37 財務部のデスマーチ
季節は12月。財務部は今、1年で一番忙しい時期である。
休日を図書館で過ごそうと王城本館の1階に降りてきた美波の耳に、その財務部から喧騒が届いてきた。
「もう駄目だ!! 今年こそ終わらない!!」
「家に……帰りたい……」
「寝たい寝たい寝たい寝たい寝たい」
通りがかっただけの美波でさえ危機的な状況であることが察せられた。一体何が起きているのかと、美波は財務部の部屋を覗いた。
まず視界に入るのは書類の山。100人全員の机の上に、ギリギリ作業をするスペースを除き、資料や提出する書類が大雪のように積み重なり、文官たちは頭を掻きむしり、ブツブツ独り言を呟き続け、笑いながら、もしくは泣きながら高速で手を動かすといったドン引きの状況が広がっていた。
美波は一体これはどうしたのかと財務部長官のハリスに声をかけた。
しばらくぶりに見たハリスは肌艶を失い、目は充血し、目は落ち窪み、美波は重病人かと、思わず二度見した。
「ハリス長官、財務部に何があったんですか?」
「あぁ、陛下。各部からの予算要求の査定をしておりまして、締め切りが明日なのです。財務部はこの時期はいつもこうですからお気になさらず」
気にするなと言われても、この惨状を目にしてそのまま踵を返すのも気が咎める。
「あの、手伝えることありますか?」
「手伝っていただけるんですか!? ありがたい。それではこの書類に文部の来年度事業内容と要求額が記載されているので、前年度の金額を参考にしながら事業担当官と話して、その事業の重要性を判断し、適正な予算配分か確認してください」
(え? それ素人が出来るやつじゃなくない?)
美波はもっと雑用的なものを振られるものとばかり思っていたが、渡されたのはそこら辺で発狂している財務部文官と同じ仕事である。そもそも、本来なら国王に文官の仕事を手伝わせるなどハリスは絶対にしないが、もうまともな思考が出来ていなかった。
(あの厳格なハリスでさえこれじゃ、ホントにやばい)
美波はやり方も分からないが、とにかくやるしかなさそうだと判断し、まずは10枚ほどの書類の束をめくり、予算配分が適正か判断するのは諦め(問題があれば責任者であるハリスが指摘するだろうという考え)書かれている事業内容と予算要求額を確認し、金額が大きく増減している事業に絞り、文部の担当官に話を聞くことにした。
美波は文部の部屋に行き、手前の席に座っていた文官に声をかける。
「予算の件で来ました。児童福祉事業の担当の方はどちらですか?」
「陛下!? どうしてここに?」
「成り行きでお手伝いを」
「そっ、そうですか。それなら右奥の席です。おいトンプソン! 陛下がお呼びだ!」
右奥の机で仕事をしていた美波と同年代と思われる男性が立ち上がり、美波は部屋の端にあるミーティング用のソファに案内され腰掛ける。
美波は書類を見ながらトンプソンに尋ねた。
「来年度の予算要求にある『貧窮院の調査』っていう項目なんですが、今年度の金額の記載がゼロなんですが……」
「あぁ、それは5年に1度なので記載がないんですよ」
「そうでしたか、すみません。戻って5年前の資料探してみます」
「それならこっちにも資料があるので持ってきます」
トンプソンが机に戻り資料を取って戻ってくる。美波は手渡された資料を確認する。
「国内の貧窮院、約100カ所を訪問。内訳は交通費に宿泊費……」
5年前と請求額はほぼ変わっておらず金額も適正と思われた。
「大丈夫そうですね。ありがとうございます。トンプソンさんはこの国の貧窮院に特に問題はないと思われますか?」
「えぇ、他国と比べても衣食住は足りていると認識しています」
美波は院の教育や里親制度についていくつか質問し理解を深めた。
「大変勉強になりました。視察は抜き打ちですか?」
「いえ、迎える側の準備も必要ということで、今までは事前に知らせていたようです」
美波は引っかかりを覚えて少し考え込む。
「視察は抜き打ちの方がいいと思います。貧窮院のような閉じられた場所では不正や事件が隠される場合がありますし」
美波の言葉にトンプソンもすぐに納得する。
「確かにそうですね。今年から変更しましょう」
児童福祉についての話を終え、次は王都学院の担当官と話をする。
「王都学院医学科の予算が1.5倍になっているのですが、なぜですか?」
美波の質問に担当官のフレイザーという女性が淀みなく答える。
「国内では人口増加に伴い病院数が増えているのですが、ここ10年医学科の定員は横ばいで医師不足が懸念されます。そこで来年度から医学科の定員を増やすため予算の要求も増えています」
金額の内訳は備品購入費や設備投資、人件費などとなっている。
「資料に中にあった王都学院の学科一覧を見たのですが、看護科や治癒魔法を専門に学ぶ学科、文化振興に美術科などの新設も検討してはどうでしょうか?」
フレイザーは一瞬瞠目し、すぐに力強く肯首した。
「分かりました。課長や長官と相談してみます」
早速資料を集めて検討すると言ってフレイザーは席を立った。
美波もひとまず担当官への確認作業を終えて、財務部へ戻る。
仕事をするために、応接用の机に乗っていた書類を押し退けてスペースを作る。
美波は書類に書いてある請求金額の内訳を確かめながら計算していく。もちろん美波が暗算など出来るはずもなく、自室から持ってきたスマホの電卓機能を活用する。すると計算間違いがちらほら見られた。
(これは私が計算係に徹した方が効率が上がるかも)
美波は確認し終えた書類をハリスに提出し、文官らから計算部分の仕事のみを貰い受け、電卓を使い高速で処理していく。
夜になり自室で夕食を取り、また財務部に戻り仕事を続ける。深夜になり文官らがその場で仮眠を取り始め、美波も応接ソファで少し眠り、また仕事を続けた。
そして気づけば翌日の夕方となっていた。
「おわった……」
誰かが呟き、財務部の死んだような空気が少し生き返る。
美波も酷使した目や肩を揉みながらホッと息をついた。
「いやぁ、あんたも助けてくれてありがとな」
「本当に助かったわ。ありがとう」
頭が死んでいる文官らは未だ美波が誰だか認識出来ていなかったが、次々と労いの言葉をかけられ、美波は手伝って良かったと充足感で満たされた。
そこに正気を取り戻したハリスが美波に近づき、いきなり土下座をした。
「陛下! 大変申し訳ございません!! 陛下に仕事を手伝わせるなど臣下としてあってはなりません!!!」
「うわっ! やめてください!! 私が手伝うって言ったんですから!」
美波は慌ててハリスの側に行き、膝をついて立たせようとする。その様を見た文官らに動揺が広がる。
「えっ……陛下……?」
「俺ら陛下パシってたの!?」
「よく見たら、このお顔は陛下以外あり得ないじゃない……」
仕事が終わった解放感から一転、部内が絶望に染まる。
「ちょっ、ハリス長官! 皆さん顔色真っ白になってますから! 早く顔上げて問題ないって言ってあげて!」
床に膝をつく美波を立たせようとするハリスと、そのハリスを立たせようとする美波との攻防に、ようやく諦めた彼は立ち上がるも、申し訳ないとしきりに謝罪する。普段の厳しい姿からは想像もつかない態度に部内の空気はさらに冷え込む。
「ハリス長官。私は昨日今日と休日でした」
ハリスの顔色がさらに悪くなる。
「だからこの2日間は王様じゃなくて、ただの海部美波です」
ハリスは美波の言わんとしていることを察し、目を瞬く。
つまり、国王をアゴで使ったわけではないから、もう謝るなということだ。土日は国王じゃないという理論は無理筋だろうとこの場の全員が思ったが、国王の決定を否定するなど、それこそあり得ない。
「ありがとうございます」
ハリスはもう一度深く頭を下げた。
美波は部屋に戻りベッドに倒れ込む。そして明日からは国王として財務部のまとめた予算案の確認業務が始まることに気づき絶望した。
働き方改革の効果か、デスマーチって最近あんまり聞かないですよね




