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05.二度目の結婚、旦那様に言いたかったことが言えました

 

 ロロに付き合わされて疲弊しきったエレノアは、夕食のため食堂に来ていた。食事まで付いてきたらどうしようかと懸念していたが、気まぐれな彼はどこかに去ってしまった。前回のときも、遊びに来るのは月に数回程度であった。しかし、あくまで"構ってやっている"という態度で、傲慢な妖魔だった。


「疲れは取れたか?」


 大人数用の長いテーブルで、主人の一番近い席に座る。たった二人きりの食事なのに、テーブルにはみずみずしい花が生けられた花瓶がずらりと並び、完璧にコーディネートされている。


 セインの問いに答える。


「はい。……お陰様で」

「先程よりやつれているように見えるが」

「そのようなことは断じて!」

「……」


 セインは怪しむようなまなざしでこちらを見た。それもそのはず。エレノアは、公爵邸に到着したときよりもぼろぼろだからだ。エレノアは曖昧に微笑んで話題を逸らした。


「色々と采配してくださったようで……。お部屋、とても気に入りました」

「それは良かった」

「はい。大切に使わせていただきます」


 まもなく、食事が運ばれてきた。

 白パンに、肉料理が中心のフルコース。普通の人にとっては、贅沢なメニューだったが、エレノアにとっては苦痛が伴うメニューだ。目の前に出された牛肉の赤ワイン煮込みを、フォークでそっと口で運び、顔をしかめた。


(ごめんなさい牛さん、本当にごめんなさい……っ。謝るのでそんなに――そんなに叫ばないでくださいっ)


 エレノアの頭の中で、牛の強烈な叫び声が聞こえた。噛む度、悲痛なうめき声が響く。食用に広く重宝されている牛だが、エレノアには死肉から声が聞こえるのだ。


「うぷっ……」

(……お義姉様のバイオリンの演奏と同じくらい食欲を削がれる音です)


 一般的に、牛、豚、鶏、魚の順番で高度な意識レベルになるというが、叫び声の明瞭さもその順で強くなる。貴族の食事は魚や肉といった動物性たんぱく質が中心。エレノアにとっては耐えがたい時間だ。


「どうした、顔色が悪いぞ。何か不都合があるなら教えてくれ」

「い、いえ、なんでも――」


(ここで言葉を呑み込んだら、前回のときと同じです。臆病な自分を変えたいのでしょう?)


 自分にそう言い聞かせ、『なんでもない』という偽りの言葉を呑み込んだ。無愛想なセインだが、曲がりなりにも向き合おうとしてくれているのは確かだ。


 死の間際、後悔したことを思い出し、心を奮い立たせる。


「実は、お肉が苦手なんです。牛、豚、鶏、魚の順で……。貴重な食糧なのに、このようなわがままを申し上げてすみません。出していただいたものは食べますので、どうかお気になさらず」


 俯きがちに彼からの反応を待つ。実家にいたころは、好き嫌いをするのは恥知らずのすることだと罵られた。尤もなことだ。生き物から尊い命をいただいているのに、感謝せずに嫌だというのは、わがままだろう。しかし、セインから返ってきたのは、意外な言葉だった。


「そうだったか。話してくれてありがとう。では今後、君の食事は野菜中心で用意させよう。だが、多少は食べなさい。君はもっと肉をつけた方が……い、いや。すまない」


 太った方がいいという助言は、デリカシーに欠けると思ったのだろうか。彼は軽く咳払いして続けた。


「魚なら、ある程度は食べられるか?」

「はい。魚はあまり叫ばないので」

「――叫ぶのか。魚は」

「わっ、い、いえ! 間違えました。とにかく、魚と鶏ならなんとか食べられます」

「承知した」


 エレノアが汗を流しながら目を伏せていると、セインは優しく言った。


「これからも気になることは遠慮せず言ってくれ。些細なことで結構だ。如何せん、俺は鈍い。君が言わなければ、察してやるということもできない」


 一度目のときは、ただ『話せ』、『質問に答えろ』と険しい目つきで高圧的に言うばかりだった彼。しかし今の彼は、節々に気を遣っていることが滲んでいる。


「はい、旦那様」

「君から他に、要望はあるか?」


 立て続けの優しい言葉に戸惑う。こんなに良くしてもらっているのに、これ以上何かを求めるのはおこがましいのでは。しかし、エレノアは前回の人生の死の間際で、後悔していたことをもう一つ思い出した。勇気を出して、唇を開く。


「……おこがましいお願いですが、こうして旦那様とお話がしたいです。夕食のときだけで構いません。私……旦那様のことが、もっと知りたいです」

「……!」


 セインは、美しい瞳を瞠き、それを柔らかに細める。


「もちろんだとも」


 その返事に、心から安堵する。


(良かった。拒まれませんでした。とてもとても嬉しいです)


 あまりの歓喜にテーブルの下でガッツポーズをしつつ、セインに問う。


「では、旦那様からも要望というか、妻として守るべき決まり事などがあればお教えください」


 一度目の結婚では、"互いの生活に干渉しないこと"、"公爵夫人として最低限の務めを果たすこと"など、あくまで形だけの夫婦関係を望む旨が告げられ、エレノアも拒まず受け入れた。この結婚に愛はないと念押しもされたが、それ以外は寛容で、自由にさせてもらっていた。


「君に特別何かをしてほしいとは言わない。ただ一つ、強いて言うなら、この屋敷の裏の森には決して近づかないこと。あそこは奥が崖になっていて危険だ。ゆめゆめ忘れないように」

「!」


(裏の森は……私がかつて転落した場所です)


 彼の言葉を引き金に、崖から落ちたときの浮遊感が蘇り、背筋がぞくりとした。地面に叩きつけられたであろう瞬間の記憶がないのは幸いだか、発見されたときはひどい有様だったことだろう。


 もし、前回も同じように森の危険性を説かれていたら、死なずにすんだのだろうか。いつかセインとの関係を修復できたのだろうか……。


 今更、"もしかしたら"の話を考えたところで意味はない。エレノアは小さく頷き、「分かりました」と答えた。

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