54 西部都市への渡航は十分注意してください
視察隊一行は西部都市ワゼンから南部都市セレゥ、そして東部都市レアットにやってきた。
美波は独断で各都市での滞在時間を1日ずつ短縮し、レアットで3日間の自由時間を確保していた。
途中で美波の意図に気づいたムーアは、あえてその理由を問うことなく、何も言わずただひたすらに猛スピードで業務をこなした。
その姿を見て、美波は今度お礼に何かプレゼントでもしようと心に決めた。
レアットは工業都市で、魔石の流通により開発された機械によって作られる綿製品の大量生産や、魔物素材の衣服などを作る工場や工房が多く集まる街だ。そしてレアットの東にある3つの領地はカディスと国境を接しており、そのうちの一つは、ナイジェルの出身地である観光地『ベク』を擁している。
美波はこれまでと同様に、到着した初日に領主との会議の場を設けた。
ここレアット城の貴賓室にいるのは美波と、領主のジュリア・レイミス公爵、そして国王付きの近衛が1人だけである。
レイミス公爵は4都市を治める領主の中で1番若く、40手前の快活な女性だ。
「それで、まずは公爵が掴んでいるカディスの情報を伺えますか?」
「今のところ目立った動きはないようですね。ゾルバダ側がアラミサルとの国境に配備している軍も、人員が補強されるような気配はありません」
美波はその言葉にひとまずほっとする。現状アラミサルの最大の脅威は、銃開発など軍備を増強しているカディスである。
王城でも周辺各国の動きは密偵を放ち探らせているが、やはり国境に面している領や、それに近い領地の方が情報は得やすいし、肌感覚で分かるものもある。
「カディスは近年特に情報が得にくくなっていると宰相がぼやいていました。こちらでも常に探りは入れますが、レイミス公爵も何か情報を掴んだら王城に知らせてください」
「もちろん、そういたします」
レイミス公爵は力強く頷いた。しかし公爵は1つ懸念があると言う。
「いきなりカディス軍が動き出した時、情報伝達自体は伝書鳩を使えば半日で出来ますが、王都から騎士が到着するまで最速でも4日はかかります。増強されたカディス相手に持ち堪えられるかどうか」
「分かりました。今年は騎士団入団員を増やしましたし、レアットの軍備が増強できないか宰相や騎士団長たちと話し合います」
お願いしますとレイミス公爵は頭を下げた。これで会議は終わりかなと美波が締めくくろうとした時、公爵が何か言いづらそうに視線を彷徨わせていることに気づいた。
「公爵? どうかしましたか?」
「あぁ、えぇっと、領城内にいる限りは大丈夫かと思うんですが、今レアットの領都で連続殺人が起きておりまして……」
いきなりの不穏な話に、美波は眉を顰めそうになったが、公爵を責めているように見えぬよう表情は変えなかった。
「どんな事件なんですか?」
「始まりは3カ月前です。1人目の被害者は50代の男性で乗合馬車の御者でした。停留所で待っていた客がいつまで経っても来ないと乗合馬車の管理組合に連絡し、そこの組合員の1人が探したところ、道の途中で停車しているのをを発見。御者台を見ると男性が倒れていたということでした」
公爵は一旦部屋を出て書類を持って戻ってきた。その資料は事件の捜査を担当している衛兵が作成したもので、事件の詳細が書かれている。美波はそれを受け取って目を通した。
御者の男性は午前6時、定刻通りに組合に出社。6時15分には馬車運行のため組合を出ている。証言者は同僚である。6時半に停留所で客を乗せ、7時半頃に降りた乗客が最後の目撃者となっている。そして8時過ぎに、男性が担当している運行ルートから外れた場所で遺体で発見された。遺体はナイフのようなもので頸動脈を切られていたという。所持品からは金品や乗車賃がなくなっており、物盗りと思われた。
「次の事件はその3週間後、教会に礼拝に来ていた70代の女性が被害に遭っています」
女性は午前9時頃に教会の付近で歩いていたところを目撃されていた。そして夕方になっても帰って来なかったことから夫が捜索、教会の中で倒れているのを発見。女性はまたもナイフのようなもので、今度は腹を刺されていいた。この事件でも所持金が奪われている。
「3つ目の事件はその1カ月後、今後は夜10時に酒場から帰宅途中だった30代男性が、またも首を切られて殺害されました。この事件では所持金はそのままでした。そして最後の事件である4回目は1週間前で、これも夜でした。時間は9時だったのですが、今度は見回りの衛兵がナイフで胸を刺されそうになったところをギリギリ避け、一緒にいた同僚が犯人を追うも逃げられています」
事件は今までに4回起こっている。しかし被害者の年齢や遺体のあった場所、状況など何一つ共通点が見出せない。
「別々の殺しではないんですか?」
「反抗に使われた凶器、ナイフなのですが、同じものが使われているようです。それに遺体にあった傷を調べると犯人の体格が分かるのですが、それが共通して小柄な人物の犯行であると断定されました」
なぜそこまで詳しく事件の内容を知っているのか、美波は気になり尋ねた。
「新聞に載ってましたっけ?」
連続殺人なら新聞でも大きく報道されているだろう。しかし美波には見覚えがなかった。
「いえ、レアットで強盗殺人があったことは報じられていますが、それが連続殺人ではないかと検証に入ったのが数日前です。そして憲兵隊でもようやく確信を持てたため、明日には報道されるかと思います」
レアットの強盗殺人事件なら美波も見た記憶があった。しかし公爵は捜査状況を知りすぎではないだろうか。何故だろうと疑問に思いながら、目の前の女性を観察する。女性の中では高い身長に、手は少し荒れているように見える。それで美波は思い出した。
(レイミス公爵は領地を継ぐ前は、この街の憲兵隊にいたんだっけ)
詳しいわけである。元同僚から色々情報を得ているのだろう。
(でもコンプライアンスがガバガバ……)
もちろん憲兵も状況的に公爵は関わっていないと判断して情報を渡したのだろうが、この世界、この時代に情報漏洩に対する意識は低い。
「街の人たちも不安でしょうね。早く捕まって欲しいです」
美波に出来ることはなく、無難な言葉で締め括った。
◇
予算書類の確認も終え、美波は宰相が作った行程表を4日分繰上げ、自由時間を確保した。
連続殺人の話は聞いたが、それでもこの街を観光しない理由にはならなかった。人は明確に自分がターゲットにでもなっていない限り行動を制限したりはしない。
しかし美波も国王として自分の身を守る義務がある。今回は護衛騎士を連れて城下に行こうと決めていた。
美波は城内本館にある賓客用の客室を出て、近衛騎士らに与えられている客室棟を目指す。部屋を出ると、扉の前で警護をしていた騎士が隣に並ぶ。この1年で騎士が隣を歩くことにも慣れた。
4階から1階まで降り、正面玄関から裏手にある客室棟を目指す。すると中庭で近衛騎士と領兵が合同で訓練していた。その中には外出に誘おうと思っていたジャックとロビンの姿もある。
美波が近づくと全員が手を止めてこちらを見た。美波は手を振って『続けてくださーい』と声を張り上げる。美波の行動に慣れている近衛はすぐに訓練を再開するが、領兵はいいのかなと戸惑いながらも近衛に倣って再び動き始めた。
訓練は筋トレの基礎訓練から剣術までそれぞれ自由に行っているようだ。領兵は近衛の剣術を教わる絶好の機会のため、近衛の周囲には人だかりができている。
近衛隊長は1人で100人ほどを相手に模擬戦をしており、日頃の軽薄さからは想像もできないほど真剣な目で鋭い剣を振るう。騎士2年目のジャックやロビンも一度に20人くらいは相手をしていた。やっぱり近衛は強いんだなぁと思いながら美波は2人に近づいた。
「私も混ぜてもらおうかな」
「大丈夫か? 手加減はするけどさ」
最初は剣の握り方も知らなかったジャックが、手加減できるまでに成長したのかと感動する。
「私だって時間ある時は鍛錬してるんだよ?」
「それは見たこともあるし知ってる」
「あと服もそれでいいのか?」
美波は出かけるつもりだったため、ワンピース姿だった。
「汚さないように気をつけるよ」
動きにくいとか、スカートが捲れるとかを気にしろとジャックは言いかけてやめた。気にしてる自分が恥ずかしくなったからだった。
美波は近くにいた領兵の剣を借りてジャックと向かい合う。近衛や領兵全員の視線が美波に集まるが、美波は相対するジャックにしか視界に入っていない。
「じゃあいくよ!」
「いつでも来い!」
美波は駆け出して大上段から剣を振り下ろす。
「くっ、重っ!」
脚と腕に身体強化をかけ、スピードに乗せることで重量のある攻撃を仕掛ける。ジャックは体勢を立て直し剣を弾き返す。その動きを読んでいた美波は押し返す力を利用して1歩分距離を取り、また踏み込んで薙ぎ払うように首を狙う。
「身体強化かけられるとやりにくい! つか戦い慣れてないか!?」
「Aランカーの冒険者と毎日模擬戦闘やってたからね!」
「はぁ!? それどんな状況だよ! くっそ羨ましい!!」
美波の剣を避け、間合いの内側に入ったジャックは剣を首元に持ってこようとするが、美波が左足で上から押さえるように蹴りつけ、その隙に剣を首を狙い向ける。しかしジャックの空いた左手で止められると、下方に押しやった剣が切り上げられる。美波はジャックの胴を蹴って無理やり距離を取りそれを避けた。
「身体強化使った脚で何回も蹴るなよ! 痛ってぇ!」
「ごめん! パーティメンバーは別に痛そうじゃなかったからガンガン脚も使っちゃうんだよね」
「それ人間か!?」
「そのはず」
お互いに譲らない剣戟が繰り広げられる。ジャックもいつの間にか少し本気を出している。とはいえ、怪我をさせてしまいそうで、美波相手では本当の全力は出し切れない。
対して美波には現役騎士と張れるほどの体力はない。このまま続ければそのうち息が上がり剣が乱れ、その隙を突かれて終わるだろうと思われた。その時、マクティアが2人の間に入り模擬戦闘が終わった。
美波は負けて終わっても良かったのだが、彼は国王の負ける姿を、国王を敬愛する領兵に見せぬよう配慮した。
空気が弛緩してジャックは剣を収め、美波も剣を領兵に返す。
「陛下の剣は実戦を積んだ冒険者って感じ。野生味溢れてていいね〜、なんか惚れちゃいそう」
それはつまりマクティアはルークに惚れるということだろうかと、美波は2人が手に手を取り合う姿を想像し『これは駄目なやつだ』と被りを振って、妄想を頭から追い出した。
「陛下の可愛いお顔で、あの力強い戦い方……ギャップで死にそう」
「なんつーか、親近感覚えるっつーか、誘ったら一緒に飲み行ってくれそう」
「おい、さすがに不敬だろ」
「鉄壁のスカート……」
最後のセリフのやつは周りの領兵らに殴られた。
「陛下、ここへは訓練しに来たわけじゃないですよね」
マクティアが美波の格好を見て、大体何を考えているかを察した。
「うん、ジャックとロビンと一緒に観光に行こうと思って」
「駄目です。って言っても行くよね? 王城にいる時だって護衛を撒いて城下に行っちゃうもんね」
ぐっと言葉に詰まる。悪いことだとは分かっていてもやめられない、と不良少年のような言い訳が頭に浮かぶ。しかし美波も街を1人で歩きたい日もあれば、ジャックたちと遊びに出かける時など完全プライベート時間として護衛を連れたくない日もある。我が儘だと自覚はしているが、今のところ改める気はない。
「どうしたら気持ち良く送り出してくれる?」
「近衛全員を連れてってください」
「それって送り出せないって意味だよね?」
「じゃあ、あの2人にクライヴも連れて行くなら」
マクティアは、それに加えて近衛10人にひっそりと護衛させようと決める。そして領兵らも顔を見合わせて頷き合った。美波に隠れてついて行こうと無言のうちに決まる。その後、領兵らの中で『勝手に護衛し隊』の編成をめぐって壮絶な争いが起こった。