第四十五話:〝悲しみ〟
私は通信を切った後、汗を流し苦しむ操を抱いて呆然としていた。
「神楽様!操ちゃんは…!」
朱里と宮司が私を信じて問う。
「……神の方が大事だって」
私は細々とした声で答えた。それを聞いた朱里達の目から光が消える。
「そう…ですか…」
誰も異議を唱えなかった。後ろで聞いていたアマテラスも。私も。
「…ぐ…っ…」
「操ちゃん!」
操の右腕は指先まで黒く腐り、右胸から首まで侵食していた。
再生の神は操が倒れた後、正気を取り戻したのか自分の手を見て立ち尽くしている。
静かな境内に、操の痛々しい呻き声だけが響いた。
このままじゃ操は死ぬ…
アミークスみたいに、もう二度と会えなくなる…
〝私のせいで?〟
違う…悪いのは全部再生の神だ…それにエレオスも…私があれだけ必死に頼んだのに…陽太郎も綺麗事を言って……いや…そもそも創造神が全部…全部悪い…!
この怒りの矛先を自分以外の誰かへ向けて、私は悪くない、操がこうなったのは私のせいでは無いと自分に言い聞かせる。
感情がぐちゃぐちゃで気持ち悪い…変になりそうだ…
「神楽…様…」
私は操を抱き締める力が強くなっていたことに気づく。
「ごめん操…!痛かっ…」
操の青白い肌と、右半身が黒く腐っている状態を見て、言葉を失った。
呼吸は浅く、息も絶え絶え…肺がやられているのか、息を吸う度に喉の奥がゼェゼェ鳴って苦しんでいる。
嗚呼…まただ…
アミークスの時に感じたものがまた…
「っ…」
喉の根底から何かがこみ上げてきて、顔が歪む。押し戻そうとすると喉が詰まり、熱がこもった鈍痛を感じた。
あの時はすぐにこの感覚が消えたけど…今は押し殺すので精一杯だ…
「み…さ」
その名を呼ぼうとした瞬間、瞬きすることすら辛そうな操を見て、気づけば口から嗚咽がこぼれていた。
「…う…ぅ…っ」
汚い声と共に顔と視界が歪み、目から生温かい何かが溢れる。
何だこれ…
止まらない…
それが液体のように頬を素早く伝い、操の頬に落ちた。
水滴…?違う…これは――
「「涙…」」
私と操の声が重なり、互いに目を見合わせる。
私は目を大きく見開き、口を震わせた。
「神楽様…涙…が…」
そして操の口から、濁り音混じりの笑い声が出る。
「あの…あの神楽様が…泣いてる…ふふ…」
操はそう言って肩を震わせ、その目に涙を浮かべた。
「……何で」
私は止まらない涙を隠す為に顔を手と腕で隠す。それでも息継ぎの際の震えは治まらない。
何で…そんな嬉しそうに笑うんだよ…お前は今死にそうなんだぞ…
痛いだろ?
苦しいんだろ?
私の事なんて気にしてる場合じゃないだろ…!
ほんとにこいつはいつも他人の事ばっかり…!
次の瞬間、操の笑みが頭をよぎった。
愛想笑いと…私に向ける、弾けるような心からの笑顔――
そうだ…操は誰にでも優しいわけじゃない。
ちゃんと、相手を選ぶ。
私だから、なのか…
直後、ずっと雲に隠れていた太陽が再び顔を出した。
……眩しい。
* * *
――カーテンを開ける音が聞こえて、操に「朝ですよ」と優しく声を掛けられる。朝ご飯を操祖父と三人で食べて、制服に着替えて自転車に乗る。いつもの交差点で先輩警官と後輩警官に「おはよう」と言われて、学校に着くと未緒と美玖が笑顔で話しかけてきて、姫もいつの間にか会話に混ざってきて…
伝令が来ると、二人で急いで早退する。そして二人で協力して妖怪を祓って…帰りに二人で夕飯の買い物をする…
風呂の後は毎回操が髪を乾かしてくれた。その後一緒にテレビを見て、操が笑えば私も笑う。
そして寝る時も、横に操がいるんだ…
下界で過ごしてきた日々の記憶が走馬灯のように頭を駆け巡る。
――いつも、隣に操がいた。
そうだ、楽しかった。毎日…天界にいた時とは比べ物にならないくらい、新鮮だった…何もかも。
でもそれは、全部操のおかげなんだ。私が下界で暮らせていたのも、学校を楽しめたのも、祓い師を経験できたのも…
だから――
* * *
――操が死ねば、いつもの毎日が終わる…
世界が続いても、意味がなくなる。
それは〝終わり〟と何が違うんだ?
再び私の涙が操の頬の上に垂れた時、操がヒュウ…と吐息を零した。
「……死にたくない…おじいちゃん…みたま様…っ」
震える声で呟き、息も絶え絶えになってきた操を見て顔が歪む。
「くそ…くそ…っ…」
何で操がこんな目に…!
私は死を怖がり苦しむ操を見て、血が出るまで両手こぶしを強く握りしめた。
……自分の無力さに怒りさえ覚える…私は…っ
…違う…無力とか、そういうのじゃないだろ。
私のせいで、操はこんな目にあったんだ。
「操も…アミークスも…私のせいで…」
絶望を感じた直後、閃光が空から降りて、私達のすぐ近くの敷石に大穴を開けた。
何だ…
そして土煙と共に誰かが私の元へ駆け寄って来る。
「ティモス!!」
この声――
「エレオス…何で」
エレオスが真っ先に私の腕の中でぐったりとしている操を見て、目を見張った。
「何でって操ちゃんを治癒しに来たんですよ!そこどいてください!」
そう言いながら私を押し退けて操の身体に手を当て、大量の神力を使って治癒を始める。
「だって…神社の神優先するって…」
「話ちゃんと聞いてました!?絶対どっちも助けるって言ったでしょう…!?」
『ごめんなさいティモス―――』
私は断られたショックでその後の言葉を聞いていなかった。
「みーちゃん…?そんな…嫌だよみーちゃん!!死なないで!」
するとその後ろから陽太郎が現れ、瀕死の操を見て泣き喚いた。
陽太郎もいる…
絶望に満ちていた私の瞳に、僅かに光が宿る。
「あーもう邪魔!陽太郎くんはオントと狐くんと、再生の神見張っててください!」
そうだ…再生の神…
操にばかり注意がいって、この場で最も危険な神の存在を忘れていた。
再生の神は先程の怒号から打って変わって口をつぐみ、操の様子を遠くから眺めている。
私は再生の神を睨んだが、つい先程のエレオスの言葉を思い出した。
「…〝狐くん〟?」
私が素早くオントを見ると、その横に白い四足歩行の物体が欠伸をしながら座っていたのだ。
「は!?何で神獣が!」
出た涙がほんの少し目の中に戻る。
「エレオスがね、その魔性さで引き抜きに成功したんだ。相変わらずだよね」
私が目を見開いて驚愕していると、その様子を見たオントが苦笑した。
引き抜きって…つまり再生の神から神獣を奪ったってことかよ…
あまりにぶっ飛んだエレオスの考えに、微小に引っ込んでいた涙が完全に引っ込む。
そしてエレオスの全力の治癒能力が、操の身体の腐敗を綺麗に消し去った。
* * *
「あ…れ…身体が…」
数分後、操が起き上がり、自分の右腕を見て唖然とした。
エレオスは神力を使い果たし、体を大の字にして倒れ込んでいる。
「はぁ…ギリギリ間に合いましたぁ…」
「操…!よかっ――」
〝よかった〟…?
私は自分の感情を疑った。
生き返ったから…死ななかったから…元通りに戻ったからよかった…?
違うだろ…
操が感じた痛みと恐怖、苦しみが…こんなにも…
こんなにも胸が…
そう…胸のざわめきが収まらないんだ…
これは怒りか?
それとも悲しみ?
違う…感情じゃない…これは…
「神力…」
直後、私の身体から神力が溢れ出し、私の周囲の敷石が一瞬にして消え去った。
「な…」
何だ…これ…神力が制御できない…
まるでダムの堤防が壊された様に神力が溢れ出てくる…
私の神力はこんなに大きくない…
「神楽様…!?」
「操…来るな」
――きっと触れたら、壊してしまう。
――私が、私じゃなくなる。
そんな気がしてならない。
操が私に近づいた次の瞬間、制御不能に陥った神力が勢いよく体外に溢れ、荒れ狂う獣のように暴れだした。




