82 スタンピード
ギルド長の予測通り、魔物の群れはこの2週間で膨れ上がり、いよいよ王都へ向かってくるだろうと思われた。
冒険者たちは王都西端の平原に集結し、バイラミ州から来る魔物に備えた。
王都ではアフメトの必死の説得が大臣らに通じ、王宮と地下水道に住民を分けて避難が完了している。
ギルドでも準備が整った今、全員を集めての決起集会が行われた。
「バザン聖王国軍はあと5日で王都へ帰還する。それまで死力を尽くして持ち堪えるのだ!!」
『おぉぉぉぉーー!!!!』
バザンやその周辺国から集まった千人の雄叫びがこだまする。
一方でスタンピードで押し寄せる魔物は1万体以上と見られ、その中には魔猪や魔牛、魔巨猪から魔巨人、キングオーガなど1人では倒せない魔物も混じっている。
千人では到底勝ち目のない戦いなのは明白で、この緊急依頼で集まった冒険者たちには例外的に手付金として多額の金を渡している。それほどに過酷な戦いが予想されるのだ。それでも彼らは王都にいる家族のため、地元にいる家族を養うため集まっていた。
美波は彼らの顔を見ながら、この中から一体何人が生き残れるのだろうと埒もないことを考えてしまう。その嫌な考えを振り払うように頬をベシッと叩いた。
「なに変な顔してんだ」
ギルド長らと陣形について話し合っていたルークが戻ってきた。
「ううん、なんでもない。それで、ギルド長たちとの話し合いは?」
「偵察の結果、スタンピードの先頭があと2時間くらいでここに来る。俺とお前で中央部を担い、他の冒険者が南北に広がって王都に侵入する魔物の数を出来る限り減らす」
美波は黙って頷いた。
命懸けの戦いはすぐにやってきた。
大森林の奥から響く地響きが次第に大きくなり、やがて美波の肉眼でもスタンピードの先頭が目視できる距離に迫っていた。
「来るぞ」
「うん」
(まだ、もう少し……! 今だ!)
美波が上げた腕を振り下ろすと、ゴーッと本物の地鳴りが発生し、10メートル先の地面が南北に大きく引き裂かれた。堀のようになったそれを勢いのついた魔物や知能の低い魔物は避けられず次々と落下していく。
ゾルバダ城攻略戦で火事場の馬鹿力を発揮し会得した魔法を行使する。
「なんだこりゃ! すげぇ!!」
「これでちっとは楽になんぜ!」
周りの冒険者がやいのやいのと持て囃す。
これで中央部の魔物密集地帯の守りを薄くできる。上手くいったことを確認した美波とルークは、南北に分かれて他の冒険者に混ざり戦う。
「火矢! 火矢! 火球!!」
美波は魔犬や双頭魔犬、フェンリルなどを的確に最小限の魔力で屠っていく。遠く北の方を見れば、ルークが無駄のない動きで剣を振るっていた。そして周りをざっと見渡す。
(今のところは順調、かな)
しかし、昼に始まった戦闘が4時間、5時間、そして夜になる頃には少しずつ重軽傷者が発生しだす。交代で仮眠を取りながら戦うも、魔物の勢いは止まるところを知らない。
美波はいくつもの堀を作っては大量の魔物をそこへ落とした。ただ、効果も大きいが魔力消費も多く、魔力の多い者に優先して配られた非常に高価な魔力全回復ポーションを2日で2本消費し、残りは3本。
しかし戦闘開始から3日が経った頃__
「前線後退! 全員後退しろ!!」
「前線が崩れたぞー!! 元気なやつは怪我人を運べ!!」
「こいつはもう助からねぇ、置いてけ!」
至るところから怒号が飛ぶ。
怪我がない者はおらず、動けている誰もがどこかしらを負傷していた。動けない重傷者や死者も3桁にのぼっていた。
美波も怪我を負いながら撤退する仲間を庇い後退し、最終防衛ラインである王宮の前まで辿り着く。
王宮の城壁は頑強で守りやすい。城門のある南北と東の大門さえ突破されなければいいからだ。その分冒険者らの配置も厚くできる。
(あと2日……こんな状態で持ち堪えられるの……?)
王宮内に急遽作られた野戦病院には、腕や脚をなくした者、体に大きな傷を負い包帯に覆われている者らがずらりと横たえられていた。死者はいない。前線で死んだ者を運んでくる余裕などなかったのだ。
(もしこれがバザンとの戦争だったら……)
目の前の光景がアラミサルの軍服を着た騎士らと重なって見える。おぞましい悪夢だった。
「1班と2班交代!!」
ギルド長の号令でふっと我に帰る。束の間の休息は終わりだ。王宮の城壁前で戦っているルーク率いる1班に代わり、美波の所属する2班が前に出る時間だ。
「私も一緒に行こう」
「アフメト殿下!」
美波の声に周囲の冒険者らの視線が一斉に集まる。負傷者に対応する王宮の官吏らは叩頭した。アフメトは構わず仕事を続けるようにと言う。
「どうして殿下がここに?」
「私もそれなりに戦える。王位継承権の低い私のような者はたとえ戦に出て死んだとしても困らぬからな。それに魔法も使えるから戦力になるぞ。それよりそなた、怪我はないのか?」
「大きな怪我でなければ回復魔法で治せるので」
それにより少なくとも美波の周囲で戦う冒険者の死亡重傷者率は他より低い。
「そなたは一体何者なのだ。ただの後宮女官にしては博識で、官吏をやらせてみれば此度の戦の裏側まで暴いてみせた」
「そして冒険者でもある、おかしいですよね」
「教えてはくれぬのか?」
「そう、ですね。必要になればお教えします」
美波の複雑なこれまでを語るには、心身ともに疲れ過ぎていた。
王宮の門の手前で引き上げてきたルークとすれ違う。彼は負傷した仲間を抱えるように歩いていた。美波はざっと全身を見て大きな怪我がないことを確認する。
城門を出ると途端に激しい戦闘の音が鼓膜を叩く。美波はすぐに3、4班に合流して戦い始めた。
建造物に配慮している余裕はない。美波は容赦なく地面にボコボコと穴を開け、こぼれた獲物は火矢や火球を撃ち殲滅していく。隣ではアフメトが巨大な炎の竜巻を作り、容赦なく街を巻き込みながら魔物を屠っていた。
「あんまり最初からトバすと魔力が保ちませんよ」
「案ずるな。出遅れた分、魔力ポーションを調達してきた」
4班で順番に休憩を取るので18時間ぶっ通しでの戦いだ。体力の配分に気をつけなければ大怪我をする羽目になる。
「そなたこそ、そのように大技を連発して大丈夫なのか?」
「私もポーションがあるので」
アフメトは美波の異常な魔力量に気づいていたが、これにも深く追求することはなかった。
日に日に冒険者らは損耗し、5日目の朝には死者重傷者率は6割を超え、部隊を4つに分けることもできなくなった。
「今日だ! 今日にはバザン軍が戻ってくる!! それまでの辛抱だ!!」
自らもボロボロになりながらギルド長は冒険者らを鼓舞した。誰も彼もが限界をとうに超えていた。それでも王宮内にいる市民を守る、その使命感だけで立ち上がる。
「ミナミ、無事か?」
ずっと離れて戦っていたルークが隣に立った。いつもは涼しげに余裕をたたえる彼にも疲労が色濃く現れており、体のあちこちを負傷している。
「全身痛いけど致命傷はないよ。ルークは?」
「似たようなもんだ。殿下は?」
「初日から戦っているそなたらよりは余裕がある」
休む暇もなく魔物を相手にしながら、互いに怪我の具合を確かめる。
「今日を持ち堪えりゃ俺たちの勝ちだ。いくぞ!」
「おー!!」
「あぁ!」
それぞれが気合いを入れ直して魔物と向き合う。
長い一日が始まった。
次々と襲いかかってくる魔物に、美波は機械的に魔法を撃っていく。魔犬など小型魔獣には火矢を魔牛や双頭魔犬など大型魔獣には火球を、そして魔物が密集している場所には堀を出現させ落とす。この5日繰り返した戦闘で、効率よく倒す方法を学んでいた。
ただ四方八方から受ける攻撃への反応は疲労の影響で段々と鈍くなり、傷を負う回数が増えてきた。それは周囲の者も同じだった。美波は回復魔法でサポートもしながら戦う。
「ミナミちゃんがいてくれてホント助かるわ!」
「そうそう、カイベがいなかったら死んでたかもなー!」
「初歩の回復魔法しか使えなくて申し訳ないけどね」
「なんの! 魔法が使えるってだけでこの国では貴重なんだ。いてくれるだけでありがてぇってもんさ」
全員の疲労はピークに達している。それでも明るさを忘れない彼らを、美波は好ましく思っていた。
魔物は前線を突破された時から王都内に散らばり溢れかえっていた。整備された道路を踏み荒らし、家々を破壊し、街を荒廃させていく。
その時、ズシンズシンと地震を起こしながら近づく魔物の姿を遠目から確認した。
「ヘカトンケイルだ……」
冒険者の誰かが呟いた。
ヘカトンケイルとの距離はまだ500メートル以上はある。それでも肉眼で見えており、その大きさに冒険者らが息を飲んだ。
「ミナミ、やれるな?」
「やるしかないよね。あんなの城の城壁なんかひと蹴りで壊される」
どんどんと地面の揺れが大きくなる。敵との距離は100メートル。その全容が見えた。
ヘカトンケイルの体長は50メートル超、体は岩石でできているように窺える。
「火のダメージは通りにくそう。水系統は効くと思う?」
「無理っぽいが、やるだけやってみろ。にしてもあの硬そうな体。剣折れんじゃねぇの」
美波は巨体を前に怯みそうになるのを、両足に力を入れて踏ん張る。
「殿下は他の魔物の相手を頼む。ヘカトンケイルは俺と美波でどうにかする」
「頼む」
他の魔物も絶え間なく襲ってくるのだ。ヘカトンケイルにだけ人員を割くことは出来ない。無理でもなんでも、やれなければ死ぬだけだ。
「俺が前に出る。援護頼む」
「任せて」
一瞬視線を交わし、それから前を見据えルークが走り出す。
「火球! 水球!」
美波はヘカトンケイルの頭を目がけて魔法を放った。だが、毛ほどのダメージも与えられない。ルークは敵の足元まで距離を詰め、身体強化を使って駆け上がり頭に向かって剣を振り下ろした。剣は頭頂部に浅く刺さるが、これも有効打にはならなかった。
ヘカトンケイルは頭部を飛び回る羽虫を追い払うように巨大な手でルークを払った。彼はそれを避け地面に下りる。
(表面が硬すぎる。厄介だな。もっと鋭い攻撃じゃないと……)
「水刃!」
美波はウォーターカッターの要領で今度は目を狙った。
「グオォォォ!」
狙い通り、ヘカトンケイルの両目を抉る。これでルークが動きやすくなった。だが敵の動きは止まらない。腕を振り回し地面を踏み鳴らす。それは立っているのも難しいほどの揺れを引き起こした。
「ったく、デカいってだけで厄介だな……!」
とにかく足止めをせねば城壁を壊される。
ルークは敵の足元に迫り、脚に何度も剣を入れ硬い表皮を削っていく。しかし表皮の内側も土を固めたような材質で、剣との相性は最悪だ。彼が大枚を叩いて作らせた特注の剣でなければとっくに折れていただろう。
(岩を砕くには剣じゃ分が悪い。炎も水も同じ。何なら効く……?)
美波は岩を砕く道具を思い浮かべた。ツルハシ、ハンマー、爆弾__
「ルーク! 脚に穴を開けられない!?」
「チッ、また難しい注文を!」
そう言いながらも、ルークは大きく踏み込んで敵の左脚を思い切り突き刺した。だが浅い。
「もうちょっと深く!」
「分かったよ!!」
ルークは1回目よりさらに大きく踏み込み同じところを突く。
「避けて! 火球!」
美波はヘカトンケイルの脚にできた窪みに圧縮した火球を放つ。
「いけぇぇぇ!」
火球を窪みに着弾させ、そこへ魔力を送り爆発させた。
ドォンと爆発音を響かせ、辺りに土煙と岩石を撒き散らされる。敵は片足を失い体勢を崩したが、まだ動いている。
「どうやったら倒せるの!?」
「頭部を破壊しねぇとダメだ! もう一回やんぞ!」
ルークは飛び上がって抉られた左目をさらに穿つ。美波はその意図を察し、同じように圧縮した火球をそこに放ち爆発させる。
「オゴォォォ!!」
敵は断末魔を上げ両腕を振り回しながら崩れ落ちる。ルークはそれに巻き込まれないよう空中に回避したが、腕を避け切れず叩きつけられ地面に落下する。
「ルーク!!!」
全身から血の気が引いた。それでも美波は素早く脚に身体強化をかけてルークに駆け寄り、腕も強化して彼を担ぎ上げ、倒れるヘカトンケイルに巻き込まれぬよう退避した。
「ルーク! やだ、しっかりして!!」
美波は横たわらせた彼の肩を揺さぶる。
「っう! 痛ぇ……あんま揺らすな……」
少しの間気絶していたルークが目を開け、それからゆっくり立ち上がった。
「ホントに大丈夫? 前線から下がった方がいいんじゃ……?」
「いや、動ける。まだこんなに魔物がウヨウヨいやがんだ。寝てられねぇ」
目に涙をうっすらと溜めて心配そうに窺う視線を振り切り、ルークは再び魔物の中へ飛び込んでいく。
彼を止められないと悟った美波は、最後の魔力回復ポーションを飲み干して戦場に戻った。
夕日と魔物や人の血で赤く染まった戦場に数十の馬の足音が聞こえてきた。
冒険者らは朦朧とする意識の中、土煙の向こうに馬を駆る騎士の姿を見た。
「バザン軍だ……軍が帰ってきたぞー!!」
誰かが叫び、誰かが歓喜の声をあげる。
先駆けの騎馬隊の後には本陣が追ってくるだろう。長く苦しかった持久戦の終わりがようやく見えた瞬間だった。
重傷者は騎馬隊に戦線を任せ退き、動ける者は頽れそうになる脚を叱咤して、最後の力を振り絞った。そうして2時間後には死力を尽くして戦い抜いた冒険者ら全員が王宮内への退避を完了した。
「よくぞ……よくぞ耐え抜いた!!」
全員が怪我の手当を受けている救護所で、ギルド長が声を震わせながら声を張り上げた。
「やった……やったぞ……」
「終わったんだな……」
自分たちの戦いが終わった安堵、仲間を失った悲しみ、市民を守り抜けた喜び、様々な感情が交錯し、辺りには歓喜の声や啜り泣く声が広がる。
「そなたもよくやってくれた。よもやあれほどの獅子奮迅を見せてくれるとは思わなかったぞ」
美波の傍にきたアフメトも労う。
「殿下もお強かったです」
アフメトの奮闘に助けられた美波も礼を言う。その間も視線はずっとルークを探していた。そして冒険者らの中に座り込む姿を発見し駆け寄る。
「ルーク、お疲れ__」
美波が肩に手をかけると、彼は崩れるように倒れ伏した。
「ルーク!!?」
美波は新兵訓練で習った通り仰向けに寝かせ、素早く外傷を確認する。
(意識がなくなるほど出血してる部位はない。ってことは、頭を強く打った……?)
美波はルークがヘカトンケイルに叩きつけられたことを思い出す。
(脳挫傷、脳出血……)
頭を強く打った時の疾患を思い浮かべる。そのいずれも美波が使える初級の回復魔法では治せない。
「誰か! 誰か上級回復魔法を使える人を連れてきて!!」
その叫ぶ声で辺りの冒険者らが異常事態に気づく。動ける者は城の医官や回復魔法を使う冒険者を探しに走り、そうでない者は様子を見るために周りに集まった。
「この人がいたから俺らは今生きてられんだ」
「あぁ、この男がいなければ全滅もあり得た」
「1人で4割は倒したんじゃないか?」
「Aランカー殿、死ぬな!!」
集まった者らは口々に感謝を述べる。そこに上級回復を使える魔術師を探しに行っていた者らが戻ってきた。
「……上級を使える魔術師は全員が魔力を使い果たしてすぐには治療に入れない。ポーションも探し回ったが、もう1本も残ってないらしい……」
「数人が外で戦うバザン軍の中に上級使いがいないか探しに行ったが、彼の治療に間に合うかどうか……」
美波に詳しい医療の知識はないが、ルークの症状から見て数時間の猶予があるとは思えなかった。
絶望が頭の中を真っ黒に染める。
唇が震えて言葉にもならない。
(そんな……ルーク……嫌だ……!)
「……っ死なないで……」
人形のように白くなったルークの頬に手を添える。美波の涙が雨のように降り彼を濡らす。
突然、なす術なく打ちひしがれる美波の両手が淡く光り出す。それはすぐに強い光となり、美波の僅かに残っていた魔力とそれ以上の『何か』を吸い取られる感覚に陥る。
「なに、これ……」
そして美波の意識は途切れた。




