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30.(妖)魔が差した義姉マーガレット

 

「す、す……すす……っ」


(きゃあっ! 言えません言えません好きだなんてとても……)


 エレノアは花壇の前にしゃがみ、顔を真っ赤にして声にならない悲鳴を上げた。ちなみに今のは、セインへの告白の練習だ。


 植えた花は蕾になり、特にパンジーはもうすぐ咲きそうだった。この花が咲くころ、花束と一緒にセインに想いを告げる。――そんな乙女な計画を立てているエレノアである。


 火照った熱を冷ますように、ぱたぱたと手で仰いだ。


 ハンカチの刺繍の方はすでに完成している。細部までこだわったパンジーの刺繍に、リゼは感心して「店に出せます」などと褒めてくれた。後は、本物の花を添えたら演出は完璧だ。セインはそういうシチュエーションに全く頓着するタイプではないが、エレノアは結構ロマンチストだ。


(――そういえば)


 エレノアは園芸用のエプロンのポケットから、おもむろに一通の手紙を取り出した。今朝方届いたその手紙は、義姉マーガレットから送られたものだ。


 今までに一度だって彼女から手紙が来たことはなかった。嫁ぐ日に見送りさえしないのだから、エレノアに対する関心は微塵もない人だ。


(一体、私になんのご用でしょうか。前回の人生のときも、お義姉様から手紙をいただいたことはなかったはずですが)


 花壇の縁に腰を下ろし、手でそっと封を破る。内容は、公爵邸での暮らしに不便はないかだとか、体調はどうかだとか、エレノアのことを案じるものだった。


(……怪しいです)


 何か裏があるのだろうと、鈍いエレノアにも分かる。不審に思いながら最後まで読み進めると――王后主催の園遊会には出席するのか、という問いで文章が締め括られていた。


 なぜそんなことを知りたいのか分からなかったが、律儀すぎるエレノアは、「出席します」と正直に返事を書いて送ったのだった。



 ◇◇◇



 王后主催の園遊会当日。

 会場の王宮庭園は、見事な装飾が施された。立食用のテーブルに、ご馳走と酒が所狭しと並べられている。夜には舞踏会も開かれるそうで、一日がかりの盛大な祝いになる。


(お馬鹿さんなエレノア。本当にのこのこやって来たわ)


 マーガレットは、視線の端にエレノアの姿を捉え、ほくそ笑んだ。疎ましい義妹に手紙を出してまで出席を確認したのには理由がある。


(私に恥をかかせた報いを受けてもらうわよ)


 マーガレットは、夜会での一件を根に持っていた。今日はその仕返しをするつもりだ。視線の先で、エレノアはセインと仲睦まじげに笑い合っている。夜会で見かけたときより、仲を深めている様子に、嫉妬心が煽られる。


 白いクロスがかかった横長のテーブルから、赤ワインが注がれたグラスを手に取った。後は、これをエレノアに王后の元まで運ばせ、後ろから突き飛ばして王后にぶちまけさせるだけだ。意地の悪いセルジアなら、きっとエレノアに厳しい罰を与えるだろう。想像しただけでわくわくしてくる。


 セルジアの位置を目で確認した後、エレノアを呼び出しに向かう。すると――


「そこのあなた。お待ちなさい」

「……はい?」


 セルジアの目の前を横切ったところで、彼女に呼び止められる。マーガレットが怪訝そうに振り返ると、彼女もまた威圧的にこちらを見てきた。


「あたくしの前を堂々と横切るだなんて、いい度胸がおありね? 挨拶もなし、会釈もなしとは、礼儀のないお嬢さんだこと。それに……」


 セルジアは閉じていた扇子を広げ、口元を覆って見下すような眼差しをこちらに向けた。


「そんなに香水の匂いをまとわせて……。化粧も仮面を貼り付けているみたいに濃いわ。品がない方ね。男の気を引きたいなら、まずはそのがに股をお直しになったら?」

「……!?」


(なんですって……!?)


 辛辣な言葉に、腸が煮えくり返りそうだった。セルジアの取り巻きの夫人たちも、くすくすと嘲笑しマーガレットを見下している。


 相手は国随一の権力者。ぐっと怒りを堪えようとしたが、なぜか制御できない。


「訂正しなさいよ」

「――は? あなた、今なんと……」

「訂正しろっつってんのよ、おばさん!」

「!」


 こんなことを言ってはいけない相手だと理屈では分かっているのに、衝動が抑えられない。沸騰するように怒りが次から次へと湧いてくる。マーガレットは、エレノアに押し付けるはずだったグラスを振りかざし、ワインをセルジアにかけていた。


「劣化したあなたには言われたくないわ。人のこと言う前に、鏡を見たら?」


 しん……と辺りが静まり返る。


 頭からワインを浴びて、髪の先からぽたぽたと水滴が滴るセルジアは、眉間に皺を寄せている。癇癪を起こしたマーガレットに、注目が集まる。そこで初めて、はっと我に返った。


(え……今私、何をして――)


 悪感情に呑まれ、理性が働いてくれなかった。マーガレットはふと、以前の夜会でエレノアに、「他人を貶め不徳を重ねれば、心が本当に闇に呑み込まれてしまいますよ」と忠告されたことを思い出した。



 ◇◇◇



 園遊会の日は、良く晴れていた。鮮やかだった木々の緑はすっかり、秋色に染まっている。


「エレノア嬢。今日妖魔はどれくらいいる?」

「そうですね……」


 エレノアは辺りを見渡した。

 木や植物に宿っていたり、人に取り憑いていたり、多様な妖魔が目に映るが、他の場所と比べ特別多いということもない。しかし、エレノアの目を最も引くのは、王后セルジアだ。


(凶悪な妖魔が取り憑いていますね)


 彼女の場合、憑依されて完全に呑み込まれている。白く禍々しい大蛇が、彼女に同化して見えた。あそこまで馴染んでいると、妖魔の悪影響をかなり受けているはずだ。セルジアの横暴な振る舞いも、あの大蛇に唆されて加速しているのだろう。


 妖魔は人の根深い意識に取り憑き、潜在意識を書き換える。そうなってしまうと、人は時に理性を失い、思いもしない行動を取ってしまうこともある。妖魔を祓うには、妖魔の悪性を上回る善の心を、その人間が持つ必要があるのだが、セルジアは手遅れのようだ。


 沈黙しているエレノアに、セインが囁く。


「王后に何か憑いてるのか?」

「ええ。大きな白い蛇が。非常にネガティブな存在です」

「業が深いひとだからな。彼女は」


 セルジアは近い内に暗殺される。

 もっと違う生き方をしてきれば、避けられた運命だったかもしれない。


 すると、もう一人の女性の姿が目に入った。セルジアに匹敵するほど、邪悪な気配をまとっている。


(……お義姉様)


 夜会で見たときよりも、マーガレットにまとわりつく黒い影が濃く、大きくなっている。ただの影だった存在が、狐のような獣の姿を顕現していた。マーガレットの負の感情を吸収して、より強力になっているのだ。


 ワイングラスを持った彼女と目が合った。エレノアはその瞬間、背筋が凍るような寒気がした。


(だめです、お義姉様に今近づいてはならない気がします)


 エレノアは直感し、セインに訴えた。


「旦那様、なんだかお義姉様からただならない悪意を感じます。すごく、怖いです。旦那様」


 他人より敏感に悪意を感じてしまうエレノアは、後退りながらセインの裾をぎゅっと握り、身体を竦ませた。


「――顔が真っ青だ。分かった、すぐに帰ろう。挨拶も済んでいるし、出席するという最低限の義理は果たした」

「はい、ありがとうございます」


 胸がぎゅうと締め付けられ、息をするのも苦しい。立っているのがやっとなほど、全身が危険信号を出している。


 エレノアとセインがその場を去ろうとした――直後。


「劣化したあなたには言われたくないわ。人のこと言う前に、鏡を見たら?」


 よく聞き覚えのある声が、辺りに響き渡る。おもわず振り返り、目の前で起きた出来事に言葉を失った。

 マーガレットがワインをセルジアにぶっかけ、罵倒を浴びせたのだ。参集者たちは唖然としている。


(何が、起きたのですか……?)


 セルジアは顔を真っ赤にしながら、護衛の者に命じた。


「この無礼者をすぐに捕えよ!」

「は、はい……!」


 衛兵たちがマーガレットの腕を両側から拘束する。彼女はじたばたと暴れて抵抗した。


「い、嫌だっ。離しなさいよ! 違うの、今のは体が勝手に動いて……っ」

「訳は後でゆっくり聞かせてもらう。大人しくしろ」

「嫌ぁ……!」


 人目もはばからず、泣きじゃくる情けない義姉。その刹那、マーガレットに取り憑いている狐の目が、きらりと光った。

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