49 無血革命
「何者だ?」
峻厳な雰囲気で威厳を兼ね備えた、冷たいグレーブルーの瞳が美波を誰何する。
「アラミサル国王、ミナミ・カイベです」
美波は直感で、ここは身分を偽るべきではないと感じ本名を名乗った。
「アラミサルの国王がなぜここに?」
美波は男の座っているソファーの対面に腰掛け、目の前の人物を観察した。
(この人が多分ゾルバダ皇帝だ。プライドが高いっていうより信念を持っている感じ。ちょっとやそっとの説得では心を動かすのは無理そう)
美波は気合を入れて男を向き合う。
「あなたがゾルバダ皇帝ですね? 私はカディスがゾルバダに侵攻する可能性を察知して、それを止めるためにここに来ました」
「その情報の信憑性は今は置いておこう。そして我が国がカディスに制圧されると、アラミサルにとって不都合であることも分かる。だがなぜ正式に会談を申し込まなかった?」
「時間がなかったからです。ゾルバダ国内で革命軍が組織されていると聞き、それが蜂起してしまってからでは遅かった」
美波はあえて一つの事実を隠した。それはアラミサルを出た時点では、カディスが侵攻するかは不明だったこと。そして新型銃はカディスから流れてきているだろうことを突き止めたが、今でも侵攻があるかどうかは推測の域を出ていない。それでも可能性がゼロはなかったから手を打ったのだ。
「しかし国王が自ら来る必要はあったのか?」
「ありました」
美波とゾルバダ皇帝の視線がぶつあり合う。
「あなたを説得するには、国王である私が出るしかないでしょう?」
「説得だと……」
皇帝が片眉を吊り上げる。
「えぇ、帝国は今、カディスの侵攻と蜂起した市民による内乱の可能性をはらむ危機的状況です。その2つを未然に防ぐ解決策を持ってまいりました」
「策など必要ない。カディスが侵攻してくるなら戦えば良い、内乱ならば起きぬよう軍を派遣した」
どこに策を労する必要があると、皇帝は冷めた目で美波を見る。
「確かに陛下は5千の騎士を革命軍に向けて派遣しましたね。向こうは新型銃があるとはいえ数も人数も少ない、順当にいけば勝てるでしょう。でも革命軍とは別の、蜂起した市民はどうします? 手に農具を持って皇城に集った人たちを全員殺しますか? それでは怒りの炎に油を注ぐだけ。そんなことをしたらあなたは処刑を免れませんよ?」
「新型銃……それに処刑だと? 何を戯けたことを」
彼は馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う。
「新型銃の存在は私がガイスラーで確認済みです。それに怒れる庶民を舐めてはいけません。処刑も可能性は十分にある」
皇帝の顔色が少し変わる。
彼は証拠として新型銃の実物を見せられた訳ではない。だが他国の国王が自ら動き確認した。その事実には一考の価値があった。
「それにカディスとの戦争もおすすめできません。その新型銃はカディスから流れてきている物だと私は確信しています。最悪敵対国になる可能性にある国に脅威になるような数の武器は渡さない。なんならその新型銃もカディスでは旧式か試作銃かも。……勝てますか?」
顎髭を撫でつけながら考え込んでいるのを、美波は静かに見守る。
「厳しいな……それが本当ならば」
「えぇ。確固たる証拠は少ない」
一国の皇帝が、いきなり現れた人間を信用したりはしない。彼は美波の真意を探るように揺さぶりをかけた。
「まさか、この城に攻め入ったのもカディスと手を組んでおったのか?」
「いいえ。その証拠にここに来るまでにゾルバダ騎士は一人も殺してない。私が話したことの裏を取ってくれてもいいけど時間がない」
皇帝が眉を寄せる。
「時間がないとは?」
「陛下が革命軍を討伐するため、軍をガイスラーに派兵したことで、革命軍と市民たちが動き出してしまいました。なのでその2つと軍が衝突する前に対処しなければならなくなった」
「対処だと?」
目で美波に先を話すよう促す。
「革命軍を指揮する公爵と国民の要望を飲むことです」
「私に退位しろと?」
「陛下が退位して、代わりにガイスラー公爵が帝位についても国民は納得しないでしょう」
「だとしたら一体……。まさか、帝政を廃止するというのか……?」
皇帝は美波と同じ結論に辿り着いた。彼も美波と同じように、市民を沈静化させ他国に付け入れさせない方策を導き出した。
「えぇ、絶対王政から立憲君主制への移行です」
「待て、本当にそれしか方法はないのか。これはアラミサルにとって都合のいい話ではないのか?」
彼は思わず立ち上がり、立ち上がり部屋の中を歩き回る。本当にこれ以外の解決策はないのか、そもそもこの話は全て本当なのか、嘘だとしてどの部分が、どこがアラミサルにとって都合の良い話なのか。頭をフル回転させる。
革命軍の新型銃にカディスの侵攻。確信を持って正しい判断を下すには、彼の持っている情報は少なすぎた。
「しかし帝政を廃止したところで、侵攻の危機からは脱していないではないか」
「そうです。ですからアラミサルと同盟を結びましょう」
美波の話の最終着地点はここだった。帝政廃止で国内の安定化を図りつつ、アラミサルとゾルバダが同盟を組み、カディスの目論みを挫く。
財政豊かなアラミサルの軍備は、カディスが新型銃を配備していてもなお、対抗し得るだけの戦力があった。そもそも、美波たちがゾルバダに来たことで武器の性能は判明しているため、対抗策を考えることも難しくなくなっている。
皇帝は長く沈黙した。静まり返った室内には宮殿の外にいる騎士らの怒号が聞こえる。廊下から聞こえていた剣を合わせる金属音や、殴り合う鈍い音はもう止んでいた。チック、タック、と時を刻む時計の音だけが響く。
「アラミサル国王の提案を、受け入れよう」
皇帝は再び美波の正面のソファーに座して、ゆっくりと頭を下げた。
彼は悟った。確証が持てる情報がない時点でカディスにもアラミサル国王、美波の言う通りにするしかないことに。
「それで、同盟を結ぶにあたってアラミサルからの要求は何だ?」
同盟を結ぶということは戦争になった場合、アラミサルも参戦するということになる。ゾルバダがカディスに併合されたとしても、魔石はカディスから買えばいい。同盟のメリットがないように思われた。
しかし、実はゾルバダの防衛は、アラミサルにとってもメリットはある。ゾルバダから避難民が来ることや、カディスに対して膨らむであろう貿易赤字、資源を得たカディスによる国家増強などを避けられる。
アラミサルよりは狭いものの、広い国土と多くの人口を擁するカディスに資源が渡れば大きな脅威となる。
「同盟を結ぶだけでもいいんですが……。そうですね、魔石を今より少しだけ安く融通していただけると嬉しいですね。あっ無理のない範囲でいいので!」
美波は強請っていると思われたくなくて、無理のない範囲でと強調した。
「それは想定内だ。それでは即刻この戦時体制を解き、同盟の調印式の場を整えよう」
皇帝は立ち上がり扉へと向かっていく。
「一つ聞かせてください。先程まで話していて、皇帝陛下は聡明な人物だと感じました。それなのになぜ国内がこのような状態になるまで、何も出来なかったのですか?」
不躾な質問だが聞かずにはいられなかった。
「この国は諸侯の力が強い。政治も諸侯の同意を得てようやく進む。貴族は彼らの資産が減ることを断固として受け入れない。だから平民にはこれまでの戦費を
のツケを増税で賄わせることになった」
ゾルバダは魔石が産出された50年前から幾度となく周辺国の侵攻を受け、その度に退けてきた。その度重なる戦争は国庫の負担となったが、貴族はそれを負担しようとはしなかったのだ。
「今のように、国家の危機に瀕してようやく変えることができそうだ」
皇帝はさっぱりしたようにも見える顔で部屋を出て行った。
◇
夜に行われることになった調印式までの間、美波は用意された部屋で風呂に入り、徹夜と怪我と魔力切れで重すぎる体をなんとかベッドまで運び、そのまま気絶するように眠った。
そして目が覚めた時にはすでに陽が傾きかけていた。
美波はまだぼんやりとした頭で窓の外を見て、太陽の位置や陽の強さで大体の時刻を確認した。それから時計を探そうと頭を反対方向に向けて、ベッド脇にルークとフォスターが座っていることに気づいた。
「目が覚めたか」
「良かった。勝手に女性の寝顔を見てしまって申し訳ない。しかし目覚めたらすぐに話を聞きたくてね。……皇帝との話し合いはどうなった?」
フォスターは美波に水の入ったコップを渡しながら尋ねた。美波は起き上がってそれを受け取り飲み干し、一息ついてから皇帝と話した内容を伝えた。
「上出来じゃねぇか」
「さすが陛下、お見事です。お疲れ様でした」
ルークは美波の頭をくしゃくしゃと撫で回し、フォスターがそのボサボサになった髪を整えてやりながら微笑む。
「2人ともありがとう。怪我は大丈夫?」
美波は2人の体に視線を巡らせると、2人は服の袖を捲って傷がないことを見せた。よく見れば服もシンプルなシャツとズボンに変わっており、着替えができたようだった。
「ポーション使ったから大丈夫だ。お前も怪我してたろ。これ使え」
美波はポーションを手に取って、腕や脚に塗る。
「ちょっと時間が経ってるから効きが悪いね」
「毎日きちんと塗って。そうしたら傷は残らない」
美波は頷いて、残ったポーションをベッドサイドテーブルに置いた。
「調印式が終わったらようやくアラミサルに帰れる。長かったー。疲れたーー!」
「最悪ゾルバダ軍を半壊できる戦力ってことで召集されたが、マジで3人で城に乗り込むことになるなんてな。ギルド通して依頼された金額じゃ割に合わねぇ」
「私も今の給料じゃ割に合わないよ」
「自分で突っ込んで行ったんじゃねぇか。つか給料制かよ。国王なんて重責背負ってんだから、ちょっとは贅沢したって誰も怒らねぇだろ。ホント真面目なやつ」
ルークが呆れたように笑う。
緩い雰囲気で雑談していると、部屋の扉がノックされた。美波が入室の許可を与えると、年配の侍女が入ってきた。
侍女は深く腰を折って、最上級の敬意を示した。
「アラミサル国王陛下。あと2時間ほどで調印式の時刻となります。ドレスを数着ご用意致しましたので、お選びいただきサイズ調整を行いたく存じます」
「分かりました。ありがとうございます」
美波の返事を聞いて、侍女が5着ほどドレスを運び込む。
「すごい。この短時間で用意するなんて。でもどうやって?」
「国王陛下のためですから」
侍女は恭しく頭を下げるのみで多くは語らない。
この世界に既製品のドレスなどはなく、新しく用意するには一から仕立てるほかない。
「んなこと聞いてやるな。お前と背格好が似てる人物が作らせてたドレスを帝国が召し上げて、超特急で最高級の格になるように直したんだろ」
「うっ、そっか。それは申し訳ないことを」
しかし、もうすでに美波用に直されてしまったドレスを元の持ち主に返すわけにもいかず、またそのようなことをすれば帝国の面子を貶めることにもなるため、ありがたく受け取るしかない。
「陛下、私たちは退室しておきます。この部屋の隣にそれぞれ部屋をもらっていますから、何かあればお呼びください」
「あっそうだ。ダニエル、調印式に『あの人』を呼んでおいてもらえる?」
美波はフォスターに頼み事をして、彼はそれを快諾した。そしてフォスターとルークが退出していった部屋で、美波は5着のドレスと対峙した。
(さて、どれを着るべきか……)
赤や水色、緑など、好みの色を選べるようにか、用意されたドレスの色は全て異なっていた。
美波はその中から、今回の会談で一番ふさわしいと思うものを選んだ。
「これにします」
美波はその1着を指差した。
「恐れながらアラミサル国王陛下、用意した私が申し上げるのは大変失礼だと重々承知しておりますが、それは刺繍がされる前の物でして、少々シンプルすぎはしませんでしょうか?」
侍女が体を小さくして進言する。
「確かにね。でもこの色がいいです。髪型とか装飾品で何とか華やかさを足してもらえませんか?」
「かしこまりました。誠心誠意努めさせていただきます」
ドレスの調整やヘアメイクなどで慌ただしく時間は過ぎていった。
そうこうしているうちに調印式の時刻となり、美波は侍女の先導で部屋を出た。廊下ではルークとフォスターがすでに待機していて、美波の姿を見た彼らはその意図に気づき笑った。
「なかなか考えたな?」
「素敵です。陛下」
「ダニエル、間に合ったみたいだね」
美波はその姿を見てほっと胸を撫で下ろした。
「えぇ、調印式の会場でお待ちです」
美波は2人に両脇を固められて宮殿を歩く。
階段を1階まで降り、渡り廊下から別の建物へと移動する。そこから見える夜の庭は昼間の喧騒が幻だったかのように静まり返っている。その景色は美波の心を落ち着かせた。
(思えば本当に遠くまで来たなぁ。会社帰りに異世界に召喚されてから、すぐに騎士団に入団させられたんだよね。その3カ月後には冒険者になってたし。それから国王に即位して、会談なんかしたりして……)
この世界に来てからもうすぐ1年になる。美波の人生の中で最も濃い時間を振り返りながら進んだ。
(たくさんの人にも出会った。ルークやダニエル。アンにジャック、ロビンとナイジェル。宰相に、ソフィーやケリー。それから南部領主やそこに住む人たち。西部ではマーガレットにリトルフォード男爵、学校ではマックとヘレン、面白いお嬢様にも絡まれたっけ。北部では劇団ワーナーのメンバー。私は皆のために何が出来るだろう)
「国王陛下、こちらが調印式の会場となります」
先導していた侍女が立ち止まり、そして扉を開けた。
部屋の中には皇帝陛下と50人ばかりの有力貴族と思われる人々、そして市民を率いて帝都に向かっていたはずのマルクスいた。
皇帝は部屋に入ってきた美波のドレスを見て正確に意図を読み取った。
「国王陛下、その白のドレスは本当に美しい」
美波は白という色に、新しく生まれ変わる帝国、そして一滴の血も流さずに行われた革命を表現していた。
「国王陛下……?」
調印式の時間までにある程度説明は受けていたはずのマルクスが目を見開いて固まっていた。
「初めまして? アラミサル国王のミナミ・カイベです」
「初め……? えっお前、ガイスラーで、……国王?」
「話した計画通り、皇城に乗り込んで皇帝陛下と話して、国民が政治参加できるようにしました。どう?」
ようやく理解が追いついたマルクスは片膝をついて深く頭を下げた。
「今も市民は帝都に向かっておりますが、おかげさまで誰一人として死んではおりません。国王陛下、ありがとうございました……!」
美波はその言葉を聞いて、自分のやったことは間違っていなかったと、目の奥が熱くなった。それでも国王として泣くわけにはいかない。グッと堪えて顔には余裕の笑みを浮かべ笑んだ。
「国王陛下、調印式を執り行いましょう」
皇帝に促されて30人は座れそうな長机に向かう。皇帝と美波対面して座り、周りを貴族やルークにフォスター、マルクスらが囲んで見守る。
皇帝は秘書から文書を受け取り、その内容を読み上げた。
「ここにゾルバダ帝国は、臣民の権利を保障し、上院と下院を創設する。議会は立法・徴税・軍事権・王を罷免する権利を有する」
他にも細かく規定が書かれており、それは全て国民主権を保障するものであった。
皇帝は文書に署名し、美波に手渡す。この文書は証人として確認し再び皇帝へと返した。この文書が発布されることで絶対王政から立憲君主制へと移行することになる。
次に皇帝は同盟に関する文書に署名し、それも美波に手渡す。美波はそれを読み込んで『海部美波』と漢字で署名した。
ここにアラミサル王国とゾルバダ帝国の和平同盟が成立した。
◇
和平同盟から半年。カディスはゾルバダに侵攻することはなく、アラミサルと周辺国家の平和は保たれていた。
宰相が国王の間の扉をノックして中に入る。
「陛下、もうすぐ新兵訓練の修了式です。ご準備は整っておられますか?」
「うん、行こうか」
ソファーで隙間時間にも執務を行っていた美波が立ち上がる。美波は白の軍服にロングスカート姿で、肩には飾緒、左胸には多くの勲章がつけられていた。
部屋を出て訓練場へと颯爽と歩く美波を、廊下ですれ違った職員らは敬服の目で見つめた。美波は一人一人に挨拶しながら進んでいく。
王城本館から外に出ると初夏の日差しが照りつけた。
(去年は国王不在だったから修了式の訓示は騎士団長がしてたけど、今年からは私がすることになるなんて)
美波はちょうど1年前を思い出しながら微笑む。
少し歩くと訓練場に今年の新入団員1500人と脇に騎士団と5人の師団長らが並んでいるのが見えてきた。団員らも美波を見つけて好奇心や値踏みするような目を向ける。
美波は全員の視線を集めて正面に立った。
「全員礼!!」
騎士団長の号令で、全員が一糸乱れず美波に対し最上級の礼をする。
団員らが顔を上げたところで美波はゆっくりと話し始めた。
「まずは国のために命を賭ける覚悟をした皆さんに感謝を申し上げます。我が国を取り巻く情勢は日々変わっています。ゾルバダは半年前まで内乱の危機があり非常に緊迫した状況でしたが、政治体制が変わったことで今は落ち着きをみせています。一方でカディスは新型銃など武器開発を進めており予断を許さない状況です。我が国はそれに対抗すべく、軍備の増強と兵器開発、また魔石以外でのエネルギー資源の模索に乗り出しました。そのような中で今後、軍部の役割は一層大きくなることが予想されます。皆さんはこのことを踏まえて職務を全うしてください。最後に訓練修了おめでとうございます!」
今年も空に団員らの帽子が舞った。
美波はそれを目を細めて見ていた。
二幕が完結しました。ここまでお付き合いいただいた読者の皆様に深く感謝申し上げます。本来はここで完結予定だったのですが、現在三幕を執筆中です。(多分三幕で完結かなぁ……?)しばらくお待たせするかと思いますが、お待ちいただけますと幸いです。