4 師団長の驚異的な理解力と愉快な仲間たち
美波の一日は今日もラッパの音で始まる。
訓練も3カ月目に突入すればスムーズに起床し、5分でベッドメイクと着替えを完了させることができるようになっていた。
もはや、辞めたいとか逃げたいとか考えていた美波はどこかに行ってしまっていた。
「ミナミ〜! 置いてかないで〜!!」
同室のアンはまだ慣れないらしい。
「アン頑張れ! 私は先に行く!」
裏切り者〜!という叫び声を背中で聞きながら、美波は全力ダッシュで訓練場に行く。
今日は全員が時間内に集合したため、教官の罵声を聞かずに済み、訓練生たちの間にホッとした空気が漂ったのも束の間、すぐに点呼と装備点検を行なう。
それが終われば次は30キロ走となる。訓練場を出て城の裏にある山に入り、頂上で折り返してまた戻るという行程だ。
教官の『始め!』という合図で一斉に走り出す。走るスピードは各々で決めて良いため、しばらくすると散り散りとなる。美波はいつも最後尾からなんとか追いかけ、ギリギリ背中が見える位置で走る。
最後尾には訓練生を見張る教官が常につく。つまり美波は毎日教官と共に走っていることになる。
本日教官としてついているのは、濃い色の金髪に碧眼の優男、第1師団長のフォスターだ。フォスターは他の教官と違い、怒鳴られながら走るハメにはならないものの「もっと早く走れ」という無言の圧力がつらい。怒鳴り声は慣れると聞き流せるが、圧力は精神をジリジリ蝕む。そういうわけで美波はフォスターを若干苦手としていた。
美波は30キロを走る間、脚に強化魔法をかけており体重による負荷は大幅に軽減されている。しかし3時間以上にわたり魔法を行使し続けるのも神経を使う。もっとも、常人であれば強化魔法は30分も使えば魔力が枯渇するが、美波は枯渇しない代わりに精神力との戦いとなる。そして強化魔法使ってもしばらく走ると呼吸は乱れる。
「カイベはなぜ魔力が枯渇しないんだ?」
後ろを走ってついてきているフォスターが初めて美波に話しかける。美波は『答える余裕なんてあったら速度上げてるわ!』と思いながら、答えないわけにもいかないので答える。
「人より、多いから、でしょ?」
フォスターが魔法訓練初日に言ったんだろうと思いながら、息を切らして答える。
「火球はどれくらい作れる?」
美波とは対照的にフォスターは全く呼吸を乱さず会話をする。
「直径、1メートル、100個でも、魔力切れ、起こりません」
美波は喋るのがしんどくなり言葉を省略し始める。
「いくら魔力量が多いからといって可能なものか……? 身体強化を使っている時、どうイメージしている?」
(どうって普通にだけど。っていうか走りながらする会話か!?)
美波は内心ちょっとイラっとした。
「体は器、魔力は水、水を集める」
もはやカタコトである。
「なるほど、魔力を体を満たす水のように具体的にイメージしているわけか」
フォスターは脅威の読解力でもってなるほどと納得している。
「それでは火球はどうイメージする?」
「空気中の、物質Xと、酸素O2に、魔力で、火花起こす。サイズは、密度」
美波はもはや説明になっていない説明をする。
「あぁ、分かった。空気中に何か燃えるものと酸素をイメージし球体にして、魔法でそれに火をつける感覚だということだな。水銃はどうイメージする?」
水銃とは、水の塊を発射する魔法である。
「二酸化炭素。CO2。炭素と水」
「なんとなくだが分かる。二酸化炭素というのが何かは分からないが、そこから水を作るイメージをしているということだな」
フォスターの理解力がえぐい。これが分かるフォスターは多分色々と苦労した人なのだろうと察して、美波はちょっと好感度を上げた。
「魔法は化学」
美波は端的に答える。もうそろそろ喋るのをやめたいとも考えていた。
「化学というのは未知の世界だ。カイベの国の考え方だろうか? 今度詳しく教えてもらいたい。推察すると、具体的にイメージすることで魔力を効率的に使えるということだろう。魔術師は全員教えを請うべきかもしれない」
美波はようやくフォスターと会話が終わりホッとしたものの、残りまだ15キロあることを思い出し絶望した。
(あぁ苦しい。やめたい。気絶したい。やめたい、やめたいやめたいー!!)
今日もなんとか30キロを走り終え訓練場に戻ると、先に戻っていた団員は筋トレを始めていた。
筋トレの回数はそれぞれギリギリクリアできるかできないかという回数に設定されている。美波は腕立て伏せと腹筋を100回、背筋を50回。これでようやく午前中の訓練が終わる。
「イーチ! ニー! サーン!」
美波は声を張り上げる。声を出して数えるのが決まりだ。
「そこの坊主頭! 声小せぇぞ!! 10回追加!!」
「そこの金髪! 上体もっと起こせ! 10回追加!」
筋トレは数人の教官が見張っており、注意されるごとに10回追加される。美波は罵声が飛んでこないように気をつけながら行う。使っては意味がないため強化魔法は許可されていないが、動きが悪くなる前に治癒魔法で疲労を取るのがコツだ。
美波はトレーニングメニュー3種類をやり切って、フラフラになりながら食堂へと向かった。訓練1カ月目は午前中の訓練後は動けなかったので、この2カ月で確実に進化はしている。
◇
「ようミナミ、お疲れ!」
食堂では1班の仲間で仲良くなったジャック、ロビン、ナイジェルがすでに食事を始めていた。
3人とも24、25歳で歳が近いことから、訓練1カ月目からよく喋る仲になっていた。
ジャックはブルネットに同色の瞳、ロビンはハニーブロンドに碧眼、ナイジェルはブルーグレーの髪に同色の瞳だ。3人とも例によって整った顔立ちをしていた。
少なくともアラミサルは美形の産地に違いないと美波は思っている。
「お疲れ〜」
配膳係から昼食が乗ったプレートを受け取り、それを持ってジャックたちの方へ向かう。美波はロビンが引いてくれた席に腰掛ける。最近はこの4人で昼食を取ることが定番となっていた。
今日のメニューはハンバーグにサラダとスープ、パンだ。最初の頃はこの重いメニューも美波の胃は受け付けなかったが今では余裕で食べられるようになった。そして訓練が終わったら太りそうだなと今から戦々恐々としている。
「訓練もだいぶ慣れたみたいでよかったね」
ロビンがにっこり笑って美波に話しかける。
「そうだね〜。っていうか慣れなかったら死んでるか逃げてるよ」
美波はハンバーグを頬張りながら苦笑する。
「最初はダメダメだったもんなぁ。ランニングは走りきれなかったし、筋トレも教官に追加されまくって終わんねぇだろって数になってたしな」
ジャックが当初を振り返って遠い目をする。
「最初の1カ月はランニングの度に気絶してなかったか?」
「してた。毎回教官に背負われて訓練場に戻ってくるミナミは痛々しかった。ほんと成せば成るというかなんというか。根性あるよな」
ナイジェルが神妙な顔つきで言い、ジャックも乗っかる。
「私、頑張ってるよね! いやもうホント偉いよね!?」
美波は目をつむりウンウンと頷いた。こうもつらい訓練は自分を励まさないとやっていられない。
「おう! 偉いぞーー!」
ジャックが美波の頭をワシャワシャと撫でる。
「じゃあ俺も」「僕もやる!」
ナイジェルやロビンも便乗して頭を撫で回す。
「そんなされたらハゲる!」
ヒトで遊ぶなと文句を言うが、3人は聞く気はないようだった。
「皆、あと10分で休憩が終わる。次は魔法学だったか。もう少ししたら移動しよう」
美波が食べ終わったタイミングでナイジェルがズボンのポケットから騎士団の支給品である懐中時計を取り出す。
「前回の魔法学の内容ってなんだったっけ?」
「魔法は建国時に神様がその力を初代国王と付き従う諸侯に分け与えたことが始まりで、現代で魔法が使えるのはその子孫のうちの30%だって話だよ」
前回の授業の記憶をなくしているジャックにロビンが説明する。そこにナイジェルが補足する。
「今では貴族家の大多数はその王か諸侯の子孫だ。平民と結婚した例もあり、平民の中でも10%が魔法を使える」
「授業では話に上らなかったけど、他の国の人は魔法使えるの?」
「ミナミ、なに子供みたいな質問してんだ。使えるに決まってんだろ」
ジャックが美波を胡乱な目で見る。この世界の常識はまだ知らないことも多い美波は、周囲からは天然ボケだと思われていた。
「他国にもアラミサル貴族の血は入ってるからね。貴族だったら10%くらいは使えると聞いたことがあるよ」
ロビンが補足する。
美波は『ちょっと言ってみただけ』と笑って誤魔化し、食べ終わった食器をトレーに乗せて立ち上がった。追随して3人も席を立ち、4人は座学の教室へと向かった。
フォスターは何でこんなに察しが良すぎるのだろう?
歳の離れたきょうだいでもいるのか?