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18.旦那様には知られたくない過去があります

 

「こんなところで会えるだなんて、奇遇ね。ツイてるわ」


 彼女の言葉に肩を竦めた。前回の人生でも、マーガレットは公の場でエレノアを目ざとく探し出し、いかにして皆の前で恥をかかせるかということに躍起になっていた。意地の悪い笑みを浮かべた彼女に、内心で答える。


(憑いてます憑いてます、違う意味で憑いてしまっています……!)


 マーガレットの背後にまとわりつく黒い影。実家にいたころも、意地悪な彼女は邪悪な妖魔に好かれていた。当時より影が濃くなっているのを見て、背筋がぞくっとする。妖魔は負の感情を糧に、強力に成長していくのだ。


 マーガレットは、上目がちに――セインを見上げた。うっとりとした表情で言う。


「お初にお目にかかりますわ、セイン様。まさかあなたが、これほど精悍な殿方とは思いもせず……。社交界のゴシップ好きには困りますわね、お辛かったことでしょう? 私、同情いたします」


 マーガレットは公爵の断りも得ずに、ぺらぺらと喋った。しおらしげにセインを見つめる彼女に、エレノアは呆れた。一体どの口がそんなことを言うか。これまで出先で妹の悪口を吹聴しまくっていたことは、忘却の彼方に行ってしまったらしい。一方、セインは冷えた眼差しで彼女を見下ろしている。


「君は誰だ?」


 圧し迫る威圧感に、一瞬彼女が立ち竦む。


「わ、私はエレノアの義理の姉の、マーガレット・ファーナーです。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんわ」


 そう言って艶やかに微笑み、スカートを摘んでお辞儀する。彼女の瞳には、もはや麗しの公爵しか映っていない。


「セイン様、エレノアが妻になるなんて、気苦労が絶えないのでは? この子、昔っから変なんです。何もないところで喋ったり、悲鳴を上げたり……。私たち家族も手を焼いておりました。ね、私でよければいつでもお話を聞きますわ。同じ悩みを抱える者同士、分かり合えることもありましょう」


 甘い表情で提案する彼女。エレノアは、何も言い返さなかった。自分が変というのは紛れもない事実だし、反発して無駄な争いをする気もない。この嵐が早く過ぎ去ることを、願うだけだ。


「妻を迷惑だと思ったことはない。むしろ、俺のようなつまらない男に嫁いでくれたことに、感謝している」

「……そ、そうですの?」


 エレノアは目頭が熱くなった。しかし、セインから拒絶の意をほのめかされても、マーガレットはしぶとかった。今度はエレノアに意地悪な表情で声をかける。


「美しい上にお心も寛大な旦那様で良かったわねぇエレノア。じゃあ、あのことは彼にまだ言っていないの? ――"自分は不思議なものが視える特別な存在だ"って。いつも言ってたわよね? 誰かの気を引くための嘘はもう辞めたの?」

「……!」


 エレノアの心臓がどきんと音を立てた。小さなころは、恐ろしいものが視えることが怖くて、誰かに分かってほしくて本当のことを話していた。しかし、セインには、気味悪がられるのが怖くて、一度も言ったことがない。……今彼は、どんな顔をしているのだろうか。


(この場は私が収めなくては。これ以上、旦那様の前で好き勝手言わせてはおけません)


 自分だけなら、何を言われても我慢するが、セインには知られたくない秘密が沢山ある。


「……ええ。もう嘘をつくのは辞めました。……お義姉様、他人を貶め不徳を重ねれば、心が本当に闇に飲み込まれてしまいますよ。自分の首を絞める前に、お気をつけて」

「はぁ? あんた何言ってんの?」


 マーガレットは、怪訝そうに顔をしかめた。しかし、これは嘘ではなく真実だ。彼女に取り憑いている妖魔は、どんどん大きくなっている。人を見下したり、驕り高ぶる負の感情を早く手放さなければ、やがて成長した妖魔から影響を受けて、自分さえも不幸になってしまうだろう。


「旦那様。もう行きましょう」

「ああ」


 その場を立ち去ろうとするも、マーガレットはまだ執拗だった。無礼にも、セインの袖を引っ張って畳み掛ける。


「ほら、今のをお聞きになりました? セイン様、エレノアはこうやっておかしなことばっかり――」

「しつこいぞ」

「!」

「君と話すことはない。それから、金輪際妻への無礼な発言は慎むように。非常に不愉快だ」


 忌々しそうにはっきりと告げられ、マーガレットは茫然自失。一方、エレノアも、誰かに庇ってもらえたのは初めてのことで、驚いていた。ぼんやりしていると、セインに手を引かれた。


 その場に残されたマーガレットは、親指の爪の先を噛んで、悔しそうに呟いた。


「私に恥をかかせて……。エレノア、あんたのこと、絶対に許さないわ。覚えておきなさい」


 憎悪を燃やした彼女の背後で、妖魔がまた大きさを増した。



 ◇◇◇



 夜の冷たい風が肌を優しく撫で、遠くで夏虫が鳴いている。セインは自分のジャケットを脱いで、エレノアの肩に掛けた。彼の温もりが残っていて、どきどきしてしまう。


 セインがおもむろに言った。


「先程の女性は本当に君の姉か? 君とはあまりに違う気質だな」

「血の繋がりはありませんが、共に育った家族です。義姉が失礼な態度を取って、申し訳ありません」


 妹の旦那とはいえ、セインは公爵家当主。格上の家格の者を相手に、あのような態度は、礼儀を欠いている。


「いや、俺はいい。ただ、君の方が心配だ。大丈夫か?」


 セインの優しさに、頬が緩んだ。


「はい、平気です」

「そうか。君は……実家で辛く当たられていたのか?」

「……はい。ですがもう過去のことですから」


 エレノアは遠くを眺めた。傷ついた過去に囚われ続けるのは無意味なことだ。今向き合うべきは、過去ではなく――目の前にいる相手。


(旦那様は、どう思われたのでしょう。お義姉様から聞いた、私のことについて)


 これまで一度も、セインに能力について話したことはない。不思議なものが視えるなんて、嘘つきと軽蔑するか、はたまた不気味な力だと忌み嫌うか。あるいは――


(旦那様はきっと、向き合ってくださる。……そういうお方です)


「旦那様。私は……旦那様に隠していることがあります」

「……そのようだな」

「もし、打ち明けて、嫌われてしまうのが怖いのです……。これは私の心の問題です。ですが、いつかきっとお話しします。それまで待っていてくださいますか?」

「――もちろん。気長に待つとしよう」


 夜風に吹かれて、セインの艶やかな黒髪がなびく。月明かりが照らす青い瞳は光沢を帯びて、吸い込まれてしまいそうなほど美しかった。

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