50 この日のランチは味がしなかった
美波が国王に即位してから1年が経った。
まだ夏の暑さの残る晩夏の執務室で、机に向かっていた美波の前に宰相が立つ。
「今年度から予算作成の権限と立法権を東西南北の都市を治める領主に移譲しましたから、正しく運用されているか確認せねばなりませんね」
美波は規模の大きな4都市のスピーディーな行政運用と、領主に政治の責任を持たせるため、この4月から国の制度を変更していた。
「それもそうだね。じゃあ視察に行くからスケジュール調整してくれる?」
宰相はまさかといった様子で目を見開く。
「何も陛下ご自身が向かう必要はございませんでしょう」
「私が行ったって、役人としてはまだまだ新人だし、何も分からないかもしれないんだけど、国王が常に目を光らせてるってポーズだけでも見せておけば、変なことはしないだろうっていうのと、国民への顔見せも兼ねようかと思って」
美波の戴冠式で『国王も国民の僕である』という神格化を否定する宣言はしたものの、未だ国王として城外に出たことはなかった。ゾルバダに行った際も旅行者に扮していたし、休みの日などでもよく外出しているが、それも一般人としてであった。
「陛下、国王と国民の距離が近くなることで何を狙っていらっしゃるのですか?」
「国民に政治への関心を持ってもらうと同時に、国王を批判できる環境を作ることで政治腐敗を防げる。それと、未来で国王の権威を利用してその時の為政者が暴走するようなことも防げる」
なるほど、と宰相は納得した顔をする。美波はその様子に安心しつつ、腕を組んで天井を見上げた。
「やっぱり国王として、自分が死んだ後の未来にも多少は責任を持たないと思って。どうするのがベストなのか、時間がある時にずっと考えてたんだよ」
「ついつい日々の執務に追われがちですが、大事なことですね」
珍しく宰相は美波の意見に全面的に同意する。
「あと、私が持ってる国王のイメージと違うから違和感があるのかも」
「持っているイメージですか」
どういう意味だと宰相が指で眼鏡を押し上げた。美波は目線を宰相に戻して言葉を続ける。
「うん。やっぱり国民とともにある国王っていうのがしっくりくる。私がやりやすい。大幅な方向転換になっちゃうけど、現状から何かが悪くなることはないと思う」
親しみやすくなったとしても、国王は神によって選ばれるという根底は変わらない。そこにはやはり神聖さを感じるだろう。現代の地球と同じようにとはいかない。
「さようでございますか」
宰相にはそれをする必要性が理解出来なかったが、してはならないと否定する材料も持たなかった。それならば美波のしたいようにさせようと決めた。この1年で美波の積み重ねた功績は彼の信頼を勝ち取っていた。
宰相は軽く頭を下げて、美波のスケジュール調整に取りかかった。
再び書類に向かっていると、コンコンと執務室の扉が叩かれた。
「どうぞー」
美波は緩い調子で入室の許可を出す。
「やっほーミナ、元気? 時間あるなら一緒に昼ごはん食べない?」
ひょっこり顔を出したのは新兵訓練の時に同室だったアンだ。
美波は年明けからゾルバダに行っており、帰ってきて落ついた頃には、アンは研修として南部都市の領兵とともに働いていて、つい最近帰ってきたばかりだった。
「アン! 久しぶり! 時間ならなくても作るよ〜行こ!」
美波は途中だった書類作成をすぐさま放り投げ、宰相に目配せして席を立つ。宰相は『陛下に対しその態度はなんだ』と言いたげにアンを睨むが、彼女は全く気にしていない。
美波はアンと連れ立って執務室を出た。
「どっちの食堂に行く?」
美波が聞くどっちのとは、王城本館にある文官用の食堂か、騎士団の食堂かという意味だ。
「騎士団の方だとミナが行ったら皆お昼どころじゃなくなっちゃうから、本館の食堂にしよ」
「あはは! オッケー」
ちなみに味とメニューは両方とも変わらない。違いは騎士団の食堂は普通盛りが大盛りなことくらいである。
時間を惜しむように、お互いに会えなかった間に起こった出来事を話しながら食堂に着いた。
ランチは2種類の定食かパスタから選ぶことができる。美波はトマトとナスのジュノペーゼパスタ、アンはAランチのビーフシチューを選んだ。
「陛下、トマトはお好きかい?」
食堂のカウンターの奥にいたおばちゃんが気さくに話しかけてきた。
「うん? 好きですよ」
「じゃあ多めに盛りつけちゃおうかね。そっちの騎士のお嬢さんはビーフシチューかい、そしたら肉を多めにしとくよ!」
『ありがとうございます』
2人は笑って礼を言い、おばちゃんから食事を乗せたプレートを受け取って空いている席を探す。
美波は奥に空いている窓際の4人掛け席を見つけて、そこに向かった。すれ違う職員らは美波に会釈をし、美波も微笑んでそれを返す。
「はー、ミナって王様なんだねー」
席に座った美波をアンは正面からまじまじと見る。
「ふふっ、なに? 改まって」
「皆ミナの顔知ってるんだね、アタシなんか同じ部隊の人以外には全然覚えてもらってないのに。まっアタシも覚えてないんだけどね」
アンはシチューを口に運びフフッと笑う。
「あんまりいない東方大陸系の顔だから、東方人イコール国王って広まるのは思ったより早かったかな」
「でも文官の人たちってミナに対してあんまり畏まってないよね? どうして?」
「財務部の仕事を手伝ってから、そこの文官の人たちは私を部下みたいに思って話かけてくれることが増えたのと、図書館で友達になったジョンとも、国王って知られてからも普通に接してもらってたし、それはアンやジャックたち『1班』の皆もそう。それを他の人たちも見てて砕けた対応をしてくれるのかも」
人事権は完全に人事部が握っており、国王が介在する隙間はない。よって美波が誰と仲良くなろうが問題にはならない。
「ミナが畏まられるのが嫌って皆が知ったってことか」
「知られちゃいました」
美波がもぐもぐと咀嚼しながら戯けて笑う。
「ミナ案外寂しがりだもんね〜」
「そうかな?」
アンがニヨニヨと笑う。
「彼氏とか〜どうなんです〜?」
「恋人かぁ、いてもいいよねぇ。むしろ今年で30だし結婚しててもいいくらいだよね……」
自分の年齢を思い出し思いっきり気落ちする。
「アタシ聞いたんだけど、年末にフォスター師団長と馬に2人乗りして出かけたらしいじゃない。詳しく聞かせて!」
アンがキラキラした目をして身を乗り出す。彼女曰くどうやら王城の女性職員らの中で、当時はものすごく噂になっていたらしい。
「詳しくって、師団長は暇な私に付き合って、旧王城に行って、その後はフクロウマーケットに行って帰ってきただけだよ」
「それってデートじゃない!!」
「デート……? なの? でも別に何かあったわけじゃないよ?」
男性とのデートの記憶など遠い彼方に忘れ去った美波は、デートとはなんだっけと思い出そうとする。
そして周囲で昼食を食べていた文官らも、本人から語られる噂の真相に聞き耳を立てていた。
「それで、2人の関係はどうなの?」
「どうってなにもないよー。それなりに親しい友人で仕事では信頼してる、それだけだよ」
「なにそれ、つまんなーい! 国王様だと恋愛も難しいの?」
アンが不貞腐れたように非難する。
「アラミサルの国王は世襲じゃないから誰と結婚しても問題ないし、他国の王様たちよりよっぽど簡単なんだけどねぇ」
美波はダギー大公を思い浮かべながら言う。
「じゃあ師団長でもいいってことじゃん! それとも他に気になる人でもいるの?」
「そういうわけじゃないけど、やっぱり恋すると人って変わっちゃうでしょ? 私がパートナーの言う通りに政治を動かすようになったらって思うとね」
国王になって1年。仕事にも多少慣れて恋愛する余裕もなくはない。しかし真面目に仕事に取り組んでいるからこそ、新たな不安が生まれていた。
美波はこの歳の離れた友人は、ついつい本音をこぼしてしまう。アンの裏表のない性格と美波の数少ない同性の友人だからだろう。
「ミナの言うことも分かるような分からないような? でも間違ったことしたら宰相閣下が止めそうだけど」
「……確かにそうかも。あー、私考えすぎてたみたい。それか彼氏が出来ないから言い訳?」
スッキリした顔でクスクスと笑う。その顔を見てアンは安心して一緒に笑った。
余談だが、周囲で話を聞いていた職員らは後日『陛下に恋人を作ってあげ隊』を結成し、勝手に彼氏候補を擁立しては「こいつは稼ぎがイマイチ」「こいつは見た目が国王の恋人に相応しくない」などと難癖をつけ、最終的に候補者はフォスター以外に誰も残らなかった。
「そうだ、師団長との噂も気になってたんだけど、ミナがゾルバダに行った話も聞きたかったんだった!」
アンが手を打って本題を切り出す。
アンは美波がゾルバダに行って、かの国の政治体制を変えたことを新聞報道で知ったと言う。
ゾルバダの一連の出来事に関しては、美波は帰国してすぐに報道各社を集めて会見し、美波自らがゾルバダに行き内戦を防いだこと、その功績で魔石の購入額が少し下がること、そして絶対王政から議会政治に移行したことと、アラミサルと同盟を締結したことを発表している。
大本営発表にも思えるほどに出来すぎた話だ。
「新聞には乗ってなかったんだけど、どうやって内戦を防いだの?」
「師団長と冒険者やってた時の仲間と3人でゾルバダ皇城に乗り込んだ」
美波もたった3人で、しかも力づくで皇城に乗り込んだなどと発表しては大混乱になることは予想できたため、マスコミにはただ行ったとしか話さなかった。
マスコミからは使節団(と解釈してくれた)のメンバーは誰かと質問があったが、第1師団長ら複数人が行ったとしか言わなかった。その『使節団』に民間人がいてはおかしいため、ルークの名前は出していない。
「嘘! まさかたった3人で!? 国王なのにたった2人の護衛だけで動いたらダメなんじゃないの?」
「観光客として行ったから大丈夫」
大丈夫なわけはない。
「でもただの観光客がゾルバダ皇帝と会えるわけなくない? しかも乗り込んだって言ってたし。どういうこと?」
アンが鋭い指摘をする。同じく詳細を知らされていない周囲の文官らも全力で聞き耳を立てていた。
「結果として、3人で皇城に乗り込んで5千人を騎士を相手に大立ち回りをした末に、皇帝の私室に乱入して説得した」
アンは目を瞬かせて口もあんぐり開いている。周囲も似たような反応だ。
「危ないじゃない! っていうか危ない以前になんでそんなこと出来ちゃうの!? 5千人相手にして城の中に侵入出来るのも意味わかんないし、生きて帰って来てるのも不思議だし! 何がどうなって……何やってんの!?」
処理落ちから復活したアンが大声で攻め立てた。
「だって、ゾルバダに入国した時点で事態が進みすぎてて、全部を丸く収めるには直談判するしかないって思ったんだもん」
「だもん、じゃない! なんで師団長もミナを止めなかったのよ」
周囲も首を縦に振って激しく同意している。
「言っても聞かないと思われたんだと思う。それに2人とも腕自慢だし?」
「ミナ!! ……もう、終わったことだけど、もう二度とそんな危ないことしないでよ?」
「もうしない。宰相に一日中説教されたし。あれはしんどかった」
美波は思い出し、ゲンナリした顔で姿勢を崩し頬杖をつく。
「それで? 本命はその冒険者だったりするの?」
「またその話に戻るの!?」
アンや文官らにとって、思わぬ暴露話を聞いてどっと疲れたランチタイムになった。