51 視察へ出発
アンとのランチから数日後。美波の視察スケジュールを作った宰相は、文官と武官を1人ずつ連れて執務室に入ってきた。
「陛下、視察にはこの財務部文官のムーアを連れて行ってください」
宰相が彼の斜め後ろに控えていた男性を紹介する。
「予算要求の査定の際にはお世話になりました。この度の視察に同行させていただきますアラン・ムーアと申します」
ムーアは40過ぎと思われる物腰の柔らかな男性で、栗色の少し長めの髪を紐で縛って肩に流している。服装は他の文官と同じように、上着にラウンジジャケット、首元の詰まったシャツとベストにズボンを着用していた。
今はいたって爽やかさな男だが、美波は『この人も予算の時期は動く死体状態になって、床で寝たりしてるんだな』と複雑な気持ちで彼を見つめた。
ムーアの隣には近衛隊長のマクティアが控えていた。マクティアは赤褐色の髪と瞳の、ムーアと同年代と思われる男で、軽薄な雰囲気を以前から美波は少々苦手としていた。
(陰の者の私にチャライケメンは接し方が分からん)
それなりにいい歳で、妻子もいるのだから落ち着いて欲しいと美波は常々思っていた。
「4都市を視察ってことで、近衛は全員連れて行くんでよろしく〜」
「全員ってことは50人ね。思ったより大所帯になっちゃったか」
「そりゃ国王陛下の移動だよ? これでも少ないくらいだ。それに守る人のいない城に近衛残してたってしょうがないし」
マクティアの言葉はごもっともである。それに近衛隊は城下の警らにも組み込まれていないため、全員が城を開けても問題はない。
自己紹介だけという実にあっさりとした顔合わせを済ませ、4人は視察のスケジュールを確認する。
「まずはゾルバダの情勢確認も兼ねて北部都市から視察を始めましょう。陛下におかれましては、長期間城を離れられては公務に差し支えるため、最短ルートで回っていただきます」
どうやら余裕のない行程のようで、観光したりする時間もなさそうだった。
「つまんない……」
「陛下! 遊びに行くのじゃないでしょう!」
宰相の叱責に首を竦めて謝った。
「はーい、ごめんなさい。しっかり仕事だけして帰ってきます」
こうして慌ただしく準備を進めて、1カ月後に国王陛下御一行は王城を出発することが決まった。
◇
美波の出立が決まったことで、ケリーたち侍女らも準備に追われていた。
「陛下、初日に着るドレスはこちらでよろしいですか?」
執務後に自室のリビングでのんびりしていた美波の前に、ケリーが華やかなドレスを持ってくる。
「いや……、一日中馬車に乗るから、もっと楽な格好がいいんだけど」
苦笑する美波に、ケリーは目を吊り上げる。
「いけません! 初めて国王として国民の前にお出ましになるんですよ! 国王らしい姿でなければ、国民は失望します」
「失望は困る。けど長旅にドレスはしんどいよー。30歳の体力では耐えられない」
美波はクッションを抱えてソファーに倒れ込む。
「それでは王都を出た辺りで、お着替えになられたらいかがですか?」
「そのために時間を割くのも勿体ない」
うーんと2人して考え込んでいると、侍女の一人であるドロシーがおずおずと会話に入ってきた。
「あのー、馬車の外からは陛下の上半身くらいしか見えませんから、見えるところだけ着飾ってはいかがでしょう?」
「それだ! 天才現る!」
美波はソファーから勢いよく起き上がって彼女の方を向く。ドロシーはそれにたじろぎつつも、にっこり笑う。完璧な装いをしてほしいケリーは渋りに渋ったが、最終的には妥協した。
「陛下、次の日のお衣装はこちらでどうですか?」
次にケリーが持ってきた衣装は美波が休日に着るようなシンプルなワンピースだった。
「えっ、これいつまでやるの?」
「1週間分は必要ですし、予備も用意します。領城に着いたら一旦私たちが洗濯いたしますので、全日程分の衣装までは必要ありません」
美波に代わって全ての準備を引き受け、今回の視察にも同行して世話をしてくれるケリーに感謝しつつ、その手に持っている衣装に目線を移した。
「スカートじゃなくて、執務で着てるジャケットとパンツのセットアップでいいよ? あれ楽だし」
美波が何着か持っているセットアップは、もちろん既製品では売っておらず、これは私費も投じて特注で作ったものだ。着やすい服には多少こだわっている。
「しかしそれではあまりに地味すぎるのでは……。いえ、同行の近衛しか見ませんし、それでも良いかもしれませんね」
近衛騎士は美波のラフな格好も見慣れているので今更である。
こうして旅の支度は着々と進んでいった。
◇
「じゃあ行ってきます。留守の間、よろしくお願いします」
今日はいつもより華やかなワンピースに身を包んだ美波は、宰相に留守を託して、ムーアとともに馬車に乗り込む。美波は乗り物酔い防止のために進行方向に向かって座り、ムーアはその対面に腰掛けた。
別の馬車には、同行のケリーとドロシーが乗り込み、そこには荷台や座席にも美波と彼女らの荷物が積まれている。
「ミナミ、今日は俺が一緒に乗るから」
よっ、と片手を上げてジャックも乗り込み、馬車の扉を閉める。警護のために、近衛騎士が毎日1人は同乗することになっていた。
「今日はジャックの番か。よろしくね」
美波も笑んで答える。ジャックはムーアの隣に座った。
「ジャックも後ろ向きでいいの? 酔わない?」
「馬車に逆向きで乗ったくらいで酔うような鍛え方はしてねーよ」
「あはは! それって鍛え方の問題?」
ジャックは腕に力瘤を作ってみせるが、近衛の鮮やかな赤い制服の上からはさすがに見えない。
「じゃあ私が酔いそうだったら、陛下の隣に座らせていただいても?」
2人の楽しそうな様子に、元より柔らかな雰囲気をさらに緩めてムーアが尋ねる。
「それなら馬車が動き出す前に、こっちに座っておいたらどうですか?」
美波が空いている左隣の席をポンポンと叩く。
「いえ、陛下の隣は畏れ多くて……」
ムーアは困ったように苦笑する。
「ミナミ、お前ってホントに王様なんだな」
ジャックは唖然とした顔で、ムーアと美波を交互に見る。
「知らなかった? 私、職業欄に王様って書く人だよ?」
「なんの書類書く時の話だよ。転職でもすんのか」
笑いに包まれた馬車の窓を叩く音で、美波が視線を外に向けた。そこには馬に乗って中を覗き込むマクティアがいた。
会話をするために、美波は窓を開けてやる。
「陛下、準備が整ったので出発するよ」
「はい、お願いします」
美波は宰相や秘書官、ソフィーたち城に残る侍女らに見送られて出発した。
◇
この日は城下に国王の乗った馬車が通るということで、沿道には住民らが詰めかけ、まともに歩くことすら困難なほどだった。
美波の乗った馬車は城下の大通りへと差しかかり、沿道を埋め尽くす人々の姿が見えてきた。
「わっ! すっごい人だかり! みんな私を見に来たの!? なんだか畏れ多いなぁ。あっでも、近衛も人気あるから半々くらい?」
警備上の問題から絶対に窓は開けるなと言われており、美波は窓に顔を貼りつけて外を眺める。
「陛下、畏れ多いのはお顔を拝見する国民の方です。それから、近衛も人気はありますが今日に限っては全員陛下目当てですよ」
「人気だなぁミナミ」
ムーアは目尻を下げ、ジャックはニヤニヤしながら美波を見る。
「そもそも国王は人気があるって最初に教えてくれたのはジャックたちだよ」
「え? 俺ら?」
美波は窓の外からジャックの方に視線を戻す。
「そう、新兵訓練の修了式の後に皆で飲みに行ったじゃない? あの時にジャックたちが言ったんじゃん。『王様に仕えられて光栄』って。ジャックのお母さんなんて泣いてたんでしょ? あれ聞いて私どうしようかと思ったよ」
「あぁぁー! 本人に聞かれてんじゃん! クッソ恥ずかしいじゃん俺ら!」
ジャックは顔覆って上を向き、恥ずかしさのあまり体を左右に捩って悶えている。
「私はそれを聞いて、尊敬されるに相応しい人にならないとと思って、まずはこの国を知るために冒険者になったんだよ」
美波はクスクス笑ってジャックを見ていたが、急に真顔になったジャックに首を傾げた。
「じゃああの『国王の家出事件』って俺らのせいかよ。情報統制されてたけど、国王がいなくなったことは近衛には知らされてたんだ。近衛を総動員して国内各地けっこう探したんだぜ?」
「そっ、それはゴメンナサイ……」
美波は置き手紙を置いて城を出たが、事件に巻き込まれて無理やり書かされた可能性も捨てきれず、宰相は近衛に捜索させていた。しかし無事帰ってきた美波に、自分の落ち度を感じていた彼は、近衛を動員していたことは話さなかった。
その一連の出来事を近衛では『国王の家出事件』と呼んでいた。
「結局なんの手がかりもなくて、捜索は3カ月くらいで打ち切りになったんだけどな」
「宰相閣下も心配されたことでしょうね……」
それでも戴冠式の準備を進めていた彼は、美波の無事の帰還を信じていたのだろう。
「そういや、南部と西部の方に探しに行った先輩たちが、騎士を騙る人物の情報を持って帰ってきてたけど……。あれミナミか!?」
「あっそれ多分私だわ」
「マジか!?」
「陛下、そろそろ市街地に入ります」
馬車が市街地に差しかかり速度を落とす。事前にマスコミに発表していた通り、国民に顔を見せるため、馬車は城下のメインストリートを通る間は速度を落とすことになっていた。
馬車の中にも人々の歓声や熱気も徐々に伝わってくる。
「ホントにすごい人。怪我とかしないといいけど」
「騎士と憲兵が警備してるし大丈夫だろ」
この日のために、騎士団と憲兵隊は綿密な打ち合わせを行い、厳重な警備体制を敷いている。
『国民に顔見せを』という美波の発案から始まったこのパレードのような行事だが、騎士団や憲兵隊、文官の多くがこの日ために動いた。
美波はありがたさと申し訳なさを感じて、とりあえず全員に行き渡る数のケーキは差し入れしておいた。せめてもの罪滅ぼしだ。
「さぁ市民の前を通りますよ。手を振って差し上げたらどうですか?」
「恥ずかしいなぁ、でも皆が喜んでくれるなら全力でやります」
馬車が市民の前を通り始めた。美波は笑顔で手を振って応える。
「あっ! あそこに俺らがよく行く飲み屋の女将がいる」
「えっ、ホントだ! 目が合った! 合ったよね!?」
「それ向こうが言うセリフじゃね?」
国民の熱視線に美波も気分が高揚してくる。
(握手でもして回れたらいいのに、ってそれじゃあ選挙の立候補者か)
手を振り返すだけでは物足りなくなった美波は窓を少し開けて手だけを出す。
「おいミナミ! 窓開けんなって言われてたろ!」
「手だけだから」
出した右手に魔力を集めて氷魔法を放つ。
美波の氷魔法は、周囲の空気中にある水蒸気を蒸発させて冷やし、それを増幅させるイメージだ。
美波はそのマイナスの温度にまで冷やされた冷気で、さらに空気中から水蒸気を集めてそれを凍らせた。
馬車の周囲に光の粒が現れる。太陽の光を反射してそれはキラキラと幻想的に輝き、衆人を魅了する。美波が人工的に作ったダイヤモンドダストだった。
「すげぇー、けど寒っ!」
美波が周囲の空気を冷やしたため、馬車の中も冷房を通り越し、冷凍庫のような寒さになっていた。
「確かに……けど凄い歓声。もうちょっとだけ続けようか」
集まった市民らのボルテージは最高潮に達していた。美波は微笑みながら手を降り、先頭にいたマクティアに怒られるまで魔法の行使を続けた。




