72 足跡を残す
馬を走らせ続けて約半日。美波は賊とともに森の中で夜を迎えた。
各々が野営の準備を段取りよくこなし、美波はその様子を2人の見張りとともに眺める。美波がおもむろに輪から外れて歩くと何も言わないものの当然ついてきた。用事を察してくれというのは無理があったと諦めて男に話しかけた。
「トイレだからついて来ないで」
「悪いが目を離したら命令違反になる」
見張りの男には取りつく島もない。
「見られながらしろって?」
「諦めろ」
美波は深いため息をついて、『お頭』と交渉すべく方向転換する。
男は部下たちが火を起こしたり食事を用意するのを少し離れたところで座って眺めていた。
美波が近づいても男は視線も寄越さない。
「トイレの間だけでも見張りを外してくれませんか?」
「逃げられたら面倒だ。却下」
交渉の余地なしと言わんばかりに会話を終了させられる。しかし自身の人権を守るためにも、ここで諦めるわけにはいかない。
「じゃあ気配が分かる範囲しか離れませんからなんとか」
男がギロリと美波を睨む。
「めんどくせぇな。お前の希望に沿ってやる義理はない」
男は興味を失ったように美波を視界から追い出し、手でしっしと追い払う仕草をする。だが美波は諦めない。
「だったら私にも考えがあります」
美波はクルリと体の向きを変えて歩き出し、料理を担当していている男に話しかけナイフを借りて戻ってきた。
「トイレの間も見張るっていうのなら死にます」
美波は至って真顔で借りたナイフを首筋に当てた。必死の形相でもなく、悲しげでも哀れみを誘うような顔もしない。それが不気味に見えた。そう男に感じさせるよう計算した演技だった。
「うだうだうるせぇな! だいたいその顔、本気なんだか口だけか分かんねぇよ。面倒だ、好きにしやがれ!」
「ありがとうございます」
美波はナイフを握る腕を下ろす。とりあえず感謝を示したが、心の底からは感謝していない。そしてこの状況を作った当人である賊と馴れ合うつもりもなかった。
「この際だから言っとくが、こっちは別にテメェが死のうが困らない。依頼されたのはお前の殺すことなんだからな。けど依頼主のことも俺は心底嫌いだ。だから俺はただ殺すのはやめて、お前をバザン聖王国の王宮に売ることにしたというわけだ」
「バザン聖王国って東方大陸の……? それに売るってどういうことですか」
聞き捨てならない言葉に美波の語気が剣呑になる。
「あの国は属国や周辺国、中央大陸の東側の国からも女を奴隷として買ってる」
衝撃的な話に二の句が継げない。
「いくらオウサマっつても知らなかっただろう。あの国は他の国にバレねぇよう上手くやってる。知ってるのは俺らみたいな裏家業の、しかも一部だろうな」
男の話を聞きながら、美波は頭の片隅で事件と事件を一つに繋げて、ある仮説を立てていた。
(去年、西部都市レアットで発覚した貧窮院での人身売買。未だ行方不明なのは女の子のみ3人。もしかしてバザンに連れて行かれたんじゃ……)
当時の捜査で見つかった証拠は多くない。決定的な物証になりそうな書類の類はなく、王都から派遣した騎士やレアットの領兵と憲兵による大規模な聞き込み調査で、行方不明になった子供たちの居場所を一人ずつ特定していった。発見できたのは8人のうち5人。そしてその5人から話を聞き、複数人の人身売買ブローカーの存在が浮上したが、ブローカーの特定、逮捕には至らなかった。
(総勢300人を投入しての捜査でも手がかりすら得られなかった。どこから来て、国内のどこに潜伏しているのかさえ。でも彼らみたいな国籍不明の賊が関わっていたのなら捜査で追い切れなかった理由に説明がつく)
そもそも科学捜査のないこの世界で、逃げた犯罪者を逮捕するのは難しい。だからこそ犯罪者を逃したり領内に入れないために、領の出入りは門からしかできず、平民が旅行や仕事で領外に出る場合には役場で通行証を発行を受けることが義務付けられており、領門では兵士によってそれが検められる。それにより領外や国外に出ようとした容疑者の逮捕は比較的容易だ。
しかし外国人に対しては、領門で入国時に不審な点がなければ簡単に発行され、登録する名前や現住所等を証明するものも必要ではないため__周辺国に戸籍制度などの国が個人を管理するシステムが確立していないがために__外国人の国内での動きを把握するのは非常に難しく、国外に逃れてしまえばそれ以上追跡することもできない。
「あなたたち、アラミサルに来たことは?」
美波は彼らがレアットでの事件に関わっているのか追及することにした。
「お前らの国の船も獲物にしたが、その地の上に立ったことはねぇな」
「船を獲物に……?」
全く予想外の言葉を返され、おうむ返しに尋ねた美波を鼻で笑い、男が口角を吊り上げて言った。
「あぁ、俺たちは海賊だからな」
美波は彼らの正体を知った瞬間だった。
◇
馬で5日間の移動を経て、美波はどこかの港町に行き着いた。
小規模な町で、素朴な木造の建物が立ち並ぶ。町の中で最も高い建物でも3階程度しかない。
美波はこの5日の間に地道な情報収集に努めていた。『お頭』と呼ばれる男の名がレオンであること、生き残ったその仲間たち20人の名前、これから連れて行かれるらしいバザン聖王国についても、レオンに聞けば分かる範囲で回答があり、美波は彼を貴重な情報源として捉えていた。
レオンは意外にもバザン王宮の内部情報に通じていた。
買ってる奴隷は男女の別なく、男は労働、女は国王のために造られた後宮に入れられ、下働きもしくは妃として生活することになる、という話だった。
(国王が妃になるってどんな冗談! しかも『妃になったら死ぬまで外に出ることは許されていない』とか言ってたし。これじゃあ、もし拉致された女の子たちを見つけられても意味ないんじゃ……)
美波は馬上で頭を抱えた。
「なに変な顔してやがんだ。さっさと馬降りろ」
周りを見ると美波以外の全員が馬を降りて、全員が見知らぬ男に馬を引き渡していた。どうやら考え事をしている間に話を聞き逃したらしい。
「えぇっと、この馬どうするんですか?」
「さっき話しただろうが。チッ、ロジェ説明してやれ」
レオンは美波を置いて歩き出してしまう。
説明係を押しつけられたロジェと呼ばれた男はやれやれと肩をすくめて美波の隣に立った。
ここ数日の観察で、ロジェとほか15人ほどが彼を『お頭』と呼び大層慕っている。逆にそれ以外の5人は反発心を抱いているようだった。
「馬はこの店で売って、出港準備ができたら船でバザンに向かう。水とか食料の積み込みがあるから出港は明日だ。言っておくが、船長の話を聞いていないなどありえない。平水夫が船の上でそんなことした日には、背中に鞭打たれて1ヶ月は仰向けで眠れないだろうよ」
美波はその姿を想像して思わず身震いした。しかし恐れを振り払って聞くべきことを尋ねる。
「その間、私は自由にしてて__」
「ありえないな。お前は宿屋から一歩も出さない」
美波はロジェに腕を掴まれて歩き出す。
(宰相たちは私を探す判断をするんだろうか。私のために多くの人を煩わせたくはない。……けど、帰りたい。アラミサルが私の帰る場所だ……!)
帰るためにはその海賊たちを出し抜き、自力で逃げるか誰かに助けを求めるしかない。しかし常に見張られており、状況を金で解決しようにも所持金もない。
(うぅーん、嫌な賭けだけど、バザンに着いてから連絡を取る方法を探すしかなさそう。隙がさなすぎる。それにバザンの王宮に行けば行方不明の女の子たちを見つけられるかも。ただ脱出できなければ意味ないけど……)
しかし海を渡った遠い大陸の、しかも後宮の中から連絡を取る手段は本当にあるのだろうか。連絡が取れても王宮から出られるのか。不安材料しかないが、今できるのはこの国にいる間になんとか自分がここにいたことと、行き先がバザンであることを伝えることだけ。
(けど持ってるものと言えば、ずっと着っぱなしのこのケリーの服だけ……これを上手く使うしかない)
「ちょっと待って。バザンって遠いですよね? 着替えとか持ってないから買いたい」
腕を引いていた力が緩み、ロジェが振り向く。
「そういえばそうだな。古着屋はそこの角曲がったところだ」
「この町に詳しいんですね?」
「あぁ、俺やお頭はこの町の人間だからな」
この男達の出身地など考えもしなかった美波は驚く。
(この人たちはどうして海賊に……? なんて聞かなくても決まってる。その道しか選べなかったからだ。海賊行為はもちろん違法で、どこの海域でも海軍に見つかれば捕縛され、最悪死刑になるのに)
その生い立ちに同情の余地がないわけではないが、アラミサルの船もその被害に遭っている以上擁護はしない。
逃げられないようにか腕を掴まれたまま、美波は古着屋へと連れてこられた。
1階が店舗で2階はおそらく住居スペースだろう。こじんまりとした店だ。
「バザンまではどれくらいかかるんですか?」
「順調に行けば1カ月くらいだ。言っておくが船では洗濯など出来ない。だが荷物は増やすな。全員持ち込める荷物の量は決まっている。そこの衣装箱に収まるようにしろ」
ロジェは店の隅に雑に積まれた簡素な衣装箱の山を指差した。
「あんまり入らなさそう。詰め込んで4着分くらい?」
「贅沢なやつだな。奴隷なんか大概着の身着のままだろ。いくら持っているんだ?」
「お金はないです。でもレオンさんが出してくれるはずだから代わりに払っておいてください」
自信満々に言い切って店に入っていく。
「何を勝手なことを! おっおい、商品を持ち出すな! 止まれ!」
美波は手早く着替えを見繕い店を出てきた。
レオンの許可はないが、渋々でも支払いをしてくれるだろうと踏んでいた。
(私をバザンに売るのは商売半分、『依頼主』への面当て半分。だったら私を売った代金が入るんだから着替えくらい買っても、そう酷くは怒られない、はず)
美波は店内を物色して手頃な服を2着見繕って衣装箱とともに購入した。
「俺はどうなっても知らないからな。さっさと宿に向かうぞ」
今度は容赦なく美波を引きずって、家を持たないロジェは定宿にしているという1階が酒場で2階と3階が客室になっている店へと連れて行き、3階の中部屋に押し込め、外へと出られないように扉の前に木箱を積み上げた。
安っぽいこの宿の部屋には、ベッドでほぼ埋まった寝室とユニットバスしかなく、窓は小さい。監禁するには最適な部屋だった。
閉じ込められた美波はしばし呆然としたのち、気を取り直してとりあえず風呂に入ることにした。魔法が使えなくされた美波は今、5日間の野宿を経て人生で最も不快な気分を味わっていた。全身から不快な臭いがしているだろう。
美波は着続けていた服を脱いでベッドに放り、シャワーを浴びて何度も体を洗ってからバスタブに湯をためて体を沈める。
(明日にはこの町を出てしまうから、今日中にこのドレスに細工してメッセージを残そう)
ケリーのドレスをこの宿に置いて行くのは古着屋にいた時点で決めていた。上等な衣装だ。部屋に置いていけば誰かが着るか売るかするだろう。そうすれば運が良ければアラミサルから来た誰かがそのドレスを発見する。ただそれだけでは行き先までは伝えられない。
「ぐぅー」
危機的状況でも腹は減る。美波の胃が空腹を訴えた。
(もうすぐ夕食時だけど、ご飯は持ってきてもらえる……よね? なかったらドア叩きまくってアピールしてやる)
夕食が与えられたとしても、あの圧迫感のある寝室で取ることになるだろう。部屋が狭すぎるので食べている間も監視はないと推測できる。
(さて、どうメッセージを残すか。レモンが付いてたらその汁でメッセージを書く? って付いてない可能性の方が高いし洗濯されたら終わりじゃん。あと使えるのは……カトラリーセットで__)
美波の頭に1つの閃きが生まれた。
細工を終えた美波は夕食にありつけた後眠りにつき、翌日には船の上だった。