27.二度目の結婚、良き理解者ができました
「今、私の目の前で……燭台を倒したいたずらっ子が、浮遊しています」
「……!」
セインは瞠目し、黙した。
――とうとう、言ってしまった。エレノアの胸の鼓動が加速していく。彼の顔を直視できず、手足は力が入らない。すると、彼はいつもと変わらない淡々とした声で言った。
「――そうか。それがどんな姿をしているのか、教えてくれるか?」
「!」
それが、セインの――応えだった。
疑っていないのが分かる。受け入れてくれるのが分かる。分かるのに、エレノアの心臓はますます激しく音を立てた。
「も、桃色の……ふわふわした毛並みで、ハートの形をした尻尾が生えています。大きさは手のひらくらいで、とても愛らしい姿です」
「愛らしい割に、厄介だな」
「はい。いたずら好きで、いつも手を焼いています」
エレノアは、顔を上げて彼を見た。穏やかなその表情に、目頭が熱くなる。そのまま、セインに飛びついた。彼も拒まずに受け入れ、抱きしめてくれた。肩に顔を埋め、震える声を漏らす。
「いつから気付いておられたのですか。私が視えるということを」
「――ずっと、前からだ。君から話してくれる日を、待っていた」
「信じてくださるのですか? ……気味が悪いと、思われないのですか」
「君のことは信じる。気味が悪いとも思っていない。……それより、打ち明けてくれたことに感謝しよう。相当勇気が必要だっただろう。体が震えている」
両目から、次から次へと涙が零れて、感情を言葉にできない。時々声を上擦らせながら、必死に言葉を紡ぐ。
「はい。すごく、すごく怖かったです。旦那様が離れていってしまうのではないかと……」
そっと体を離して、セインの顔を見つめる。彼は節のある指でエレノアの濡れた頬を撫でてくれた。その手が温かくて、優しくて、肌を涙で濡らしていく。
「まさか。君を手放すつもりはない。安心してくれるまで、何度でも言う。俺は君のことをいつも心にかけているのだと。言いたくないことは無理に言わなくていいが、君の話は必ず信じ、歩み寄る努力をすると誓う」
傷つき、凍りついていた心が、優しく溶かされていく。張り詰めていた緊張の糸が緩み、石のように硬くなっていた何かが、柔らかかく解れていくような感覚がした。
全員に理解してもらえなくてもいい。けれど、理解して手を差し伸べてくれる人たちのことを大切にしようとエレノアは思った。
「ありがとうございます、旦那様。ありがとう。本当にありがとう……」
エレノアはこの日、何度か分からない感謝を彼に伝え続けた。
◇◇◇
エレノアは、少しずつセインに自身の能力を話した。普通の人には見えないモノを、妖魔と呼んでいること。彼らの中にも、人間と同じように良いものと悪いものがいるということ。力のせいで、周りに誤解され疎まれてきたこと。セインは彼なりの優しさで受け止めてくれた。
「きゃっ、スカーフが……」
セインと二人、公爵邸の赤く彩ったバラ園を歩いていると、白い鳥の姿をした妖魔が、首元の解けかかったスカーフを奪っていった。空中に不自然な様子で浮かんでいるスカーフに、手を伸ばす。
「こら! それを返してください!」
『やーなこった! 取れるもんなら取ってみろ〜!』
妖魔は挑発的にお尻を振ってきた。隣でセインが問いかける。
「また、妖魔の仕業か?」
「はい。"取れるものなら取ってみろ"って、すごく煽ってきています」
エレノアはぴょんぴょんと跳ねて、頭上に一生懸命手を伸ばすが、スカーフに触れかけたところで、妖魔は高度を上げて焦らした。なんて意地悪なのだろう。エレノアもムキになって、必死にスカーフに手を伸ばす。ムキになればなるほど、妖魔は愉快そうに笑った。すると、セインがその辺に落ちている小石を拾い上げて、スカーフを見据えた。
『いってーーーっ!』
セインが投げた小石は、見事妖魔に命中し、その拍子に彼が咥えていたスカーフが舞い落ちる。風になびくスカーフをセインが掴み、エレノアの首元に巻き直してくれた。
『くーっ、腹が立つ人間め! 突然石を投げつけるなんてズルいだろ! 謝りやがれ!』
「まぁ。謝るのは泥棒さんのあなたでは?」
憤慨してじたばた暴れる妖魔を無視し、セインの顔を見上げる。
「お見事です、旦那様。妖魔は旦那様に恐れをなしてどこかに逃げてしまいました!」
『おいっ、僕はそんな奴恐れてなんかないぞ!』
(無視です、無視)
妖魔はしばらくエレノアの周りを飛んで付いてきたが、その内に飽きてどこかへ去っていった。
「……君はよく、妖魔に絡まれるのか?」
「はい。特に邪悪な存在は、人を脅かして負の感情を搾取したいんです。私は視えるので、脅かしやすいのでしょうね」
そしてもうひとつ、妖魔がエレノアに寄ってくる理由がある。エレノアは浄化を行うことができるので、邪悪な存在たちが光の元へ上げてほしさに寄ってくるのだ。
妖魔を引き寄せやすい体質は、仕方ないと思って割り切っている。
「本当に……大変な思いをしているんだな」
彼は切なげに眉を寄せた。その表情からは、同情や憐憫の心が感じられる。
「確かに大変なことはあります。でも、それだけではないのですよ」
エレノアは優しく微笑みながら答えた。浄化の方法や、お祓いの真言、世の中の摂理……。そんな智恵を授けてくれたのも妖魔なのだと。愛情を持っている妖魔も沢山いて、彼らは人間よりもずっと深い洞察で世界を見ていて、それを惜しみなく教えてくれるのだ。
「私は、この力があるからこそ視える世界を大切にしたいと思っているのです」
「……君らしいな。俺にもこれからきっと聞かせてくれ。――君が視ている世界の話を」
吹く風は心地よく、みずみずしいバラの香りが鼻腔をくすぐる。
「もちろんです」
エレノアはそっと頷いた。




