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16.旦那様、参りましょうか。戦場へ!

 

 新緑が眩しい梅雨のみぎり。とうとう夜会の当日を迎えた。王宮で開かれる大規模な催しに、エレノアは朝からそわそわしていた。


 午後、身支度を整え始めるころ、エリザベートが応援に来てくれた。姉御肌で世話好きな彼女は、エレノアが気がかりで居ても立っても居られなかったそう。


「よろしくって? 夜会は戦場。女同士の争いは――静かなもの。皆、公爵夫人の粗を見つけてやろうと、茂みに潜む野生の獣のように睨みを利かせていますわ。エレノア夫人。夜会ではまず、身なりを完璧に仕上げるのが重要ですのよ」

「なるほど。勉強になります」

「ちょっと。そこのメイドのあなた。この子は結わずに下ろしたままの方が絶対にいいわ。せっかく美しい髪をしているのだから、魅せなくては」


 エリザベートは髪を編んでいるリゼに言った。


「いえ。お言葉ですが、髪を結った方がエレガントだと思います。それに、奥様はどのような髪型でもお似合いです」


 伯爵夫人の要求を、怯まず撥ね除けたリゼ。エリザベートは不服そうに頬を引き攣らせた。


「あらあら、随分と小生意気なお嬢さんですこと。髪を下ろした方が、色気があってエレガントよ」

「いいえ。髪を束ねて、首元のお肌が見えるようにした方が色気が際立つかと。後れ毛を少し出して、柔らかなニュアンスの印象に仕上げます」


 何やら、不穏な空気が漂っている。二人のかち合う視線の間に、バチバチと稲妻が走る音が聞こえた気がした。結局、間をとってハーフアップにすることで話が落ち着く。前髪をサイドに流し、小さな宝石が連なるサークレットをつけてもらった。


 ドレスはワインレッドで、スカートがフレアに広がる。胸元が微かに覗くスクエアネックは、肩にレース生地が贅沢に使われていて、シースルーで透け感があり、施された花の刺繍が可憐だ。


 それを着こなすエレノアの、浮き出る鎖骨のラインも、シミひとつない白くしなやかな肌も、何もかも洗練された美しさがある。


「今日の主役は自分だと思いなさい。好奇も奇異も、全て羨望に変えてやりなさい」

「私にはハードルが……」

「返事は」

「はいっ!」


 エレノアはすっかり、エリザベートに手なずけられている。


「ほら、セイン様に見せに行きましょう。あの堅物公爵閣下が、どのような反応をなさるか、ぜひ拝ませていただきたいですわ」


 エリザベートは衣装に口出しする厄介な婦人から、色恋に興味津々な野次馬モードへ切り替わっていた。変わり身の早さには驚かされる。


「ですが、旦那様もお支度の最中なのでは」

「そんなのは知ったこっちゃないですわ」

「まぁ……」


 マナー講師が聞いて呆れる傍若無人ぶりに困惑していると、彼女に手を引かれてセインがいる部屋に連れていかれる。エレノアは思うところがあっても、意思が弱いので無抵抗だ。大きな扉をノックすると、聞き慣れた低い声が入室を許可する。


「お邪魔いたしますわ、セイン様。あなたの"プリンセス"をお連れしましたわよ。見てくださいまし、とっても美しいでしょう?」


 ほぼ支度を終え、椅子に座りネクタイを整えていたセインが、こちらを振り返って固まる。彼は、エレノアと対になるワインレッドのスーツを着こなしていた。彼の視線を感じ、所在なくもじもじするエレノア。


「……あの……変、ではないでしょうか」


 気がつくと、どんどん背中が丸まっていく。目ざといエリザベートがその背を叩き、「姿勢」と耳打ちする。姿勢を正し、緊張しながらセインを見ていると、彼は椅子から立ち上がってこちらに歩んできた。近づいてくる彼に、反射的に一歩後ろに下がった――その瞬間。


「わっ」


 絨毯の毛先にヒールが引っかかってよろめく。

 しかし、転ぶ前にセインが抱き支えられた。少し近づいたら触れてしまいそうな距離に、彼の端正な顔がある。状況に理解が追いつかず、キャパオーバーで放心していると、彼が大人びた表情で甘美に囁いた。


「君は、随分そそっかしいお姫様だな」

「〜〜!?!?」


 ずきゅん。至近距離で魅せられた彼の甘すぎる笑みに、胸が撃ち抜かれ、エレノアの顔からぷしゅうと湯気が立つ。


「ふうん。セイン様もそういうお顔をなさるのですわね。ご馳走様です」

「……何をしに来た、エリザベート夫人」

「忠告ですわ。私の可愛い教え子に、公然の場で恥をかかせないように――と」


 エリザベートはセインに挑発的な視線を送った。一方でセインは、不思議そうに首を傾げる。


「君が指導をしたんだ、抜かりはないのだろう?」

「ちっがうでしょうこの朴念仁! そういうことではなく、同伴者として彼女をサポートしろと言っているのです」

「な、なるほど」


 セインもエリザベートには押され気味だ。彼女は彼に小言を聞かせた後で、あっと何かを思い立つ。


「そうだ、エレノア夫人。この夜会を終えたら、セイン様にご褒美をいただいてはどうかしら。せっかくここまで頑張ってきたのだから、何かひとつくらいあったっていいわよね」

「おい、何を勝手に決めて――」


 しかしセインは、期待を隠しきれず子犬のように目を輝かせている妻を見て、言葉の続きを呑み込んだ。


「まぁ、いいだろう。エレノア嬢の希望はなんだ?」


 エレノアは数拍置いて、遠慮がちに言った。


「――が、したいです」

「……」

「……」


 しばしの沈黙の後、セインとエリザベートは、エレノアの突拍子もないお願いに顔を見合わせたのだった。セインは逡巡し、「分かった」と承諾した。

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