75 唯一の手がかり
フォスター視点です
ブンガラヤ王国の森の中に一人残されたフォスターは己の不甲斐なさに歯噛みしながら、それでもここで立ち止まっているわけにはいかないと気持ちを立て直し、騎士としての意識に切り替え、今後どう動くべきか考え始めた。
(とにかくアラミサルに帰国し、宰相閣下にこのことを伝えねば。そのためには、このまま徒歩で港まで向かうよりも一度馬車まで戻り、騎乗して向かった方は速い)
フォスターは美波と来た道を一人で駆け戻った。
全身に剣による切り傷を負ったフォスターは歩けるだけで奇跡的にも関わらず、美波と数時間かけて逃げた道のりを2時間足らずで走破した。傷は酷く痛み、血はどんどんと流れていく。しかし痛みは感じなかった。美波のこと以外に脳のリソースを割くことに無意識で拒否していたのだ。機械にでもなったかのように定期的に方角を確認し、脚を前に進ませることを繰り返す。
馬車まで戻ってきていたマクティアとケリー、そしてクライヴやベテラン騎士らは負傷しつつも全員が揃っており今後の行動を相談していた。そこに森の中から赤い物体がこちらに迫ってくるのを見つけ、それがフォスターであることに気づいた。
「フォスター師団長! 傷だらけじゃないか、一体何があった!? ……ミナミちゃんはどこにいるんだ?」
英雄的存在であるフォスターがこれほどまでに負傷していること、そして美波が側にいないことで、全員何かが起こったのだと察した。
「追って来た賊から逃げきれなくなり陛下とともに戦ったのだが、50人のほぼ全員が相当な練度でどうすることも出来ず、陛下は私を庇い自ら囚われの身となった」
「そんな……陛下……!」
「陛下! くそぉマジかよ……」
ケリーは顔を覆い泣き出し、他の騎士たちは怒りと無力感で震えている。その中でマクティアとフォスターは冷静だった。
「馬で追いかけられそうか?」
「無理だ。走り去った方角は分かるが、あれからどこに向かったのか手掛かりがない」
「クソッ! 一旦国に帰って改めて捜索隊を出すしかないってのかよ! このまま……無様に!!」
泣いていたケリーも騎士らもマクティアの剣幕に驚き目を見張った。職業柄気の荒い者が多い騎士団の中において、いつも飄々としているマクティアが声を荒げるところを誰も見たことがなかったのだ。
「隊長、とにかく今できる最善を尽くしやしょう。やらなきゃいけねぇことは2つ。宰相閣下にこの事態を伝えること。それからブンガラヤ国王にも伝えないと、ですよね隊長?」
さすがの年の功で冷静さを失わなかったスコットが話しを進める。
「それについては私から1つ。賊の正体はブンガラヤ騎士だと思われます」
「あぁ!? どういうことだよ!」
「まず、賊の中に探索魔法を使う魔術師がいたこと、たった50人で私と陛下を相手にし無力化したこと。それに剣を合わせた私には分かる。あの剣術は賊の自己流ではない。指導者から教わり身につけたものだ。賊のほぼ全員がそうだった。お頭と呼ばれる男は違ったが」
美波が気づいたことには当然フォスターも気づいていた。
「あの賊はブンガラヤ騎士だったと……!? しかしそう考えれば、賊が囮に目もくれず陛下を追って行ったことも腑に落ちる。ですが一体どんな理由があってのことですか?」
ウォードが『陛下がこのようなことに巻き込まれるなど……!』唸る。
「理由は不明です」
「としたら、このことをブンガラヤ王国に知らせていいものか?」
逡巡する一同に対しマクティアの決断は早かった。
「ブンガラヤ王宮へは知らせず、このまま全員で帰国する。ここから港へは単騎でも馬車でも所要時間は大きく変わらない。なら万一を考えて全員で動く。ブンガラヤ側にはわざわざ遣いをやらなくても、この王宮所有の馬車が戻って来なかったら何かが起きたって気づくだろ。御者もいなくなったんだ。これ返すために割く人員なんてねーよ」
「フォスター師団長も酷い怪我ですし、それがいいですね」
ウォードが頷く。
「あのぅ、あとで外交問題になったりなんて……」
ジョナサンがおずおずと手を上げて発言した。
「ブンガラヤ側に知らせる余裕がなかった、で通す」
「というか、こんなことになってる時点で外交問題だろ」
マクティアが言い切り、スコットが怒りを滲ませて吐き捨てる。
「御者はクライヴに任せる。さぁ行くぞ」
◇
ブンガラヤからアラミサルの南部都市セレゥへと戻ってきた一行は、美波を乗せるはずだった馬車にはケリーだけを乗せ、騎士らは馬を駆り帰城を急いだ。フォスターの怪我は船での5日間の休息では到底治り切っていないが、それでもマクティアらの反対を押し切り無理をして最高速度で城へと急いだ。
アラミサル王城の門衛をしていた騎士が最高速度で馬を駆るマクティアとその後に続く騎士らに気づき血相を変えて駆け寄る。
「マクティア隊長! これは一体何事ですか!?」
「話は後だ。このまま本館まで馬で抜ける」
「はっはい!」
7人は門を抜けて本館の玄関前まで駆ける。馬車もなく傷だらけのフォスターや、砂埃に汚れ切った騎士らが帰城したことに、城内はにわかに騒然とし始める。
「悪いけど、ジョナサンは馬たちに水を飲ませてやって。他は全員俺と宰相執務室に」
6人は玄関を通り、文官のいる部屋の前を早足で通り過ぎる。戦地から帰還したようなピリついた空気に、廊下をすれ違うものは慌てて道を譲り、その様子を遠くから眺めていた者たちは何事かと囁き合う。
6人は2階へと上がり、突き当たり手前にある宰相執務室へと入った。
「失礼します」
マクティアらは返事が返ってくるよりも先に部屋へとなだれ込む。
「私が返事をしてから入りなさ__何があったのですか?」
書類から顔を上げた宰相は彼らの姿を一目見て顔色を変えた。
「ブンガラヤ王宮を出て港へ向かう道中に賊の襲撃を受け、陛下を連れ去られてしまいました。陛下をお守りすることが出来ず申し訳ございません。処分は如何様にも」
マクティアが代表して説明し頭を下げ、それにフォスターらも続く。
「陛下が!? あなた方がついていながら何をしていたのです! あぁそれよりも私があの方を国外へなど出さなければ……!!」
宰相は立ち上がってマクティアらを激しく責め立て、それから力が抜けたように椅子に崩れ落ちた。
「陛下からのご伝言をお伝えします。『宰相以下各長官に国王の権力を移譲します』とのことです」
「あぁ陛下……。あの方はご自分が大変な時にもこの国のために……。ご無事でいらっしゃるのか__そうです!」
宰相は勢いよく立ち上がり扉の方へと歩き出す。マクティアらもあとに続く。
宰相は部屋を出て国王の間を通りすぎ、礼拝堂へと来た。フォスターは彼が美波の無事を祈りに来たのかと考えたがそうではなかった。
「失礼いたします。教皇様はおられますか?」
「えぇ、えぇここにおりますよ。ここに宰相がいらっしゃるのは珍しいですね」
奥の部屋からゆったりとした足取りでサイモンが現れる。
「至急お尋ねしたいことが。……国王崩御の宣託はありましたか……?」
宰相のあまりに突然の不吉な言葉に教皇は眉根を寄せる。
「そんなものあるわけが……陛下に何かあったのですか?」
「陛下はブンガラヤにて襲撃を受け、現在行方不明です」
「なんという……! それで確かめに来たのですね。もし国王陛下が崩御されたら、神より次代選定のお告げがありますから」
ひとまずまだ生きていることを確認した宰相は『もしものことがあればすぐに教えてください』と言って執務室へと戻った。
マクティアやフォスターからブンガラヤ訪問に関する報告を聞き終えた宰相は、四部門の長官と騎士団長を広間に集め、現状を説明した。
「すぐに捜索隊を出しましょう!」
財務部長官ハリスが声を荒げて主張する。
「だが、どこを、どのくらいの規模で探せば見つかるのか。見当もつきませんよ」
法務部のアトキンが頭を抱える。
「そのために必要な費用は膨大になるだろうな。ハリス、財務部長官として決裁するかどうか考えろ」
「陛下には申し訳ないですが、このまま宰相閣下と我らで前王次代と同じように国政を行う、という手もあります」
人事部のニコルスと文部のウェストが厳しい意見を突きつける。
「陛下を見捨てると!?」
「ですが、数千人規模の捜索隊を編成すれば、莫大になるであろう費用の捻出が難しいのもまた事実……」
激昂するハリスに宰相が追い打ちをかける。ハリスは肩を落として呟いた。
「……こちらの都合で元の世界から無理矢理連れてきた陛下を、使い捨てるというわけですか……?」
重い沈黙が落ちる。
「確かに予算のことばかり考え、私たちの検討は情や倫理観に欠けています。せめて国内で行方不明者が出た時に作る程度の捜索隊をブンガラヤに送りましょう」
ニコルスがハリスの主張を後押しする。しかし宰相には別の懸念もあった。
「それにも問題があります。捜索隊が300人規模だとしても騎士団を送るのは、ブンガラヤ側が受け入れるかどうか……」
「他国の軍が捜索と言いながら自国を勝手に動き回られては問題があろうな」
よその軍がどこで何をするのかある程度監視しておかねば、どんな工作が行われるとも知れないということになる。
「だったら、このような事態を起こしたブンガラヤにも責任があるはず! 捜索要請をしましょう!」
ハリスがドンと机を叩いて訴える。
「その通りです、そうしましょう。大使を派遣しブンガラヤにも捜索を要請します。その役目は財務部のムーアに任せます。彼ならばどんな交渉でもうまく立ち回るはず。護衛には再び近衛を向かわせます。そして捜索隊もすぐに編成し、追ってブンガラヤに向かわせましょう」
先遣隊には勝手を知るマクティアらが勤め、捜索隊はブンガラヤ沖の海上で国王の許可を待ってから上陸。宰相が考えたのは最も時間的ロスが少ない作戦だった。
「それが良いでしょう」
全員の顔に希望の色が浮かぶ。この場では代表して否定的なことを言わざるを得なかった者も、全員が本心では美波を救出したいと願っていた。
◇
美波捜索のために編成された騎士300人の隊と大使に任命されたムーア、そして継続して護衛の任務を与えられた近衛騎士6人とフォスターは、セレゥで商船を3隻ばかり徴発しブンガラヤ港へと入港した。
捜索隊を許可なく上陸させられないため、騎士らは商船と偽った船に待機し、ムーアと近衛騎士ら8人のみでアラミサルから連れてきた馬に乗りブンガラヤ王宮を目指す。
ブンガラヤ王宮側は半月前に帰国したはずのアラミサル一団が戻ってきたことに慌てふためきつつも一団を受け入れ、ムーアが申し入れた会談にもすぐに応じた。
謁見の間で行われた緊急会談にはアラミサル側からはムーアと護衛にルークら数人の護衛騎士が控え、ブンガラヤ側にはフィリップと側には廷臣らがその様子を見守っている。
「帰国途中にミナミ、アラミサル国王陛下が賊に襲われ行方不明に!? なんということだ!! しかし、帰路には我が国の騎士も護衛につけたがそのような報告は……っ、もしや母上が!?」
フィリップは椅子を引き倒し動揺を見せ、しかし冷静さも失わなかった。
「ブンガラヤ国王陛下のお母上、というと王太后陛下ですね? この件とどう関係が?」
フィリップは額に浮いた汗を拭いながら、廷臣が起こした椅子に腰かけ直した。
「まず、護衛していた騎士からアラミサル国王が襲われたという報告が私のところに来ていない。それがおかしいんです。しかし母が、王太后がアラミサル国王陛下を何者かに襲わせ、護衛騎士にも賊に対処せぬよう命じていたなら……。王太后は自身に靡かぬアラミサル国王陛下を疎んじていたのです。あの人ならやりかねない! 誠に、誠に申し訳ない!!」
フィリップは立ち上がり、机に額を打ちつけん勢いで頭を下げる。
「陛下! まだそうと決まったわけでは!」
背後でなりゆきを見ていたフィリップの廷臣が口を挟む。だが彼は母の凶行を確信しているようだった。
「すぐに確認すれば分かることだ。護衛につけた騎士をすぐに連れてこい!」
「は!」
廷臣はすぐさま部屋を出ていく。それを見送ってムーアは口を開いた。
「陛下が連れ去られた時、騎士が1人お側についておりましたが、賊はただの物取りではなく、『アラミサル国王』と知って連れ去ったと言っています。しかし今に至るまで陛下を人質に我が国に何かを要求してきてはいない」
フィリップは神妙な顔で頷いた。
「やはりただの誘拐ではなさそうですね」
「しかしブンガラヤ国王陛下。賊の目的がどうであれ、我々アラミサルにとってはブンガラヤで陛下がいなくなったということが最も重要なことなのです」
「それはもちろんそうでしょう」
「ではどうか、我が国の騎士団に国内を捜索する許可をいただきたい」
フィリップはハッと目を見開いた。他国の軍に自国を自由に歩き回られるリスクを考えたのだろう。しかし返事は早かった。
「許可します」
フィリップの判断に彼の後ろからまた声が上がる。
「陛下危険です! これは我が国を侵略するためのアラミサルの策略かもしれませんよ!」
その言い分も分からない訳ではないが、国王を奪われたアラミサルには許しがたい暴言だった。
「黙れ。ミナミ国王のおわすアラミサルはそのような国ではない!」
ムーアが抗議するよりも先にフィリップが廷臣を叱責する。
「改めてアラミサル軍の国内での行動を許可します。また、我が国の騎士団員3千名も貸し出します。どうぞお使いください」
「陛下っ……!」
「感謝します。我々は陛下が連れ去られたブンガラヤ東部を中心に捜索いたします。しかし、捜索に幾月かかるかも分からない。全日程で野宿というのも場所や士気に関わります。食料の問題も発生します。貴国には経費の8割ほどを負担いただきたい」
ムーアが一歩も譲らぬ姿勢で交渉する。
「……正直に申し上げて、我がブンガラヤに財政的余裕はあまりないのです。しかし全額と言われないだけ感謝せねばいけませんね。了承します」
両者は手早くこの度の捜索とそれにかかる費用についての覚書を交わし会談は終了した。
アラミサル一行は船を停泊させている港に取って返し、騎士3千人超の体制で捜索を開始した。
そして1カ月後、捜索隊1班を引き連れたフォスターが、ブンガラヤ東南部のとある港町にたどり着いた。
捜索は美波の写真持って住民に聞き込む地道なもので、これまで全く成果は上がっておらず、また、美波誘拐に関与したと思われるブンガラヤの騎士は全員あの事件以降行方は分からないままで、当然王太后は関与を否定、騎士団には絶望的な空気が流れていた。
フォスター率いる50人からなる小隊は、この日もわずかな手がかりが見つかることを祈って町の住人に声をかけてまわっていたところ、複数人の騎士が『写真の人物を見た気がする』と目撃証言を取ってきた。
今まで収穫が全くなかっただけに隊は浮き足立つ。
「よし、この町を徹底的に探し尽くそう」
フォスターは定時連絡に集まった騎士にそう告げ、自らも捜索に出た。
(目撃証言は表通りの商店を中心にまばらに集まった。堂々と歩けるのはこの町で顔を知られていないからか? だとしたらどこから来てミナミ連れ去りどこに行ったのか……。ともかく1日でも滞在していたら宿屋に入ったかもしれない。安宿を中心にまわろう)
安宿といえば大抵は裏通りにある。そして宿だけでなく1階で酒場をやっているような店は特に安い。フォスターはその条件に当てはまる店を見つけて中に入った。
「誰かいるか?」
フォスターの声を聞いて、店主らしき男が奥から不機嫌顔で出てきた。
「まだ営業前だ」
「すまないが人を探している。この人に見覚えは?」
フォスターはこれまで何百回と繰り返した問いを投げた。
「知らないな。さぁ出てってくれ」
客ではないと知った男はぞんざいにフォスターを追い払おうとする。するとそこに店の2階から女が降りてた。
「お客さん? アタシ今からデートだから相手はマスターがしてよねー?」
その姿を見てフォスターの心臓は早鐘を打った。
「デートにしちゃ地味な服だな」
「隣町に素敵なレストランができたらしくて、ちょっと地味だけど上等な服だしぴったり」
フォスターを無視して話す2人に、はやる気持ちを押さえつけてフォスターが尋ねた。
「その服はどこで?」
「あらオニーサン、イケメン! この服はこの宿に泊まった人の忘れ物だよ」
女はフォスターをイケメンと見るや途端に愛想を振り撒き、スカートの裾を広げてくるりと回ってみせた。
(間違いない。ミナミが着ていたケリーさんのドレスだ)
「ちょっと地味なのが玉にキズだけど、キズといえばこのボタンにも傷があるんだよね」
確かによく見るとドレスの前ボタンの一番上に大きな傷があった。
「よく見せて」
フォスターがボタンに顔を寄せ、女は頬を赤らめた。
(賊との戦闘中に? いやあの時ミナミは戦っていない。ではその後に……?)
もともとがケリーの服だったものに瑕疵などあるはずはない。しかしそれは深い傷で、美波の身に何かあったのかと不安にさせた。
無意識にボタンに触っていたフォスターは、ふいにボタンの裏に沿わせていた人差し指に引っかかりを覚えた。
「ちょっと失礼」
フォスターはさらに顔を近づけ、ボタンを裏返して見る。それはなにか鋭いもので傷をつけて彫られた大陸共通語の文字だった。しかし一文字では意味を成さない。フォスターは全てのボタンの裏をすぐさま確認した。
「ちょっ、やんっ」
女の反応など全く意識に入らず文字だけを追った。それは短い一文となり、美波の行き先を示していた。
『バザン王宮』
ようやく見つかった手がかりに希望を見たのは束の間、すぐに絶望へと叩き落とされた。
◇
決定的な証拠を発見したフォスターは、小隊を港町に残し、捜索隊の拠点を設置したブンガラヤ東部最大の街レイムズへと馬を走らせた。
港町から飛ばした伝書鳩は無事に本部に到着しており、それを受け取ったムーアはすでに次の作戦を考えていた。
美波の足跡発見の一報から1日。レイムズにある石造りの重厚な建物__この街の役場である__の一室を借り受けて作った捜索隊本部に一昼夜を駆け通したフォスターが到着した。
「ダニエル・フォスター、ただいま戻りました」
室内の面々は唯一の手がかりをもたらした男をもみくちゃにしながら労う。
フォスターはそれに応えることなく、視線を一点に固定していた。
「ムーア指揮官、私をバザンに向かわせてください」
フォスターはムーアの机に身を乗り出して詰め寄る。
「それは、できません」
ムーアは机に肘をつき組んだ手を額に当て、絞り出すように話し始めた。
「陛下の着ておられたドレスのボタンに『バザン王宮』と彫られていたとのことで、私も陛下はバザン聖王国にいらっしゃるのだと半ば確信しています。しかし救出しようにも王宮にいるというのが問題なのです」
フォスターがぐっと眉根を寄せる。
「連れ去られたのは王宮、というか後宮だからですか?」
「えぇ、多分そうでしょう。あの国の後宮は表向き奉公という形で自ら入った者しかいないことになっていますが、その実、国内外から連れ去られ売られて強制的に働かされている者も少なくはないと聞きます。そもそもまだ奴隷制度が残っていて、王宮でも下働きで使っているくらいですから」
ムーアは組んでいた指を解いて深くため息を吐いた。
「一度王宮に入れられた女性を救い出すのは並大抵のことではありません。なにせ王宮の女性はみな国王の妻なのですから」
フォスターの脳裏に警備の厳重な高い壁の中に囚われている美波が浮かぶ。自分が全てを蹴散らして彼女を救い出せたらと思うが、国家に属する騎士としてそのような行動はできない。
「まずは外交ルートを確立します」
「外交でどうやって?」
「友好な関係を築き、バザン側から出てくるであろう何らかの要求に応える。その代わりとして陛下を返していただく」
ムーアの強い眼差しにフォスターは射抜かれた。
「どのくらいの時間が……」
「わかりません。でも私は諦めない。私はあの方と国中を回り、1カ月程度ではありましたが濃い時間を共にさせていただきました。あの方は国のため真摯に働いておられた。アラミサルの都合で住んでいた場所から無理やり連れて来られたにも関わらずです!」
ムーアは昂る感情のまま叫んだ。その瞳には涙が滲んでいた。
「陛下は必死でアラミサルにご自分の居場所を作ろうとされたのでしょう。召喚されたからといって何もしなければ、やがて誰からも見向きもされなくなることを感覚的に分かっておられた。陛下にそのような苦痛はもう味わって欲しくない」
静まり返った室内に数人の啜り泣く声が響く。
「ムーア指揮官。必ず、連れ帰りましょう」
フォスターたち捜索隊はブンガラヤから引き上げアラミサルへと戻った。そして宰相指揮の上、ムーアをトップとした友好使節団を編成しバザンへと送った。
その一団がバザンに到着したのは美波が連れ去られてから1カ月以上が経っていた。




