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19.政略結婚の妻からのお願い

 

 セイン・エーヴァルト二十四歳。広大な公国を治める若き公爵は、政略結婚で嫁いできた妻の可愛すぎるお願いに戸惑っていた。


「――かくれんぼが、したいです」


 夜会を無事に終えた褒美に、子どもの遊びを要求したエレノア。詳しい理由を聞くと、幼少期から浮いていた彼女は、かくれんぼなるものを一度もしたことがないという。


 しかし、かくいうセインも斜に構えた幼少時代を過ごしており、かくれんぼはおろか同じ年頃の子どもと遊ぶようなこともなかった。その場にいたエリザベートは、当時のセインを「生意気なガキだった」と妻に吹き込むも、かくれんぼのやり方を懇切丁寧に教えてくれた。


 そして。夜会から一週間経ち、ついに妻と二人きりのかくれんぼが開催される運びとなったのだが――


「では、私が鬼役です。百数える前に、旦那様は隠れてください」

「あ、ああ」


 あまり気乗りがしないセインとは対極で、エレノアはやる気満々だった。広い屋敷全体で行えば、見つける前に日が暮れてしまうので、セインの私室がある建物のみを隠れる範囲に限定した。


 使用人たちに、「妻とかくれんぼをするので、東宮殿には近づかないように」と指示すると、皆口をあんぐりとさせていた。普通、いい年をした大人はかくれんぼなどしないものだが、妻は少し俗世離れしている。


 人のいない廊下で、目を閉じながら「一、二、三……」と意気揚々とカウントを始めたエレノア。セインは小さく息を吐いて隠れる場所を探した。三階まである建物で、蒸留室、客室、書庫も全て使用可としている。セインは書庫を選び、本棚と窓の隙間に椅子を置き、本を読みながら彼女を待つことにした。


 クロスのかかったテーブルの下に隠れることも検討したが、さすがに公爵の威厳台無しのみっともない姿になりそうなのでやめた。


 二十分ほどして、書庫の入り口の扉が開いた。ぱたぱたという足音と、鈴を転がすような甘い声が耳たぶを揺らす。


「旦那様、見つけました!」


 息を切らしながら、屈託のない笑顔でこちらを指さすエレノア。何がそんなに面白いのか分からないが、普段見せないような楽しげな様子だった。セインは読みかけの本を閉じ、棚に戻した。


「ああ、見つかってしまった。さすがは名探偵だな」

「探偵ではなく鬼です。ほら、次は立場交代です!」

「ふ。分かったから引っ張るな」


 エレノアがセインを起こそうと腕を引いた。彼女は、「百を数えたらスタートですよ」と念押ししてから、踵を返した。


 百数え終わり、捜索を始めるもなかなか見つからない。衣装部屋の服の隙間も、蒸留室のテーブルの下も、客間の重厚なカーテンの裏も隈なく探すが、妻は隠れるのが上手だった。


(困ったな。降参して出てきてもらうか。いや――)


 セインは思い出した。一度目の人生で、エレノアが事故死したとき、自分で見つけてやれなかったことを。屋敷を飛び出して行方不明になった日、屋敷の者も総出でエレノアを探した。セインも彼女が心配で、夜通し捜索に当たったが、彼女は三日間も野ざらし雨ざらしにされた後に発見された。


(今度はきっと、俺が見つける)


 そうして最後に辿り着いたのは、セインが寝室として使っている部屋だ。エレノアは違う建物で生活しているので、ここがセインの寝室とは知らない。まさかと思いつつ開けると……。案の定。セインが使っている寝台の上掛けが、不自然に膨らんでいる。ちょうど、人一人分。


「ここにいたか、エレノア嬢」


 上掛けをそっと剥がすと、エレノアは丸まった体勢で、すーすー寝息を立てていた。男の寝室で、なんと無防備なのだろう。頬に添えられた細い両手、小さく開いた血色の良い唇。そして、着崩れたドレスから覗く胸の谷間……。


 セインはぐっと喉の奥を鳴らした。自分の寝台で寝ている妻に、なんとも背徳的な気持ちになった。セインはおもむろに手を伸ばし、彼女の顔にかかっている長い金髪を退けてやる。すると――


「ん……旦那、さま……」

「……!」


(寝惚けているのか?)


 エレノアはセインの手をぎゅうと握り、自分の顔に引き寄せた。軟らかな頬に手をあてがわれ、心臓が波打つ。無防備であまりに愛らしい姿に、心が撃ち抜かれる。


(……可愛い)


 しばらくこの状況を堪能しても良かったが、意識のない彼女に対して悪いと思い、煩悩を捨て去った。


「エレノア嬢。起きろ」

「…………?」


 呼びかけに、彼女がゆっくりと瞼を持ち上げる。彼女はセインをまっすぐ見つめながら、ふにゃっと頬を緩めた。


「ふふ。見つかってしまいました」


 寝惚けまなこの無垢な微笑みに、また胸の奥が甘くつつかれた。しかし、目が覚めて意識が覚醒していくと、彼女はセインの手を握りしめている自分に仰天した。


「きゃあっ、わ、わた私ったらどうして旦那様のお手を……!? も、申し訳ありませんっ!」


 すぐに手を離し、俊敏な動きで半身を起こしてなぜか正座する彼女。横になっていたせいですっかり乱れている髪を、あわあわしながら整える様子もまた、可笑しかった。セインは口角を上げて彼女をからかう。


「別に、謝ることはないだろう? 君は俺の妻なのだから」

「〜〜!!」


 エレノアは頬を染め、消え入りそうな声で「そうでした……」と呟いた。セインの心に、愛おしさが込み上げてくる。


(……全く、彼女には敵わないな)


 前回の人生の自分では、妻とかくれんぼをして戯れるなど考えられない状況だ。毎日仕事に没頭し、娯楽に興じるのは無駄だと思っていた当時は、心にゆとりがなかったのだ。

 こうして誰かとたわいもない時間を過ごすことも、人にとっては大切で、そこから見えてくるものもあるのだと今は分かる。


 仕事も、妻と過ごす穏やかな時間も、今はどちらも大切に感じている。


「このお部屋、他の客間よりずっと豪華ですね。貴賓室でしょうか」

「ここは俺の寝室だが」

「ええっ!? 生活感がなかったので、お客様のお部屋とばかり」


 エレノアは青ざめながら詫びの言葉を口にした。構わないと答えても、彼女はいたたまれないい様子だった。


「かくれんぼは満足したか?」

「はい。とっても楽しかったです」


 当主が沽券を捨てて興じた子どもの遊びだったが、彼女がこんなに喜んでくれたなら良かった。しかし、エレノアは控えめにこう続けた。


「あの……もう一回しませんか? ご迷惑で、なければ」

「…………」


 セインは苦笑した。

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