第75話 破壊と破滅の賢者
第75話〜破壊と破滅の賢者〜
「それ以上は大丈夫。ここから先は私はやるから、セリアちゃんは砦だけ維持して休んでて」
そう言ったシルフィはセリアの肩に添えていた手を離すと、今し方大蛇を一撃で倒した今回の湿地帯の討伐隊、そのハンターのリーダーであるアルフレッドに片手で合図を送った。
それを正確に理解したアルフレッドは、すぐさま砦の前に降り立つと未だ諦めずに戦いを続けている生徒や教師たちへと叫んだ。
「死にたくない奴はすぐにこの場から離脱しろ!!破壊と破滅の賢者が来たぞ!!」
たった一声。確かに大きな声ではあったが、その短い言葉だけで全てを理解した者たちは一目散にその場から離脱していく。
撤退をした生徒たちを追う魔物もいたが、それよりもこれまで邪魔をしていた者がいなくなり、魔物たちは我先へと砦へと殺到してきた。
「っ!?」
まるで砂糖に群がる蟻。砦の壁が真っ黒に魔物で覆い尽くされていくその光景に、これまで砦を維持していたセリアから悲痛な声が漏れた。
「心配しないで。あなたは無茶しすぎよ」
維持だけでいいとシルフィに言われてはいたが、流石にこれではと再び砦の拡充を図ろうとしたセリアを押しとどめたのは、それまでパメラの治療に当たっていた治癒師の女性だった。
「大丈夫だから。ほら、これを飲みなさい。あなたにはまだもう少しだけこの砦を維持してもらわなきゃいけないんだから」
そう言われて渡されたのはとっくに無くなったはずの魔力の回復薬。どうやた彼女の私物のようであるが、一体彼女は何者なのだろう。
起こっていることの情報量の多さに、何から着手していいかわからなくなってきたセリアに対し女性は苦笑しながらこう言った。
「後で全部話すから大丈夫。少なくとも私は味方で、あなたのお友達はもう治療したわ。それにこの戦いはもう終わる。何せあの五芒星の魔術師が怒っているんだもの」
女性はセリアから視線を外し、砦の先端で下にいる魔物の軍勢を見下ろしているシルフィを見た。どうやら下に降りたアルフレッドが避難をさせた生徒たちの確認をしているようだが、その横顔はあまりに無表情すぎて読み取ることが難しい。
だが、そんなシルフィが動いたのは次の瞬間だった。
「永久凍土」
突如として紡がれた魔術を発動する言葉は一気に戦場を駆け巡る。
それまで砦に群がっていた魔物たちは襲いくる氷河に飲まれ、その全てが凍り付きその命の鼓動を止めてしまった。それは砦から始まり湿地帯の入り口までをも覆い尽くす広域の殲滅魔術。
破壊と破滅の賢者と言われる五芒星の魔術師であるシルフィ・ファスタリルの代名詞とも呼べる魔術の一つだったのだ。
「すごい……」
思わずこぼれた声は特に捻りもない感想。だが今目の前で起きたことに対する言葉を、セリアはそれ以上に持ち合わせてはいなかった。
「何言ってるの!この戦線をこれまで持たせてたセリアちゃんの方が何倍もすごいんだよ?」
大方、いや、実に九割以上の魔物が駆逐された戦場には、もはやスタンピードの勢いなどどこにもない。この一瞬で様変わりしてしまった戦場に、アルフレッドをはじめとしたシルフィの魔術に一度退避した者たちが再び戻ってきて、今では防衛戦からただの殲滅戦へと様相は様変わりしている。
「スタンピードを押しとどめる。言葉にしたら簡単だけど、それをやってのける人がこの世界にどれだけいるか。セリアはちゃんはそれを理解してるかな?」
「で、でもそれは私一人じゃなくてみんながいたから」
「そうだね。それはもちろんそうなんだけどね。だけど最後は間違いなくセリアちゃんの砦が全てを防いでいた。それがこの戦場に戦う人たちの希望になっていた。駆けつけるのが遅かったせいでその場面しか見れていないけど、それだけは間違いないと思うんだ」
謙遜の言葉を漏らすセリアにシルフィはさらに続ける。
「自信を持ちなさい。セリア・フォライト。あなたは間違いなくこの戦場で今回第一功を受けるにふさわしい魔術師だよ」
貫くようなシルフィのその言葉に、セリアは体から力が抜ける気がしていた。それはシルフィに褒められたからでも功績が嬉しかったからでもない。
これまで戦った時間、それが無駄にならずに戦いが終わりを迎えようとしている安堵感からだった。
「ありがとう、ございます……」
その言葉を最後に、セリアの意識は途絶えるのだった。
◇
『レイン、聞こえる?』
湿地帯をかけるレインに脳内に聞こえるのは馴染みのある姉代わりの声。最大限に緊張している体に響く声に、レインは少しだけその緊張が溶けるのを感じた。
『どうした?』
『詳しい説明は省くけど、防衛線はもう問題ないよ。そっちはどう?』
ここにいるはずのないシルフィの声が頭の中に届いているが、これはシルフィのオリジナル魔術である念話によるものであるとレインは知っていた。
魔術を使うことにおいても秀でているシルフィではあるが、開発することも得意だった彼女は、時にこのような便利な魔術を開発することがあった。
中でもこの念話はその便利さが非常に魅力的であり、通信距離などの制約はあるがレックス傭兵団が幾度となくお世話になった魔術でもあるのだ。
その名の通り、遠距離での相互通信を可能にするこの魔術によりシルフィはレインに端的に連絡事項を告げる。
『砦は健在。犠牲者はたくさん出たと思うけど、それでもこの防衛線は守られた。最後まで砦を維持してくれたセリアちゃんのおかげだね』
『そうか。なら後でちゃんとねぎらってやらないといけないな』
犠牲者が多数。それは決して喜べることではないが、それでもレインは自らが短い間とはいえ魔術を教え、そして防衛線を託してきたセリアが最後までそれを維持したことを誇らしく思った。
本当に強くなった。それはかつてシルフィたちがレインに感じていたことでもあるのだが、そのことに気づくことなくレインはどうしても口角が上がるのを止めることができなかった。
『そっちはどうなの?』
だがそんなシルフィの問いにレインは再び表情を引き締める。
『スタンピードの原因は取り除いた』
『流石レイン!それで?今は戻ってきてる最中?』
『いや、どうやら黒幕がいるらしくてな。これからそいつを引きずり下ろしにいくところだ』
そう返したレインに、シルフィが少しだけ息を飲むのを感じた。
『……大丈夫?』
『問題ない。いざと言うときはあれを使う』
『そっか。なら無理はしないでね。こっちはちゃんと処理しとくから、早く戻ってくるんだよ?レインが戻ってこないと、せっかく頑張った仲間たちが悲しむことになるんだからね?』
『わかってる。終わり次第連絡する』
そこでシルフィからの念話をきる。レインがこれから相対する黒幕が湿地帯の上空にいることを確認したからだ。
あいつが今回の出来事を引き起こした人物。この場にいるに相応しくない者を発見したレインは、一気に回路に魔力を流して身体強化を発動する。
きっとあいつは強い。
わかっているが止まるつもりなど無かった。それに負けるつもりもない。シルフィに言われなくとも、今のレインには帰るべき場所も待っている人もいるのだ。
託して行った戦場を守り抜いてくれた仲間がいる。ならば今の自分がするべきことは、全ての原因を取り除き仲間の元に戻る、ただそれだけだ。
レインは走る足を止めずにその場で踏み込み、一気に空へと跳躍する。
さぁ、終わらせよう。この湿地帯で起きた一連の悲劇を。この拳の一撃で。
レインと黒幕が邂逅する事により、湿地帯での最後の戦いが始まろうとしていたのだった。




