第89話 山脈に潜むもの
第89話〜山脈に潜むもの〜
「ファフニールちゃんは一緒じゃないの?」
「さすがに街中に龍を連れてくるわけにもいかないからな。あいつは適当に街の外で狩りをしてる。夜になれば部屋に戻ってくるはずだ」
フォーサイトを出て、依頼を遂行するために目的地に向かう途中、シャーロットの問いにレインはそう答えていた。
ファフニールとは先日の湿地帯のスタンピードの際に、帝国の諜報員であるナウラと言う魔術師の陰謀により復活した暗黒龍であるが、レインが接敵することにより一蹴し復活して早々にその命を落とした。
だがどう言う訳かは知らないが、その生への執着により、生前のサイズと強さを相当に落とした形で復活。その姿を見てもなお始末しようとしたレインと取引をし、レインに忠誠を誓う形となったのだ。
スタンピードの後に行われた国の上層部での話し合いにおいて、ファフニールの扱いは機密。その管理を五芒星の魔術師に一任すると言う方針となった。
国の上層部としてはシルフィに任せたつもりだったのであるが、そのシルフィといえば五芒星の魔術師にという一文を盾にその管理をレインに任せることにしたのだ。
レインとしても自身に付き従っていると言うスタンスであるためそれを拒否することもできず、結果レインが今も学生寮で面倒を見ている状態なのだ。
そんなファフニールであるが、当然そのままそこらを移動すれば目立って仕方がない。サイズは手乗りとなったとは言え龍は龍。特に魔術師が多いこのフォーサイトではすぐにでも騒動となってしまうことは目に見えていた。
だがそこは龍。たとえ小さくなったとしても回復さえすれば体内に宿る魔力炉は人間よりも大きい。そこでレインはこれまで魔力を戦いにしか使っていなかった龍に魔術を教えることにしたのだ。
その魔術は隠蔽。自身の存在を隠し、他者からの認識を阻害する魔術だ。
ファフニールはさすがは龍というべきか、隠蔽の魔術をすぐに覚えた。もちろんレインは身体強化以外使えないので隠蔽は使えないが、隠蔽の魔術は初歩的な魔術だ。教本など、いくらでもそれを教えるための資料に事欠くことはなかったのだ。
そう言う事情があり隠蔽を使えるようになったファフニールは、決して人間に害をなさないと言う条件で隠蔽を使った上での自由を獲得する。
本来ならそんなことは許されるはずがない。弱体化したとは言え龍は龍。しかも隠蔽の魔術などを覚えてしまえば、一体何をするか分からないのだ。
だがことファフニールに関してはそれはもはやあり得ない。すでにレインに存在を知られている以上、もしここで自分が問題を起こせばレインが自分を始末しに来ると言うことがわかっているからだ。
湿地帯での一戦ですでにファフニールの中でレインが絶対に逆らってはいけない強者であるとの格付けは済んでいる。それゆえ今後一切ファフニールはレインに逆らう気などないのだ。
そんなわけでファフニールは昼間はフォーサイトから外に出て、自由に狩りをして夜にはレインの元に戻ると言う生活に落ち着くこととなったのだ。
レインとしてもファフニールがずっとそばにいては落ち着かないし、狩りをすることで少しではあるがファフニールが力を取り戻すこともありがたかった。
今後帝国との一戦が予想される以上、手札は多い方がいい。そう考えたレインはファフニールの力が戻るのをよしとしていたのだ。
もちろんそれはどれだけファフニールが力を戻そうとなんとでもなる強さを持ったレインだからこその考えであり、通常は龍に自由を与えることなどあり得ないと言うことに本人は気付いていないのだが。
「へ、へぇー。流石はレインと言ったところなのかしらね」
「どう言う意味だ?」
レインからそう説明を受けたシャーロットとしては、街中で龍が自由にしている状況に背中に冷たいものが流れるのを感じるが、同時に目の前の存在との圧倒的な差を感じてもいた。
「まぁいいわ。とにかく今はこの依頼よ」
自分から振った話題ではあったが、このまま聞いていてもあまり精神上宜しくないため、シャーロットは強引に話を変えることにした。
レインもその勢いに少しだけ何かを言おうとしたが、それ以上は何も言わずに口を閉じシャーロットの次の言葉を待っていた。
「確か飛龍の討伐依頼だったか?」
「正確には討伐、もしくは調査ね。フォーサイトから二十キロほど東に向かった先にあるギルタニア山脈。その麓に牧畜地帯があるのだけれど、どうも最近その周辺に飛龍が出るらしいのよ。本来なら山脈の奥にいるはずで麓にいるはずないんだけど、そのせいで家畜に被害が出ているらしいわ」
「なるほどな。それであの銅級たちが美味しい依頼だって言ってた訳か」
シャーロットの答えにレインは一人納得をする。
本来飛龍、つまり亜龍種であるワイバーンの討伐は銅級でも上位、もしくは銀級レベルの依頼だ。だが今回それがフリーで出ていたのには訳がある。
おそらくだが、住民では飛龍の正確な数や種類、そもそも本当に魔物が飛龍であるのかの判断がつかなかったのだろう。
依頼を出すためには正確な情報が必要だ。もし今回の魔物が飛龍でなく上位の龍であれば、それこそ銀級を多数、もしくは金級すら動員しなければならないかもしれない。
しかし本当に飛龍、もしくはさらに下位の龍であればそんな戦力は過剰で無駄でしかないのだ。
故にハンターギルドへの依頼は情報の正確さが大事であるのだが、それほどの戦力を持たない村ではそれを知ることすら不可能。
そこで依頼のレベルをフリーとし、ある程度の報酬を払うことでその調査を依頼するのだ。もちろん討伐までしてもらえれば御の字なので一応その旨も依頼にはつけるのだが、基本的に受注したハンターは調査しか行わない。
調査だけであれば依頼の難易度は格段に落ちる。何せ遠目でも魔物を確認し、その種類を確認すれば依頼の達成となるからだ。
そのためこう言った調査兼討伐依頼、しかもランクフリーの依頼に関しては美味しい依頼とされ競争率が格段に上がる。いつもギルドの依頼の掲示板の前に居座るか、もしくはよっぽどの運が良い者でない限りこの依頼にありつくことはできないのだ。
この依頼を受けるために、仲間と交代で掲示板の前で待つ者がいるくらいなのだから、その競争率の高さがどのくらいなのかは言うまでもない。
「なんかハンターの世界って貴族の世界と似てるわね。みょうに暗黙の了解や裏事情なんかが多いわ」
「俺は貴族の世界のことは知らないが、どんな組織でもそこに所属する人の数が増えれば嫌でもそうなる。どんなにトップが清廉潔白であっても、黙認するところはしていかないと組織なんて運営できないんだとさ」
「それは誰の受け売りよ?」
「とある政治家だ。以前の戦いで世話になったというか、世話をしたというか、まぁそんなところだ」
「ふーん」
それ以上はシャーロットも追求はしなかった。シャーロットとて、レインがすでにとんでもない化け物クラスの戦力を誇った魔術師であり、第二次魔道大戦の立役者であることは知っているのだ。
どれだけシルフィをはじめとしたかつての仲間がその存在を秘匿していようとも、知っている人は知っている。それはおそらく国でも非常に上、公爵家令嬢というそれなりの立場にいるシャーロットであってもそうそうお目にかかることのできない立場の人間であろうことが容易に想像できたからだった。
「レイン、一つだけ良いかしら?」
間も無く件の山脈に近づいたところでシャーロットがレインにそう声をかける。
「どうした?」
「今回の飛龍の討伐。できれば私一人にやらせてくれないかしら?」
調査兼討伐のこの依頼をあえて討伐と言ったということは、シャーロットは飛龍を倒すつもりのようだ。その上でそう言ってきた理由こそ、先ほどシャーロットが言っていた強くなりたいという言葉なのだろう。
「構わないが、危なければ止めるぞ」
「あら、私を心配してくれるのかしら?」
「戦力的に見て、真正面からぶつかればシャーロットに勝ちの目はある。だが初めての依頼ということと、相手の領域が空ということに鑑みれば危ない可能性もあるからな」
「そこは冷静な分析じゃなくてもよかったんだけどね……」
少し残念そうな表情をしたシャーロットだったが、そこで一度足を止めてレインを見た。
「ねぇ、レイン。私は今どのくらいの強さなのかしら?」
その質問の答えをはぐらかしてもよかった。だがシャーロットは先日の戦いで己の弱さを自覚し、その上で少しでも強くなるためにこうしてハンターになってまで強さを求めているのだ。
ならばそこに余計な同情は不要。たとえ友人であってもそこを間違えてはいけないとレインは思った。
「一般レベルで言えば上の下ってところだろう。普通の生活でいいなら最終的に宮廷魔術師にでもなれるレベルだ。だがおそらくシャーロットの望むような、俺やシルフィたちのような戦う者たちのフィールドで見るなら最底辺とは言わないが、そこに毛が生えた程度だと思えばいい」
もちろんシャーロットは強いことはわかっている。全魔術師の中でも上位に入れるくらいの強さはある。だが、レインのような者から見ればそんな強さは誤差でしかなく、その程度であれば例外なく簡単に踏みつぶせてしまう程度なのだ。
「そう……。いざはっきり言われると応えるわね」
「だからこそ強くなりたいんだろ?」
「そうね。まずはこの依頼をこなして少しでも経験にしてやるわよ」
そう言って力なく微笑んだシャーロットだったが、山脈の麓の村に着く頃にはいつもの元気を取り戻していた。
「そう言えば付き人はどうしたんだ?しばらく見てないが」
「ああ、アンリなら実家に帰らせたわ。あの子がいるとハンターなんてできないもの」
なんでもなさそうな顔をして村へ入っていくシャーロットの背中を見ながら、こいつの従者は大変なんだろうなとひさしく見ていないアンリにレインは同情を寄せるのだった。




