第6話 長いポニーテールを揺らし
羽原由羽愛は、今日もダンジョンに潜っていた。
身に着けているのは貴重なマジックアイテムの数々。
由羽愛の身体に比して大きすぎると思われるその剣はセラフィムソードと呼ばれる、聖なる力を秘めた一級品だ。
わずか十歳の少女が身に着けられるようなものではないが、三歳のころから国民的探索者の卵として注目を集めていた彼女は特別な存在だったのだ。
今日も、トレードマークである長いポニーテールを揺らしながら、厳しい両親に実地で探索者としての指導を受けていた。
「ほら、剣の振りが遅いぞ! そんなんじゃモンスターにやられちゃうんだぞ!」
「魔法の詠唱が遅い! あなたはすごいスキルを持っているのよ? そのスキルを十分に発揮するには毎日の訓練が必要なの! ほら、あそこのスライムに魔法を撃ちなさい!」
両親の声はほとんど怒鳴り声で、由羽愛はその声の言う通りに剣をふるい、魔法を放つ。
十歳の女の子が武器を手にしてモンスターを相手にしているのだ。
それも、練習用とかではない、本当のモンスター。
スキルを手にしていない一般人であれば、あっというまに食い殺されてしまうほどの、ライオンや虎などの猛獣よりもおそろしい存在を、十歳の女の子が相手にしているのだ。
――頭をからっぽにして、剣を振るんだ! 言われた通りにするんだ!
両親の指示に従いながら、身体を動かす由羽愛。
だって、生まれた瞬間から今までそれが普通で、それ以外の生き方があるなんて知りもしなかったし。
由羽愛の視点になってみれば、この世界はただ彼女を苦しめるためだけに存在していて、そして人生はそういう風にできているはずだった。
彼女は両親の自己実現の道具だった。
由羽愛の人生は、彼女自身のものではなく、両親の人生に彩りを与える、おまけでしかなかった。
それどころか、両親の二度目の人生の、依り代にすぎないのかもしれなかった。
両親がもう一度自分の人生を楽しむための生きたお人形、ゲームのプレイアブルキャラクター。
島に生まれた人間が海に囲まれているのを当然だと思うように、内陸の山の中に生まれた人間が四方を山に囲まれているのを当然だと思うように、都心に生まれた人間が四方をビルに囲まれているのを当然だと思うように。
由羽愛は四方を自分を食い物にする大人に囲まれているのを当然だと思っていたのだった。
それでも、ときおり、自分でもわからない感情が胸の奥からわきあがってきて――。
「う、ううーー! ひっく、ひっくえーーーん!!」
泣き出してしまうこともあるのだった。
泣いちゃだめだ、と由羽愛は思う。彼女は知っているのだ、テレビのカメラの前で泣いてしまうと、屈辱の姿が全国放送されてしまうことを。
番組のナレーターが優し気な声をだしてこんなセリフをかぶせてくるのだった。
【おやおや、由羽愛ちゃん、泣き出してしまいました。でもお父さんお母さんは由羽愛ちゃんのことを思って叱咤激励しているんだよ。泣かないで、頑張って】
そして、右上の四角く囲まれたワイプの中でなにもわかってないタレントたちが、
「うわー、かわいいーっ!」
「がんばれーっ!」
などと能天気な言葉をかけてくる。
泣かれる姿を全国放送されるだけでも屈辱なのに、こんな見下されて馬鹿にされた言葉をかけられてしまうのだ。
この世は地獄で、生きることも地獄で、恥をかかされ続け尊厳を傷つけられ続けて、それでも人間は生きなくてはならないということを、言語化まではできないにしても、由羽愛はわずか十歳で知ってしまっていたのだった。
そして、今日もテレビ局の取材が来ている中で、由羽愛はいつもより強い敵――デビルベアーと対峙していた。
ヒグマよりさらに一回り大きな、熊のモンスター。
天才探索者の卵といえども、十歳の由羽愛にとってはかなりの強敵であった。
ちらっと後ろを振り返る。
ライティングがまぶしい。
それを逆光にして、父と母が身振り手振りで剣をこうして振れだの、こう魔法を使えだの叫んでいる。
カメラがこちらを向いているのがわかる。
私はこのモンスターを倒す。
そうしなければ私には存在価値がなくなるんだ、私はそのために生まれてきたんだから。
お父さんとお母さんを喜ばせるために、そのためだけに生まれてきて、そのために私は命がけでモンスターと闘う。
それが当然で当たり前でこの世界とか人生とかはそういう風にできていて、ほかの生き方もあるだなんて全く知らなくて。
由羽愛はデビルベアーに剣をふりかぶり――。
「あ、やばい!」
カメラマンの隣にいたディレクターの声と同時に、由羽愛の身体はデビルベアーの爪で吹き飛ばされた。
「由羽愛! 防御魔法を使え!」
父親の声が聞こえる。
お父さんの言う通りにしなきゃ……。
由羽愛は防御魔法の詠唱をはじめる。
だけど、それよりデビルベアーの動きの方が早かった。
由羽愛の小さな体はデビルベアーに噛みつかれる。
デビルベアーは由羽愛の身体を咥えたまま、まるでおもちゃで遊ぶかのようにぶんぶんと頭をふった。
由羽愛はなすすべもなく、その幼い身体をダンジョンの壁に打ち付けられる。
後頭部にガツン、という衝撃を受けた直後、変な匂いを鼻の奥で感じ、由羽愛そのまま意識を失った。
人形のようにぐったりとした十歳の少女の身体を、デビルベアーはがっちりとくわえたまま、ダンジョンの奥へと駆けだした。
「やばい、巣に持ち帰るつもりだぞ!」
「追え! 倒せ! 防護班! なにしてる!」
数人の探索者が由羽愛を咥えて走り出したデビルベアーを追いかけ始める。
防護班たちも一流の探索者をそろえている、すぐに追いつくはずだった。
だが。
いつもの防護しているS級探索者は身内の不幸があって休暇をとっていた。
そこにいたのは、A級になりたてのシーフ職と、B級の剣士職、そしてS級の格闘家ではあるが現役を退いて十年もたっているでっぷりと太ってしまった中年の女性。
素早いデビルベアーには誰ひとり追いつけなかった。
カメラは、ダンジョンの奥へと十歳の少女を咥えたまま走っていくデビルベアーの後ろ姿を映し出すことしかできなかった。