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32.二度目の結婚は、お手柔らかに(最終話)

 

(遂に、花壇のお花が咲いてしまいました……)


 エレノアは早朝、花壇のパンジーが無数に咲いているのを見てそわそわしていた。数日前から咲き始め、今は一面紫色に染まっている。エレノアは、花が咲いたらセインに告白をすると決めていた。


 早速、摘んだ花で花束を作った。白と紫のパンジーに、小ぶりな白の花を添えて、持ち手にリボンを飾った。ついでに、ラッピングをした刺繍入りのハンカチを引き出しから出した。


 作業を終えたエレノアは、昼食のときを待った。今日もセインと約束をしているのだ。一分一秒が、人生最大級に長く感じられた。


(お昼になったら告白、お昼になったら告白……。う……リゼさんに教えていただいたツボ、あまり効果がありません……)


 緊張に効くという手のツボを押しすぎて、充血して真っ赤になっている。爪で傷つけてしまいヒリヒリと痛むが、それすらも気にならなかった。昼下がりに、午前の政務を終えたセインがテラスを訪れた。


 彼は、向かいの椅子に座る。エレノアは、テーブルの後ろに突っ立ったまま、やたらそわそわしていた。なぜなら、背中に花束を隠し持っているから。


「そんなところに突っ立ってないで、君も座れ。それと……今日は君に、渡す物がある」

「旦那様もですか? 実は私も……旦那様に渡す物と、お伝えしたいことが……」

「そうか、なら君から先に」

「は、い……。これを、旦那様に」


 エレノアはセインの目の前まで歩き、震える手で花束とハンカチの入った包装を差し出した。セインはごく自然にそれを受け取って微笑んだ。


「ようやく咲いたんだな。綺麗に咲いてるじゃないか」

「……はい。まだ、パンジーだけですが」

「こっちは、前に話した刺繍か。凄いな、精緻な絵画のようだ」


 セインは包みを広げ、パンジーが描かれたハンカチを賞賛した。エレノアが今着ているブラウスの襟にもハンカチと同じ柄が刺繍されているのを見て、「パンジーづくしだな」と小さく笑った。


「――好きですっ!」

「え……」


 エレノアは、上擦った声で伝えた。セインは一瞬時が止まったように静止した後、美しい切れ長の瞳を見開いた。彼が椅子から立ち上がった拍子に、椅子がガタンと音を立てて後ろに倒れる。その音にびっくりしたエレノアは、一歩後退した。


 緊張が限界を突破して、目に涙が浮かぶ。それでも、溢れんばかりの思いをどうにか口にしようと心を奮い立たせた。


「旦那様のことを、お慕いしています。好きです……大好き、です。――ずっと前からっ」


 前回の人生と、今回の人生。


 セイン・エーヴァルトは、別人のように様子が違った。


 仕事に熱心で、それ以外のことに目を向ける余裕もなく冷淡だった前回の彼。

 政略結婚の妻エレノアに向き合おうと務め、愛情を注いでくれている今のセイン。けれど、変わっていないところがある。


(私は、普通より感覚が鋭いので、人がまとう気配に敏いのです。旦那様は、昔も今も、あったかい気配がします。それは――心根がお優しい証。私はきっと、一度目の結婚のときから、不器用で優しいあなたに……惹かれておりました)


「好きです、旦那様。愛しています」


 声を振り絞ったとき、セインの大きな体に抱き締められていた。エレノアは服越しに頬を擦り寄せる。白いシャツからは、ほのかに麝香の香りがした。そっと顔を上げると、節のある手が髪を撫でてくれる。


「――俺もだ。君を愛している」


 降り注がれる甘い声音に、瞳から熱いものが零れた。


「君に、これを受け取ってほしい」


 セインはポケットから、小さな箱を取り出した。箱をパカッと開くと、中に見覚えのある指輪が収まっている。前回の人生で贈られたものと同じ――結婚指輪だ。台座に不思議な輝きを放つ石が嵌め込まれている。そういえば、前回の人生で指輪を贈られ、命を落としたのもちょうどこの時期だった。


「これは、結婚指輪……でしょうか」

「いや、これは違う。ただ、愛情を何かの形に示したかったんだ。この指輪は、魔除効果のある守護石(アミュレット)が使われている。効果があるかは分からないが」

「あります、きっとあります……」

「だといいな。結婚指輪は、君にも選んでもらうつもりだ。その……女性はデザインなどに、こだわりたいものなのだろう?」

「まぁ……どこでそんなことを?」

「……エリザベート夫人に聞いた」


 彼の配慮に、思わず頬が緩む。贈り物をするために、わざわざエリザベートに相談してくれていたのだろうか。エレノアは遠慮がちに、左手を差し出した。


「あの……指輪を、着けていただいてもいいですか」

「もちろん」


 セインは指輪を取り出し、箱をテーブルに置いた。片手を添えながら、慣れない手つきで指輪を嵌めてくれる。エレノアの細い薬指に、守護石が煌めいた。


(……ようやく、この指輪を着けることが叶いました)


 前回の人生では、握ったまま崖から転落するといううっかりをしてしまった。過去の情けない記憶を回想しつつ、指輪をそっと撫でていると、彼が言った。


「ずっと……君に聞いてみたいことがあった。それを今、尋ねてもいいだろうか」

「ええ。なんなりとお尋ねください」

「君の望みは、なんだ?」

「私の……望み……」


 それはきっと、今日の夕食の献立はあれがいいとか、どこに行きたいとか、そういう瑣末な話ではない。今まで、周りに翻弄されてばかりで自分と向き合ってこなかったエレノアが、これからの未来に掲げる望みだろう。


「旦那様が、領民の方々を救おうとなさっているような、高尚な望みはありません。ただ、こんな平穏な日が、明日も訪れること……それが私の望みです」


 セインはそれを聞いて、「そうか」と嬉しそうに頷いた。そして、その場に跪いてエレノアの左手を取り、甲に唇を落とす。


「……!?」


 突然の口付けに目を白黒させるエレノア。一方、余裕たっぷりの表情でこちらを見上げた彼が言った。


「ならは、君の平穏な日々を守るために、必ず務める。夫として、()()()()きっと」


 エレノアは彼の誓いも耳に入らないほど当惑して、らしからぬ機敏な動きで手を引っこ抜いた。顔は沸騰するように熱く、心臓はどくんどくんと早鐘を打つ。そんなエレノアに、セインが申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「すまない。俺が触れるのは嫌だったか?」

「い、いえ、嫌ではなく……その……」

「嫌ではないなら、なぜ困った顔をした? 教えてくれ。君が嫌がることはしたくないんだ」


 ただ照れているだけなのは、誰が見ても一目瞭然だが、セインは一筋縄ではいかない男だ。返事を待って真剣な表情でこちらを見つめる彼に、素直すぎるエレノアは、胸の内をそのまま口にした。




「むしろ、こういう触れ合いは、頻繁にしてほしいです……」

「…………」


 セインは妻の可愛すぎる要求に言葉を失い、エレノアは羞恥心が限界を突破して卒倒した。エレノアは薄れゆく意識の片隅で懇願した――。


(二度目の結婚は、どうかどうか、お手柔らかに……)

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