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77 後宮に入る

 「おい、あー、カイベだったか? 資料室から過去10年分の河川の氾濫に関する書類を持ってきてくれ」

 「かしこまりました」

 「カイベ、私が頼んだブルサ州の税収に関する報告書の清書は出来てるか?」

 「あっはい、こちらになります」


 バザンに来て1カ月。悲しいかな美波の奴隷生活も板についてきていた。

 日の出とともに起床し、腹を満たせるだけの食事を取り、日の入りの時刻には宿舎へと戻り夕食を食べて寝る。ただし宮廷は朝も夜もなく動いているので、少数だが夜勤も存在しており、日勤と夜勤は毎月交代される。

 官吏の言いつけに従って、美波は裏の館から廊下に出て2階に上がり、書庫の膨大な資料の中から河川関連の書類を探す。資料は大雑把に地域、年代、土木や法律など種別に整理されていた。


 (過去10年、しかも地域の指定はなかったから全地域の土木に関する書類の中から水害に関する記述があるものを探さないといけないのか……。これは骨が折れるなぁ)


 覚悟を決めて、それらしい書類を手に取り目を通し始めた。




 「……ナト……おーい、ミナト」


 静まり返っているはずの書庫でどこからか声がしたのを意識の片隅で感じ、書類に没頭していた意識を浮上させた。声のした方に顔を向けると部屋の扉のところで呆れ顔のウェイが立っている。


 「何かあった?」

 「ったく、何かあった? じゃないよ。周り見てみろ、よくこんな薄暗い部屋で文字が読めるもんだな。退勤時間ももう過ぎてる、宿舎に帰るぞ」


 退勤時間を過ぎても部屋に戻らなかった美波を心配して探してくれたのだろう。


 「ごめん、ありがとう。じゃあこの集めた資料渡して帰るよ」


 美波は窓際の机に集めてあった書類をまとめて両手で抱えた。ウェイは美波が通るために扉を開けてくれるが資料を持つのは手伝わなかった。仕事を手伝ったと勘違いされないようにだろう。よく気の利くことだと美波は感心した。

 美波は頼まれた官吏に資料を渡して宿舎は引き上げた。

 食事を済ませた後はウェイが大浴場に入浴に行っている間に、洗い場からひっそり拝借し部屋に置いているタライをベッドの上に置き、さらに湯がこぼれても大丈夫なように、その周りをこちらも拝借してきたタオル類を敷き詰め、その中で美波も入浴するのが決まりになっていた。

 いつものように美波のため時間いっぱいまで大浴場で過ごして帰ってきたウェイに、美波は話があると言ってベッドの上で姿勢を正し向き直る。


 「この1カ月、後宮からアラミサルの人を見つけて一緒に逃げる方法を考えてたんだけど……」


 そう切り出した美波にウェイはギョッとする。


 「風呂のために後宮に入るなんて話もイカれてたけど、救い出して逃げる? 正気か!? アンタは雑役奴隷としてここに5年もいりゃ出られる。けど後宮に入ったら最後、死ぬまで籠の鳥だ」


 ここに来た当初、美波は奴隷も後宮の女も一生この王宮から出られないと思っていたが、ウェイと話すうちにその認識は間違っていたことに気づいた。

 労働奴隷と雑役奴隷は、売られた金額によって拘束される年数が違う、つまり年季奉公制度であった。売り主__美波の場合は海賊のレオンであり、ウェイは郷里にいるきょうだいのため自らを10年の奉公で売り、金は家族に渡したそうだ__が受け取った金額分を働けば解放される。美波が売られた価格は年季奉公5年分であり、最低金額だった。しかもその代金の一部は別れる前に受け取っており、それを使えばさらに3年も早く出ることができる。ただそれはウェイにも明かしていない。


 (もともとレオンは金目的ではなかったけど、あって困るもんでもないってスタンスなはずなのに、シーモンクを倒したお礼? それより、王太后に海賊のプライドを傷つけられた意趣返しかな。私が出てくるであろう2年後を目処に拠点をブンガラヤからどこか別の国に移してしまえば私が生きていることが発覚しても問題ないんだろうし)


 「それでも、アラミサルから連れ去られてきた女性を見捨てて逃げられないよ」


 囚われて逃げられずここまで来たが、来てしまったからにはその中でベストを尽くしたい。


 「どうしてアンタがやるんだ。しかも1人でなんて、どんな策を考えたのか知らないが、どう考えても不可能だ」


 ウェイがありえないと首を振る。


 「まず雑役奴隷が後宮に入る方法がない、入れたとしても後宮に男のなりをした人間がいると見つかればすぐに捕まって殺される。そりゃ王家の血筋に別の男の子供が混ざるかもしれないんだ。後宮侵入は死罪だ」


 ウェイは冷静に、後宮とはどれほど厳重に管理された場所か語る。


 「ありえないくらい運良く誰にも見つからず、目当ての女が見つけられたとしよう。出る方法がない。後宮は言うに及ばず、この王宮からも出るには手形が必要だし、それを持っているのは王宮に出入りする官吏か商人だけだ」


 美波ならそれを奪い取ることは出来るだろうが、そうすると奪われた側には通行証紛失で厳罰が下される。


 「最後の難関は無一文でどうやって国まで帰るか、だな。労働奴隷や雑役奴隷が逃げたところでよほど年季の長い人間じゃなければそのまま捨て置かれるけど、後宮の女は別だ。大量の追手をどう対処するか、帰国までの資金はどうするか。そこまで考えたのか?」


 美波は返す言葉もなく、ゆるゆると頭を振るしかできない。


 「私は女だから後宮には最初にここに入った時のように馬車に紛れ込めばいけるはず。けど、後宮から出る方法が思いつかないなぁ」


 ウェイは『まぁそうだよな。諦めろ』と言い、いそいそと寝支度を始める。


 「それでも私は後宮に入るよ」

 「もっとよく考えろ!!」

 「考えたよ。それで決めたの。仲間を信じるって。きっと来てくれる……」

 「仲間……?」


 ウェイからは胡乱な目を向けられたが、美波は黙殺した。

 国王の権限も宰相以下長官らに移譲して、自分はどうなっても構わない覚悟で、ブンガラヤのあの森で永遠の別れを覚悟しフォスターに背を向けた。それなのに助けが来ることに希望を見ている。ケリーのドレスに細工したのも救助を諦めきれない心がずっとあったからだ。


 「アラミサルって国が理不尽に晒された国民を一人も見捨てないって信じる」


 美波は不退転の覚悟を決めたのだった。



 王宮に奴隷が運ばれてくるのは月に1度。決まった日があると先輩の雑役奴隷に聞いていた美波は、自らがここに連れられてきてからちょうど2カ月後のこの日、作戦を実施することにした。

 美波とウェイは自室で作戦の最終確認をする。


 「本当にやるんだな?」

 「うん。迷惑かけてごめん」

 「今更だな。ここに来てアンタと同室になってから俺は……」

 「あー! ほんとに色々とごめんなさい!」


 美波はベッドの上で土下座の姿勢をとる。


 「いいから、最終確認するぞ__」




 (まずは雑役奴隷の服を着て、仕事のフリをしながら奴隷を乗せた馬車に近づく)


 美波は表の館と裏の館に挟まれた中央広場の東西に貫く大通りに1台の馬車がやってきた。馬車は美波が乗ってきた時と同じように表の館の側で一旦止まり男の奴隷を降ろす。

 美波は自身に認識阻害の魔法をかけて人目につきにくくしながら、仕事中を装って馬車へと近づき、あたかもそれが当たり前かのように馬車に乗り込み魔法を解除する。中の女たちからは窺うような視線を受けるが騒ぎ立てられたりはしなかった。

 しばらくして馬車が動き出す。そのまま西に進み、辺りには庭園と倉庫しかない人通りもまばらな地点まで来たことを確認した美波は、着ていた雑役奴隷用の黒い服を脱ぎ小さく丸め、庭園の比較的背丈の高い植物が植えられている花壇に放り投げた。服は人目につかない夜にウェイが回収してくれることになっている。

 作戦の第一弾を無事に乗り越え、心を落ちつかかせるように短く息を吐く。そこで車内の女たちから困惑の目で見られていることに気づいた。

 奴隷の服を脱いでその下に身につけていたのは海賊船の船長、レオンにもらった男物の上下である。


 「えぇっと、怪しい者じゃないですので……」


 髪をまとめていた簪を引き抜いて、もつれた毛先をほぐしながら苦しい言い訳をする。

 女性たちは男物の服を着た、しかし声も顔も明らかに女である美波を訝しむ表情を浮かべるが、関わり合いになりたくないとばかりにサッと視線を逸らした。

 車内の沈黙に耐えること十数分。馬車は王宮内の水で満たされた堀を越え、重厚そうな門を開ける音が響く。そして再び走り出した馬車の後方の空いた部分から、美波はその門と遠ざかる外宮を見つめた。




 少しして馬車は止まり外から声がかけられた。


 「外に出ろ」


 馬車を降りた美波の目に飛び込んできたのは贅の限りを尽くした煌びやかな建物の数々だった。白亜の宮殿に金の装飾、精緻なタイルや絨毯で彩られた室内。芸術作品の中にいるような錯覚に陥る。

 計画通り後宮の中に入ったのだ。


 「ついてこい」


 先導する官吏は王宮で御者をしていた灰色の官服の男ではなく、黒。後宮の宦官だ。門のところで役目を交代したのだろう。

 美波を含めた6人の女たちは黙って宦官のあとに続き、周囲でも一際大きな建物の中へと入った。そこで風呂に入れられ、この国の女性用衣装であるストンとした長いワンピースの上に上着を合わせたものを着せられ、広間で1列に並べられた。

 美波たちを検分するのは3人の年嵩の女と宦官が1人。端から順番に頭の先からつま先まで品定めしていく。


 「言葉はわかるの?」

 「はい」

 「歳は?」

 「20歳です」

 「……この人は側女候補にしてもいいわ」

 「承知いたしました。シルマ様」


 5人を検分し終え、残すは美波のみとなった。


 「名を答えてみよ」

 『えーっと、ぱーどぅん?』


 美波はウェイと練った作戦の通り聖王国語を話せないふりをした。

 後宮=全員が国王の妃、というわけではなく、第一夫人から第五夫人と呼ばれる正妃と、彼女らに仕える側女候補に分かれ、側女候補がお手つきになれば側女と呼ばれる。また、それとは別に下働きをする女官が存在した。

 ウェイは言葉を話せない人間はまず側女候補には選ばれないだろうと予想し、側女に選ばれる可能性を潰すため美波に話せないふりをしろと言っていたのだ。

 その予想通り、目の前に女らは言葉が通じないと分かるととたんに興味を失う。


 「この者は下働きに回せ」

 「そのように」


 シルマと呼ばれた女とは別の女が宦官に申しつける。


 「では側女候補は私についてきなさい」


 品定めをしていたうちの一人が衣装の裾を翻して歩き出す。


 「下働きの2人はこっちだ」


 宦官は美波と、もう一人の褐色の肌の顔にそばかすのある同年代とおぼしき女の手を引っ張って歩き出した。

 連れて行かれたのは辺りの建物よりいくぶん質素な場所だった。中に入るとそこは厨房で、いくつもの釜戸や大きな鍋、巨大なカゴには食材が山盛りに積まれ、棚には何百人分だろう、数えきれないほどの食器が置いてある。


 (この国ではあまり魔石が普及してないのかな。火は薪を使ってるんだ)


 「お前たち、今月の新人は2人だ。世話してやれ」


 宦官は美波らをそこにいた女たちに押しつけた。


 「はいはーい」

 「どこの国の人だろう?」

 「言葉分かる? ダメだ、通じてないっぽい」

 『あなたはショウカの国辺り出身じゃない? 極東地域語はどう? あっれ通じてないっぽい』

 「こっちの人は西大陸出身じゃない? ラーヒナ呼んできて」


 美波たちの周りにはすぐに人だかりができ、言葉の通じる人がいないか探してくれる。

 全員が下働きの女たちだろう。質素なお仕着せは紅色や空色、萌黄色があった。


 『あの、アラミサル出身の方はいらっしゃいませんか?』


 美波は聖王国語や他の言語で喋ってしまわないように中央大陸語で話すことを意識しながら慎重に口を開いた。


 「誰か今の言葉分かる人は?」

 「私分かんない」

 「あたしもー」

 「見た目は東大陸の東部の人って感じだけど違うのかしら。中央大陸から来た人も連れてきて」

 「今連れてきましたよー」


 ハイティーンの少女に連れられてきたのはブルーベリー色の髪をした12歳くらいの少女だった。美波は一目でアラミサルかその周辺の出身だと気づく。

 その特徴的な髪色は中央大陸以外にはほぼ存在しないことを海を渡って気づいていた。


 『私の言葉は分かりますか』

 『えぇ。私はアラミサルから来たんだけどあなたは?』

 『私もです! 1年前に孤児院からここに連れてこられて……』


 心臓が跳ねて大きな声を出しそうになったが堪える。


 『あなた、レアットのローフォード孤児院にいた子じゃない?』

 『どうしてそれを!?』


 ビンゴだ。後宮に入ってしまえば、いとも簡単に誘拐被害者を見つけられた。


 『私たちは孤児院から連れ去られた子たちをずっと探してたんだよ。他にもアラミサルから来たって人、知ってる?』

 『えぇ、私に聖王国語を教えてくれた先輩。他は__』


 少女の言葉を遮ってこの場で一番年長らしき女が仕切る。


 「同郷人に会えて嬉しいのは分かるけど話は後で! じゃあハンナがシャロンと一緒にこの人の面倒を見て。持ち場も同じ洗濯場に。ラーヒナはこっちの人に言葉と仕事を教えてあげて。さぁ仕事を再開するわよ!」


 女がパンパンと手を鳴らすと美波たちを囲んでいた女たちは急いで持ち場へと戻っていった。


 『言葉が分からないんじゃ状況もわかってないだろうから説明しますが、あなたは側女候補ではなく女官として働くことになりました。まずはあなたの部屋に案内して、その後はさっそく仕事をしてもらいます。夜は毎日私か私の指導係のシャロンが言葉を教えます。そうだ、名前は?』


 ハンナのあとについて厨房を出て吹きさらしの廊下を歩く。


 『ミナミ・カイベです。あなたはハンナ、だよね?』

 『そうよ。ちょっと待って、私もあなたの名前知ってる……。ミナミ・カイベ……って今の王様の名前じゃなかった? どういうこと?』


 偽名だと思ったのだろう。ハンナはじろりと美波を睨む。


 『ホントに本名です。話せば長くなるんだけど……』

 『えっ? まさか本当に王様だなんて言わないですよね?』

 『あっ、うんうん言わない言わない! アラミサル国王とは同姓同名なんだよね。極東地域ではわりと多い名前だから』


 正体をバラす寸前で、国王がこんな場所にいるとはつゆとも思っていないハンナに便乗して全力で軌道修正する。


 (隠せるならそうした方がいいよね。国王が売られて後宮にいるなんて失望されちゃう)


 かくして後宮への潜入に成功したのだった。

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