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7-1:呪い

 アインビルド家の格上げに伴い、レンの表向きの職務は取り潰された伯爵が担っていた業務へと移行していた。


 紙が舞い、忙しなく常に数人が動き回る事務室から、静かに一人で仕事ができる執務室へ移動したまでは良かったのだが。


「うーん……」


 どうにも、この部屋にいると気が滅入るな、とレンは感じていた。


 新設される弓兵隊の隊長としてスカウトされたオルキスが


「僕はアインビルドの家臣なので、そういうことはアインビルド伯爵にお訊ねください」


 と言い放って面倒を増やしたせいだけではない。


 東向きの部屋は書類は多いが窓は大きく、きちんと換気もしているのに、なんだか常に薄暗く息苦しい気がするのだ。

 別に、レン自身の体調が悪いわけではない。第二上級騎士隊の訓練のために外に出ると、調子が元に戻るからだ。


 ということは、と顎を指で擦り、その理由に見当を付けて対策を講じることにした。


「父上、お呼びですか」


 時間が空いた時でいいから一度執務室に来い、と言ったら、娘は気晴らしだと言って早速のこのこやってきた。そして、


「……この部屋、なんだかかび臭くありませんか」


 またしても、開口一番失礼なことを言った。


「かび臭い?」


 レンもスンスンと鼻を動かすが、アーユイの言うような臭いは感じられなかった。


「窓は雨の日以外ほとんど開けているし、掃除も定期的に行っているのに……」


 そもそも部屋の前の主の件で、無駄にごちゃついていた書類は全て改められ、私財で持ち込まれた調度品などはほとんどが差し押さえとなった。

 家具は取り替えたばかりの新品で、かびの元になるようなものはないはずだ。


「うーん……。そうだ!」


 アーユイは父親と似た仕草で顎を指で擦り、突然その指をパチンと鳴らした。


 途端、室内に爽やかな風が吹き抜けたかと思うと、部屋のどこかからブシャアァァ、とおぞましい音がした。


「あれです、父上!」


 言うが早いか、アーユイはつかつかと毛足の長い絨毯に踏み込み、執務机の奥の棚から本を一冊抜いた。

 速やかにページをめくると、間から一枚の紙切れが舞い、護衛の騎士の足元に落ちた。


「呪い紙ですか」


 煤けた栞に記された模様を見て、リーレイがさらりと言った。

 呪いと聞いて慌てて長方形の栞から距離を置く騎士とは裏腹に、アーユイは興味深そうに拾い上げる。


「臭いの原因はこれのようです。ピュクシス様謹製の浄化が強すぎて、効果は完全に消えてしまったようですが」


 ふんふんと嗅いでみるが、もう部屋のどこからもかびっぽい臭いはしない。


「さっきの、浄化魔法だったのか」

「はい。ピュクシス様から『妙な雰囲気や不快な臭いのする場所にはとりあえず浄化』とお言葉を賜っております」

「……」


 神がそんな言い方をするのかとレンは突っ込みかけたが、娘が冗談を言っているようには見えなかった。

 それにレン自身、不快感が消え去ったことはすぐに実感した。


「呪いの類いだとは思っていたが、そんなところに挟まっていたとは」

「まだ、膿は残っているということですね」


 前伯爵派の報復か、レンやアインビルド家への個人的な恨みか。


「その本を置いていった者と、その後に本棚に触れた者は全員覚えている。すぐに当たろう」

「では私は、この栞を解析してもらいにちょっと聖堂まで」

「任せる」


 まるで台本でもあるかのように淡々と互いの仕事を振り分ける親子を、護衛の騎士は『自分は何も知らない』と言い聞かせながら眺めていた。


 ***


 城の大聖堂は、市民にも解放される日以外は静かなものだ。

 当代の聖女が現れたことにより聖女の儀を受ける者も来なくなり、更にひっそりとしている。


 では暇になったかというと、そういうわけでもない。


 元々は、王家直属の呪いに関する研究機関だったからだ。

 呪いの治療に浄化や治癒の魔法が効果があるとわかって、教会から人員を派遣してもらうために交換条件として聖堂を建てたという歴史がある。



 アーユイが大聖堂へ向かうと、人の良い司祭は祭典の会議に駆り出されているとのことだった。

 代わりに聖堂の管理を任されている助祭たちに簡単に事情を話して呪いの栞を見せたところ、ヒッと喉を引きつらせ、慌てて奥の部屋へ案内した。


 奥の部屋には、一応教会の白装束を着ているが何故だかそれが医者や研究者の白衣に見えてくる、もっさりとしたメガネの男がいた。


「呪い紙ですか! 早速拝見いたします!」


 アーユイの手にある紙切れを見ると、名乗りもせずに嬉しそうに手をわきわきさせた。


「ははあ、古典的な弱体の呪いですね。シンプルであるが故に、仕込みさえできれば効果は高い」


 まだ若いがピュクシス教会呪術研究室の室長を務めているという無精ひげは、ルーペを取り出し細部までまじまじと観察する。


「そうなのですか」


 アーユイたちは、それが呪いであると判断することと、現場証拠から術者を突き止めることはできるが、種類や効果には詳しくない。


 呪うくらいなら毒を喰らわすし、表向きのアインビルド家は今まで地味すぎて呪うに値しなかった。

 それに裏の顔を知ったところで、所属している人間の中でまともに本名がわかるのは当主のレンくらいだからだ。


「この呪いのかけられた部屋に数日も籠もっていれば、常人なら寝込んでしまうところなのですが……。もしかして、聖女様の加護はお父上にも適用されるのでしょうか」


 そわそわと興味深げにメガネを光らせる男。


「いえ、父は元々、呪いが効きにくい体質なのです。曾祖母……、父の祖母が南の水の巫女の家系で、その影響だと聞いたことがあります」


「なるほど!? 水の巫女と言えば、水神タラッタ様に愛された一族ですからね! 女系の一族と聞いていますが、男性にもその体質は受け継がれると!?」


 男が産まれにくい水の巫女の家系は、男性のデータが乏しいらしい。教会の研究者は興奮していた。


「そもそも呪い紙というのは、どうやって作られるのですか?」


 鼻息の荒い男に助祭たちや騎士は引いていたが、アーユイは一切気にしない。

 男のほうもスルーされたことを気にしない。


「作り方としては、魔術式と変わりませんね。特殊なインクと文字で効果や対象を書き、そこに魔力を込める。ただし、この魔力に術者の念が乗るところが、魔法との違いでしょうか」

「念?」

「恨みとか憎しみの念です。それが強ければ強いほど、呪いも強く解きにくくなります。たとえ本人に魔法の才能がほとんどなくても」


 故に、弱者が強者を呪うことが多いのだという。


「ただし、もちろんリスクもあります。術者は神に見放されると言われており、実際に治癒や浄化の魔法が効かなくなります。それと、解呪された場合は術者本人に呪いが返ってきます」


 解説書を読むように、淡々と言う研究者。


「通常の解呪は時間を掛けてじわじわと行い、術者にもじわじわと返っていくものですが……。聖女様によって一瞬で解かれたとなると、今頃、この呪い紙を仕掛けた人物は大変なことになっているんじゃないですかね」


 ***


 本棚に触れた参考人のうち、アーユイが聖女に選ばれた時に取り囲んだ元同僚子爵の一人にレンが会いに行くと、部屋は酷い有様だった。


 悶え苦しんだのか、逃げ惑ったのか。

 椅子は倒れ、机の上の書類や筆記用具は床に散乱し、水差しとコップは床に落ちて割れていた。


 そして部屋の主はというと、


「なるほど。これがアーユイが言っていた、かび臭さか」


 本棚から落ちた本に埋まり、首を掻き毟って息絶えていた。

 その首には、人ならざる何かに絞められたどす黒い痕跡。

 身体からは、腐臭とも違う妙に煤けた臭いが漂っていた。

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