8 住所不定無職から冒険者に
闇に紛れて、とはいえ室内には魔石のランプが、外には魔石の街灯が設置されており真っ暗ではない。それでも現代の東京とは比ぶべくもないが。
この世界ではまだ高価な、騎士団からの支給品である懐中時計をズボンから取り出し時間を見る。現在時刻は午後10時。今はまた身の回りの世話をしてくれているケリーも、朝まで部屋を訪れることはないだろう。
この時間では城からの乗合馬車は出ていない。つまり歩いて城下へ向かうしかない。美波は足取り軽く城門をくぐって城下に向かいながら段取りを考える。
(とりあえず今夜は宿屋に泊まって……ってお金足りないじゃん!)
新兵訓練で貰った給料は、下着類や休日に着るための服を買ったらなくなってしまっていた。
(帰ったら国王の給料について宰相に問い正そう)
まさか初日から野宿するハメになるのかと暗澹たる気持ちになった。
今夜だけ酒場の皿洗いにでも雇ってくれないだろうかと、以前に修了式の後に打ち上げでいった店に足を向ける。
美波は3階建ての1階部分が酒場になっているその店のドアを押し開けた。
「ちょっと!! 喧嘩するなら外でやっとくれよ!! 店の中がめちゃくちゃになるじゃないか!!」
美波はその怒気を含んだ声に、何事だと眉を寄せて店内を見た。
そこでは、店の中では酔っぱらいの男2人が取っ組み合っており、テーブルが数台なぎ倒され料理が散らばり、客たちが手を出せずに遠巻きに見ていた。店の女将さんは声を張り上げ、暴れる男らを止めようとしている。
暴れる酔っぱらいの相手は素人の手に余る。美波は相手をすることにした。
「お嬢さん、危ないから下がってな!」
客の1人が近づいていく美波を引きとめた。美波は大丈夫というように手をあげて答える。
「おじさんたち!! これ以上続けるなら見回りの騎士隊を呼んでくることになりますよ!」
「うっせえな!! 関係ないやつは引っ込んでろ!!」
酔っぱらいの片方が反応して美波の肩をどついた。よろめきもしない美波は、その腕を掴んで男を床に引き倒し、腕を背中に回して男を制圧した。
一瞬の出来事に、もう片方の酔っぱらいも他の客たちも呆然と立ち尽くしている。
「壊した備品を弁償して女将さんに謝ったら、今日のところは見逃します」
男2人の顔を見て問う。酔いが少し覚めたらしい2人は、平謝りしながら金を置いて、そそくさと出て行った。
「お嬢さんすごいね。助かったよ! 今日は店の奢りだよ飲んでって!」
女将さんが美波の手を握って上下にブンブンと振る。
「だったらお願いなんですけど、一晩泊めてもらえませんか? ベッドとかなくてもいいので」
「ウチの2階の居間にあるソファーでよければ貸せるけど、いいのかい?」
女将さんは申し訳なさそうに肩を窄める。
「大丈夫です。野営よりよっぽどいいです」
美波は笑顔で答えた。
今まで一体どんな生活を……?と2人の会話を聞いていた客たち全員の脳内がシンクロした。
女将さんの好意に甘えて、酒場の上にある住居の居間で一夜を明かした美波は、ちゃっかり朝食もいただき、酒場をあとにした。
「お世話になりました!」
目指すは冒険者ギルド。
(冒険者に私はなる!!)
◇
そもそも冒険者ギルドとは、独立した組織ではあるが、報酬は国もしくは依頼を出した領地(個人でもギルドに前金を払えば依頼は出せる)から出るため、設置されている国とは強い繋がりがある。基本的にアラミサルで登録した冒険者は国内で活動することになるが、その中でも依頼として他国へ行く場合もあれば、拠点を他国に移すことも可能である。
また、有事の際にはギルドに傭兵の依頼が出されるため、常日頃から自国に冒険者を抱え込むため、国家間では依頼の価格競争が行われている。
美波は煉瓦造りの2階建ての建物の中に入ると、冒険者らの視線が一気に美波に向いた。異国の顔立ちはどこに行っても目立つが、若い(ように見える)女性のソロはめったにおらず、冒険者たちは好奇や探るような目を向けた。
正面に受付、右の壁に依頼書らしき紙がいくつも貼られており、部屋の左側には机と椅子が3セット置いてある。美波は 受付にいる女性に声をかけた。
「おはようございます。冒険者登録をしたいのですが」
「おはようございます。それでは、こちらの紙に記入をお願いします。名前以外は書かなくても大丈夫ですが、住所や出身地を書いていただくと万が一死亡が確認された場合、ギルドからご家族にご連絡いたします」
冒険者は薬草採取や迷子のペット捕獲、買い物代行など便利屋のような側面もあるものの、基本的には魔物退治の専門職であり、死亡率は騎士よりも高い。しかし討伐対象によっては高額の報酬を得ることも出来る、ハイリスクハイリターンな職業だ。
アラミサルでは一般的に、仕事に就くためには身元保証人や推薦状が必要となるため、それらを持たないワケアリな人間や他国からの移民・避難民がなることが多い。
美波は名前と年齢だけ書いて提出した。受付嬢は用紙と美波を見比べ『逆サバ読んでる…?』と呟いた。
「それでは、冒険者ランクを決めるため試験を受けていただきます。入り口から出てギルドの裏にある広場に向かってください」
冒険者ランクはSからFまであり、SランカーとAランカーは合わせても国に10人もいない、選ばれし剛の者たちだ。
「よお来たか! 住所不定無職、珍しい女性ソロ志望のミナミ・カイベだな?」
冒険者になろうというやつは、たいてい住所不定無職である。美波は肯定する。
ギルドの試験官だと名乗った、元冒険者と思われるガタイのいい40過ぎの男は美波に前衛職希望か魔法職希望かを訊ねた。美波は『剣も使えなくはないですが、魔法職希望です』と答える。
「珍しいな、魔力があるのか! よぉーし、それならこの練習用人形に得意な魔法をぶつけてみろ!」
試験官は背後を指差した。城の訓練場にもあった魔物素材の生贄人形である。
美波はこれでランクが決まるんだろうから全力でやらないと、と気合を入れる。しかし忘れていた。騎士団の教官や同期生は美波の非常識な魔力量に慣れたが初見の人間が見たらどうなるかを。
「炎よ」
試験官の身長ほどもある巨大な火球を人形にぶつける。発動時間も短く、訓練の成果が出ており美波は満足する。
試験官は見たものを信じられず立ち尽くした。
「俺はこれでもAランカーだったんだ。多くの魔法職のやつらも見てきた。けどこんな新人見たことねぇぞ……」
その様子を見てやらかしたことに気づいた。
「お前、どっかで実践経験あるだろ。……こんなやつEランクにしたってすぐ上がってくるだろうし、人材を遊ばせとくだけ無駄だよなぁ」
試験官はウンウン唸っている。
(なんだか悩ませてしまって申し訳ない)
「よし! お前はCランクだ!!」
新人冒険者はEかFランクスタートのところをすっ飛ばし、前代未聞の新人Cランカーが誕生した。