65 ブンガラヤ国王に謁見
ブンガラヤ国王が待つ謁見の間は、他の部屋のそれより一際大きく華美であった。
ここまで美波たちを連れてきた廷臣は扉の前に立つ従僕にアラミサル国王の到着を告げ、中にいるブンガラヤ国王に取り次ぎに向かわせた。そしてすぐに中から両側の扉が開かれた。
ブンガラヤ国王と会うためだけに多くの手順を必要とすることに、驚きとともにやはり強い権威を感じる。
(アラミサルは一般の文官武官と国王である私や高官たちが普通に仕事上で関わったり、オフの日に図書館や売店で出会ったりするけど、他国はそうじゃない)
美波は外交経験を重ねるにつれて、アラミサルの特異性を認識しつつあった。
「女王陛下、お入りください」
大きく開かれた部屋で最初に目に入ったのは奥の壁に飾られている巨大な絵画だった。印象派のような作風でブンガラヤのどこかの桜並木を描いたものだった。華美な室内に柔らかな雰囲気を加えている。そして絵画から視線を下げると、黄褐色の髪に色とりどりの刺繍が華やかなクリーム色のロングコートに同色のズボンという、アラミサルでは見られない宮廷衣装を着た青年が立っていた。
(確かゾルバダの皇帝や貴族たちもこんな服装だったけど、後で宰相に聞いたらアラミサルでは『仕事がしにくい』って声が大きくなって二十数年前に廃止になったんだっけ)
「お会いできて光栄です」
美波は僅かに顔を上げて線の細い優美な容貌の青年、ブンガラヤ国王と目線を交わす。
「初めまして。アラミサル国王のミナミ・カイベです」
「僕のことはどうぞフィリップとお呼びください」
「それでは私のことはミナミと」
考えていたよりも気さくな国王フィリップに椅子を勧められ、美波は彼の後ろにあった1人掛けの椅子に腰を下した。木の机は美しく磨かれ、美波が覗き込むと顔が映り込んだ。
「ここに来るまでに妨害があったのでは?」
正面の椅子に座ったフィリップが笑みを浮かべながら尋ねた。しかし心から笑っているという顔ではない。母親の王太后と権力を争っているのだ。中身は見た目を裏切って柔ではないのだろう。
「妨害というほどのものではなかったですよ。お誘い、ですかね」
「なぜ誘いに乗らなかったのか伺っても? ご存知だとは思いますが、今の僕は政治から遠ざけられ大きな力は持っていない」
フィリップは肩を竦める。
「簡単な話です。私が会談の約束をしていたのはフィリップ陛下とだけ。国王と会いたければ事前のお伺いは必須、でしょう?」
普段はフラフラと城内を歩き回り、あまつさえ勝手に城下にまで下りて出歩き、アポイントなどあるはずもない市民と酒場で喋っている人間とは思えない発言である。護衛のために美波の背後に立っていたフォスターらアラミサルの騎士たちは、呆れを通り越して見事に国王の皮を被っていることに感心した。
「そう、なのでしょうね。あいにくと僕は政治から遠ざけられているので、謁見の時は先触れがあるくらいですが」
弱気な発言とは裏腹にフィリップの顔に諦めの色はない。美波と同様に、優しげな風貌からは窺い知れない内面を秘めていそうだった。そうでなければ王太后に話を通さずアラミサルに同盟の話を持ちかけたりはしないだろう。
「フィリップ陛下は王太后殿下から権力を取り戻そうとしていますよね? このまま政治とは関わらず気楽に生きる道もあるのでは?」
両国の同盟の話は後日行われることになっているため、美波はまず彼のことを知ろうと思い切って聞いてみることにした。望まずに国王となった美波はその動機に興味があったのだ。
「僕は1年前までアラミサルに留学していたんですよ。悪く言えば国を追い出されていたんです。……カイベ陛下はこの国をどう思われますか?」
突然の質問に美波は面食らう。ブンガラヤには今回が初入国で、今日到着したばかりの自分が何を言うべきか逡巡しながら口を開いた。
「港は活気がありましたよ。それから馬車の中から見た街並みはアラミサルとは違っていました。きっと昔から東方大陸と交易があったんでしょうね」
あえてお世辞を言ってフィリップの機嫌を取る必要もない。美波は今日半日の記憶をたどりながら思ったことを素直に答えた。
「あぁ、確かに港に停泊している船の数はアラミサルより多いと思います。大陸間を行き来する船だとすぐには出港できませんからね」
航海日数が伸びるほど食料や水、商品の積み込みにも時間がかかる。ゆえに港での消費額も大きくなる。ブンガラヤの大きな収入源だ。
「僕がアラミサル留学中にずっと考えていたことは、『どうしたらブンガラヤもこの国のように豊かになれるんだろう』ってことです。ミナミ陛下は豊かさって何だと思いますか?」
フィリップはまたしても簡単には答えられない問いを投げてきた。彼はこの問答を通して美波という人間を計りつつ自分の中で答え合わせをしているのだろう。
(豊かさ……ってなんだろう。衣食住に困らないこと? でもそれだけでもないような……)
衣食住が足りているかは必要最低限だ。文化的かは一旦置いておいて最低限度の生活だろう。
現代日本では豊かさの指標は経済状況で計る。国内総生産(GDP)の成長率や日銀の企業状況調査である『全国企業短期経済観測調査(日銀短観)』、有効求人倍率など様々な経済動向が指標として使われている。
しかし経済的な豊かさがイコールこの問いの答えでいいのだろうか。
地球上、産業革命期の労働者は十数時間もの労働を強いられた。その時代にイギリスの実業家で革命家でもあったロバート・オウエンは「仕事に8時間、休息に8時間、やりたいことに8時間を」というスローガンを掲げた。
確かにいくらお金があっても余暇の時間がなければ豊かさは実感できないということだ。
「自由があること、でしょうか? 衣食住も出来ていればいいんじゃなくて、食べたいものが食べられて、住む場所を快適に整えて、休みの日には好きなことをして過ごす、とか」
美波の言葉にフィリップは薄く笑った。
「いかにもアラミサル人の答えですね。いえ、陛下は異世界からいらしてまだ3年くらいでしたか。きっとその世界も豊かだったんでしょうね」
彼は瞳に憧憬と嫉妬を滲ませる。
「僕は留学中とあることに気付きました。魔石を使った上下水道システム、座面吊り下げ式のサスペンション付き馬車や、従来の物よりも高速で走るクリッパー船、万年筆に至るまで日常生活を変えるような発明の多くはアラミサルから生まれていますよね」
そうだったのかと美波は自分の不明を恥じた。
「そして思ったのです。どうしてそれが我が国で出来ないのかと。その違いがそのまま国の豊かさの違いだと思うのです」
考えたこともなかった視点に、美波はフィリップの言葉を吟味した。
(新しい物が生まれる環境が豊かな国……)
「でも発明と戦争は表裏一体ではないですか?」
宰相からアラミサルの歴史を叩き込まれた美波は自然とそう口にしていた。
アラミサルとて建国から500年の間、平穏無事だったわけではない。
500年前の中央大陸の地図は今とは違っていた。アラミサルは今の王国になる前、一帯には10の地域があり領主が各地域を治めていた。そしてゾルバダ帝国はカディスとブンガラヤを含む大陸一大きな国であった。大陸の4分の1を占めていたゾルバダはさらに領土を広めようと西へと侵攻した。それに対抗するため各地の領主たちは団結し、神に祈り魔法の力を得て侵攻を退け、その戦いで最も功績を作ったチャールズ・スペンサーが初代国王となった。
そこから150年前にゾルバダからカディスが独立して帝国となり、さらにブンガラヤも独立して今の地図が完成するが、北と東を大国に囲まれたアラミサルでは小競り合いが繰り返された。
『大国から国を守るため、結果としてアラミサルは他国に先んじる国になったのだろう』と美波が言うと、フィリップは顎に手を当て、そうなのかと呟いた。
「脅威に対して国民が一丸となったからこそ今の豊かなアラミサルがあるということですね」
「私はそう考えます」
「ブンガラヤも同じです。カディスは東方大陸との交易や塩を自国で生産する野望のため何度となくブンガラヤに侵攻しています。僕はブンガラヤをアラミサルと肩を並べられる国にし、この国を守り抜く。そのために母__王太后から実権を取り戻します」
ようやく話の流れが美波にも理解できた。彼はアラミサルを持ち上げながら、この訪問の目的であるアラミサルとブンガラヤの同盟の必要性を訴えているのだ。今は顔合わせの場のため本題には触れぬよう婉曲に訴えている。
そして彼には目標があって、そのためには実の母親と敵対もやむなしと考えているのだろう。しかし一つ疑問があった。
「王太后殿下と協調することは出来ないんですか? それに殿下も自国の王位継承者をこうも蔑ろにするのはどうしてですか?」
美波の遠慮のない指摘は痛いところを突いたらしく、フィリップは唇を少し噛み締めるような表情をした。
「王太后も彼女の周りの廷臣も国のことなど考えてはいません。お恥ずかしい話ですが、王宮から出ることなどなく贅沢のかぎりを尽くしています」
彼も留学という名目で城の外に出されなければ、今の状況に疑問を抱くこともなく生きていたのだろう。王太后の厄介払いも国民にとっては善行となったらしい。
しかしふと、『さすがに包み隠さず話すぎなのではないか』と思った。すると王族として何不自由なく育ってきたはずのフィリップは意外にも聡く、美波の探る視線に気づいた。
「喋りすぎだと思われましたか? しかし隠しても仕方がないんです。すぐに分かってしまうことなので」
「そうなんですか?」
「えぇ」
フィリップは顔に諦念を浮べて、ちらりと壁に掛かった時計に視線を向けた。
「長々と話してしまいすみません。もうすぐ晩餐会の時間ですね。晩餐会ではそう変なことは起こらないでしょうが、その後の舞踏会ではおそらくカイベ陛下を驚かせてしまうでしょう。ですので先に謝っておきます」
彼は申し訳なさそうに頭を下げた。
「ミナミ陛下を我が国までお呼びしたのは僕ですが、晩餐会と舞踏会の取り仕切りは王太后に奪われてしまい手を出せませんでした」
国王の権力を取り戻さんと実績作りに勤しむフィリップの功績を、王太后は横から掻っ攫っていったのだろう。しかし、
(変なこと? 驚かせる?)
アラミサルとどう違うのか知っているのなら教えて欲しいと美波が口に出す前に、フィリップは席を立ってこの会談を終わらせにかかってしまった。
「それではまた晩餐会でお会いしましょう」
意味深な発言を問う空気ではなくなってしまい、美波は消化不良を抱えたまま用意された客室へと引き上げた。




