第十一話:操の苦悩
伊勢神宮から家に帰った後、何となく私は神楽様と一定の距離を置き、生意気とも取れるような言動は避けるように気をつけた。縮んだ距離が、また遠くなったのを感じる。
神楽様は、食事の度に箸の持ち方を教えろとせびるくせに全く上達しないし、鍋の中に直接手を突っ込んで大火傷するし、髪を乾かさないから私が代わりに乾かしてあげているし、朝は日に日に起きなくなるし…
正直疲れる…
今朝も神楽様はまだ寝ている。無理に起こすことも出来なかったため、取り敢えず境内の掃除を始めた。しかし私はいつの間にか本殿の前に立っていることに気づく。
「おや、境内の清掃か?朝からご苦労さん」
私が扉を開けると、みたま様が笑顔で迎えてくれた。少し気が楽になる。
「みたま様…」
「……顔つきが暗いな、何や嫌なことでもあったん?」
みたま様には、全てお見通しだ。
「いえ…ただモヤモヤしているだけで…」
「話してみ」
みたま様の優しい声を聞くと、自然と口が開いていた。
「……三日前、天照大御神様とお会いしました」
「ほぉ…それで?」
「それで…私は今まで、神様はみたま様や修行時代にお世話になった神様としか関わったことがなかったので、天照大御神様の人間への冷たさに…何と言うか、驚いてしまって…」
あんなに冷たくて怖い方が自分の神宮の神様なら、朱里さん達が神楽様に対してあれ程緊張するのも理解出来る。
「なるほどなぁ…そら、世の中わてみたいに人間好きな神ばかりやないもんなぁ」
やっぱりみたま様は神様の中でも特に人間に温厚な方だったのね…
私は拳を握りしめ、自分の無知と、他の神への無関心さを恥じた。
「…天照はな、一言で言えば、人間嫌いなんや」
「え?」
思わず情けない声が出る。
「皮肉な話やろ?人間に多くの加護を与え、結界術に長けた神。そしてこの国で最も敬われ、崇められている最高神が人間不信なんてな」
「何故ですか?」
「そら、二千年以上も下界にいれば、人間への信用なんて無くなるやろ」
みたま様が着物で口元を隠しながら笑う。そして一つ息つくと、その顔が真剣なものに変わった。
「高い知能を持つ故に常に欲望に満ちていて、欲しいものは奪い合う、縄張り意識が高い故に昔から争いの耐えない生物…やからな、人間は…」
みたま様も…人間が嫌いになったことがあったのかな…
みたま様のその表情からそんなことを考えてしまう。
「天照は良くも悪くも、全てを見ようとし過ぎる奴なんや。やから人間の汚くて醜い部分も沢山見てきたさかい、人間を信じられんくなったんやろな」
「…では何故あの方は、今も下界で人間を守り続けているのですか?」
みたま様が大きく息を吸う。
「〝愛〟やな」
私は目をぱちくりさせた。何度瞬きをしても、みたま様の真面目な顔は変わらない。冗談では無いようだ。
「心の隅に、僅かな人間への愛情があるんや。さっきも言うたが、天照は人間の全てを見ている。人の優しさ、素直さ、忍耐力、成長…それらを愛しとるんや。だから人間を見捨てないでいられる…諦めないでいられる…。歪んだ愛やろ?」
私はふと、天照大御神様の行動を思い出した。そう言えば最初、宮司様と朱里さんをじっと見て目を細めていた。あの時は人間を嫌悪しての反応だと思ったけど、他人の私から見ても優しげな顔つきだった。もしかして…
真意は分からない。でも…
「それはとても…ありがたいことですね…」
信じるのは、己の自由だ。
「そうやな…」
「ではみたま様は何故、人間を好いていてくださるのですか?」
前々から気になっていたことをみたま様に問う。
「せやなぁ…やっぱり、実際に関わってきたからやろな…天照は見守るだけやけど、わては昔から人間と交流してきたからな……何度もやめようやめよう思うたけど、結局やめられへんかった。ある時、人間達の幸福がわての幸福に繋がってると気づいたんや。それがわてと天照の人間についての考え方の違いやと思うで」
――ああ…やっぱり…
「みたま様は、本当に素晴らしい神様です」
――世界で一番、大好きな神様。
「ふふ、何や褒めても何も出んよ?ほんで、本題は神楽のことなんやろ?」
「みたま様は…本当に何でもお見通しですね…」
私は苦笑した。
「…伊勢神宮に行った日…神楽様との関係を、朱里さんに心配していただきました」
『…操ちゃん、あまり神様と対等に関わろうとしたらあかんよ。神様は尊い御方。それと同時に気まぐれでもある。特にティモス様は見たところ、プライドも高いようやし…気をつけてな』
私は朱里さんに言われた言葉を思い出す。
「でも私は、神楽様は違うと、そう思いたくて…天照大御神様の宮司様達への冷たさに意見を求めました。けれど…」
『何を言っているんだ?』
「神楽様は、その考えはおこがましいと…生まれた時から神と人間は違うと、はっきりおっしゃったんです…私は勝手に神楽様に期待して、勝手に落ち込んだ。ただそれだけのことなんです…でも…何だか心が重くて…」
私が懸命に言葉を絞り出すと、みたま様が私の頭に手を置いた。
「せやなぁ、神楽…やたらと自分が感情の神であることに誇りを持ってるクセして、子供っぽいもんなぁ…」
みたま様が顎に手を当てて考え込む。
「…操はどうしたいん?」
「え?」
「神楽とどんな風に関わっていきたいんや?」
どんな風に…
「…まだ、わからないです」
私が俯くと、みたま様がその指をひょいと動かした。
「そうか。じゃあ取り敢えず、互いに思ってることを言い合うとええ」
同時に本殿の扉が開き、恐らく聞き耳を立てていたであろう神楽様が急いで外壁に隠れた。




