第72話 けじめの取り方
第72話〜けじめの取り方〜
シャーロットに襲い掛かる致命的な魔物の牙。完全な死角からのその襲撃をシャーロットが防ぐ手段はなかった。ゆえに覚悟をしたのだ。高い確率で自分は命を落とすだろうと。もし助かったとしても、これまでのように振る舞うことは難しいだろうと。
だからその全てを受け入れるために目を閉じた。できれば痛みはあまり感じないほうがいいな、なんて、そんな甘い幻想を抱きながら。
「戦闘中は目を閉じるな。例えそれが死の間際だったとしても、魔術師として戦場にたったとのであれば最後まで戦い抜くんだ」
しかし一向に訪れる気配のない痛みの代わりに聞こえてくるのは聴きなれない男性の声。訝しみながらも迅速に目を開けたシャーロットの視界に飛び込んできたのは、まるでシャーロットを庇うかのように自分と魔物との間に立つ、やはり見たことのない初老の男性だったのだ。
「ッ……!?」
「心を乱すな。乱れは剣筋に迷いを生じ、回路に流す魔力にすら影響を与える」
見知らぬ男はそう言うが、シャーロットは心の乱れを抑えることなどできるはずがない。
何故魔物に襲われたはずの自分が無傷であるのか。そしてこの男の登場のタイミングを考えればそれは容易に想像がついた。
「で、でも!?」
「乱すな。まだ若い君には難しいかもしれないが、それができれば君はさらに上のステージへと至れる」
厳しくも優しくシャーロットにそう言う男だが、その首筋から大量の血が流れているのがシャーロットの目に映る。そして男の足元に倒れる二体の魔物を合わせ考えれば、本来シャーロットが受けるはずだったダメージをこの男が肩代わりしてくれたことなど容易に想像がついてしまったのだ。
「クノッフェン様!!」
夥しい血を流しながら男が倒れる寸前、二人の新たな乱入者が男を支えるため現れた。
「しっかりしてください!!」
「そうです!あなたはこんなところで死んでいい人ではありません!!」
駆け寄った二人の言葉から察するに、この男はクノッフェンというらしい。クノッフェンといえば隣国であるヘルメス王国の辺境伯であるはずだ。そしてまたクノッフェン領はヘルメス王国側で湿地帯と面している。全く無関係な人ではないが、何故このタイミングでここにいるのか。それが全くシャーロットには理解ができなかった。だが、一つだけ確かなことがあるとすれば、自分はこの男によって助けられたと言うことだろう。
「すまんな……、一緒に飲むことは難しくなってしまった……」
「何を、何を言っておられるのですか!!」
「そうです!まだこれからしなければなならないことがあなたには山ほどあるんですよ!!」
魔物により受けた傷は二箇所。一箇所は食いちぎられかけている右腕だろうが、致命傷はもう一箇所、左首筋の爪痕だろう。おそらく頸動脈が傷ついたのか、そこから溢れる血は瞬く間にクノッフェン辺境伯の命を削っていく。
必死に駆け寄った一人、帯剣しているところから見て魔剣師の男が傷を押さえてはいるが、すでに治癒術師の枯渇したこの戦場では助けられる術はないだろう。
「余計なことは聞きません」
シャーロットは倒れ伏したクノッフェン辺境伯にすがる、おそらく近衛であろう二人のもとに近づき言った。
「ただ感謝を申し上げます。あなたが守ってくれなければそうなっていたのは私です。心からの感謝を」
もはや伝えられる言葉は少ない。何故この場に他国の辺境伯がいるのか。何故自らの命をとして自分を助けたのか。聞きたいことは山ほどあるが、クノッフェン辺境伯にはもう残りの時間が少ない。だからこそシャーロットは手短に、だが伝えなければいけないことを伝えることを選択したのだ。
「最後に、少しでもけじめが付けられた……。それだけで僥倖、だ……」
言っていることの意味はまるでわからない。だがシャーロットは自分の感謝が伝わったことだけはわかった。だからこそさらに言葉を続ける。
「このお礼は必ず。この戦いが終わった後に」
そう言って再び魔物の蔓延る防衛線の渦中へと戻っていく。それほど長い時間の離脱ではなかったとはいえ、その間の周囲での戦いをリカルドに任せてしまっていたのだ。いかにリカルドが強いとはいえ、一人でいつまでも戦い続けていることは不可能だ。だからシャーロットはすぐに戦いに戻ることを選択した。この助けられた命をどのように使うことが正しいかを瞬時に判断できたからこそ。
「ああ……、頼んだ……」
背後で聞こえたその今際の声を背に、シャーロットは戦いへと戻っていく。防衛線での戦いの終結はもうそこまで来ていた。
◇
防衛線を一気に突っ切り、魔物の真っ只中をエジャノック領へ向けて走り切る。一番早いが一番リスクのある選択。だがクノッフェンはそれを選び、魔物の中を走っていた。
自らの過ちで起こしてしまったスタンピード。一刻も早くこの事実を伝えなければいけないことを考えれば、自らの命を惜しさに危険を回避することはあり得ない。だからこそクノッフェンは危険を顧みずに一直線にことの真実を伝えるためにエジャノック伯爵のもとへと走っていたのだ。
その責任感こそがクノッフェンたる所以。そもそも今回の騒動自体もその責任感ゆえに、自らの領の将来と安寧を憂いたがために起こしてしまったこと。
だが失敗を起こしてしまったのであればそれを贖わなければならない。
おおよそ貴族らしくない思考を持つクノッフェンだからこそ、中央での権力闘争に破れたのだろう。だが今はそんなことは関係ない。今の自分にできることはただ何よりも早く走ることだけなのだ。
かつては自らも魔術師として名を馳せたクノッフェンは、近衛である魔剣士と魔戦術師と共に魔物を蹴散らしながら戦場をかけていた。
その過程で決して浅くはない傷もおったが、そんなものはどうでもいい。仮にこの身が朽ちようとも、今は早くこの情報を持っていくことが何よりも重要。
そう思い、走るクノッフェンの目に飛び込んできたのは圧倒的な数を誇る魔物の軍勢に対し、すでに少なくなった魔術師たちが必死に戦っている姿だった。
しかもその姿を見れば、どうやらまだ成人もしていないような子ども。確か防衛線の構築にハルバス聖王国が誇る魔術学院が構成されていると聞いていたが、自分のした行いはこんな子どもまでをも巻き込んでしまっていたのか。
無残に転がる死体に愕然としながらも足を止めることはない。
本来は試験自体もこんなことは想定してはいなかっただろう。事前に受けていた連絡では、今回の湿地帯での作戦はあくまで魔物の間引きと原因の調査だ。こんなスタンピードが起こるなど誰も想像などしていなかったはずだ。
だが自分の犯した事態により、最悪の展開は未来ある子ども達の将来を奪ってしまうことになった。
気づけばクノッフェンの目には涙が浮かんでいたが、それでも足だけは止めてはいけない。ここで止めれば更なる被害が出る。ここで死んだ者たちよりも、さらに多大な被害が出ることになりかねないのだ。
「っ……!?」
防衛線の終点、一際大きな砦が鎮座する場所にたどり着いた時、クノッフェンは最大の決断を迫られることとなった。
一人の少女の死角から襲い掛かる獰猛な二匹の魔物。これを無視すれば、確実に少女は命を落とすだろう。だがここであそこに助けに入るということは、更なる被害を許容してしまうことと同義だ。
考えていた時間は一瞬。しかしクノッフェンの体はその一瞬すらも待つことなく動き出していた。
自らの身を挺して庇った少女の代わりに自らの体に突き立てられた鋭い牙。激しい痛みを感じると同時、クノッフェンは命の終わりを悟ってしまった。
「「クノッフェン様!?」」
駆け寄ってくる近衛の二人の姿を見ながら倒れていく体はどうすることもできず、抱き留められてももはや体には一片の力も入らない。
ここで終わるのか。
大事な情報の一つも伝えることができず、己の責任すら果たせないままに死んでいく。これが愚か者の終わり方だというのなら、こんなに酷いシナリオもない。
しかし自らの体が勝手に動いてしまったのだ。なんの理屈もなく、ただ目の前の少女を助けるためだけに。
「ただ感謝を申し上げます。あなたが守ってくれなければそうなっていたのは私です。心からの感謝を。」
そして少女からかけられたその言葉に、クノッフェンは理解する。自分最後にしたことは間違っていたかもしれない。より多くの被害者を出すことになるのかもしれない。
それでも後悔はなかった。目の前で散ろうとしていた命を、こんな愚か者の命と引き換えに救うことができたのだから。
「ああ……、頼んだ……」
だから戦場に戻る少女の背中を見てクノッフェンは思ったのだ。きっとここは大丈夫だと。きっとスタンピードはここで止まると。
なんの根拠もないその思いは、果たして叶う事となる。彼の最後の行動は、決して無駄にはならないのだから。




