2-2:謎の青年
城内を、侍女が一人、てくてくと歩いていた。
城に来たばかりなのか、曲がり角などで時たま立ち止まり、慣れない様子できょろきょろと辺りを見回している。
「なるほど、あっちに行くと大聖堂、あっちに行くと厨房、そしてこっちが中庭」
リーレイの格好をして、リーレイそっくりに見えるメイクを施したアーユイは、随分と久しぶりに思える外の空気を吸いに中庭に飛び出した。――目立たない程度に、控えめに。
部屋ではアーユイの格好をしたリーレイが、ここぞとばかりに国内最高級のベッドで惰眠を貪っている。
もし誰かが見ても、病弱な聖女が気疲れして寝てしまったとしか思わないだろう。
アーユイとしては城の周りを一周走ってきたいところだったが、さすがに侍女の格好でそれはできない。
「ま、花を愛でるのも、たまには悪くない」
季節は春。庭師によって整えられた花壇は、色とりどりの花が満開に咲き誇っていた。
「おお、あれは!」
その花壇の片隅に遠慮がちに咲く白い花を見つけて、思わずアーユイは駆け寄った。
「母上の好きだった花じゃないか! 久しぶりに見た」
それはアーユイの母、ユイファの故郷に自生する花だった。
生憎、エンネア国内ではほとんど目にすることがない。
「その花が好きなの?」
「え? ああ、はい」
屈んでしげしげと花を眺めていると、不意に話しかけられ、慌てて顔を上げた。
「うん? 見ない顔だね」
立っていたのは若い男だった。
もちろん近寄ってくる気配には気付いていたのだが、殺意や悪意は感じられなかったことから、ただの通りすがりの兵士だと思った。
まさか見知らぬ使用人風情に声をかけてくるとは思わなかったものの、そこはアーユイだ。
「ええと、あたしは……」
アーユイの変装術は、外見はもちろんのことその心にまで及ぶ。
一度なりきってしまえば、多少油断していても仕草や口調が崩れることはない。
自己催眠の域にも到達する勢いだというのは、父・レンの談だ。
「待って、当ててみせるから。うーん」
形の良い顎に指を添え、じろじろとアーユイを見定める男を、アーユイもまた、遠慮がちに物色した。
長く真っ直ぐな金色の髪を一つに結った、華やかな顔立ちの青年だった。
いたずらを考えている少年のような光を湛えた、愛嬌のある瞳は緑。体つきは武人のそれだが兵士にしては軽装で、簡易礼服のような格好だった。
腰の剣は装飾が多く実践向きではない。つまり儀礼用。そしてその柄にある紋章は――。
「わかった! 噂の聖女様だ!」
青年の正体に辿り着きそうになったところで、逆に彼がアーユイの正体を言い当てた。
「えっ!?」
まさか変装がバレたのか。もちろん顔には出さないが、アーユイは内心でかなり焦った。
「冗談冗談、聖女様のお付きの侍女さんでしょ。毒を見破ったっていう。聖女様が軟禁状態だから、お世話をすることも少なくて暇になって、お城の探検中ってところかな?」
概ね正解である。この男何者だ、と思っている間に、青年は次の質問を被せた。
「聖女様がご実家から一人だけ呼び寄せたっていうくらいだし、やっぱり侍女さんは護衛も兼ねてるんだよね? 良かったら僕と手合わせでも、どう?」
お茶に誘うような気軽さで誘われたが、内容は普通の侍女だったらドン引きしているところだ。
「とんでもない。貴族のご子息様に怪我でも負わせたら、大変です」
と、口を滑らせたことに気付いた時には、既に遅かった。
「怪我を負わせる自信があるってこと?」
青年はじりじりと、壁際に追い詰めるように距離を詰めてくる。
アーユイの鼻が顎の辺りに来るということは、かなりの長身だ。
アーユイは、幼い頃に父の実家で飼っていた大型犬にのしかかられた時のことを思い出した。
その顔がとびきり嬉しそうなところまで、そっくりだった。