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13.政略結婚の妻は、危なっかしくて目が離せない

 

 視察後、セインはエレノアと共に、レストランで食事を摂った。庶民も利用できる手軽な店。頼んだのは、大麦の硬いパンに、野菜のスープという簡単なメニュー。妻は肉が食べられないので、スープの中の豚の加工肉は代わりに食べてやった。


 食事を終え、穏やかな街を散策する。エレノアは、「あれはなんですか」、「これはなんでしょう」と目につくものに興味を示した。


「旦那様。音楽が聴こえませんか?」

「ああ。近くで楽団が路上演奏しているのだろう。行ってみるか?」

「はい!」


 音の方へ行ってみると、楽団の演奏に合わせて、若い娘三人が踊りを披露していた。踊りや音楽は、民の数少ない娯楽であり、観衆が大勢集まっていた。レース生地の衣装には、金飾りが付けられ、動く度にしゃらしゃらと音を立てる。


「――素敵」


 隣でエレノアが感嘆の息を漏らした。


「気に入ったなら、公爵邸に音楽家や芸子を来させようか」


 貴族の中には、日替わりで芸子を招いたり、専属の音楽家を雇っている芸好きもいる。セインは、享楽という享楽に関心がなかったが、エレノアの望みは叶えてやりたい。


 しかし、踊り子たちに見蕩れていたはずのエレノアが、悲しげに首を横に振った。


「いいえ……。私は彼女たちを娯楽に消費することはできません。あんなに沢山の障りを背負って……。どれだけ身体を酷使してきたか分かりません。美しくて、けれどとても――哀しい」


(エレノア嬢には……そんなことまで、視えるのか)


 芸子は、自ら進んで芸の道に進む者ばかりではない。なぜなら、他人のために芸を売るのは蔑視の対象となるからだ。しかし、事情がある女たちは踊り子になることを選ぶ。当然、踊りだけで食べていくことはできず、空いた時間に売春をする者が大半。芸と共に、身体まで搾取されるのが、この時代の――踊り子という職業だ。


 視えすぎるエレノアは、強い念のようなものを感じ取ったり、あるいは物質として目に視えているのかもしれない。


「そこの綺麗なお嬢さん! あんたも一緒に踊りましょうよ! そんなつまらない顔してないで、さ。笑って?」

「えっわ、私踊りはそれほど上手くな――」

「つべこべ言ってないで、さあ!」


 踊り子の一人が、辛気臭い顔をしていたエレノアを見つけて手を引いた。エレノアは縋るような眼差しをこちらに送ってきたが、とうとう連れて行かれてしまった。彼女は大衆の面前で、とても貴族の令嬢とは思えぬぎこちないステップを踏んだ。

 観衆は不慣れながらも一生懸命踊るエレノアを見て、微笑ましげに笑った。「いいぞお嬢ちゃん! 頑張れ!」、「よっ! べっぴんさん!」などと野次を飛ばす者も。……実は彼女が、この公国を治める公爵の夫人だとは、誰も夢にも思っていないだろう。


 エレノアが踊る度、艶やかなプラチナブロンドの髪と、スカートの裾がはためく。その様は、可憐で美しかった。


(……あのダンスはいただけないな。妻にダンス講師をつけることを検討するとしよう)


 公爵家の品位を守るため、やむを得ず社交場に顔を出さなければならないこともある。あの稚拙なダンスは、人前で披露させる訳にはいかない。


 まもなく、一曲が終わる。踊り終えたエレノアに、拍手と賞賛が送られた。すると、彼女の元に一人の若い青年が歩み出て、彼女の手を取った。エレノアは不思議そうに小首を傾げて、振り払おうとしない。観衆はロマンスの予感にざわめき立った。


「美しいお嬢さん。あなたの踊る姿があまりに愛らしくて、妖精さんかと思ってしまいました」

「まぁ。あなたも視えていらっしゃるの?」

「――あなたも? いえ、ただの比喩表現です。しかし、近くで見るとますます美しい。玉のようだ」

「えと……あの……?」


 歯が浮くような賛美を次々と口にする青年。エレノアは自分が口説かれていることにちっとも気づいていない。


(俺も鈍いが、妻も大概だな)


 不穏な気配を察し、すぐにエレノアの元に行く。自我が弱すぎるエレノアは、青年に完全に流されている。


「お嬢さん。今から俺と食事に行きましょう」

「え……はい」


(待て待て待て、なぜ承諾しているんだ!?)


 押しに弱いにも程があるだろう。困ったように頷くエレノアに対し、青年は抱きつく勢いだ。


「すまないが、彼女は俺の妻だ。他を当たってくれ」


 セインは二人の間に割って立ち、エレノアの細い腰を抱き寄せた。エレノアに声をかけた青年は、年若く爽やかな風貌をしていた。タレ目で目の下にほくろがあるのが特徴だ。


「――俺の妻……ですか。お二人、かなり年が離れているように見えますが、もしや政略結婚ってやつでは? 随分いい身なりをされているようですし。僕みたいな平民には無縁ですが、良家の方にはよくあるのでしょう?」

「そうだとして、なんだ?」

「あなた、結構亭主関白なのではありませんか。ほら、奥さんが萎縮して黙っちゃっています。それは、あなたの目つきが怖いからです!」


 ……エレノアは、誰に対してもこんな感じだ。青年は公爵家当主を目つきの悪い亭主関白と決めつけ、エレノアを甘い表情で覗き込んだ。


「あなたも、その男が嫌なら、僕にしてはいかがでしょう。僕なら、あなたを怖がらせたりしません。それに、その男はあなたを所有物か何かだと勘違いしている。それは真の愛ではありません」


 すると、エレノアが泣きそうな顔で首を横に振った。


「たとえ、愛されていなくても……私の旦那様は、セイン・エーヴァルト様ただおひとりです」

「セ、セセセセセイン、エーヴァルト……?」

「旦那様は、確かに不器用なところがありますが、私と向き合おうとしてくださり、幸せも願ってくださったお優しい方です……!」


 エレノアは、青年の驚愕に気づかず声を張り上げた。


「ま、待ってくれ。君の旦那様は、エーヴァルト公爵閣下、この国の領主様なのか……?」

「――私はっ」


 青年は、セインの胸に輝く公爵家の家紋を見て、顔面蒼白で恐れ戦いた。一方、エレノアは周りも見えない様子で、上擦った声で必死に訴えている。


「私は、決めたのです。これからは旦那様が向き合おうとしてくださった心にお応えすると。だから、あなたの元へは行けません」


 半泣きのエレノア。そして、畏怖の念で泣きそうな青年。二人に挟まれたセインは、ため息をついた。


「……確かに政略結婚だった。だが俺は、妻のことを愛している。悪いが、他の誰にも譲ってやれない」

「は、はい! 当然でございます! 公爵閣下のご夫人を、誰が奪えるというのでしょう。そのような恐れ知らずは、公国にはいません。で、では僕はこれでっ!」


 先程までの余裕をすっかり失くし、青年は転がるように逃げていった。一方、エレノアは零れ落ちそうなほど目を見開いてこちらを見上げた。


「旦那様、今なんと……」

「君を愛していると言ったな」

「!?!? う、嘘ですか」

「嘘ではない。本当のことだ」


 セインは、彼女の手を引いて人集りを離れた。皆、へんてこな踊りを披露したのが公爵夫人だったと知り、口をあんぐりと開けて二人を見送った。

 しばらく連れて歩いた先で、彼女の額を指先で弾いた。


「あいたっ」

「君は危機感が足りてなさすぎる。菓子などをくれると言われても、知らない奴には付いていってはならない」

「……お菓子ではなく、食事だったのですが」

「食事もだ」


 まるで、外遊びに出かける幼子を窘める母親の気分だった。


「……それから。先程のは俺の本心だが、君に答えを求めはしない。妻としての役目を強いることもしない。だから、気負わずに今まで通りでいてくれ」

「…………」


 彼女は何も言わなかった。結局、その日のエレノアは、何を話しかけてもずっと上の空だった。

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