妾はなんで牢獄に(3)
イーレヘルト=ケインヴァールは、徳の高い人物であった。
噂では、魔族にすら情けをかけていたらしい。
「そういえば、番人の子よ。昨日のあれは妾に聞けば解決する悩みなんじゃなかろうもん?」
「昨日の、あれ?」
物凄いスピードで1シリーズを2時間足らずで読破した少女は、そうそう〜と思いつきで口を開く。
だが番人には少女が指してる悩みがどれなのか分からなくて、冷蔵庫がすっからかんでお麩しか具材がなかった時の味噌汁みたいな疑問符を浮かべる。
「なんじゃ、もう忘れたのか?気楽な奴じゃの。ほら、なんで妾が単体で攻めてきたか〜とか、魔界の現状とか。」
気になっていたであろう?と。
ごくごく自然に聞いてくるものだから、ああ、たしかにそういう事を考えてたなと、瞬時には思い出すだけがやっとで。
「あなたに聞けば分かるかもしれないですけど、答えてもらえると思ってなかったので。」
「こんな素晴らしい貢物をしておいて何を言うか。謙虚も度を過ぎればなんとやらだぞ。」
「すいません。以後気をつけます。」
今はそうでも、それを考えてた時は別に〜と、謝罪を述べながらもそこまで思考が回った番人は、ついに。この会話にこびりついていた不可解にまで手が届く。
あ、あれ?
昨日の僕は、口に出して考え事をしていたのか?
いや、そんなはずはない。
たしかに僕には昔から、頭の中を声に出して整理する癖があった。だけどその癖はだいぶ前に改善したはずだ。それに口に出していたのなら、その場で彼女から言及があったはず。ここにいるのは漫画を知った彼女で、昨日の彼女とは考え方が違うとしても、なにかしらの言及は。
そうやってまた頭を悩ませる番人を前に、魔族の少女はほくそ笑む。
まるで、イタズラが成功した時の童みたいに。
そして両手を腰に当て、得意げに。
「無防備な頭の中を覗くなんてお手のものだわ。あまり舐めるでないぞ人間。」
そう言って、渾身のドヤ顔を披露した。
「そうだったんですか。良かった。」
もしも悪癖が復活していたなら、不安はこの件だけには留まらない。いつから復活していたのか分からない以上、これまでもその癖で失態を犯していた可能性があるからだ。
その線が無いということが分かった以上、これで悩む必要はなくなった。無論彼女の異能には驚くところだけど、ひとまずは良かった。うん。……うん?良かった?
「いやいやいや、良くないわ!?」
僕の悪癖が戻ってくることより100倍良くないだろう、この事実は!!
安堵で天に登るような気分だった番人は、正しく事実を把握した途端、顔からなにから全ての臓器において血の気が引く感覚を覚える。
「そりゃそうよな。密談も隠し事も、妾には問題にならぬのだ!分かったらここから出して崇めよ人間!」
本当に内心を読んでるのだろう、少女は番人の危機感の正体を代弁して高らかに笑う。
まあ崇めよと指差された当人は、それどころではないみたいだけれど。
魔族の能力にそんなものがあると聞いたことはない。
僕で聞いたことがないんだから、きっと人界の誰も、まだ知らない。
だからまだ、最悪ではない。だけど、一歩手前だ。
僕は懐疑的だった彼女の収監についての認識を正す。
この少女はたしかに、ここに入れておかないといけないレベルの危険分子だ。そしてそれをも飛び越えて、やはり早く魔界に帰すべき存在ですらある。
「これが上に知れたら、大変なことになる。」
今さら気付きおったか、妾の凄まじい魅力に!と薄い胸を張る少女を他所に、僕は血の足りなくなった頭を無理やり働かせる。
基本的に上に立つのは、常に利権と名声を第一に考える人たちだ。
そんな人たちがこんな絶対的な能力の存在を知ってしまえば、命を懸けてでも捕りにくるに決まってる。
そうなれば、その果てにあるのは戦争だ。最悪の場合、国がいくつか滅びる。
「……え、そんなにやばいのか、妾は。」
「やばいなんてもんじゃない。情報社会になりつつある今の人界じゃ、君の能力は神の力と表現しても差し支えがないくらいに圧倒的なものだ。必ず奪い合いが起こる。」
まあ元々この人界を征服するために来たらしい彼女にとっては、そういった展開の方が望ましいのかもしれないけど。
「だけど、僕はそれを望まない。そういった結末だけは、防がなきゃいけない。」
そうやって繋がってきたこの血にかけて。
イーレヘルトの家名にかけて。
「……な、なんと?」
まずは彼女を魔界に帰すのか、ここに閉じ込めたままにするのか、だ。
魔界に帰す方が絶対的に安全だけど、その分難易度が高い。こう見えてこの牢獄はセキュリティがしっかりしてて、とてもではないけど僕の力では突破できない。
「お、お前……」
なら、閉じ込めたままにするか?
それも良くはない。
ここに入れたということは、なにかしらの意図が上にあったということ。その意図はおそらく人質とかそういうのだろうけど、それは今の話。
長いことここに居れば、いずれ彼女の異能はバレることになる。そうなった時が終末の始まりだと、僕はそう思って動かないといけない。
「ってことはやっぱり、どうにかここからーーぶっ!?」
思考を引き裂くには1に色仕掛け2に色仕掛け、3、4も同じで5に物理じゃ!と誰かが言った。できることなら4までの選択肢でお願いしたいと思うのは全人類共通の認識だろうけど、そうは問屋がおろさない。
僕の額をめいいっぱいの力で引っ叩いたのは、さっきまで彼女の側にあった、僕が貸し出していた漫画の3巻だった。確か最強のヒーローが生徒を助けに来る、序盤でも随一の神回が収録されている巻。僕も初めて読んだ時は三日三晩寝られなくなるくらい興奮したものだ。懐かしや、懐かしや……じゃなくて。
「なにするんだよ本が痛むだろ!!」
いや、世界の命運すら懸かっているかもしれないこの場だ、本当に怒るべきなのはそっちでもないんだけど。
とはいえ本を投げるのは良くないと、行儀について説こうと少女に向き直る番人の目は、わなわなと震える少女の姿を捉えた。
「……どう、した?」
その姿があまりにも普通じゃなかったもので、僕は生唾を飲み込んで構える。
もし怒鳴ったことでこうなっているのなら、今度こそ戦闘になりかけないと、そう見込んで。
しかし、そんな懸念はとんだ杞憂であった。
……いや、実際のところ杞憂であったかどうかというのはこの先次第であるが、ひとまず次に出てくるのは手や足ではなかった、というわけだ。
「お、おま、お前、イーレヘルト=ケインヴァールの子……なのか?」
イーレヘルト=ケインヴァール。通称、真の英雄。
その勇姿は世界のどこに生まれたって知らぬことはなく、言語が統一されるよりも前から全世界の共通認識となっていた男。そして、
「僕は息子ではなく玄孫だけどな。」
つまり、僕の高祖父にあたる人だ。
「?げ、げん、なに?」
「げんそん。イーレヘルト=ケインヴァールは僕にとって、ひいひいおじいちゃんっていうことなる。」
「そ、そうか。その血筋であったか。うむ……うむ。」
番人の説明を聞いた少女は、言葉を噛み砕きながら、徐々に牢の角へと移動していく。そして最終的にはこれ以上ないほどに隅にめり込んだ状態で、体育座りをして縮こまってしまった。
……まあ、無理もないだろう。
ケインヴァールは、人界にとっての真の英雄。ということは裏を返せば、魔界にとっては最恐の悪魔なのだ。こんなに幼く見える少女の耳にでも、その話は入るのだろう。入ってしまうのだろう。
まったく、罪な男だ。
「そんなに怖がらなくても、僕はケインヴァールほど強くないぞ。というか英雄と呼ばれてたのもじいちゃんまでで、僕も母さんも、父さんだって普通の一般人なんだぞ。」
もしもここで距離を置かれてしまっては、この先どんな選択をするにしたって障壁になりかねない。
彼女の放つ空気感からそれを察した番人は、なるべく優しい言葉で少女に呼びかける。
怖いのはケインヴァールだけで、なんなら自分の父ですら怖くはないよ、と。
だけど。
「そ、そんな甘言、聞き入れると思うてか!!妾を騙そうとしたって無駄じゃ。」
寄るなと、大振りの手で拒絶されてしまった。
「騙すなんてできないんしゃないのか?君は頭を覗き見できるんだろ?」
「っ、どうせ通じないんじゃろ!!今まで見てたのも…そう、都合のいい幻じゃ!」
彼女は直接殺されかけた過去でもあるのか、どうやら相当に根強い恐怖があるらしい。あんなに堂々と誇っていた異能ですら簡単に破られると信じて疑わない。
この調子じゃあ、何を言ったとしてもちゃんと耳に届くことはないかもしれない。
そんな態度の彼女に、番人は終末を感じる。
これはもう、縮められる距離にない、と。
だけどその終末はあくまで上に異能がバレた後の話で、直近の話ではない。だから僕は、距離を近づける以外の方法で彼女をどうにかしようと、考え方をシフトさせかけて。
直後、降り注いだ終末の閃光に、危うくも保たれていた平穏が破壊されていく音がした。
*この作品は、多方面への配慮を大瀑布の彼方に置き去りにしてきました。それを念頭にお楽しみください。