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29.二度目の結婚、沢山の優しさに触れました

 

 エレノアは、刺繍を施したハンカチをセインに贈ることにした。ハンカチと揃いのデザインで、自分のブラウスの襟にも刺繍しようと思っている。


 デザインの参考に、花の絵が描かれた本を使おうと思い、書庫に行った。本棚の高いところに収まる本を取るために、脚立を引っ張ってきてその上に乗った。一番上段にある本に、細い腕を伸ばす。脚立の上で背伸びをして不安定な状態のときに、後ろから低い声に呼びかけられた。


「――エレノア嬢」

「ひゃっ!?」


 小心者のエレノアは、びくんと肩を跳ねさせてバランスを崩した。


「危ない!」


 声の主――セインが、倒れかかったエレノアを抱き留める。しかし、支えきれずに二人で床に倒れ込んだ。エレノアは、セインの上に乗っかるような体勢になっていた。間近に彼の端正な顔があり、顔が赤くなる。彼は心配そうに、「大丈夫か? 怪我はないか?」と尋ねた。


「大丈夫……です。旦那様が支えてくださいましたので」

「良かった。突然話しかけて、驚かせてすまなかった」

「い、いえ」


 エレノアは、赤くなりながら目を逸らした。どきどきと心臓が波打っている。エレノアはセインの手を借りて立ち上がり、彼に背を向けて胸に手を当てた。


(収まってください、私の鼓動……。また私、旦那様にどきどきして顔が見られませんでした)


 セインに能力のことを打ち明けて、本当の意味で信頼関係を築けるようになってからというもの、もっと別な感情が疼くようになった。彼の優しさにときめいたり、意味もなく切なくなったり……。エレノアは鈍いが、こういうのを"恋"ということくらいは知っている。


 セインへの愛情を自覚してからは、気恥ずかしくて顔を直視できないことがままある。


「落ちたぞ」

「へっ!?」

「――本」

「あ、ああ……本ですか。ありがとうございます」


 エレノアなら、とっくに恋に落とされている。つい過剰に反応してしまった自分を諌め、愛想笑いを浮かべると、彼は怪しげな眼差しでこちらを見下ろした。


「エレノア嬢、最近様子がおかしくないか?」

「それは前からです……?」


 様子がおかしいということで定評があるエレノアは、首を傾げた。無自覚の自虐に、セインは呆れたように返した。


「違う、そういうことではない。俺と目を合わそうとしないだろう。気づかない内に何かしてしまっただろうか」

「いえ、そうではありません」

「では、どうしたっていうんだ? ほら、また顔が赤くなっている」


 普通、赤くなったり、目を合わせられずに照れている相手を見たら、好意を察してもおかしくはない。しかしセインは、どうも他人の心の機微に鈍い。以前エリザベートが、"恋愛するには厄介な相手"と言っていたのを思い出した。


「あの、それより! 私に何かご用があったのでは?」

「ああ。俺たちに客人だ。急用らしい」


 話が逸れて安心する。

 エレノアには友人も知人もいないので、来客はエリザベートとルーカス以来だ。誰だろうと思いながら、セインの後ろを付いて応接間に向かった。



 ◇◇◇



「やぁ。久しぶりだね、エレノアちゃん。元気にしてたかい?」

「ジフリード殿下……! ご無沙汰しております。ええ、おかげさまで」

「はは。前に来たより良い顔してるね」


 来客はジフリードだった。彼はセインの友人だが、エレノアにも面会を求めたのはなぜだろう。ジフリードに促され、向かいのソファにセインと並んで腰を下ろす。テーブルのすぐ横で、給仕が手際よく紅茶を用意している。


 ジフリードは懐から、一通の手紙を出してテーブルに置いた。封蝋には、王家の印璽が刻まれている。


「近く、王后陛下が誕生日を祝う園遊会をお開きになる。国外の王族や上流貴族を大勢招待してね。これは、君たち夫婦への招待状だ」


 王后の招待であれば、それを断るという滅多なことはできない。王后セルジア・リード。リード王国国王の正妃で、王に次ぐ絶対的な権力者だ。そして、非常に厄介な存在として君臨している。


 ジフリードは、険しい表情で言った。


「彼女は少々……いや、かなり気が荒い人でね。忠告しに来たんだ。陛下の目につかないよう、気をつけてねって」


 セルジアは、王后という地位を鼻にかけており、傲岸不遜で利己的な女性だった。国の血税で散財し、愛人を何人も囲っている。わがままなだけに留まらず、加虐癖もあり、気に入らない人間に言いがかりをつけて体罰を与えたり、死刑に処したこともある。


 彼女に無礼を言ったメイドの目を、その場でフォークで突いて失明させたこともあるとか。そのメイドが、本当に無礼な発言をしたのかは、定かではない。


 エーヴァルト家は、王家と密接な関係の立場なので、セルジアとの交流を完全に避けるということはできない。


(けれど、今回は恐らく大丈夫でしょう)


 エレノアは前回の人生のことを回想した。


 この園遊会だが、前回のときもセインに同行して出席している。セルジアは誕生日ということもあってか、常時機嫌が良かった。エレノアも目立つことはなく、平穏に会が終わったのを覚えている。――ちなみに。


(セルジア王后陛下は、三ヶ月後にお亡くなりになるんですよね……)


 突然の崩御だったが、病気や事故ではなく、セルジアに恨みを持つ臣下が、その剣で身体を貫いたのだ。この事件は、世間を大いに震撼させることになる。


「わざわざご忠告、ありがとうございます」


 ジフリードはセインの友人だ。

 変わり者と揶揄される妻が無礼を働き、セインが大変な思いをすることを危惧しているのだろう。


「エレノア嬢。実は、君に詫びなければならないことがある」

「え……?」


 そう言ったのは、セインだった。


「実は、ジフリード殿にはだいぶ前から話しているんだ。君に異形が視えるということを」

「まぁ、そうだったのですね」

「彼も理解を示してくれている。だが、すまなかった。君の秘密を、許可なく口外してしまった」

「いえ。必要があればお話ししてくださって結構ですので」


 申し訳なさそうに詫びた彼を宥める。セインは、不器用だが正直で律儀な人だ。


 すると、ジフリードがなぜか嬉しそうに瞳を潤ませた。


「そっか……。セイン、良かったね。エレノアちゃんに話してもらえたんだ」


 恐らく彼は、セインが妻から能力について打ち明けるのを待っていたことを知っていたのだろう。そして今、セインとエレノアが能力について理解し合い、語っている姿に安堵したのだ。


「安心したよ、僕。君たちがそうやって信頼関係を築けているようで。セインは昔っから朴念仁だし、エレノアちゃんもあんまり器用じゃないみたいだからさ。二人がどうなっていくか、ずっと気にかかっていたんだ。良かったね。二人とも」


 そう言って目を細めた彼は、本当にセインたちのことを心にかけていたのだと分かる。


(旦那様のご友人は、とても優しい方なのですね)


 まるで自分のことのように喜んで泣いているジフリードにつられて、鼻の奥がつんと痛くなった。思えば、公爵邸に来てから、理解を示してくれる優しい人たちに出会えた。使用人のリゼ、アイリーンにルージュ。家庭教師のエリザベートに息子のルーカス。そして、ジフリード。


(大切な人が、二度目の結婚では沢山増えました)


 彼は、目に溜まった涙を指で拭い、言った。


「エレノアちゃんに、聞きたいことがあるんだけど、いいかい?」

「……はい、なんでしょうか」

「僕の頭に取り憑いてる妖魔って――どんな奴?」


 突拍子もない問いに、驚いた。そういえば、以前夜会で会ったときも、「僕の頭は大丈夫か」などとよく分からない質問を投げかけられたことがあった。どうやら彼は、頭を妖魔に取り憑かれていると思っているようだ。


 エレノアはじっと、彼の頭上を観察した。何も見えないので、素直にそう答えようとしたが、そのとき――


「ひゃあっ! 出たっ!」


 ジフリードの頭上に、狙ったかのようなタイミングで、粘液状の妖魔が現れた。どろどろした体で、頭の上を蠢いている。


「えっと、その、今……」

「やはり、いるんだね。僕が知りたいのは一つ。ソイツ、毛は生えているのかい?」


「生えて……いませんが」


 ジフリードは静かに涙を滴らせ、「これが王家の業か」、「毛根を呪われた一族なんだ」などとよく分からないことをぶつぶつと漏らしていた。

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