1-4:神の加護
アーユイは寝覚めが良い。寝ぼけていては、敵襲に対応できないからだ。
ベッドがどれだけふかふかになろうとも、きっちり朝の六時に目を覚まし、うーん、と背伸びをした。
窓の外は晴天だ。
軽くストレッチしていると、こちらも時間に正確なリーレイがやってきた。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、リーレイ。十分に休めたか?」
「おかげさまで。聖女様ご指名の侍女となると、あたしも破格の待遇のようで」
手入れの行き届いた広すぎる個室を与えられ、侍女に侍女が付くというわけのわからない事態になりそうだったのを、丁重にお断りしてきたところだそうだ。
「外を走ってきたいところだけど、衛兵たちが許してくれないだろうな……」
「でしょうね……」
扉の外の騎士は、六時間交代の二十四時間態勢で野次馬を威嚇したり、追っ払ったりしていた。
「仕方ない。とりあえず着替えよう」
支給された清楚な白い衣装は、あまりアーユイの好みではなかった。
「上等な布ですね。真っ白って、染みも目立つしお手入れが大変そう」
リーレイも、ドレスとは勝手が違う布の多さに苦戦しているアーユイを手伝いながら、庶民的な意見を述べる。間違っても、この格好で血みどろの仕事をしてはいけない。
「聖女にもイメージというものが大事なんだろうね」
視覚から入る情報は重要だ。仕事着の真っ黒な服は、血を目立たせなくするというだけでなく、威圧感を与える効果がある。
「そういえば、夢に出てきたピュクシス様も白くて布の多い服を着ていたよ。見たことがある誰かが言い伝えたのかもしれない」
「夢にもピュクシス様がおいでになったのですか。これは本格的に、聖女様らしくなってまいりましたね」
「ガラではないから辞退したいと言ったんだけど。勝手に応援しているだけだからと押し切られてしまった」
「それはそれは」
敬虔な信者が聞いたら大興奮しそうなニュースも、二人にとっては仕事帰りと同じテンションの日常会話だった。
「あら? お嬢様、こんなところに妙なあざが」
不意に、襟元を整えていたリーレイが首を傾げた。
「あざ?」
「ほら、首のところです」
言われて、アーユイも姿見で確認する。
「本当だ、いつの間に付いたんだろう。気付かなかった」
それは治りかけの傷のような薄いピンク色で、赤子の手のひらほどの大きさだった。花の模様のようでもあり、見覚えのある形のようにも思えた。
「まあ、痛みもないし、襟で隠れるから特に問題はない」
「左様ですか」
聖女の衣装は肌の露出が極端に少ない。その上、人前に出る時はヴェールを被るようにとのことだ。他人に顔を知られるのが本意ではないアーユイには、その点はありがたい。
「よし、こんなものでしょうか。それでは、あたしは食事の支度をして参ります」
最後にびし、と背中側のスカートの皺を伸ばし、リーレイは満足げに頷いた。
そして完璧な侍女のように丁寧に扉を開き、外の騎士に綺麗な会釈をして、しずしずと出ていった。
「……さて」
残ったアーユイは、ベッドの縁に腰かけて腕を組んだ。話し相手がいなくなって、また暇になってしまった。
食事はおそらく、一時間ほど後だろう。昨日の夕食の件があるので、何か用意されていても作り直すはずだ。
「……夢のおさらいでもするか」
アーユイは動きづらい衣装のままベッドの上にあぐらを掻き、夢でピュクシスが教えてくれた加護とやらをもう一度確認することにした。
「ええと……。【ガイドブック】」
ピュクシスはご丁寧にも、『全部覚えるのは大変だろうから』と一冊の本をくれた。
夢の中で説明したこともそれ以外の説明しきれないことも、本に書いておくとのことだ。
いつでも呼び出せるので暇な時に読むといい、と言われた。
ガイドブックの見た目は、地味な茶色い革表紙のハードカバー本だった。
何のタイトルも書かれておらず、机の上にポンと置かれていたら、日記帳か何かだと思うかもしれない。
アーユイは早速、カバーをめくった。
『アーユイちゃんへ
この本は、水に濡れても火に投げ込んでも、傷がつくことは一切ありません。
もちろんページを破くこともできません。
他の人が見ても、何が書いてあるのかわからないようになっています。
どこかに置き忘れてもすぐに呼び出せるから、安心してね。
ピュクシスより』
一ページ目には丁寧な手書きの文字で、そんなことが書いてあった。
「どんな技術だ……」
本そのものが、既に呆れるような効果の魔具だった。
いちいち驚いていては身が持たないぞと気合いを入れて開いた二ページ目には、再び手書きの文字でこう書いてあった。
『アーユイちゃんには、貴女にかけられる呪いを無効にする能力を付けておきました。
毒を無効にする能力も付けようと思ったら、もうある程度の耐性を持っているみたいだったので、下手に無効にすると感覚が変わってお仕事に差し支えるかもしれないと思って、そのままにしておきました。(必要な時はいつでも言ってね。)』
「持ってたのか、毒の耐性」
確かに人よりは効かない自覚はあったが。
というか仕事に差し支えるって、『見ているけれど今まで通りの仕事をしていて構わない』ということか。
アーユイは神と人の感覚のズレに、複雑な顔になった。
『他にもアーユイちゃんは、すごい力を既にたくさん持っていて、私は誇らしいです。特に、自分に向けられる悪意や殺意を感知する能力は、とっても大事だと思います。これからも忘れず磨いていてね。』
自覚はなかったが、これも何かの能力らしい。
既に命を狙われたことだし、表舞台に出れば出るほど、狙うのではなく狙われる機会も増えるだろう。
ありがたい助言として、素直に胸に留めておく。
「次のページからはもう、魔法の解説か」
目次が付いていた。丁寧な仕事に感心しながら、加護として与えられた魔法の説明を読んでいく。
ピュクシスは創世神なので万能ではあるのだが、主に司るのは聖属性と空間属性だという。
故にこの二つについては、かなり自由に使えるようにしておいた、と夢の中で軽く言っていた。
他の属性は部下となる神を作り、管理させているらしい。
こちらは『彼らが暇そうな時に紹介するわね』とのことだった。
「確かに、とんでもないな」
聖女がどうしてそんなに崇められるのか、今までピンと来ていなかったが、使える魔法とその効果を羅列されるとよくわかる。
「傷や病気の治癒、汚染された空間の浄化、呪いの解除、物理的・魔法的な結界の生成……」
聖属性の魔法でできることには、伝説に残る通り、またはそれ以上の効果が書いてあった。
さらりとした説明だけでも、ただの人間からしてみれば奇跡と呼んでもいいような内容だ。
信仰心を植え付けるには持ってこいとも言える。
そして空間属性の魔法はというと、自身の転移、人や物の転送、遠くへの声の伝達、亜空間の使用など。アーユイにはこちらのほうが驚きだった。
「転送や転移なんてものが簡単にできたら、諜報も暗殺もし放題じゃないか……」
対象の側に現れて一発ぶち込むなり証拠品を回収するなりした後、すぐにまた転移すればいいのだから。
アーユイは魔法に精通しているわけではないが、一般的な貴族令嬢並みの心得はある。
諜報活動の都合上、手紙や声の伝達ができる魔法も多少使える。
しかし、それらが空間属性などという種類に分けられることは教わらなかった。
無属性とか、そんな分類だった気がする。
「……他人には言わないほうがいいな」
うんうんと一人頷きながら、更に詳しい説明を読んでいるうちに、リーレイが戻ってきた気配がした。