36 国王の部屋が託児所に
各部署が申請した来年度予算を財務部が精査し終えるのが明後日のため、美波と宰相は3日後から本格的に予算編成を行う。そこで美波は自室で過去10年分の当初予算資料を確認していた。
「王城って広いなー!」
「こっちの部屋はなにかなー!」
(ん? 子供の声?)
その声に集中力を切らして、資料を読み込んでいた意識を浮上させると、なにやら廊下が騒がしい。しかし、すぐにこの部屋の前にいるはずの近衛に保護されるだろうと思い、美波はまた資料に目を落とした。
「この部屋、ここら辺で1番豪華だ! 入ってみようぜ!」
ガチャリと扉が開かれた。
「うおっ! 人がいた!!!」
10歳前後くらいの男の子2人と女の子1人が、国王の間である美波の自室に入ってきた。
「あれ? 入って来ちゃったか。君たちどっから来たの?」
美波は3人に苦笑して尋ねる。
「俺たち親の仕事が終わるの待ってんだ」
リーダーっぽい少年の話を聞くところによると、今日は3人の両親の帰りが遅いらしく、1人で留守番させるのを心配した親たちが皇城の中庭で遊んでいるように言ったらしい。
確かに城内は本館付近には近衛兵が、城内は騎士が見回っており安全ではあるだろうが、他国からの賓客が来訪している場合もあるし、騎士団倉庫には武器も大量にある。子供の遊び場にするには不適切な場所だ。
このまま子供たちを城内に解き放つわけにはいかない。美波は誰かが子供たちを引き取りに来るまで、仕方なくここで学童保育を開くことに決めた。
「城は遊び場にしちゃダメ。3人ともこっち来てソファー座って」
表情も声色も怒ってはいないものの、何を言われるのかと少し怯えながらも3人は言われた通りに従う。
「親御さんの仕事が終わるまでこの部屋でなら遊んでいいよ。でも騒ぎすぎないこと、室内の備品を勝手に触らないこと。王城にあるものは高価で貴重なものが多いから、壊したりでもしたら弁償できないよ? 分かった?」
『はい!!』
3人は元気よく手を挙げて答える。なかなかに素直で物分かりの良い子供たちだ。
美波は一つ頷いて再び机の上の資料へと視線を落とした。しかし子供らが美波を仕事へと戻してはくれない。
「お姉さん、なに読んでるの?」
女の子は机の上に大量にある紙に興味を持ったらしく、身を乗り出して覗き込む。そこには軍事費など他国には漏らせないような機密情報もあるが、自国民に見られて困るようなものはない。
「これはねー、予算って言って国の運営のために1年でどれだけの金額を何に使ったのかが書いてある」
美波は少女に出来るだけ分かりやすいようにと説明する。しかし少女には難しかったようで、首を傾げている。
「分かるような、分からないような?」
少年2人も興味を失ったのか脚をブラブラさせながら室内を眺めている。先程注意されたせいで動き回る気にはならないようだ。
「じゃあ君たちの1カ月のお小遣いはいくら?」
美波は切り口を変えることにする。
「10オンス!」
元気な少年が興味を引かれたのかすぐに答えた。
「予算っていうのは、その決まってるお小遣いから何に使うのか決めることだね」
「ふーん、使い時に使いたい分使ったらダメなのか?」
「お小遣い、好きな時に好きなだけ使ってたらなくならない?」
「なくなる」
「それじゃ困るよね? それに国の予算は例えるなら1人のお小遣いじゃなくてきょうだい皆で分け合って使うものだから。最初に誰がいくら使うか決めないと喧嘩になるでしょ?」
2人の少年も少しずつ興味を引かれているのか、大人しく美波の話を聞いている。
「それは喧嘩になるね! 殴り合いになっちゃう!」
「そういうこと。いい大人が殴り合うわけにはいかないからね」
しかし出来るだけ予算の欲しい各部署と財務部との駆け引きは書類上の殴り合いである。
「この紙にそのお小遣いの使い道が書いてるの……?」
気弱そうな少年がおずおずと会話に入る。
「そうだよ」
「全部……読むの?」
書類は誰もがそう聞きたくなるほどにうずたかく積まれている。
「最低でもここにある去年分と5年前分と10年前分は確認しておきたいかな」
つまり全部読むということだ。
「何が書いてあるの?」
「文部の一般行政に必要な経費500万オンス、人材育成経費30万オンス、国民学校運営費500万オンス、王立学院負担金100万オンス、王都学院運営費300万オンス、王都学院研究費100万オンス__」
「もういいもういい!!」
元気な少年が両手を前に突き出して読み上げる美波の声を遮る。
「この後は前年の経費の使用用途が細かく書いてあって__」
「分かったから!」
女の子もこれ以上聞かせれたら堪ったもんじゃないと慌てて止める。
「こんなの読んで何が分かるんだよ!」
意味が分からないと男の子が癇癪を起こす。
「まぁここ10年でどう変わったかと、私がどこに予算を増やしてどこを削るか考えるために読んでる」
『ふーん』
3人はひとまず納得したようだ。
「あー! 退屈だー!」
元気な男の子はずっと座っているのが苦痛と言った様子でまた落ち着きがなくなった。
「そう言われてもなぁ。この部屋に遊び道具なんてないし。部屋の中でカードとかなくてできる遊びってなんだ? しりとりでもする?」
『つまんない!』
美波、仕事を進めるどころか邪魔されて、しかもディスられている。
「えー、じゃあマジカルバナナ?」
「何それ!?」
美波は物と色の連想ゲームだと説明して『バナナといったら黄色』と具体例をやってみせる。
「バナナってなんだよー」
「うっそ、この国にバナナないっけ!?」
まさかのここにきて異文化交流。
「まあ、とりあえずやってみようか」
美波からから順にリーダー的男の子、女の子、控えめな男の子で回していく。
「バナナといったら黄色!」
「黄色といったらマフーシュの木!」
「マフーシュノの木といったらいい匂い!」
「いい匂いといったらナージャの花」
「ナージャの花といったら……いやその花知らんわ!」
1巡目にして終了。美波はまだまだこの世界を知らないようだとちょっと落ち込む。
「ナージャの花も知らないのかよ! 皆知ってる絵本に出てくる花だぞー。そんなんで仕事出来るのかー?」
「うぐっ」
美波は自信がなくなり胸を押さえて蹲る。
項垂れた美波をどうしようかと3人が狼狽えていると扉がノックされた。
美波はどうぞーと入室の許可を出す。
「陛下、失礼いたします。つかぬ事を伺いますが、城内で子供を見ては……いた」
宰相は要件を言いながら扉を開けてその光景に一瞬固まる。
「あの、陛下、この子たちは……」
「王城職員の子だって」
「やはり探していた子ですか。この部屋の近くで遊んでいたのを見つけた陛下付きの近衛がこの子らを捕らえようと追いかけたらしいのですが撒かれてしまって。手の空いている者で探していたんですよ」
通りで本来子供らの乱入を防ぐべき近衛がいなかったわけである。
「私への警備体制に若干の疑問は残るけど。じゃあこの子たち親元に返してあげて」
宰相は近衛を呼び3人を引き渡す。
3人はバイバイと手を振って部屋を出ていった。
「それでさ、宰相。すぐ学童保育所作って」
「はっ……?」
美波は学童保育の必要性について熱く語った。もう二度とこんなことに巻き込まれないようにと。子供相手は疲れたらしい。
「はいすぐやろう。私は場所探してくるから宰相は人探しといて」
言い残して美波は早々に部屋を出た。
その日のうちに、美波は馬で城下の特に治安がいい場所を片っ端から見て回り、立地や広さがちょうどいい空き家を契約した。
宰相には2日で人員の手配をさせ、3日後には国内初(多分この世界初)の学童保育所がオープンした。
ここに来て初めて通貨単位「オンス」が登場。アラミサルでは昔は重さの単位がオンスだったんだと思う。