76 私は男の奴隷です
前半はルーク視点、後半は美波視点です。
世界で数少ないAランク冒険者として世界を飛び回っているルークの元にも、美波誘拐の一報が宰相によって届けられた。活動範囲の広い冒険者への連絡は、通常であれば拠点にしているギルドに手紙を送っておくしかなく、タイミングが悪ければ数カ月読まれない。一方家族の訃報など急を要する連絡はギルド間の通信水晶を使って口伝えで知らされる。よってすぐに伝えられる代わりに内容を秘することができない。
宰相は美波がバザンにいると判明してから、通信で『至急登城せよ』とだけ伝えた。
依頼で西の3公国の一つであるダギーにいたルークは連絡を受けてからすぐに出国し、半月後にアラミサル王城に到着した。
半ば顔パスで宰相執務室の前まで来たルークはなおざりに扉をノックして部屋に入る。
「通信水晶まで使ってでわざわざ呼びつけるなんて一体何が起こった?」
兄弟だからこその遠慮のなさで、挨拶もなくいきなり本題に切り込む。
宰相は執務机を立って、ルークにソファを勧めながら話した。
「1カ月半ほど前、外交でブンガラヤに行った陛下が何者かに連れ去られ、3日前の報告でバザンの王宮にいることが分かった」
「はぁ!? なんでそんなことになってんだ!」
「どうやらブンガラヤの王太后殿が裏で糸を引いていたみたいだが証拠はない。こちらとしてもそこを追及するより先に優先すべきは陛下の奪還だ」
「どう動くつもりだ?」
「友好使節団を派遣して『アラミサルから奴隷商に連れらされた女性』として陛下の帰国を交渉する。そしてルークには国のしがらみのない冒険者という立場から救出に協力してもらいたい」
宰相は終始冷静さを崩さない一方で、ルークはイラついたように腕組みして指でトントンと叩く仕草をする。
「大失態だな」
「護衛騎士にはそれなりの処分を下す」
「お前ら全員、あいつの魔力がなまじバケモン級だからって気ぃ抜いてたんじゃねぇのか」
「そのようなことはない」
「無理やり別の世界から連れてきたあいつを、こっちの人間の都合でこれ以上振り回すんじゃねぇよ!!」
収まりきらない感情が爆発し、ルークは立ち上がり怒鳴りつけた。
「ミナミは俺が助け出す。それで国王として帰るかどうかはあいつに決めさせる。もし別の場所で普通に暮らしたいってんなら俺が全力でお前らから守る。文句は言わせねぇ」
そのまま部屋を出ていくルークに、宰相は苦しげな声で頼みますと告げた。
◇
港の役所から荷馬車に乗せられた美波たち奴隷はバザン王宮の門をくぐり、広大な庭園をさらに進んだところで馬車は一度停止し、どこからか現れた王宮の役人が荷台に乗せられた男の奴隷だけを下ろし、馬車は女の奴隷だけを乗せてまた奥へと進んでいった。
役人の服装は港の役所の人間が着ていた物より明らかに上等で、色は黒ではなく灰色だった。
「これからこの宮廷を案内する。ついてくるように。それからあらかじめ言っておくが、王宮の出入りには通行証が必要だ。もちろん奴隷には与えられないゆえ、外に出られるなどという夢は見るな」
役人が無情に言い捨てる。
現在いるこの場所には両側に建物があり、中央には美しい庭が整備されている。芝生や低木、水路が通り幾何学的な園路が優雅な景色を作っていた。
「こちらの南側の建物には陛下が要人との謁見や執務をされる書院があり『表天守の館』で通称『表の館』と呼ぶ。あちらにある北側は私たち書記官僚のいる建物は裏の館、大書院とも呼ぶ。まずは表の館を案内する」
それから身を翻して宮廷を歩き始めた。それに奴隷たち15人もついて行く。
(やっぱり砂漠の国だからかな。花があんまりない。その代わり緑と水路でこの庭はすごく手が掛かってる)
見ればあちこちに水をやったり手入れをする奴隷の姿があった。彼らは黒の長衣のみの簡素な衣服で、素材も役人らが絹であるのに対し麻だろう粗い質感の布だ。
役人は背を向けたまま話し始める。
「労働奴隷は荷運びや馬や家畜の世話、庭園の手入れなど様々な単純労働に就いてもらう。雑役奴隷の仕事場は主に裏の館での資料整理や書類作成など机仕事の補佐だ。休日は10日に1度与えられる」
1日の休みもなく朝から晩まで働かされると覚悟していた美波は『人身売買なんかするくせに、休日の規定はあるのか』と変に感心してしまった。
一行は説明を受けなら、表の館と役人が呼ぶ建物へと入った。内部は外壁と同様に煌びやかなタイルが壁や柱、天井に施され派手だが精密で美しい印象を受ける。
「ここの1階は手前から、地方から来た州知事らの控室、宰相様のお部屋、2階は陛下の執務室と広間になっている。奴隷は控室以外への立ち入りは禁止だ。破ると鞭打ち刑になる」
役人は一番手前の部屋を開けて見せた。中は整然とソファーセットが等間隔に置かれている。しかしこの部屋にも廊下にも階段は見当たらず、国王らはどこか別の場所から2階へと上がるのだろうと思われた。
「では次は裏の館だ」
行きと同じように全員が黙々と歩く。奴隷同士言葉を交わすこともなく、また美波は無駄口は役人から叱責されるのでは考え、おとなしくしていた。しかし隣を歩く美波と同年代と思われる男はそうは考えなかったらしい。
「アンタは労働奴隷……には見えないな、雑役奴隷? つか言葉通じる?」
男は黒目黒髪で東方大陸系の親しみやすい顔をしていた。
(そうか、この人たちの中には言葉も分からず不安になりながら、周りの様子を見て行動を合わせてる人もいるかもしれないんだ)
美波は自分の不明を恥じた。
「分かるよ。そう、雑役奴隷。あなたも?」
「良かった。聖王国語は喋り慣れてなくて不安だったんだ。俺はリー・ウェイ。名前がウェイだ」
「海部ミナトです。ミナトが名前」
「極東地域語が通じるってことはアンタもその出身は__」
「そこ、無駄口を叩くな! それに宮廷内で異国語を話せば処罰の対象だ、覚えておけ!」
先頭を歩いていた役人から叱責が飛んできた。それにウェイは肩をすくめてやれやれと首を振る。
(不思議だな。自分の境遇に萎縮したり悲観したりする様子がない。奴隷ってそういうもの……?)
そして彼は少なくとも2カ国後以上が使えることが分かった。とすれば彼も自分と同じ雑役奴隷だろうか、と推測する。
表の館から10分ほど歩き、美波は裏の館を見上げた。表の館と比べると幾分落ち着いた雰囲気で、先程とは違い中からひとけも感じることができた。
「裏の館は管理が実務を行う場所だ。入ってすぐの部屋は政策局となる」
役人は説明しながらズイズイと入っていく。この建物の1階は入ってすぐに役人らの机が並ぶ横に長い部屋で、所々に壁で仕切られてはいるが扉はなく開放的な作りだった。この裏の館で国政に関わるほぼ全ての業務が行われているという。この長方形の部屋の短辺の両方に階段があり、2階の資料室につながっているらしい。
政策局の奥の扉を開けるとその先は細い廊下になっており、突き当たりには小窓が設けられている。
「右側の部屋が財務局、左が刑務局だ。覚えたな? では移動する」
有無を言わせず踵を返した役人は裏の館を出てしばらく歩き、城壁近くの木々に囲まれた建物に入った。そこは見るからに他の建物より粗末な作りで、奴隷のためのものだと分かる。
「モハメド、新しい奴隷を連れてきた。あとはそちらでやれ」
役人は中にいた人物に命令し足早に去る。モハメドと呼ばれた男は広い室内でただ一人、灰色の官服を着て立っていた。
「この中で言葉が分かる奴はすぐ手を挙げて下げろ」
男は開口一番、美波たちに問う。15人のうちそれに従わなかったのは5人だった。
「この中で言葉が分からないのは5人か。語学指導に同郷の奴隷を同室にせねばな。この建物を説明するが、1階が食堂。食事は厨房から貰ってきてここで食べろ。2階から5階がお前らの部屋になる」
役人は言い終わると手元の書類をパラパラとめくり、それぞれ部屋を割り当てていった。
「リー・ウェイは3階330号室……ミナト・カイベも同室で入れ」
先程話した感じで気安そうだったウェイと同室と知り美波は少し安堵する。ウェイも同じことを考えたらしく美波を見て笑いかけた。美波は唇の端を少しだけ上げて答える。
「それから宮廷を歩いていて気づいただろうが、官位によって服の色が違う。官位は6つで上から功、節、聡、忠、理、行。色は紫・青・紅・黄・灰・黒だ。まぁ最下級の『行』は外の役人か後宮の宦官しかいないから見ることもないだろうが」
せいぜい3種類くらいかと思っていたら予想外の多さに慌てて頭の中で反芻して覚え込ませた。
(間違ったら問題になりそう……)
「あとは聖王国語が話せない5人の通訳だが……」
役人は別の書類をめくり何やら確認して顔色を変え、奴隷たちに尋ねた。
「この中にこいつらと同郷で北方山脈語かアマシマ語を話せる者はいるか?」
役人の問いに誰もが首を振った。あまり話者の多くない言語らしい。美波はあまり目立ちたくないため様子見を決め込んだ。
「チッ、他の奴隷の中にもこんなマイナー言語喋れる奴いるのか? ったく港の奴らも買う奴隷はもっと選べっての。どうすんだよ」
役人はイライラと木の床を足で踏み鳴らしながらぼやく。
(誰も言葉を教えられる人がいないって、それすごく困るんじゃ……)
美波が悩んだのは一瞬だった。
「私が通訳します」
軽く手を挙げて一歩前に出る。
「話せるのか! 北方山脈語か? それともアマシマ語か?」
「……両方です」
本当に言ってもいいものかと言い淀みながら答える。
「両方!? 一体なぜ……まぁいい、訳してやれ」
「天才だなミナト!」
ウェイが興奮しながら美波の背中をバンバン叩き肩を抱く。美波は煩わしいとばかりに腕を退けた。
役人に話す許可を得て、この王宮に来てから知ったことの中で重要そうな事柄を掻い摘んでそれぞれに説明する。
「終わりました」
「よし、それでは今からここでバザタール聖教について説明する。全員私の方を正面にして座れ。ミナトはあとでその5人にも説明しておくように」
そこから長い長い宗教の話が始まった。
◇
バザタール聖教の最も重要な教義は『生ける者みな平等』というところらしい。それだと官位で階級を分けるのは教義に反するのではないかと思ったが、機会が等しくあればいいという解釈だそうだ。よって貴族という身分は存在しない。
しかし実際には生まれは平等ではないし故に機会も平等ではない。ではその差はどうして生まれるのかといえば、前世でどれだけ功を積んだかで変わる、だから今世でも功を積み、人のためになることをしろ、という教えだった。
「この世界にもいろんな宗教があるんだなぁ」
「そうだな。でもなぁ今まで信じてたもんを捨てさせて、今日からはこの国の宗教を信じろって言われてもなぁ。アンタもそう思うだろ?」
講義が終わった後、美波は与えられた黒い服を持って私室へと下がった。私室には2人分のローベッドの他には、クローゼットも机さえもない。奴隷は荷物を持たないからだろう。今は夕食も食べ終え、就寝までの僅かな時間を過ごしていた。
「私は……いろんな宗教を柔軟に受け入れる国だったからかな。ここではバザタール聖教を信じろって言うならそうするよ。まぁ心の底から信じられるわけじゃないけどね」
ベッドに寝転がっていたウェイが身を起こして美波を見る。
「アンタも極東地域語を話すからショウカの国かタイカの国辺りの出身だと思ってたけど、違うのか?」
「あー、私はアラミサル出身。両親は東方大陸のどこか出身だったみたいだけど小さい頃に亡くなってさ。あんまり知らないんだよね」
「そうだっかのか……。それにしてもアンタ何カ国語喋れるんだよ?」
本当はどんな言語も話せるが、そんな人外能力を話せるはずはない。美波は王宮に来てから使った言語を思い返して答えた。
「えぇっと、5カ国語……?」
「すごいな! しっかしアンタみたいなアラミサルの姫さんがなんだってこんなところで奴隷なんてしてんだ?」
(姫ぇ!? バレた!? でもなんで!? いやそれよりもどうやって誤魔化せば……)
「姫さんなんてやめろよ! 私は男だっ、ここに女の奴隷がいるはずない」
「ふつうの男なら『何言ってんだ』で終わる話だ。そんなに怒ったり焦ったりするのは大げさだろ」
図星を突かれて気がして、美波はぐっと言葉に詰まる。
「アンタ嘘が絶望的に下手だな……そんなんでここでやっていけるのか?」
「……不安になってきた。どうしてバレた? そんなに分かりやすい?」
美波は諦めて白状した。
「俺も半信半疑でカマをかけたところはあったんだが、顔も体型も声も男っぽくはないな。それでもこの国の役人を誤魔化せたのは、まさか女が男の格好をして奴隷に紛れてるなんて考えもしないからじゃないか?」
「まぁ後宮に入った方がいい暮らし出来るだろうし?」
「それだけじゃない。この国では性別に強く意味持たせる文化がある。働くのは男、家のことをするのは女だという決まっている。だから女が混ざってるなんて考えもしないだろう」
それは好都合だった。しかしウェイにバレた以上、安心はできない。
「それでも気をつけないと……。ウェイみたいにバザン人以外にはその先入観はないだろうし」
「だな。まず何を言われても動揺しないこと。あと体を触らせない。俺は肩に腕を回した時に軽く違和感を覚えたからな。それと出来るだけ喋らない、ってところか」
「そうだね。そうする」
自分では上手くやっていけそうだと思ったのに初日でバレてしまったことに落ち込む。
「それとだ。俺たちは3日に1回風呂に入ることが出来るって話だったが、当たり前だが共同だ。どうする?」
ずっと入らないわけにはいかないだろうとウェイが至極真面目な顔で言う。美波としては毎日入りたいくらいなのだ。大きな問題である。
「魔法でお風呂に入ったのと同じ状態は保てるんだけど、垢まで完璧には落としきれないんだよねぇ。我慢できて1週間。桶をどこかから持ってきて入浴の代わりにするとか?」
「アンタ魔法が使えるのか!?」
「う、うん」
ウェイに食い気味に詰め寄られ、美波はたじろぐ。
「俺の国の方でもバザンでも魔法を使えるのは王族とその縁戚くらいだ。それも滅多にいない。妙な勘繰りされたくなかったら隠しておいたほうがいいな」
「そうなんだ……気をつける」
(魔法が使えると分かれば面倒なことになりそうだから隠しとこうってくらいに考えてたけど、そんなレベルじゃなかった……)
この国に入った時、レオンが魔力阻害の首輪を隠した理由もそれかも知れないと考える。
「それで、この部屋のどこに置くんだ? ベッドの上か?」
この部屋はほぼベッドで埋め尽くされていて湯を張った桶を置くスペースなどない。
「絶対ベッドが濡れる。うーん、そのためにもやっぱり後宮に出入り出来ないと……」
「色々言いたいことがあるが……。まず後宮に入り込むつもりか!? たかが風呂のために!? だったら最初から女のまま後宮に入ったらよかっただろ!?」
「後宮って絶対外出られないじゃん」
「出られないとこには入れもしないだろ!」
「忍び込む方がまだマシかなぁって。それに妃にでもされたら困るし」
「お? 誰か好きな男でもいるのか?」
ウェイが仰向けに寝転がる美波の横顔をニヨニヨとした顔で見る。
「好きな男……」
美波の脳裏に晴れた日の空のようなサファイアの瞳が一瞬浮かび上がり消えた。
(いやいやいや、人としては好きだし頼りにしてるけどそんなんじゃないない!)
今の思考を消し去るように殊更大声で否定した。
「違うから!」
次の瞬間、隣の部屋のドアがバンと開けられたかと思うと、この部屋のドアがダンッと開かれた。
「うるせぇ!! さっきからギャーギャー騒ぎやがって!」
上背のある禿頭の男はウェイと美波の頭を拳でぶん殴って去って行った。
『すみませんでした……』
2人は頭を押さえて涙目で謝った。