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11.二度目の結婚、旦那様と初デート(※視察)に出かけます

 

 外出の約束をし、そわそわした様子のエレノアは今度こそ執務室を退出した。扉の隙間から、彼女がひょっこり顔を覗かせて囁く。


「旦那様。あのババロア、恐らく食べてもお身体に害はないかと。清潔なねずみさんの仕業だったようです」


 ――と。清潔なねずみとはなんだと思いつつ、「そうか」と返答する。ババロアが欠けた瞬間のエレノアの慌てふためき様を見て、犯人がねずみではなく妖魔ということは、セインにも分かっている。


 忙しない妻を見送り、扉を閉めて振り返ると、ジフリードが神妙に言う。


「やっぱり、視えてるみたいだね。彼女」


 すると、彼の顔がみるみる蒼くなっていく。


「エレノア嬢、僕の頭に視線が一点集中だったんだけど!? いるじゃん絶対! 僕の頭に! 僕、取り憑かれてたりするのかな?」

「知らん。俺にも視えないからな 」

「もしや、王家の者が代々薄毛に悩んでるのって、人ならざるものの呪いなんじゃ……」

「それは単なる遺伝だ」

「ババロアかじったのだって、絶対ソイツのせいでしょ。エレノア嬢はなぜか庇ってるし……」

「……彼女はお人好しだからな」

「そういう問題?」


 ジフリードは、セインの古くからの友人だ。エレノアを再び妻として迎え入れるにあたって、彼には色々と相談している。エレノアのために屋敷の設備を整えることを提案してくれたのも彼だ。社交的で細やかな気遣いができるジフリードは、何かといい助言をしてくれる。エレノアの能力については半信半疑だったが、今日彼女の様子を見て、腑に落ちたようだ。


「彼女、優しそうな子だね。苦労してきただろうに、曲がっていない」

「ああ。……だが、人に付けられた傷は根が深い」


 エレノアは、人に対して極端に遠慮する。自分の主張はしないし、謝ってばかりだ。

 扉の奥で、妖魔と騒いでいた彼女は、強気であけすけだった。あちらが本来のエレノアの姿なのだろう。人前でおどおど振る舞うのは、より皆を不審がらせる要因となる。少しずつ克服していくことが、彼女自身のためでもあるだろうが、難しい問題だ。


「――"妖魔"。彼女は異形のものをそう呼ぶんだよね?」

「ああ。実際には、魔物や精霊、神や悪魔の類いだろう」

「ふうん。なんていうか、凄い奥様を娶った訳だ。ま、上手くやっていけるよう、健闘を祈るよ。旦那サマ?」

「……」


 セインは難しげな表情を浮かべた。



 ◇◇◇



 孤児院建設地を視察する日の朝。

 エレノアは三人のメイドに身支度を整えてもらっていた。如何せん、初めての夫との外出だ。メイドたちも気合いを入れていた。ルージュが化粧を施し、アイリーンが髪を結い、リゼが宝飾品を選んでいる。


(なんだか、着せ替え人形のような気分で、そわそわしてしまいます)


 実家にいたころは、誰もが気味悪がってエレノアの世話を拒んだので、こうして尽くしてもらうことには不慣れだった。


「奥様、少し目を閉じていてくださいませ。お粉が目に入ってしまいますので」

「は、はい」


 ぎゅっと瞼を閉じると、ルージュがブラシで白粉を塗ってくれた。元々ハリがあって美しい肌が、陶器のように洗練されていく。


「奥様、耳飾りはこの中でどれがお好みでしょうか」

「そうですね……一番右の小ぶりなものが好きです」


 リゼが差し出したケースの中から、最も控えめなものを選ぶ。されるがままでいると、あれよというまに身なりが整った。アイリーンに促され、姿見の前に立って確認する。


 緑が基調になった丈長のワンピースドレス。襟と袖は白いフリルがあしらわれ、胸の茶色の細いリボンが上品さを引き立てる。上半身は細身で、エレノアの身体の曲線が際立ち、スカートはフレアに広がっている。


 髪は複雑に編み込まれ、胸を飾っているのと同じリボンが結んである。エレガントさと愛らしさを同居させた素晴らしいコーディネートだ。


「とってもお美しいです、奥様!」

「……もったいないお言葉です、ありがとうございます」


 アイリーンが両手を合わせて簡単の息を漏らした。他のメイド二人からも賞賛され、気恥ずかしく思いつつ、エントランスに行った。既に支度を終えたセインが待っていて、着飾ったエレノアの姿に少し眉を上げる。そして、ぎこちなく言った。


「その……あれだ。よく似合っている」

「へあっ!?」


(だ、旦那様が人をお褒めになるだなんて……)


 エレノアは目を皿にしてたじろいだ。セイン・エーヴァルトといえば、堅物で、自分の外見にも、まして女性の外見にはことさら無頓着な人だったはずだ。エレノアは変な声を出したことも忘れ唖然とする。そして、小さく呟いた。


「…………明日は雨、いえ――大雨でしょうか」

「心の声が漏れているぞ」

「……! 大変失礼いたしました。まさか、あの旦那様が世辞を言えるようなお方とは思いもしなかったので」

「より失礼だな」


 セインは、「全く……」と呆れて嘆息した。彼の装いは、刺繍が施された詰襟の白シャツに、黒のジャケットとトラウザーズだ。比較的ラフな姿だが、彼の高貴さは少しも損なわれていない。素材がいいので、何を着ても似合う。


 二人は馬車に揺られ、一つ目の候補地へ赴いた。


「うぷっ……」

(こ、こんな場所、絶対にだめです。人の住む場所ではありません!)


 そこは、街から離れた丘陵地だった。暮らしの便は悪いが、自然が豊かで開放的。しかし、エレノアはその地に降り立った途端、吐き気を催した。吐き気だけではない。悪寒がして背筋に冷たい汗が流れる。

 ロロが言った通り、邪気をまとった妖魔が無数に浮遊していた。見た目は、目を背けたくなるほどおどろおどろしく、中には人型をとった者もいる。エレノアは口元を手で押さえてよろめいた。


「お、おい。エレノア嬢。顔色が悪いぞ」

「旦那様、ここは止めましょう。その……磁場が悪いので」


 悪しきモノの群生地帯になっているとは言えるはずもなく。限られたエレノアの語彙では、こう言うのが精一杯だ。


「ひゃあっ!」

「どうした!?」

「だ、旦那様の足元に――」

「俺の足元になんだ!?」


 セインは視線を下に落とす。彼の目には何も映らない――が、エレノアの紫の瞳ははっきり捉えていた。長い黒髪に大きな口をした女型の妖魔が、セインの足にまとわりついているのが。それも、並々ならない様相だ。


『あっらぁ。イイ男ねぇ。見てるだけで体が溶けちゃいそう。眼福だわぁ』

(そう言う前に、既に半分くらい溶けかかっていますけど……)


 女型の妖魔は、さながら恋する乙女のごとく恍惚とした表情でセインを見上げている。エレノアは、悪い気配を彼女から感じなかったので、胸を撫で下ろした。


「いえ、頭に包丁が刺さって血まみれですが、害はありません」

「精神的な意味で害しかないと思うが」

「わ……今旦那様のお体の中に――!?」

「体の中になんだ!?」

「……」


 そこまで言って思いとどまる。視えないセインにとっては、何を言っても虚言として扱われてしまうだろう。エレノアは申し訳なさげに伝えた。


「ごめんなさい、旦那様。影と見間違えたようです。突然おかしなことを言って、驚かせてしまいましたね」

「い、いや、大丈夫だ。……見間違いなら、安心だな」


 しかし彼は、全く安心していない様子で、再度足元を確認していた。


 エレノアは、土地一帯を眺めて言った。


「――この辺りの土がむき出しになっているのは、植物たちが土地と不調和を起こしているからです。人に対しても同じ。この場所は、精神にも肉体にもあまりよい影響はありません。木の伐採や抜根等の土地造成の手間はかかりますが、立地にはこだわるべきと私は思います」

「……」


 足元で、植物が枯れている。木も植物も育たないので、地面はまっさらだ。建設にはうってつけだが、後々のことを考えるとここは推奨できない。エレノアは珍しく、はっきりと意見を伝えた。


「俺にはない観点だ。非常に参考になった」

「い、いえ……。出すぎたことを申し上げてしまいました」

「そんなことはない。感謝している」


 そのとき、セインの薄い唇が扇の弧を描いた。彼の柔らかい表情を見て、なぜか胸が高鳴った。

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