53 北部都市、再び
宰相の作った行程表通り、美波たち視察隊は6日目の夕方に北部都市カムリバーグへと到着した。
一行の乗る馬車は領門をくぐって、そのまま領城へと進んでいく。馬車は大通りを進み、カサブランカ劇場や冒険者ギルドの前を通る。美波は車窓から見える懐かしい景色に目を細めた。
「あれ? 陛下、なんだか楽しそうですね」
美波の様子に気づいたムーアが微笑みながら言う。
「ここは冒険者時代に来たことがあるから、ちょっと懐かしくて。さっき通り過ぎた劇場の舞台にも立ったことがあるんです」
この旅の途中に、何度か美波のこれまでの話を聞いて、その度に驚いていたムーアだが、この日も同様だった。
「以前に演劇のご経験があったんですか?」
「いえ全く」
ムーアはなぜその依頼を受けたんだろうと思わずにはいられなかった。
近衛隊長のマクティアを先頭に、美波の乗った馬車が領城へと入る。玄関前には領主や職員、使用人らが総出で出迎えた。
停止した馬車からまずは同乗の騎士が降り、続いて美波が降りた。
今日の服装はケリーにより選ばれたドレスジャケットとスカートを合わせたスタイルである。
「陛下、ようこそおいでくださいました」
カムリバーグ領城の城主であるジョルジュ・マルカン公爵が美波の方へ進み出て礼をする。
公爵は50過ぎの男性で、マルカン家は100年前にゾルバダから移住してきた家系である。
(わざわざ仕事の手を止めさせてしまって申し訳なかったな)
美波は出迎えは不要だとあらかじめ伝えておくべきだったと、内心反省しながら礼に応える。
「マルカン公爵、お出迎えありがとうございます。後ろの皆さんも仕事の時間を割いていただいて感謝します」
マルカン公爵は美波が敬語を使ったことに驚き、公爵の後ろに並んでいた職員らは瞠目した。一瞬動きを止めていた公爵はすぐに復活し会話を続けた。
「城にお部屋を用意しておりますので、晩餐まではそちらでお過ごしください」
マルカン公爵はその客室へ案内するべく歩き出そうとするところを美波は遮った。
「晩餐会の前か後ろでいいんですけど、公爵のお時間をもらえますか? 予定していた会議を今日行いたいと思うのですが」
美波は出来るだけ仕事を1日に詰め込んで、余暇の時間を作ろうとしていた。
「えっ? えぇ、それは可能ですが、お疲れではないですか?」
「馬車での移動でしたし、体はそんなにつらくありません」
公爵は馬車移動以外何があるんだ、と聞きたいのを堪え、晩餐会の前に時間を作ると言った。ちなみに美波は、商隊の荷馬車の御者台に座っての移動と比べていた。
公爵との会議は晩餐会後の時間に設定された。
カムリバーグには、馬車で2日ほど北へ行くとゾルバダ帝国との国境がある。その距離の近さから、ゾルバダ国内で混乱が生じるとカムリバーグも影響を受けることになる。今回の公爵との会議では、ゾルバダで政変が起こったことによる、カムリバーグへの影響を確認する場であった。
美波は、あとは公爵と仕事をするだけだからと、晩餐会の会場から客室に戻ってすぐ、いそいそと堅苦しいドレスを脱ぎ、ブラウスとパンツという楽な格好に着替え、領城の侍女の案内で貴賓室へと向かった。
貴賓室にはすでに侯爵が待っており、美波が部屋に入るとソファーから立ち上がって迎えた。
公爵は美波のラフな格好を見て、またしても少し驚いていた。一方公爵は夕方に視察隊を出迎えた時から晩餐会、そして今に至るまで一切着崩していなかった。
「私ばかり楽な格好をしてしまってすみません」
「いえ、お気になさらず」
頭を下げた美波に公爵はまたしても若干たじろぎつつ椅子を勧めた。
「私は公爵が抱いていた『国王』のイメージと違うみたいですね」
美波は本題に入る前に、公爵がどんな人物なのかを知るため、対話を試みた。
「どうしてそのような……?」
公爵はいきなりの言葉に、何か失礼な態度でも取っただろうかと訝しむ。
「最初にお会いした時、それから私の今の服装を見て驚いていらっしゃったので」
「顔に出してしまうとは。お恥ずかしい。確かに、前国王はこの国の貴族出身の方でしたし、今日の陛下は戴冠式で拝見したお姿とも違って見えたので、戸惑っている部分はあります」
公爵は頭をかきながら素直に白状した。
今日のイメージと戴冠式の姿が重ならない、それもそのはずである。
あの時美波は貴族らに自分を受け入れてもらおうと努めていた。だから立派な王様に見えるよう振る舞った。しかし今は違う。美波はゾルバダの政変に立ち会ったことで『国のトップに必要な資質』について改めて考えた。そしてトップにはリーダーシップや決断力、幅広い知識と深い思考力が必要だと感じた。そして自分にはどれも欠けると冷静に評価を下した。
それでも美波は国王として立たねばならない。ならば足りない能力をどう埋めるのか。美波には頼りになる宰相や文官らがついている。彼らを頼ればいい。尊敬される人間になるのは難しい、だけどせめて信頼される人物に。
美波は肩肘張らず、そのままの自分でいることにした。それによって諸侯らの支持を失ったとしても大きな問題にはならないと判断していた。
この方針転換が公爵を惑わせていた正体だ。
「私、冒険者をしていた時、この街のカサブランカ劇場で一回だけ演劇に出たことがあるんです」
公爵は話の流れが読めず、戸惑いから目線をわずかに揺らす。
「戴冠式の観客は、劇場のそれよりは少なかったですよ」
つまりあれは演じていたのだと、そして舞台を下りたのだと美波は暗に伝える。それを正確に理解した公爵は声を立てて笑った。
「ははは! それでは今日の陛下が本来の姿というわけですか」
「えぇ、幻滅しました? いや、答えはいいです。これを変えようとは思ってないので」
美波のクルクル変わる表情や仕草に公爵は笑いを誘われる。
「それで、明日予定されていた会議を行うということでしたが」
「そう本題ですね。まずはゾルバダの情勢について教えていただけますか?」
なぜ今日にしてもらったかは言わない。むしろ自分の都合100%すぎて言えない。
「ゾルバダの情勢不安の影響で、ここ5年ほど避難民が毎年1万人ほど流入してきていたのですが、この度の武力衝突の伴わない政変が成ったことにより、その流れもほとんど見られなくなりました」
「それは良かった。やっぱり生まれ育った国で生活できるのが一番ですからね」
美波がそれを言うと不必要に重くなる。しかし本人は気にした様子がなかったので、公爵も聞き流した。
「私が放っている密偵の話では、反帝国組織が所持していた新型銃は、帝国が接収し軍備に回ったそうです」
「それは王城で掴んでる情報とも同じですね」
アラミサルと帝国は同盟を結び、議会政治の成立でも協力関係ではあるが、軍備に関する情報などはお互いに秘匿している。同盟解消となった時に取り返しがつかないからだ。だからこそ同盟国といえども情報収集は欠かさない。
「ゾルバダもそれを元に新型銃の開発を進めるのでしょうか?」
「おそらくは。隣国が軍備を増強すれば、自国もそうせざるを得ないですよ。私も今年の予算は軍部に多く割きましたし」
公爵は緊張したような表情で思案し、美波も険しい顔になる。
「世界はどこへ向かっていくのでしょうか……」
「それが分かれば対処するんですけどね」
貴賓室には沈黙が落ちる。
「話を戻しますが、避難民も次々と新しい住居や仕事を見つけており、空き地や公園に居住していた者たちが続々と去っております。ですので見回りなどの治安維持のために派遣してもらっていた王城の騎士をお返しできそうです」
「派遣していたのは500人でしたね。多くはないですが、その人員をカディスとの国境警備に回そうかな」
「今の問題はカディスですか」
「えぇ、目下最大の懸案はカディスの動きです」
2人は目を合わせ、深くため息を吐いた。
宰相に確認して来いと言われていた事柄も聞き終え、深夜になる前に会議を締めた。
次の日、美波とムーアは早朝からカムリバーグ領内の今年度の予算資料と格闘していた。
今年度から4都市の領主に委譲した、この予算の確認が今回の視察の目的だ。
空き部屋の一室があてがわれ、そこの大きな机の上には大量の書類が乗っている。2人はそれを読み込みながら、不自然な用途がないか、金額がおおよそ適正であるか、要は全力で粗探しをする。
美波は日本での事務経験と、昨年末に予算資料と格闘した経験が活き、着々と読み進める。ムーアはさすがベテランの文官といったところで、驚くべき速さで書類をさばいていく。宰相の人選は間違いがないなと美波は感心しつつ、手元の資料に目を落とした。
美波が朝から晩まで休憩期間も惜しみ、執務にあたったため、結局カムリバーグでの視察は予定していた3日間から1日短縮し、次は西部都市のワゼンへと向かった。