容と一致したものではなかった。が、それでもワタリ・ソウスケは男に語りたいだけ語らせてみた。語る事が何かしら、男に良い影響を与えるかもしれないと考えたからだ。

 どうにも男は、弱者に優しい社会を実現する一環として、自分のようなうつ病患者にも手厚い保護が必要だと、そう訴えているらしかった。男が語り終えるのを確認すると、ワタリは再び口を開いた。

 「なるほど。話は分かります。問題があるのは事実でしょう。住所を失った人間が、再出発のチャンスを得られ難い、この社会の制度は間違っている。弱者に対して、この国は厳しいのかもしれない。しかし、私はその話に対してこんな疑問も感じるのです。では、弱者とそうでない者の線は、どこに引けば良いのだろう? そう名乗る人がたくさん現れたら、この社会は一体、どうすれば良いのだろう?

 もしも、誰も彼もが何も考えずに、自らを弱者と名乗り始めてしまったら、この社会は崩壊するのじゃないでしょうか?

 もちろん、どうしようもない立場に追い込まれた人間に対する就職の支援などは必要でしょうし、行うべきです。そうすれば労働力が増えるし、犯罪を減らす意味でも社会にとってメリットがある。しかし、何の根拠もなく自ら弱者と自称する人達への保護はもう限界に来ているのじゃないですか? 無条件に保護するのではなく、重要な労働力になってもらう働きかけこそが求められているのじゃないかと私は思う。明らかな障害者に対する福祉などを除けば、これ以上の保護はもう行うべきじゃないのかもしれない。うつ病で障害者年金を受けられる話もありますがね」

 「そうは私は思わない。その証拠に、自殺者はここ数年ずっと高水準です。これは、社会が弱者を犠牲にしているからに他なりません。そして、この自殺者の中には、うつ病患者が多く含まれているのは、想像に難しくない!」

 男がそう言うのを聞くと、ゆっくりとワタリは息を吐き出した。そして、こう語り始めた。

 「政治的な議論を、ここでするつもりはありません。が、これだけは分かって欲しい。

 あなたは憲法で人権は保障されているという。最低限度の生活を送る権利があると。もちろん、それはその通りです。しかし、憲法でそう書かれていれば、勝手に食べ物や衣服や住居が生み出される訳ではありません。その人が働かなければ、他の誰かがそれらを生み出す為、代わりに働かなければいけない。

 国なんて主体は存在しません。国が保障するとは、つまりは、個人がその負担を引き受けるという事です。

 要するに、あなたがうつ病を克服しなければ、そのあなたの生活を保障する為に、他の誰かの負担が重くなってしまうのです。真面目に働く意志のある人間の負担がね。そして、もちろん負担が大きくなれば、自殺者は多くなります。

 過剰な労働を強いる労働環境はもちろん許されるべきものではありません。しかし自殺者増大の原因は、何もそれだけではないのですよ。深刻な社会負担。それも、原因の一つになっている。それともあなたは、うつ病患者の為には、健常者は奴隷のように働き続けなければいけないとそう考えますか?

 国が保障する、と聞いた時、負担を引き受ける個人の存在を、人は忘れてしまいがちになりますが、実際にはその影に苦しんでいる個人がいるのですよ。もちろん、これはうつ病に限った話ではありません。

 働く努力を放棄して、生活保護に頼る。医療制度に甘えて、怠惰な生活を送る。その他諸々のモラルハザードに、これは当て嵌まるのじゃないかと思います。

 うつ病患者に対して、社会が充分な支援をしなければならないというのは事実でしょうが、それは先にも述べたとおり、再チャレンジや、貴重な労働力を保護する意味合いで必要なものです。そしてもちろん、支援を受けたうつ病患者は、社会に対して恩返しするという意志を持つ事を忘れてはならない」

 ワタリ・ソウスケの語りを聞き終えると、依頼者は黙ってしまった。完全に。しかし、その表情には深い動揺の色合いが滲み出ていた。そしてしばらく後、依頼者は無言のまま席を立つと、その場を去っていってしまったのだった。

 失敗したか、とワタリはその時そう思った。

 が、数日後に、その依頼者からお詫びとお礼のメールが送られてきた。

 そこには、まずあの時は混乱し、自分の気持ちや考えが上手く整理できなかった事が書かれてあった。だから、無言で立ち去ってしまった、許して欲しい、と。そして、自分が今は生活態度を改めている事や、もしもそれに行き詰ったら、また相談させて欲しい旨が記されてあった。もちろん、いつでも相談に応じます、とワタリはそれにそう返した。

 当然の事ながら、全てのケースにおいて、このように上手くいくとは限らない。いや、むしろ失敗の方が多いかもしれない。しかし、それでもワタリ・ソウスケはこれまでにこういった依頼者に対して執っていた自分の態度を反省し、そしてこれからは出来得る限り積極的に接していこうとそう考えたのだった。

 それは、あるいは、彼の立場でなければできない事であるのかもしれなかったから。

うつ病を扱いましたが、もちろんどんな人にも言える事です。

健康管理・自己管理できてますか?

因みに、僕はよく反省します。

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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。 リアリティがあって面白い話でした。 確認しますけど、一応フィクション・・・ですよね? もし自分に鬱の疑いがあるなら。ワタリソウスケみたいな人に相談してみたいですね。 医学的…
2011/02/04 18:11 退会済み
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