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03.一度目の人生の終わりは、災難でした

 

 結婚から一年近く経つころ、ようやく挙式の準備が整った。セレモニーで指輪交換があるため、セインから指輪が贈られた。あくまで形式的な贈り物だが、エレノアは嬉しかった。なぜなら、誰かから贈り物をもらったことなどなかったからだ。


「指輪は式のときと公の場ではつけておいてくれ」

「はい。分かりました。あの……ありがとうございます、大切にします」

「……別に、感謝される義理はない。必要に駆られて購入したまでだ」


 セインは仏頂面でそう言った。自分のぬか喜びに気づかされ、胸の奥がぎゅうと痛む。

 すると、エレノアの指輪が乗った手のひらの上に、黒い影が現れた。


『ひひひっ。ソレ、美味いのか?』

「……!」


 目の前に現れたものは、妖魔だった。指輪を奪われないように両手で包み込み、後ろへ後退する。


『寄越せっ!』


「だめです、これは食べ物ではありません! 譲れません!」

「エレノア嬢?」

「!」


(しまった。旦那様の目の前でまた声を……)


 顔を蒼白にして硬直する。ごめんなさいと詫びを口にしてその場から逃げようとすると、セインが腕を掴んだ。遠慮がなさすぎる力具合に、びくと肩を跳ねさせる。


「エレノア嬢。答えろ。君には何が視えている? 隠さずに全て吐け」

「旦那様、離してくださ――」

「そうしたらまた俺から逃げるのだろう。エレノア嬢、言ってくれなければ歩み寄ることもできない」


(……歩み寄る、ですか)


 これまでにも、セインと同じように事情を聞きたがる人が多くいた。『絶対に信じるから』や『歩み寄る努力をする』などの言葉を鵜呑みにして打ち明けると、相手は決まって気味悪がって、エレノアを嘘つき呼ばわりした。


 エレノアは、人間不信に陥っていた。


「嘘です。歩み寄ってくださる気などさらさらないのでしょう」

「なぜそう決めつける?」

「だって……今まで出会った人たちは皆、そうして私を騙して好奇心の対象にしました。けれどそれは、無理のないことでしょう。私が変だから。あなただって、最初におっしゃいましたよね。『君を愛するつもりはない』と。愛情の欠片もない相手に、どう憐憫の心を抱けるというのですか」


 ……セインの前で、こんなに喋ったのは初めてのことだ。彼の尋問するような高圧的な口ぶりと、睨むような視線に不安を掻き立てられる。


「勝手に俺の心を決めつけるな。君に俺の何が分かる?」


 怒気を含んだ声に、身が竦む。目には涙が滲んだ。


「ごめん……なさい。旦那様のことは、分かりません。ですがどうか、これ以上私のことをお責めにならないで……っ」


 できるだけ大人しく過ごして、お飾りの妻を務めるから。愛情なんて求めないから。だからそんな怖い顔をして繊細な心を追い詰めようとしないで。エレノアは泣きそうな目で懇願した。


「違う誤解だ。俺はただ君のことが――」

「私、頭を冷やしてきます」


 何かを言いかけたセインの手を振り払い、屋敷を出た。


 公爵邸の裏は森になっている。森には、沢山の妖魔がいるので、できるだけ近寄らないよう心がけてきたが、このときばかりは一人きりで物思いに耽けっていたかった。


 落葉樹が鬱蒼と生い茂り、その隙間を縫うよう低木が生えている。小鳥の羽ばたきに耳を傾け、ぼんやりと森の中を歩いていると、あることに気づいた。


(あら……今日は妖魔に全く声をかけられませんね。いつもなら嫌というほど寄ってくるのに)


 不思議に思ってきょろきょろ辺りを見回すと、妖魔がいない訳ではない。しかしなぜかこちらに近づきたがらない様子。


(もしかして、この指輪が嫌なのでしょうか)


 試しに指輪をかざしてみる。台座に紫みのある透明な石が嵌め込まれていて、角度によって繊細に色が変化する。思い切ってかざしながら妖魔に近づくと、怪訝そうに逃げていった。魔除の効果がある石が使われているようだ。


(もしや、旦那様はもうお気づきだったのでしょうか。私の力を……。分かった上で、気味悪がらずに、私が自分から打ち明けるのを、待っていてくださったのですか)


 エレノアはぎゅっと指輪を握り締めた。セインの心には、妻を想う人並みの愛情はないのかもしれない。口調も態度も冷たい。不器用で他人の感情にも疎い。けれど――彼は優しい人だ。


(謝りに行かなくては)


 決心して、もう一度手のひらの指輪を眺めた。……と、そのとき。


「カァーカァー!」


 カラスが目の前に降りてきて、エレノアの指輪をクチバシで奪い取った。咥えたまま、森の奥へと飛んでいく。カラスは光り物が好きで収集するというが、なんと間の悪いことか。大切な結婚指輪を紛失しては、夫に面目立たないと思い、カラスを追いかける。


 しばらく走ると、木の密集地から抜けた。目の前は絶壁の崖。あの泥棒カラスの姿はない。エレノアがしょんぼりと俯くと、岸壁から伸びた枝が不自然に光った。目を凝らして見ると、枝先に指輪が引っかかっている。


 エレノアは躊躇せずに地に伏せて、身を乗り出しながら腕を伸ばした。


(あと……少しです……)


 ぐっと指を伸ばし、ようやく指輪を掴んだ刹那――


『わあっ!!』

「きゃあっ」

『ははっ、驚いたか人間っ! ばーかっ!』


 後ろからいたずら好きの妖魔が脅かしてきた。驚いた拍子に、崖から体が滑り落ちる。落下していく速度に、悲鳴を上げた。指輪を探しに来てうっかり転落するなんて、なんて情けないのだろう。


 エレノアの脳裏に、周りに翻弄され、俯いてばかりの自分の姿が見えた。これが世にいう走馬灯だろうか。


(逃げてばかりで、情けない姿です。臆病な自分を変える努力をもっとすればよかったと、今になって思います。……旦那様。あなたはどんなお顔で笑うのですか。私は、旦那様のことが、もっと知りたかったです。そう伝えたら、きっと嫌がられてしまったでしょうけど)


 最期に思い浮かべたのは、仏頂面のセインの顔だった。無愛想で一度も笑わなかった彼の笑顔を想像しながら、エレノアは目を閉じた。


 そして。次に意識を取り戻したとき、縁談が決まった日に回帰していたのである。

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