「ミツバチのアリッサ」
いい香りのする花の蜜にありつき、
恍惚としているアリッサは、
バチン!という音に驚いて目を見開いた。
いや、目はいつも開いているので、
焦点を合わせたと言った方が
正しいかもしれない。
花壇のそばのベンチには、
若い男女がいて、
今、女性に頬をはたかれた男性が、
唖然としている。
きっと彼が泣き出すのだろうと
思っていたが、
アリッサの意に反して、
わっと泣き出したのは、
女性の方だった。
「あなたに、私の気持ちなんて
わかるわけない!」
そう泣き叫ぶ女性に、
男性は手型に赤くなった自分の頬には
構いもせず、女性をなぐさめる。
「ごめん、僕が悪かったよ」
アリッサは茫然と
それを眺めていた。
巣に戻ったアリッサは、
その話を姉のマーチに話した。
マーチは愉快そうに笑った。
「アリッサは、まだ子供ね」
「でも、だって、
なぐった女性の方が泣き出して、
なぐられた男性の方が謝るなんて、
おかしいじゃない?」
アリッサたちミツバチは、
女王蜂を中心にした女系家族である。
つまり巣にいるのはすべて
アリッサの姉か妹なのだ。
普通の働き蜂は、
オスの蜂を見かけることは
めったにない。
見かけるとすれば、
女王蜂の世代交代のときに、
イレギュラー的に子孫を残すためだけに
生まれてくるオス蜂だけだ。
が、世代交代はたいてい
晩秋に行われる。
アリッサのように初夏に
生まれたワーカーは、
秋が来る前に寿命が
尽きてしまうので、
一生オス蜂を見ないまま終わる。
しかし、姉たちによって
語り継がれる話から、
オス蜂の存在は知っている。
母である女王は、
1匹のオスとの間の子供を生み続ける。
春先に女王蜂が卵を生み始めて、
アリッサで5世代目となる。
3世代目の姉が一番古く、
9世代目の妹たちが一番新しい。
が、9世代はまだ卵で、
8世代目の妹たちは、幼虫である。
幼虫の妹たちは、
アリッサたちが集めてくる蜜を
食べてさなぎになる。
今、さなぎの状態なのが
7世代目の妹たち。
だからワーカーとしては
働いているのは、
3世代から6世代までの
姉妹たちだった。
アリッサは、
まだまだ新米ワーカーだった。
マーチは4世代で、
アリッサにとっては先輩である。
幼虫の頃から面倒を
見てもらっていたのを憶えているし、
蜜の集め方も教えてもらったが、
もう外で働くことはない。
鳥に襲われために、羽根が破れ、
飛ぶことができないのだ。
傷ついたり、年老いたワーカーは、
巣の中で働く。
巣の内部を拡大したり、
幼虫のフンやゴミを巣の外に捨てたりする。
アリッサとマーチの話を聞きつけて、
マーチと同じく内勤の3世代の
長老の姉エルザがやってきた。
「人間の男女はややこしいんだよ。
他の動物や昆虫のほうが
よっぽど規律正しい。
まぁ、私たち、ハチやアリは
また別だけどね」
「どういうこと?」
アリッサは、興味津々で
エルザに尋ねる。
「大抵の動物や昆虫は、
子孫を効率よく残すために、
生きている。
強いオスの遺伝子が
残るようにできているんだ。
彼らは子孫を残すことだけに
生きていると言ってもいい。
私が昔であった昆虫は、
そう言っていたね。
だから、女ばかりで生活している
私たちの意味がわからないって」
「偉大なる母を中心とした
この素晴らしい姉妹の世界が
間違っているとでもいうの?」
エルザは、アリッサの若さを
うらやましそうに見つめた。
「私たちは、他の昆虫よりも
更に強い遺伝子を残すために、
女系家族の形をとっている。
でも他の昆虫は、
個々にオスでありメスであり、
お互いを選んで子孫を
残しているんだよ」
「お互いを選ぶ?」
「もちろん、強い遺伝子が
勝つ場合が多いけれど、
相性もあるらしい。
それを恋、と呼ぶらしよ」
「コイ?」
アリッサのびっくり顔に、
マーチもエルザも微笑んだ。
「他の昆虫たちは、恋もせず、
女同士で暮らしている私たち
ハチのワーカーの目的が
わからないと言うらしい。
私も生まれた季節が違うので、
語り継がれている話しか
知らないけれど、
たとえばセミやトンボは、
恋するために空を飛んでいると
言われるらしい。
だから自分の子供も産まないのに
せっせと妹たちのために
蜜を集めているミツバチを
笑い者にしていたね」
エルザの言葉に、
アリッサは憤りを感じる。
「偉大なる母が作る、この帝国を
守るために妹たちを
育てることがどうして笑われるの?
恋ってなによ?
女王でもないのに他の昆虫は
卵を産めるの?」
エルザはうなずく。
「だからハチとアリ以外の昆虫は
オスとメスがいて、
どのメスも卵を産むんだよ」
「人間も?」
アリッサの言葉にマーチは笑う。
「動物は、子供を産むのよ」
混乱して、頭を抱えるアリッサに、
姉たちは言った。
「今の季節、まだ蝶はいるから、
出会ったら聞いてごらん。
なんでそんなにヒラヒラ
飛んでるのか聞いたら、
教えてくれるよ」
翌日、アリッサは、
花畑にやってきた。
人間に近い花壇で
また変な光景を目撃するのも億劫だったし、
蝶を見つけるには、
ここのほうが確率が高いと思ったからだ。
しかし、春を過ぎた花畑には、
あまり蝶がいない。
アリッサは、メスの蝶に話を
聞いてみたかったのだが、
やっと見つけたのは、
カップルでいちゃついている蝶だった。
「ねぇねぇ、ちょっと
お邪魔していいかしら?」
アリッサの呼びかけに
2匹はムッとする。
「僕たちに残された時間は
わずかなんだ。ほっといてくれないか」
オスの蝶はそう答えたが、
メスの蝶は、アリッサの様子を見て言った。
「ミツバチのお嬢ちゃん、
何か教えてほしいことがあるの?」
時間がないと聞かされたアリッサは、
単刀直入にたずねる。
「蝶のお姉さん、
恋ってなぁに?」
蝶のカップルは、一瞬顔を見合わせて、
微笑んだ。
「恋ってこういうことだよ」
オスの蝶は、メスの蝶の周りを
美しい羽根を広げてくるくる回った。
メスの蝶もそれに応えるように、
美しい羽根を羽ばたかせた。
二人は絡みあうように飛びながら、
アリッサの元を離れて行く。
「サヨナラ、お嬢ちゃん。
恋って素敵なものよ」
メスの蝶はそう言って
去って行った。
アリッサは、自分が
恋をしたことがないこと、
そしてする相手がいないことに
愕然とした。
「・・・私はなんのために
生まれてきたんだろう」
ちょうどその時、
花畑にデートに来ていた人間の
カップルに出会ってしまった。
アリッサは、その女性の瞳を
見て驚いた。
美しい色に輝いている。
蝶と同じくらい美しい色をした
人間の女性の瞳に魅入ってしまう。
これが恋なのか、
とアリッサは衝撃を受けた。
巣にもどると、
アリッサは母なる女王に呼ばれた。
きっと恋云々に心惑わされていることを
たしなめられるのだろうと、
アリッサはドキドキしながら
女王の部屋へ向かう。
アリッサの数倍体の大きい母は、
アリッサを愛おしげに見つめた。
偉大なる母は、なんと自分が
産んだすべての娘たちの
名前や世代を憶えている。
「我が娘アリッサ、
もう蜜集めにはなれましたか?
あなたがたが集めてくれる蜜のおかげで私も、
あなたの妹たちも元気でいれるのです、
感謝しています」
母に感謝の言葉を言われたので、
あまりのありがたさにアリッサは驚く。
母は続けた。
「アリッサ、あなたは私と
私の大切なローランドの
大切な5世代目の娘です。
父の姿を見せてあげられなかったのは、
どの娘たちも同じです。
だた、信じてください。
私はあなたの父、ローランドと
恋に落ちました。
そして今、彼の子孫である
あなたたちの繁栄を願い、
帝国を築いているのです。
ミツバチという特殊な
立場ではありますが、
誇りを持って生きてください。
あなたは私とローランドの
大切な宝なのですから」
アリッサはありがたい母の
直々の言葉に涙があふれた。
そして、他の生き物と自分を
比べていたことを恥ずかしく思った。
「はい、私が私として生まれたことに
誇りを持って生きていきます」
アリッサは、母にも自分にもそう誓った。
了




