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22.政略結婚の妻の、秘めた能力を目の当たりにして

 

「分かりました。では、塩と羊皮紙三枚、ペン、皿四枚、それから水晶があれば持ってきてください」


 エレノアの指示に、伯爵夫妻は顔を見合わせる。


「水晶なんかこの家にあったかしら。あなた?」

「結婚祝いにローエン夫人にいただいた置物が水晶だったはずだ。あれを持ってこよう」


 確認をしてからいそいそと部屋を出ていった。残されたエレノアは、憂いを帯びた表情でこちらを見上げた。


「申し訳ありません、旦那様。もしかしたら、伯爵家の怒りを買ってしてしまうかもしれません。そのときは、私のことを精神病院か修道院に送ってください」


 もし仮に、ルーカスが助からなかったら、誓約書があったとしても夫妻はエレノアを恨むかもしれない。何も悪くないのにその責任を一人で負おうというのか。彼女が子どもを助けたいがために、相当な覚悟を決めているのが分かった。


(彼女は、これほど強い信念のあるひとだったのか。いや――)


 よく見ると、エレノアの手が小刻みに震えている。本当は、怖くて怖くてたまらないはずなのに、弱った子どもを思う優しさが、気弱な彼女の心を突き動かしているのだろう。セインは、エレノアの小さな両手を包み込んだ。


「君が責任を負うことはない。俺は誰が責めようと君を手放す気はないし、その勇気を賞賛する」

「……旦那様」


 彼女の紫の瞳の奥が揺れた。


 まもなく、エリザベートと伯爵が必要なものを集めて部屋に戻った。エレノアはそれらを受け取り、二人に言った。


「お二人は離れた部屋で待機を」

「はい?? あんた一人に任せろっていうのか?」

「はい。精神的に弱っている方は、障りをもらってしまうかもしれません。それに、お二人ともかなり妖力が弱いので」

「妖力……?」

「障りに対する免疫のようなものです」


 エリザベートと伯爵は、「何を言っているのか」と言わんばかりに怪訝そうな顔をした。目に見えない存在を信じていない相手に、いくら説明したところで無駄だろう。エレノアもそれを分かっているので、端から納得させる気がない様子だ。


「では、俺が傍で見守っていよう。エレノア嬢。俺にはその資格があるように視えるだろうか」


 彼女の澄んだ瞳がセインを見据え、「恐らく問題ありません」と答えた。伯爵夫妻も納得して、部屋を退出した。エレノアはすぐにルーカスの傍らに寄り添い、上掛けを剥がして囁く。


「上のお洋服を脱がさせてもらいます。寒いかもしれませんが、少しの辛抱を」


 ルーカスを上裸にし、そのまま横になってもらう。


「これから、なにするの? 痛いこと……?」

「いいえ。痛いことは何もしません。ルーカスさんの心の奥で悪さをしているモノをやっつけるんです。楽にしていてくださいね」

「……うん、ありがとう。お姉ちゃん、戦ってくれて。僕のママと、パパが、叱ってごめんね」

「……!」


 子ども心に、さっきまでの諍いに感じるところがあったのだろうか。エレノアは「ありがとうございます」と礼を言い、三枚の羊皮紙の内の一枚を取って、お腹の上に載せた。更に、紙の上に塩を盛る。


「エレノア嬢。俺に手伝えることはあるか?」

「では、その水晶を四つに分けてください」


(随分無茶なお願いだな)


 水晶の置物は、頂き物だと夫妻が語っていた。花嫁姿のエリザベートに、夫と犬、赤子が仲睦まじい様子で並んでいる彫刻品を、四つに分割するのは気が引ける。夫妻に許可を取りに行くと、かなり不審そうな顔を浮かべながら、ハンマーを貸してくれた。


 エレノアは砕いた四つの破片を、それぞれ皿の上に載せて寝台の脚の角に配置した。残りの二枚の羊皮紙には、ペンで摩訶不思議な模様を描いた。一枚をルーカスの枕の下に、もう一枚を壁に貼る。



『――不浄を払い、かの者を救いたまえ』



 手を合わせ、静かにそう呟いた彼女の横顔は、凛として美しかった。彼女はそっと目を開き、こちらを振り返って言う。


「これから、この塩を門の外に撒いてきます。浄化はこれで終わりですので、ご両親に入室を許可してください」

「分かった」


 何か大きく変わった訳ではない。しかし、セインは不思議と、この部屋の空気が一段軽くなったような気がした。一方で伯爵夫妻は、ルーカスの様子を見て、納得していなかった。


「息子は少しも変わっていないじゃないか! やはりそんな訳の分からない女人をあてにするんじゃなかったな」

「……浄化は、病を治す魔法ではありません。そうご説明したはずです。私は、ルーカスさんの潜在意識が回復を目指せるよう、妨げとなる魔を払っただけなので、後はご本人の生命力次第です」


 エレノアは、伯爵の抗議に冷静に対応していた。一方、セインはもう我慢ならなかった。伯爵は新興貴族で、社交界の礼儀があまりよく分かってはいないとはいえ、公爵夫人に対して取っていい態度の範疇を大幅に越えている。


「伯爵殿。先程から貴殿のその態度、目に余るものだ」

「こ、公爵様……ですが、」

「我が子のために冷静でいられない気持ちは分かる。だが、妻に一縷の希望を見出し、託す決断をしたのはそちらだろう。責任転嫁も甚だしい。それ以上みっともなく喚くと、子どもの身体に障るぞ」


 セインははっきりと告げた。その直後、不服そうに渋面を浮かべる伯爵の頭を――エリザベートがバシンと叩いた。


「痛っ! リジー、何するんだ」

「バカ! あなた、エレノア夫人にお詫びしてくださいまし!」


 エリザベートは強引に伯爵の頭を下げさせた。


「この分からず屋が、非礼を重ねたこと、心よりお詫びいたしますわ。あなた。ルーカスの姿をもう一度よく見なさい。それでも同じことが言えるかしら」


 ルーカスは、安らかな寝息を立てていた。顔色は悪いが、先程までよりずっと楽な様子だ。


 エレノアはどんなに責められても冷静で、熱のない人形のような顔のまま、夫妻に伝える。


「お二人は、お子さんが必ず元気になると強く信じてあげてください。それが一番の薬になるでしょう。設置した水晶と護符は、良くなるまでそのままにしてください。……では、私たちはこれで。夜分遅く失礼いたしました」


 優美にお辞儀をして、セインに帰るよう呼びかけた。玄関に向かって歩く彼女の後ろ姿は、とても寂しそうに見えた。帰りの馬車の中で、セインは彼女に言った。


「気を落とすな、エレノア嬢。ああいう無礼な輩は、どこにでも一定数いる」

「大丈夫です。……慣れていますから」


 この大丈夫は、本心なのか偽りなのか。何を尋ねても、"なんでもない"、"大丈夫です"とばかり返す彼女の真意は、分からない。

 エレノアは、暗くてほとんど何も見えていない窓の外を眺めていた。


「旦那様は、浄化を行う姿をどうお思いになりましたか? ……きっと、奇妙な姿に見えたでしょう」

「子どもを救おうと、頑張っている姿に見えた」

「……」

「君は、とても優しいひとだ。今日改めてそう思った」


 こちらを振り返ったエレノアは、泣きそうな顔をしていた。おもむろに両手を差し出し、か細い声で言う。


「手を……さっきのように握っていただけませんか。震えが、収まらないのです。伯爵に怒鳴られて、身体がびっくりしてしまって。ごめんなさい。……大丈夫だと、嘘をつきました」


 彼女の手は、ずっと震えている。なんて繊細なのだろう。臆病で気弱なのに、己を鼓舞して堂々と振る舞っていたのだと思うと、健気で愛おしくて堪らない気持ちになる。


「ああ。いいとも。隣においで」

「……はい」


 向かいの椅子から隣へ移ってきた彼女の両手を握った。早く震えが収まり、心が落ち着くように願いを込めながら。セインはその夜、公爵邸に着くまでずっと彼女と手を繋いでいた。

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