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21.隠していた能力を使います。旦那様の前で

 

 庭園の木々の色が濃くなり、日を追うごとに暑さを増す夏。


 公爵邸に一通の手紙が届いた。送り主は、エレノアの家庭教師エリザベート。四歳の息子ルーカスが風邪を長引かせているらしく、あまり良くない具合だと書かれていたそうだ。


「夏風邪は大人でも怖いですからね。……ルーカスさん、大丈夫でしょうか。心配です」


 小さな子どもは免疫力が弱く、体力もないので、風邪を拗らせるとあっけなく命を落とす。エレノアは実家にいたころ、お仕置きと称して隙間風の吹く馬小屋に長時間閉じ込められ、しばらく体調を崩したことがあった。なかなか熱も下がらず、酷い咳で眠れなかったのを覚えている。あれでしぶとく生きていたのだから、結構生命力が強いのだろう。


「ああ、俺も気にかかっている」


 近ごろ、時間さえ合えば昼食も共にしているセイン。食卓を共に囲いつつ、彼はパンをひと口にちぎりながら言った。


「熱が六日も続いているらしい。容態はかなり深刻だそうだ。……気の毒だが、このままでは万が一、ということもある」

「まぁ……お可哀想に。他に何か症状は出ていないのですか? 流行り風邪は身体に湿疹ができると聞きましたが」

「幸い、高熱以外に症状はないそうだ。だが、毎夜同じ悪夢を見ているとか。君は、悪夢についてどう思う?」

「――悪夢、ですか」


 思案を巡らせる。人ならざるものと繋がるのは、現実世界の中だけではない。夢の中――つまり意識だけの世界で干渉されるということもある。


「具体的にどのような夢なのですか」

「……真っ暗な箱の中にいて、黒い影が身体にのしかかったり、攻撃したりしてくるそうだ。毎夜毎夜、同じ黒い影が」

「……」


 妖魔に取り憑かれた人間は、潜在意識にネガティブな情報を書き込まれ、うっかり怪我をしたり、体調を崩したり、いつもより不安になったりイライラしやすくなったり、様々な弊害が出る。


 エレノアも夢の中で出会った妖魔に、憑依されたりいたずらされることは度々あった。しかし、邪悪な存在を祓うすべも知っているので、上手く折り合いをつけてやってきた。


(妖魔はどこにでもいて、人間は少なからずそれらの影響を受けて生きています。ですがもし、ルーカスさんが障りを祓って少しでも楽になれるならば……)


 もう一度、苦しんでいる子どもの姿を頭に思い浮かべる。どんなに具合が悪くても誰も助けてくれなかった幼少時代の自分のことも脳裏に過り、このまま目を瞑ることはできないと思った。


「……私なら、お役に立てるかもしれません。ですが、このような大変なときに押しかけては、ご迷惑でしょうか」


 エレノアはルーカスの元に行きたい意志をほのめかし、決定を彼に促した。セインはしばらく考えてから、こう答えた。


「いや、今夜にでも見舞いに行こう。事は一刻を争っている。何もしないで後悔するよりずっといい」

「よろしいのですか?」

「ああ。責任は俺が取る」



 ◇◇◇



 ミッシェル伯爵邸の玄関の前で、チャイムを鳴らす前にエレノアが言った。


「突然押しかけて、さぞ迷惑がられるでしょうね」

「要らぬ世話と思われたらそのときはそのときだ」


 ルーカスの元に行きたいと訴えたエレノアの意向を認めたことには理由がある。二度目の人生を生きるセインは知っていた。――ルーカスがこの風邪のせいで命を落とすことを。


 エレノアが何をする気かは分からないが、何もせずに見過ごせるほどセインは冷酷ではなかった。


 残された猶予は数日程度。目に見えない世界に精通しているエレノアに、やれるだけのことをやらせてみるつもりだ。セインもまた、幼いルーカスを少しでも良くしてやりたい一心だった。


 玄関で出迎えてくれたエリザベートは、ひどくやつれていた。寝る間も惜しんで子供の世話をしていたのだろう。実は、今朝送られてきた手紙は、『悪夢についてエレノアに相談してほしい』という内容が綴られていた。エリザベートはエレノアの力に懐疑的だったが、子どもの苦痛を和らげるために、藁をも掴む思いなのだろう。


「悪夢について、何かお分かりになったの?」

「ああ。妻が何か力になれると」

「まぁ……わざわざ来てくださってありがとうございます」


 迎え入れてくれたエリザベートと、こっそりそんなやり取りをする。一方、夫の伯爵の方は、露骨に迷惑そうな顔をしていた。


 ルーカスが療養している寝室に案内される。大きな寝台に横たわり、荒い息をしながら彼が苦しそうに眠っている。


「……やはり、いました」


 セインの隣で、エレノアが小さく呟く。彼女が鋭い眼差しで見据える先には、"妖魔"がいるのだろう。


「エレノア夫人。役に立てるかもしれないとはどういうことですの? この子は……ルーカスは助かりますの!?」


 エリザベートはエレノアに縋るように尋ねた。ルーカスは、かなり衰弱していおり、看病をするエリザベートも憔悴していた。


「分かり――ません。人には……寿命というものがありますから。ただ、私なりにお力になりたいと思いここに来た次第です。……私に、"浄化"をさせていただけませんか。何もしないよりはマシかもしれません」

「じょ、浄化……?」

「はい。ルーカスさんの潜在意識に対し、病が悪くなるよう引っ張って悪さしているモノを浄めるのです」

「は……え、ど、どういうことですの? 潜在意識? さっぱり訳が分かりませんわ」


 エリザベートはやはり懐疑的だった。伯爵の方は、眉間に皺を寄せて声を荒らげた。


「おい夫人! 息子に変なことをする気なら帰ってくれ。あなたは変わり者の頭のおかしい人だと有名なんだろう。妻から色々聞いてる。こっんな大変なときに押しかけてきて、妙なことを言うのは勘弁してくれ。たまったもんじゃない」

「ちょ、ちょっとあなた……」


 エリザベートも、エレノアを不審に思う点があったのだろう。彼女に何を吹き込まれたのか、伯爵はエレノアを完全に疑っていた。


(凡そ、聞こえの良い話ではないだろうな)


信用していた家庭教師に悪口を言われていたと知っても、エレノアは顔色ひとつ変えずに言う。


「おふたりが反対なさるなら、このまま帰らせていただきます。自分の考えを押し付けるつもりはございません」


 そのとき、伯爵の怒鳴り声にルーカスが目を覚まし、弱々しい声を漏らした。


「ママ……苦し……いよ。……助けて」


 寝台の上掛けから、痩せた手を覗かせて、母に縋る。今にも消えてなくなりそうな我が子の手をぎゅっと握り、エリザベートが言った。


「大丈夫。もうすぐ良くなるからね。あとちょっとの辛抱だから」

「……う、ん」


 ルーカスは苦しげに頷き、顔をしかめた。エリザベートはこちらに歩んできて、エレノアに頭を下げた。


「お願いします。どうか、どうか息子のことを助けてください……っ。この子が助けられるなら、なんでもいたしますわ。どうか、お願いします、お願いします……」

「……」


 伯爵もそれ以上は何も言わなかった。セインは、エレノアに承諾させる前に夫妻に言う。


「妻が浄化を行う前に、誓約書を一筆書いてもらう」

「ど、どうしてそんなものを……。金か?」

「違う。何かあったときに、妻に責任を問われても困るということだ。効果について、公爵家は一切の責任を負わない。その上で、妻に依頼するか検討してくれ」


 先程までのあの様子では、ルーカスがこのまま死んだら、エレノアに責任を押し付けてくることは予想ができる。エリザベートと伯爵はしばらく悩んだ。しかし、他にしてやれることもないと、エレノアに依頼する決心をした。


 エレノアは淡々と二人に告げた。


「分かりました。では、塩と羊皮紙三枚、ペン、皿四枚、それから水晶があれば持ってきてください」

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