第77話 東と西の教授
第77話〜東と西の教授〜
崩壊した防衛線。
すでに魔物はそのほとんどが倒されており、砦は未だ健在。歴史上夥しい被害をもたらすとされていたスタンピードは、おそらくだが初めて人々の生活圏へ被害をもたらすことなく収束したと言えるだろう。
しかしそれを成すために出てしまった犠牲者は決して少なくない。防衛に当たった生徒や教師のうち、実に三分の一という数の生徒が死亡。負傷者に至ってはほぼ十割というあり得ない数値となっている。
もちろん最初の段階で戦いに参加しないと決めた生徒たちは怪我こそしていないが、自らの命を優先し逃げたという負い目は一生付き纏うことになる。ルミエールに通う生徒のほぼ全員が貴族ということを考え、将来の家のためを思えばこその選択をしたものもいるだろうが、それでもこれだけの犠牲者を出した今回の防衛戦から逃げ出した事実は誰が許そうと本人が一番悔やむことになる。
それゆえ参加しなかった者はこの後遅からず学院を去ることになる。それがこの二人の教授の見解だった。
「学院が始まって以来最悪の出来事になるねこれは。僕の名前もしっかり残りそうだよ。もちろん悪い意味でね」
「その歴史をこれまでずっと見てきた人が何を言ってるんですか。真祖なんてそれこそ長命種の代表みたいなものじゃないですか」
「手厳しいねぇ。逆に君はいい意味で名前を残しそうだね。防衛線の全滅の危機を救った英雄としてね」
「それこそやめてください。もし間に合わなければ私の方こそ戦犯ですよ。情報をつかみながら敵の後塵を拝することしかできなかった無能ってね」
エジャノック伯爵領から続々と集まってくる魔術師や治癒師が、負傷した生徒や教師を介抱し、ハンター達が魔物の死体の処理をするのを見ながら二人の教授はそう会話する。
ことの成り行きを見ていたエジャノック伯爵だったが、シルフィからスタンピードは収束したとの知らせを受け、それまで後方に置いていたそれらの人材を一気に投入してくれたのだ。
もちろん伯爵も戦いが始まった時にそれらの人材を投入することを進言していたのだが、それはナイツ教授が断っていた。全てが終わった時に動けるものがいなくなるという理由と最悪、自分たちが抜かれたときの予備戦力としての理由。
そして何よりナイツ教授がエジャノック伯爵を信用していなかったことが大きかったのだ。
後でシルフィの話を聞けばエジャノック伯爵自身も被害者だったことが分かるのだが、あの状況では伯爵がこのスタンピードに関与していると疑わざるを得ない状況だった。それゆえの今のこの光景なのだが、結果的にそれが良かったのかどうかは誰にもわからない。
「いっぱい死んだねぇ」
「本当に。こんな光景、二度と見たくなかったです」
「だけど下手をするとこの先これよりもさらに酷いものを見ることになるかもしれない。そういうことなんだろう?」
「はい。残念ながら……」
ナイツ教授の問い、それはこの一連の事件の黒幕に関することだった。
裏で帝国が関与していると言うことはわかった。その目的も自分たちの手からこぼれ落ちた世界の覇権であると言うことも予想はつく。
であるならば、当然帝国の仕掛けがこれで終わるはずはない。しかも自分たちの関与がバレたのだから、これからはさらに激しく、しかも表立って動いてくる可能性が高いのだ。
そうなれば聖王国としても黙っているわけにはいかない。今でも被害としては相当のものを負っているのだ。何かしらの報復措置をとることになるだろうが、帝国がそれで引くとも思えない。そうなればその先に待ち受けるのはただ一つ。
「第三次魔導大戦か。あれから数年しか経っていないと言うのに、何で世界は平和にいかないのかな」
ため息を溢すナイツ教授にシルフィもまた同じように神妙な面持ちで同意を示した。
戦場は違えど第二次魔導大戦の戦場、しかも殊更激しい戦場を生き抜いた二人だ。その戦場でどれだけの人が死に、周囲にどれだけの被害をもたらしたかをその肌身で感じてきた。だからこそ心からあんな悲劇が起きて欲しいとは思わない。
「止める算段はありそうかい?」
「残念ながら。どうにも国の上層部でもごたつきがありそうなんです。そのせいで今回の事件の調査も遅れが生じたんです。もう少しそこが早く行けばここに着くのも早くなったはずなんですが……」
「すでに上にも虫が入り込んでる可能性が高い、か。何とも面白くないことになりそうだ」
怪我人が次々と運ばれていく光景に、ナイツ教授は今日何度目になるかわからないため息をこぼした。
死者の中には死体の損傷がひどく判別がつかなくなったものもいれば、酷いものでは魔物に喰われもはや死体すら残っていないものもいるのだ。
この先の事後処理を考えるとめまいがしそうだが、今回の試験、いや、戦場の最高御責任者として最後まで役目を果たさなければならない。ナイツ教授は心のうちでそう決意しながら改めてシルフィに尋ねた。
「ところで、君の仲間はまだ帰ってこないのかい?」
「教授は、あの子から直接正体を聞いたんですか?」
質問に質問で返す。本来失礼に値することではあるが、シルフィとしてはそう尋ねるしかなかったのだ。間違いなくナイツ教授が聞いているのはレインのこと。できるならシルフィとしてはこの学院に在学中、レインの正体は隠しておきたいのだ。
だが、こう聞いてこられた以上、ナイツ教授はそれに気づいている確率が高い。だからこそそれを確かめるためにそう返したのだが、ナイツ教授が全てわかっているとばかりに答えた。
「私の正体を真祖と看破した生徒が普通なわけがないでしょ。仮に君の仲間じゃなかったとしても、ただものじゃないのは間違い無いからね。もっとも、拳聖を否定しなかったんだからそれが答えだと思うけど?」
「ならわかっているはずです。魔導大戦のような戦闘ならいざ知らず、レインが少数相手の戦闘で負けるわけがありません。もしレインに勝てる相手がいるのなら、その者を有した国は世界をとれるでしょうね」
「身内贔屓ってわけじゃ無いよね?」
「あの戦場、アンフェール島の文字通りの最前線で戦って一番の撃破数を稼ぎ、その上無傷で生還したのがレインです。それ以上の返答を私は持っていません」
「なるほどね。五芒星の魔術師と言われる所以が少しわかった気がするよ。君も含めてね」
言葉こそ丁寧だが、どこかトゲのあるシルフィにナイツ教授は苦笑でもってそう答えた。
戦闘のスタイルが違うとはいえ、同じ五芒星の魔術師がそこまでいうのだ。湿地帯に消えていったレインが敗北することはまずあり得ない。
スタンピードが収束したところから見ても、湿地帯で起こっていた異常を止めることにも成功したのだろう。
「黒幕は確保できそうかい?」
「間違いなく。生死のほどはわかりませんけど」
「できれば生きてて欲しいけどね。尋問で持って少しでも情報を吐かせないと採算が合わないよほんと」
「結果はもうすぐわかりますよ。あの子に目をつけられて逃げ切れるなんてあり得ませんからね」
そう言って二人はもう一度湿地帯に目を向けた。
今まさに始まろうとしている、この戦場での最後の戦いの結果を待つために。
 




