第二十七話:信ずる
ほっとして後ろを振り向くと、ソレが吐いた血が頬にかかった。ソレのみぞおちに刃が貫通していて腹からもじわじわと血が滴り落ちている。
「本当に、最高の日ですね。どれだけこの日を待ちわびたか」
操が嘲笑と皮肉を込めた、低い声でそう言い放った。その表情は無機質で、唇だけが動いている。
「な…ぜ…分かった…」
ソレは、先程倒れていた老人の祓い師…いや、祓い師のフリをしていた妖怪だった。
妖怪が血を吐きながら苦しそうにうつ伏せに倒れると、老人の姿から本来の妖怪の姿へと戻った。その手足の爪は先程私に向けられたものと同じ様に鋭く、本性を晒したその姿は今まで見てきた妖怪達と違い、どちらかと言えば猿や人間などの霊長類に近いものだった。
力尽きたのか、ちゃぶ台の上に仰け反っていた腹の大きな妖怪が蒸発して消える。
操の言った通り、腹が大きく気持ちの悪い見た目の妖怪は、祓い師をおびき出す囮用の分身体だったらしい。
操と陽太郎はその妖怪に冷酷な視線を向け、見下ろした。そして操が足で妖怪を仰向けに転がす。
直後、肉を刺す濁った音と共に操の薙刀が妖怪の肩を貫いた。
「ガァァ!!」
妖怪の叫び声を無視して操が薙刀を勢いよく抜くと、返り血を浴びた身体のまま妖怪から離れ、陽太郎の横で立ち止まった。
「急所は外しておいたから…後は好きにしていいよ」
その言葉を聞いた陽太郎の感情が高揚へと変わる。
「ああ…ありがとうみーちゃん…僕の分も残しておいてくれて…」
妖怪は唸り声を上げながら陽太郎を睨みあげた。
「アアそうか…ゴホッ…お前達二人…見覚えがあるぞ…三年前のガキ共か…グフッ…通りで…女の方がウマそうな魂をしているワケだ…」
陽太郎の瞳から光が消える。
「ヒッ…!」
そして刃の先を妖怪の目玉に近づけた。
「そうだ。彼女の両親はお前が殺した。僕達をナメて殺さないでくれてありがとう。それと覚えていてくれてよかったよ。あの時僕達を殺しておけばまだ生きられたのにねぇ?お前が馬鹿で本当によかった」
段々とその顔が不気味な笑顔に変わっていく陽太郎を見た妖怪が、恐怖に満ちた表情で身をよじる。
「…楽に死ねると思うなよ」
そこから始まった陽太郎の拷問…いや暴虐。私はそのむごさに思わず目を逸らした。
外に出ると、地べたに座り込む操がいた。
そして駅のホームでの言葉を思い出す。
『神楽様…母が息絶える前に、妖怪の情報を私と陽太郎に教えてくれました。その妖怪は祓い師になりすまし、己の分身を倒す為に共闘するフリをして背後から確実に祓い師を襲う…と。何より異様に祓い師に対する執着があるそうです。きっと私達の魂もその方法で喰らおうとするでしょう。どうか協力してください』
その言葉から分かったこと…それは操の母親が死の瀬戸際、更なる犠牲者を出さない為、妖怪の情報を操と陽太郎に託したことだった。
そう…奴へのの勝因は九割方、操の母親の情報をアドバンテージに操が考えたシンプルだが確実な作戦。
まず、私と陽太郎が妖怪の分身に気を取られているフリをする。その後、本体が私か陽太郎を背後から襲おうとした隙をついて操がそのまた背後からソレを仕留める…
囮役は正直嫌だったが、操への信頼があったから無事成功した。
「操」
私が勝利の喜びを共有しようと操に近づいたが、その顔は深く俯いていて、歓喜の感情が一ミリも伝わってこなかった。
むしろ伝わってきたのは、後悔と悔しさ…
敵を討てて、嬉しくないのか…?
「操?」
私が声をかけると操はゆっくりと顔を上げ、私と目を合わせた。苦虫を噛み潰したような酷くシワのある顔をしている。
「…皮肉ですね…手段が分かっていればこんなに呆気なく倒せたのに…お母さんとお父さん…何の罪も無い同胞達まで…あんな奴に…」
操の瞳は虚ろで、光が今にも消えそうな程薄れていた。
確かにあの妖怪の戦闘能力自体は目に見えて低かった。
だが…
「人と同じ…だな」
操が少しだけ顔を上げ、上目遣いで私を見る。
そのキョトンとした顔を見て、フッと笑った。
「人間も、力で敵わない大型動物には罠を仕掛けるだろ?それと同じことをあいつはしたんだ。要するに、知能がずば抜けて高かったわけだ」
励ましたつもりだったが、操の感情は変わらず、再び深く俯いてしまった。
私はんーと小さく唸って腕を組む。
――論理的な諭しが駄目なら…
「お前の母親が命を賭して与えた情報を、お前達二人は正しく使った。だから倒せた。操はすごい。操は勝った。操は強い」
――やっぱり感情論に限るよな。
私が俯いている操の肩に手を当て、「ほら、顔上げろ」と言った。すると、操の肩が小刻みに震え出す。
「うぅ…ううう…」
操は大粒の涙をぽたぽたと地面に落とし、嗚咽を零しながら号泣していたのだ。思わず驚愕する。
「ちょ…泣くなって…」
私は再び必死に考えた。泣いてる奴の慰め方…自分は経験したことがないから誰かの真似をする他ない。
一つ瞬きをした後、私が初めて下界に降りた日に、みたまが泣いている操をなだめていた姿を思い出した。
こんな時みたまだったら…
「ちょい、陽太郎もこっちこい」
私が陽太郎を手招きすると、妖怪の腹部に剣を立てて不思議そうに私の元へ歩いてきた。
恥は捨てろ…私はみたま…私はみたま…
「…二人共、今までよく耐えてきたな。よくやった。よく……頑張ったな…」
不器用ながらに優しく二人を自分の懐へ抱き寄せ、抱擁した。そして二人の髪を撫でる。しばらく二人の息遣いだけが聞こえた。
その静かな空気を破ったのは、陽太郎の嗚咽混じりの大声だった。
「うわあぁぁぁん!!神楽様ぁ…!僕…ずっと辛かった!ジェット機買う為とは言え、ホストマジでしんどかったぁ!掛け金巻き上げに九州まで客を追ったり、客に結婚してくれなきゃ死ぬって包丁振り回されたり、不味いシャンパンを吐くまで飲んだり…!ぐすっ…ここ三年はろくに寝れなかったし…日に日に心に思い浮かぶ言葉はすごく汚く…醜くなっていって自分が嫌いになってくしぃ…うぅ…」
いつも笑顔でいた陽太郎の思いがけない弱音に驚きながらも、初めて会った日の…あの腹の中に渦巻く真っ黒な感情が少しずつ消え去っていくのを感じ、少し嬉しくなった。
「そうか…お前も大変だったんだな」
「神楽様ぁぁ!大好きですぅぅ!!」
そういって陽太郎が私の胸に顔をうずめようとした為、顔面を手で押さえた。すると涙と鼻水が手に付いたので、急いで陽太郎の着ている服でゴシゴシ拭く。
操はと言うと、話せないほど号泣していた為頭を撫でてそっとしておいた。
きっと、この二人にとって今日の出来事は人生の転換点として永遠に記憶に残ることだろう。
「…少し落ち着いたか?」
操の呼吸が正常に戻ってきたので私が聞くと、操がこくりと頷いた。因みに陽太郎がまだ抱き締められていたいと言った為、操と共に数十分程私の腕の中に収まっている。
ちなみに我々の迷惑を被った舞子達はと言うと、駆けつけた京都の祓い師達に、この家に蔓延っていた怨霊を浄化しただとか自分達は霊媒師だとかを説明されて頷くしかない状況にさせられていた。
「そう言えばお前、アレにトドメ刺したのか?」
私が瀕死の妖怪を顎でさすと、陽太郎が「あ…」と呟いてスルリと私の抱擁から抜け出し、妖怪の元へ向かった。
「…」
私が半目で様子を見てると、グサッという嫌な音と共に妖怪は息絶え、やがて蒸発し、塵となって消えた。
* * *
一時間程経って、京都の祓い師達含め、操の祖父と陽太郎の両親がこの場に集結した。状況を説明した後、全員が死んだ祓い師達に向けて花束を置き黙祷する。
京都の祓い師達は「まさか伊藤さんが妖怪だったなんて…」と顔を青くして怯えていた。
暫くして京都の祓い師達が帰った後、祖父が操を見つめた。
操から緊張が伝わってくる。
「操…何故情報をわしら大人に話さなかったんや…?」
祖父が険しい顔でそう聞くと、目元が真っ赤に腫れている操が申し訳なさそうな顔で謝った。
「…今日まで…妖怪がどの祓い師に化けているか分からなかったから、誰も信用できなくて…おじいちゃんのことも…」
その言葉を聞いて、実の祖父にしては操の接し方がよそよそしかった理由を理解する。
すると、祖父の表情が苦しげなものに変わった。
「そうか……そうだったか……しかし操が無事で本当によかった…咲に続いて操まで失ってもうたら、わしは…」
祖父が涙を浮かべると、操が躊躇いながらも祖父に向かって一歩を踏み出した。
「おじいちゃん…」
そして操が祖父を抱き締めると、祖父の瞳が反射光でいっぱいになり、涙が滝のように流れた。
感動の抱擁を交わす天宮家の一方で、陽太郎の両親は、笑顔で息子を褒め讃えている。
「陽太郎、よくやったわね。自慢の息子よ」
「よく今まで操ちゃんを支えてあげたな」
「まぁね」
陽太郎が得意げに答えると、父親の顔が一瞬にして憤怒の形相へ変わった。
「なんて言うと思ったかこのバカ息子!!」
「えぇ!?」
陽太郎がショックを受けた顔でよろめく。
「お前のことだから、操ちゃんと二人だけの秘密なのが嬉しくて父さん達に言わなかった部分もあるだろ!」
図星を突かれたのか、陽太郎が「う…」と声を出して後ずさった。
「あの…もしかしてあんた、歌舞伎町ホストの堕天使陽はん…?」
ずっと私達から一定の距離を取っていた舞妓達の内の一人が、陽太郎に恐る恐る声をかけた。
堕天使――
純粋な心が邪心に染まって堕落した天使。
まさにホストに染まって純粋な心を捨てた陽太郎にピッタリだ…
私は必死に笑いを堪える。
「…ひ、ひひひ人違いでは…?」
陽太郎があからさまに動揺して裏声で返事をした。
「人違いやありまへん。前に動画撮影でこっちにいらした時、ウチらがあまりいい待遇を受けとらんって笑い混じりに話したら、ホストの人達が自分達の広報チャンネルで舞妓の実情を暴露してくれはったんです。その内の一人が堕天使はんやったはず――」
陽太郎の顔が青ざめる。
「――その動画が大バズりしてから、お客さんも距離感守ってくれはるようになったし、お小遣いも上がったし、ホストさん達にはホンマに感謝しとるんです!あ…色恋営業はどうや思うけど……でもウチらずっとホストさん達にお礼言いたくて…!な!」
舞妓達が目を輝かせて頷く。ホストを連呼され、今にも貧血と過呼吸で倒れそうな陽太郎を見た私と操が同時に吹き出した。
陽太郎のホストとしての日々も無駄ではなかったわけだ。
操の笑みと涙から安堵を感じる。
三年の時を経てようやく、操が心から家族や仲間を信じ、笑い合える時が来たのだ。




