1-1:聖女の儀
そして迎えた週末、アーユイは指定の白装束姿で、首都エンネストの中心、王宮の一部となっている大聖堂にいた。
予想通り、アーユイ以外にも三人ほどの少女が同じ格好で並んでいる。
その他、聖堂内には司祭よりも少し簡素な装束を着た数人の人影、そして出入り口には少数の兵士が同席していた。
司祭は名簿を見ながら、本日儀式を受ける者の名前を確認していった。
「アーユイ・アインビルドでございます」
自分の番が回ってきて、スカートの端をつまんでお辞儀する。
アーユイの背はエンネアの女性としてはかなり高いほうで、時には隣に並ぶ男性のほうが小さくなってしまうこともある。故に用意された衣装は、少々丈が短かった。
とは言え、諜報は変装してどこかに紛れ込むことも多い。
普段はがさつでもここぞという時の所作は叩き込まれているアーユイだ。洗練された完璧な仕草は、初めからそのスカートの丈が当たり前かのように見えるほどだった。
「本日は、お身体の具合は大丈夫ですか」
アーユイを見上げる小柄な司祭は、アーユイの家の表向きの事情――身体が弱くほとんど外に出ないということになっている――を知っているようだった。
「お気遣いありがとうございます」
何の疑いも含まない純粋な心配から来る問いに、善良な人間もいるものだと思わず笑みをこぼす。顔には薄いヴェールが掛かっており、司祭には顔はよく見えないだろう。
「具合が悪くなったら、いつでも言ってください」
「ええ」
人の良さそうな中年男性だが、こんな端くれ貴族の家庭事情まで把握しているというのが、王宮大聖堂を任される司祭たる所以か。
「早速ですが、今から貴女たちには、一人ずつこの祭壇で祈りを捧げていただきます。もしその時に何か異変があったら、すぐに知らせてください」
随分ざっくりとした説明だ。他の娘たちも、首を傾げていた。
「何か質問は?」
「異変、というのは、例えば?」
娘の一人が手を挙げた。それはそうだ。何かに取り憑かれたり体調を崩したりするのであれば、事前に知らせてほしい。
「聖女様が前回現れたのは百年以上前ですから、私も実際にどういったことが起きるのかは伝聞でしか存じませんが……。声が聞こえたり、普段は見えない何かが見えるとのことです」
「なるほど……」
いわゆるお告げと呼ばれるものだろうか。
「他にはありませんか? でしたら、お一人ずつ、前へ。私が声を掛けるまで、祈り続けてください」
差し示された祭壇に息を呑み、少女たちはヴェール越しに目配せして、まずは一人、アーユイとは反対の端に並んだ少女が前に出た。
結果は想定通りというか、アーユイの前の三人には何も起きず、それぞれ五分ほどで祈りを止めるよう声が掛かった。心なしか肩を落とす少女たちを横目に、いよいよアーユイの番が来る。
正式な祈りの姿勢を記憶から呼び起こしつつ、前へ出るアーユイ。
一歩。祈りというからには、神に呼びかけるようなことを考えたほうがいいのだろうか。
もう一歩。しかし、神に祈るようなことは特に思いつかない。
アーユイは産まれてこの方健康優良児だ。端から見れば壮絶に思える家庭事情にも、現在の仕事にも金銭面にも、特に不満はなかった。
祭壇前の四角い台座へ片足を乗せる。となると、思い出したのは同じ姿勢を取り続ける修行だった。
ただ微動だにせず、一時間でも半日でも、標的が罠や魔法の範囲内に入るまで待ち続けるというものだ。
両足を乗せる。片膝を突き、両手を組んで、少しだけ俯く。
普段から鍛えているおかげで、見かけだけは誰よりも丁寧にきちんとした姿勢が取れる。
そう、見かけだけは。
あとはただ、司祭が諦めるまで無心で待つだけ――。
と、その時だった。
『やっっっっっっっと来てくれたのねーーーー!!!!』
教会全体に響き渡ったのは、やたら浮かれた声だった。
「うわっ、えっ、何!?」
声と共に、目を閉じていてもわかる眩い光が降ってきて、アーユイは思わず祈りのポーズを解いてしまった。
スレていない世間知らずのご令嬢を取り繕うことも忘れ、緊急事態に備える姿勢を取る。
「てか、まぶしっ」
『あっ、ごめんなさい、私ったら』
頭上から降り注ぐ光に手で庇を作るアーユイの様子に、声の主は恥ずかしそうにうふふと笑った。
「何これ、どういう」
光が和らぎ目を開けていられるようになったところで、辺りを見回す。
誰かに説明を求めたいところだったが、司祭も三人の少女たちも、祭壇の上部に設置されたピュクシス神の像が光り輝いているのを見て、あんぐりと口を開けていた。
『あなたを待っていたのよ、アーユイちゃん』
「はい?」
『忘れもしないわ、あれは貴女が五歳の時よ。聖堂に初めてお祈りしにきてくれたでしょう。その時にね、「この子にしよ!」って決めちゃったの』
声のトーンに合わせて、神像がしゃらしゃらと明滅する。
「ご、五歳? ああー、もしかして、母上の実家の側にある、小さな教会に行った時のことですか?」
アーユイが今回以外で唯一、ピュクシス神の教会を訪れた時のことだ。
『そう! やだ、覚えててくれたのね。嬉しい』
男とも女ともつかない形容しがたい声だが、とにかくやたらご機嫌だということはわかる。
「あの……、アーユイ様。何か聞こえているのですか」
姿の見えない声と会話するアーユイに、司祭が恐る恐る声を掛けた。
「え? 司祭様には聞こえていないのですか」
こんなに聖堂中に響き渡っているのにと、アーユイは困惑する。
「はい、ピュクシス様の像が光り輝いているのは見えるのですが」
『今はアーユイちゃんにしか話しかけていないから、他の子には聞こえないわよ』
謎の声は気軽に答えた。
「そうなんですか……。え、もしかして本当にピュクシス様?」
『そうでーす! 私が創世神ピュクシス! 今はちょっと訳あって姿を現せないけれど、お忙しいところせっかく来てくれたアーユイちゃんには、再会記念に加護を与えちゃいまーす!』
あまりにも軽い口調が、声の信用を下げていく。
「加護? 加護ってなに? いや、何ですか?」
『詳しい説明はまた今度してあげる! 今日は挨拶に来ただけだから! それじゃアーユイちゃん、またね!』
「えっ、えっと、はい?」
やたら元気で明るい声は一方的に喋り倒した後、唐突に静かになった。同時に、輝いていた像が光を失う。
残された一同は、その場にぽかんと立ち尽くし――。
「はっ、伝令! 伝令ーーー!!!」
我に返った小柄な司祭が、どこからそんな大声が出るのかという声で入り口の兵士に指示を飛ばし、少ない兵士と助官たちは慌てて大聖堂を出ていった。
そして、市井で買い食いでもしようかと考えていたアーユイの午後の予定は、全て消え失せたのだった。