70 襲撃
計画通り午前中に同盟締結へと漕ぎ着けた美波は、近衛騎士とケリーを引き連れてセレネ川へと向かっていた。乗っているのはブンガラヤ王宮所有の馬車だが、目立つのを避けるため昨日港から乗ってきた豪奢な馬車ではなく、使用人らが使うものを借りていた。
「サクラの苗木は貰わなくてよかったのですか?」
美波の隣に座るケリーが尋ねる。
「フィリップ国王はくれるって言ってくれたけど、アラミサルで上手く育たなかったら嫌だし。まぁ、アラミサルで毎年お花見が出来たらって未練はなくもないけどね」
美波は苦笑を浮かべた。
「オッサンなんかは、くれるってんなら貰っときゃいいような気がしますがね」
「陛下は駄目にするのが嫌なんですよ」
ベテラン騎士のスコットとウォードが言い合う。
賑やかな一行を乗せた馬車は川沿いで足を止め、中の乗客を順番に降ろす。降り立った者、誰もが視界いっぱいに広がるその美しい景色に息をのんだ。
セレネ川沿いの遊歩道は延々と続く桜並木に彩られ、ピンク色に染まる景色には現実感がなく、まるで空想を描いた絵画のようだった。
「……っ! こんなすごい光景、日本にいる時でも写真でしか見たことないよ……」
「ミナミちゃんがサクラを見たいって言って、はるばるこんなとこまで来たがった意味が分かったよ。この花を見た後じゃ、サクラのない春は物足りないねぇ」
「いやっ、そこまでの熱量じゃなかったけど……」
「ホントだな。これは船にまで乗ってきた甲斐がある」
「陛下がお望みなら毎年来ますかい?」
初めて見た桜があまりにも美しすぎてアラミサルの面々全員が心を奪われていた。あまりの感激ぶりに美波だけが一歩引いていた。
「えっと、なにか用事があればね……?」
美波は立ち尽くす面々を置いて遊歩道を歩き出した。
胸の中に広がるのは、ただただ美しい景色への感動、そして少しの郷愁だった。
やはり桜を見れば思い出す。家族や友達とのお花見、入学式や卒業式。
もう満開の時期は少し過ぎ、散りゆく花弁。降り積もるピンクの絨毯は日本で過ごした28年の記憶のようだと美波は思う。
「おーいミナミちゃん、あんまり一人で歩いて行かないでよ。一般人っぽい服装してても何かあったら困んだから」
「あぁごめん。皆見惚れすぎて動かなかったから」
追いかけてきたマクティアの後ろを見ると、他のメンバーも少し早足で全員が歩いてきていた。
「わたくし、夢の中に迷い込んだかのような気持ちがいたします」
「夢の中かぁ、いいね。桜の花弁のプールで泳いでみたり?」
「考えるだけに止めといてくださいよー?」
「スコットさんも私のこと犬かなんかだと思ってません!?」
「とんでもねぇ! 我が国王陛下にそんなことを!」
オーバーリアクションで首を振るスコットは明らかに美波をからかって遊んでいる。
美波はそんな交流も楽しみながら、未だ風景に見惚れているケリーを見て、自分のわがままでブンガラヤまで来たがその選択も悪くなかったかなと満足した。
しばらくゆっくりと遊歩道を歩いていると、どこからか男2人が言い争う声が聞こえてきた。
「おやめください!」
「うるさい。とっととどこかへ行け」
せっかく気分良く散歩をしていたところに水を差された気になり、美波は少しイラッとした。
美波はさっと辺りを見渡して、少し先の桜の木の下で言い争う人間を発見する。
他人のトラブルに首を突っ込む趣味はない。
美波は素通りを決め込むつもりだったが、一方の男が剣を抜いたのを見て、介入しないわけにはいかなくなった。
美波は男2人に早足で駆け寄り、護衛騎士らは慌ててその前に出た。
「おじさんたち、一体何を揉めてるんですか?」
間に入る者が現れたことで、剣を向けたれた方の男は青くなった顔色を少し和らげ、抜刀した方の男はさらに怒りのボルテージを上げた。
「この方が屋敷に桜が欲しいからってここの枝を切ろうとするんです。ここのサクラは周辺の住民が手入れして大事に育てているものなのに……」
周辺住民だという男は悲しげに目を伏せる。
「貴様ら、俺が貴族だということが見て分からんのか?」
美波は言われてみれば仕立ての良い服を着ているなと、興味なさげに男の服を上から下まで品定めしたが、住民の男は明らかに顔色を悪くしてあまつさえ震え出した。
「ちょっと、どうしたの?」
「あんたもしかして知らないのか!? あんたかあんたの後ろの人の誰かが貴族だから助けに入ってくれたんじゃなかったのかよ!? クソッこんなことならとっとと逃げてりゃよかった!!」
美波には男の言うことの意味が分からず、後ろにいたフォスターたちを振り返るが全員が首を横に振った。
「貴様、この国の無礼打ちを知らんのか。だが知らなかったからと言って許されると思うなよ」
貴族の男が意地の悪い笑みを浮かべた。
美波は空気を読む気は微塵もなく、男2人に向かって無礼打ちとは何かを尋ねた。
「貴族が平民に名誉を汚された場合、平民を殺しても罪には問われない法律のことです!!」
住民の男が叫ぶように言う。
「はぁ!? そんな法律あるわけ__」
「あるんだよ。この国にはな。貴族が円滑に平民どもを統治するには当然必要な法だろう」
何を当たり前のことをとでも言いたげに唇を吊り上げながら貴族の男は首を傾げ、そして腰の剣に手をかけた。
護衛騎士らがにわかに殺気を帯びる。
美波はこの事態をどう収拾しようかと思案していた。
(私たちがこの貴族を殺しても、多分ブンガラヤ王国側は罪に問えない。貴族の名誉が重んじられるというならその上に位置するはずの私は何をしたっていいことになる。でもこんなショボい揉め事で命を奪うなんて最低だ)
本来、人の命は何よりも重いもののはずだ。名誉などよりもである。それは誰かが慈しみ、自ら大切に守ってきたものだ。他人が軽く扱えるものではない。
「待って待って。むかーしむかしある国に、ハンムラビ法典というものがありまして」
美波はとにかく喋って時間を稼ぎつつ、あわよくば煙に巻く作戦に出た。
「ハンムラビ法典はどんな法律かと言うと、目には目を、歯には歯をってなふうに、相手に罰を与えるにしても自分がされたことと同等のことまでと決められているんです。そこでどうでしょう? あなたが侮辱されたと感じたなら、私を侮辱してもらってもいいですよ?」
捲し立てるように言いながら、美波は住民の男の背を押して逃げるよう目顔で言う。
「なっ何を言って__」
「それにですね、桜の接木をするには適切な時期に適切な手段で行わないと上手くいかないし、この木も枯れちゃうんですよ、確か」
「何をベラベラと喋っ__」
「そうだ! 桜の木が欲しいなら手配できますよ。先程とある方から苗木をいただける話があったんです。私は断っちゃったんですが、もう一度貰えるように頼んでみますね。あなたのお屋敷ってどこなんですか? 手配しますよ」
「貴族が平民から施しなど受けられるか! またしても侮辱するというのか!」
「苗木をくれるのはフィリップ陛下ですよ? この国の国王陛下だけど」
美波は今までの外交経験値をここで無駄に全力で発揮した。
「お前は平民だろう。戯言はやめろ。俺としたことが狂人の話を聞いてしまうとは。不愉快だ。お前を切って捨てても誰も困らんだろう」
再び剣に手をかけた男に、美波は手を突き出して静止を求めた。
「待って! あー、悪く思わないでね? 思ってもいいけど。……水球」
美波はペラペラと喋って男を油断させた隙に、前に突き出した手から魔法を放ち、男の全身を水球に飲み込ませた。
「今のうちに逃げるよ!」
「えぇ!?」
言いながら美波はすでにケリーの手を引いて走り出しており、男を警戒していた騎士たちはまさかの逃げの一手に驚き一歩出遅れた。
美波は元来た方向へと遊歩道を全力で走った。ケリーもなんとかついて来ている。そして息が切れる限界まで走ってから止まった。美波の全力疾走にも余裕で並走していた騎士たちは、この状況に笑いの発作を誘発されたらしく、息切れではない意味で肩を上下させている。
「ミナミちゃんのさっきのアレ。時間稼ぎで喋ってたなんて! あははっ! ホントにサイコーだね」
マクティアが真っ先に堪えきれず腹を抱えて笑い出す。
「陛下の巨大水球魔法をまた見ることになるとは。ゾルバダ以来ですね」
フォスターも口に手を当てクスクスと笑っている。
「俺はあいつをいつ切ってやろうかと思っとりましたが。お見事な逃げ足でしたな」
「陛下の魔法なら一息で殺れましょうが、そうなさらないところが実にお優しい」
口々に言いながら全員が笑っている。
「だってあんな小物、殺すほうが面倒じゃない。後処理とかも必要になるし。っていうか皆笑いすぎ!」
ようやく呼吸の整った美波は笑い続ける面々を非難する。
「でもブンガラヤに無礼打ちなんて法律があるなんて。王宮でも身分の区切りが明確だなとは思ってたけど、ここまでとは思わなかったよ」
「そうですね。他国に行くたびにアラミサルの良さに気付きます」
フォスターは美波と行ったゾルバダや今いるブンガラヤを思いながら言う。
「王城の執務室にこもってると問題点ばっかり目についちゃうんだけどね」
美波は苦笑しつつ言葉を続けた。
「比べるのは良くないけど、私が来たのがアラミサルで良かった。あの国が好きだし皆のことも大好き。早く帰ろ?」
美波の満面の笑みに全員から笑みがこぼれた。
その醸し出す空気感は穏やかで温かい。アラミサルの空気だった。
◇
翌朝、フィリップ国王らに見送られながら美波たちはブンガラヤ王宮を発った。2日前に来た時のように、王家所有の馬車に乗りブンガラヤ騎士の護衛のもと、来た道を辿るように港へと馬車は走る。
そして車上の人となって早3時間。馬車は森の中へと差しかかった。
美波も同じ車内にいるケリーやフォスター、マクティアらとも会話は尽きており、美波は完全に目を瞑って寝る姿勢になり、ケリーもうとうとしている。フォスターらは護衛のため寝るわけにはいかないため黙って座っている。
ブンガラヤ王宮と港を繋ぐ街道は交通量も多い幹線道路で、特段危険もないと思われた。
しかし森の中から現れた馬を駆る数えきれないほどの男たちの出現によって、突如として穏やかな時間は終わりを告げた。
「陛下起きて」
フォスターの鋭い声に美波はパチリと目を開ける。
「何事?」
「多数の賊らしき者らに囲まれています」
彼は車内から周囲を窺う。
「ウチには最強戦力が揃ってるし大丈夫だよね?」
「まぁ恐らくは。ミナミちゃんは何もしないで自分の身を守ることを最優先にね」
なまじ魔法が使えるだけに参戦しそうな美波に、マクティアが釘を刺した。
「ブンガラヤ王家所有の馬車だと分かってて仕掛けてきてると思う?」
「このド派手な馬車が王家の物だと分からないなら他所の国の人間か、それとも馬を駆れるのが不思議なくらい目が悪いのかな?」
マクティアが緊張感を隠して皮肉を言い雰囲気を和ませた。
馬車は最高速度を出しているものの、騎乗の方が速いのは自明の理で、次第に美波たちとの距離が詰まっていく。
それぞれがこの状況を切り抜ける方策を考える中、美波の乗った馬車の窓が外から叩かれた。
全員がそちらを見るとブンガラヤ騎士が馬車と並走しながら、窓を少し開けるようにジェスチャーする。それに対して美波の対面にいたフォスターがすぐさま応じた。
「アラミサル女王陛下、現在賊らしき者たちがこちらに接近してきております。我々が足止めいたしますゆえ、皆様方はその間にお逃げください」
「頼みます」
マクティアが簡潔に返答する。
「敵を撒くためにこの街道を外れて走ってください。森を南の方角へ抜ければ別の港があります。船も調達できましょう」
「了解しました」
多数の敵に対して、このような大規模な襲撃を想定していなかったため、ブンガラヤ騎士はたった8人。この戦力差の中で彼らが生き残るのはほぼ不可能だと思われた。
美波は口をついて出そうになった『気をつけて』という言葉を飲み込む。
騎士は深々と頭を下げ、そして馬を操り方向転換し後方へと走り去った。
(むしろ頭を下げなきゃいけないのは私の方だ)
美波は静かに頭を下げた。どれだけ絶望的だったとしても無事を祈らずにはいられない。
「陛下、私たちはこれからの行動を考えねばなりません」
フォスターの声にハッと顔を上げる。
「そうだね。どうにかして逃げる方法を考えないと」
「とにかくこの馬車は目立ちすぎるから乗り捨てて行くよ。俺はケリーさんと逃げるから、ミナミちゃんはフォスター師団長と別方向に逃げて。撹乱のためにもケリーさんにはミナミちゃんの服を着てもらう」
マクティアが素早く方針を決める。
美波はその決断に従い、すぐに背中のボタンを緩め始め、マクティアらは慌てて横を向いた。
狭い車内で体のあちこちをぶつけながらドレスを脱ぎケリーに渡し、彼女からも服を受け取る。
「ケリーの方が5センチは背が高いけどサイズ大丈夫かな」
まずはブラウスを着て、次に座ったままスカートを穿き、立ち上がってウエストの紐を締め、ホックを留める。それからブラウスの襟にリボンを通して結び、ベストとその上に上着を着れば完成である。
「やっぱりちょっと袖が長いね。スカートもウエスト上目で着てみたけど裾踏んじゃいそう」
美波は再び立ち上がって着丈を確認した。
「お二人とも、もう前を向いていただいて大丈夫ですわ。わたくしの方もなんとかサイズは大丈夫そうです」
ケリーの清廉な佇まいは、彼女こそが国王だと言っても疑われないくらい美波の衣装が似合っていた。
「身長が違うのにきっちり着られると立場ないって言うか、ケリーはスタイルいいね……」
美波は少し落ち込んだ。
「それじゃあミナミちゃんとフォスター師団長は港に向かって走って。俺とケリーさんは逆方向のヒース山脈の方角に走るから。……フォスター師団長」
「了解です。君! 馬車を止めてくれ!!」
フォスターが窓を開け身を乗り出し、背中側にいる御者に聞こえるように声を張り上げた。
それを聞いた御者は後続に合図をしながら速度を緩め停車させる。
完全に止まるか止まらないかのうちにマクティアとフォスターは飛び降り、作戦を伝えるため後続車の方へと走って行った。
美波は不用意に外に出ない方がいいと判断し車内に留まり、頭の中では港までの距離や、どうすれば上手く逃げ切れるだろうかとこれからの行動をシミュレーションしてみる。
しばらくして2人が戻ってくると、マクティアが馬車の扉を開け外に出るようにと言う。
馬車から地面はそれなりの高さがあるため彼は手を貸そうとしたが、美波はそれよりも早く馬車から飛び降りた。
「その思い切りの良さ。さすがは我らが国王陛下」
マクティアは口笛を吹いて称え、ケリーには手を差し伸べて支えながら下ろす。
「なに? 何かまずいことした?」
「いいえー。俺、陛下のそういうトコ好きですよ」
「そんな馬車から一人で降りたくらいで大げさな」
軽口を軽口で返しながら周囲に向けていた視線をマクティアに戻ると、ドキリとするほど真剣な顔をした彼がいた。その顔を見て美波は泣きそうになる。
(そんな顔しないでよ。これが最後の会話になるかもしれない、この戦いで死ぬかもしれないって考えないようにしてたのに)
どれだけこのメンバーに武力があろうとも、絶対に無事だという保証はない。それに美波には規格外で非常識な魔法が使えるが、騎士たちは剣で相手をする以上一度に相手できる人数には限りはある。相手の数が多い以上、油断ならない状況だ。
しかしそれを考えてしまったら全員で一緒に逃げたいと言いたくなる。でもそれは第一に国王を逃すという至上命令においては下策も下策である。
一緒に逃げよう、危ないと思ったら逃げていい、気をつけて、怪我しないで__これらの言葉は全て飲み込まなけれならない。
全員が馬車から降りて美波の周りに集まった。
飲み込んだ言葉の代わりに、美波は願いを込めて言う。
「絶対皆生き延びてアラミサルで会おうね」
『はい、我らが国王陛下』
全員が片膝をつき声を揃え、国王陛下からの勅令に対する返事をした。
美波は一同を見渡してから、静かに作戦の開始を告げた。
「さぁ行こう」




