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地縛アパート

作者: をりふで
掲載日:2026/01/27

「絶対に、どんな方法を使っても、ここから出てやる」

 男性は、目の前にある扉を睨んで呟いた。


 最寄り駅から歩いて十五分。

 静かな住宅地に佇むアパートに大板(おおいた)は引っ越してきた。

 不動産から渡された鍵で部屋の扉を開ける。

 玄関にくたびれたスーツ姿の男性がいるではないか。

 内見もしたし、長いこと空室だと聞いていたのに。

「すみません。部屋を間違えました」

 立ち去ろうとする大板に男性が口を開いた。

「待て、兄ちゃん。部屋合っているぞ」

 大板は足を止めた。

「え? じゃあ、あなたは……?」

 なんで部屋にいたんだと五十代ーー親くらいの年齢の人に言いづらい。

 不法侵入か。

 鍵がかかっている部屋にどうやって入ったのだろう。

 場合によっては、警察に通報しなれば。

 男性は大板が疑問に思っていることを察した。

「俺はこの部屋の霊なんだ。気軽に太根(ふとね)と呼んでくれ。いやあ、ずっと一人で退屈だったんだ。兄ちゃんが来てくれて嬉しいよ。これから仲良くしてくれよ?」

 大板は開いた口がふさがらない。

 

 数ヶ月前、不景気の影響で働いていた会社が倒産したのだ。

 次の就職先も、なかなか決まらない。

 せっせと貯めていた貯蓄が減っていく。

 焦りと不安で、削られてていく精神。

 三万以下の安いアパートを見つけられて、ラッキーだと大板は思っていた。  

 まさか、いわくつきの物件に引っ越すことになろうとは。

 念のため不動産を呼んだが、大板は一人暮らしだと思われた。

 隣に太根がいたのに。

 太根は、大板にしか見えない霊だった。

 

 次のアパート更新は二年後だ。

 それまで太根という見ず知らずの人間ーーもとい幽霊と同じ屋根の下で暮らさなといけない。 

 次の仕事も探しながら。

 もう覚悟を決めるしかなかった。

「……よろしくお願いします」

「生きていると、いろいろあるけどよ、元気出していこうぜ?」

 気迫がない大板を、太根は励まそうとした。

「……はい」  

 効果は、まったくなかった。

  

 大板は会社の面接に行って、手応えを感じないまま結果を待つ。

 不採用通知が、ついに三桁を超えた。

 更新したくない記録である。

 どうせ面接に行っても、またダメだろうなという諦めが大板の中で強くなっていく。

 はじめは見ているだけだった太根も、落ち着かなくなっていた。

 数日後に面接をすることになった。

 大板は呟いた。

「また、ダメかもしれないな……」

「そんな辛気くさい顔していれば、どこも雇ってくれないだろうなあ。俺だったら、仕事教えたくないもん」

「なんですか? いきなり」

「いまの兄ちゃんのままじゃあ、全敗するって言ったんだ」

「否定はしません。けど、どうしたら……」

 声音が沈んでいく大板を見て、太根は笑った。

「よし、人生の先輩である俺が教えてやる。これでも生きている時は、大企業に勤めていたんだ。大船に乗る気持ちでいてくれ。どうする? あとは、兄ちゃんのやる気次第だけど?」

 力強く言った太根の言葉に、大板は頷くしかなかった。

 

 数日後。

 面接が終わり、大板は晴れやかな表情でアパートの扉を開けた。

「聞いてください、太根さん。今日面接した会社から、いつから来られるかって聞かれたんです! こんなこと、はじめてですよ」

「そうか。よかったじゃないか」

「太根さんのアドバイスのおかげですよ! ありがとうございます」

「手応えがあったとは言え、まだ正式な採用通知が来ていないんだ。気を抜くなよ?」

「はい!」

 

 後日、大板の元に採用通知が届いた。

 現実だよなと、大板は何度も見る。

 これで無事に就職先が決まり、安心だ。

 大板の様子を太根は見守っていた。

 新しいことを覚えるのは大変だったが、大板は少しずつ仕事に慣れてきた。


 仕事の帰り道、大板はアパートの近くまで来て、七十代の女性に声をかけられた。

「あんた、そこのアパートに住んでいる人だね。私も近くに住んでいるけれど、出ていくのを毎朝見かけるもの」

 なんだろうと大板は警戒したが、嘘をつくわけにもいかない。

「そうですが、なにかご用ですか?」

「悪いことは言わない。手遅れになる前に、早くアパートから引っ越したほうがいい」

 突然言われて大板は困った。

 アパートの更新は、まだ一年以上先だ。

 新しいアパートを探すにしても、引越すにしても、お金がかかる。

 すぐに動けない。

「検討してみます」

 女性にそれだけ返すと、大板はアパートに帰った。

 もしかしたら女性は、話し相手がほしかったのかもしれないと、大板は深く考えなかった。


 三ヶ月後、神妙な顔で太根が口を開いた。

「それで、どうすんだ?」

 太根に問われたことが、大板はわからなかった。

「なにがです?」

「だって兄ちゃん、引っ越してきた日、ここに仕方なく住むしかないようだったからな」

「あ……」

 そういえば、そうだったなと大板は思い出した。

 太根は人のことをよく見ている。

「別のところに引っ越すか? 兄ちゃんが決めてくれ」

 答えは、どちらでもいいような気がした。

 大板は首を横に振った。

「まだ、ここに住みます」

「そうか。それが兄ちゃんの答えなんだな」

 太根は口端を片方だけ上げた。

「お望み通りにしてやるよ」

 太根が大板の肩に手を触れる。

 大板は視界がぐらつき、立っていられなくなった。

 頭が割れそうだ。

 吐き気もする。

 呼吸が苦しい。

「短い間だったけど、楽しかったぜ」

 意識が暗闇に包まれる中、太根の声が聞こえた。

 

 大板が目を覚ました時、アパートの床で横になっていた。

 いつの間に寝ていたのだろう。

 体調は、よくなっている。

 大板はゆっくりと立ち上がった。

 アパートの部屋を見回すと、荷物が片づけられて、なにもない。

 異変に大板は気づく。

 太根が、どこにもいない。

 玄関へ行こうとした時、誰かが入ってきた。

「あれ? 気がついたのか?」

 耳に入ったのは、自分の声だ。

 なぜだ。

 話してないのに、どうして自分の声が聞こえるのだろう。

 部屋に入ってきたのは、自分だった。

「俺? なんで……」

「まだ気づかないのか? 兄ちゃん」

 目の前の自分が、そう言ったことに大板は、ようやくわかった。

 まさか、信じられない。

 受け止めきれない現実だった。

 大板の姿をした太根は、満足そうに笑っている。

「いやあ、兄ちゃんが来てくれて本当に助かったぜ。こうして体を手に入れられたし。やっぱ若いっていいよな」

「俺の体を返せ!」

「親切にしてやったんだから、このくらい礼に貰ってもいいだろ? まあ、取り返せるものなら取り返してみろよ。できないだろうけどな」

 大板の姿をした太根は、玄関の外に出た。

「待て!」

 声を上げて、大板も玄関から出ようとする。

「え?」

 玄関から先は、見えない窓があるようで進めない。

 部屋から一歩も出られない。

 それを見ていた太根は、笑い声を上げた。

「バカな奴だなあ」

 耳をふさぎたくなるほど、不快で卑しい響きだ。

「心配するな。この体は大事にするぜ。じゃあな、兄ちゃん。好きなだけ住んでいろよ」

 絶望を胸に抱いたまま、大板は部屋の外へ手を伸ばす。

 だが、扉は冷たい音を立てて閉められた。

 部屋の中から聞こえる嗚咽に、気づく人間はいない。

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